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東京アートポイント計画通信

東京アートポイント計画は、地域社会を担うNPOとアートプロジェクトを共催することで、無数の「アートポイント」を生み出そうという取り組み。現場レポートやコラムをお届けします。

2018/02/28

縮小社会に向き合う、“看取り”のアートプロジェクト —羊屋白玉「東京スープとブランケット紀行」インタビュー〈前篇〉


「東京スープとブランケット紀行」ディレクター・羊屋白玉。

「東京アートポイント計画」に参加する多くのアートプロジェクトは、いったいどのような問題意識のもと、どんな活動を行ってきたのでしょうか。この「プロジェクトインタビュー」シリーズでは、それぞれの取り組みを率いてきた表現者やNPOへの取材を通して、当事者の思いやこれからのアートプロジェクトのためのヒントに迫ります。
 
第1回目に取り上げるのは、演出家・劇作家の羊屋白玉さんを中心に2014年より活動を始めた「東京スープとブランケット紀行」です。毎月一回、彼女が22年間一緒に暮らした猫(2012年5月17日他界)の月命日に、江古田の街で買い集めた食材でスープを作り、それを参加者みんなで食べることを軸にしたこのプロジェクトでは、そのささやかな行為の積み重ねを通して、成熟都市の抱える「看取り」の問題に取り組んできました。

2017年、参加型プログラム「R.I.P. TOKYO」の開催を機に、ひとつの節目を迎えた「東京スープとブランケット紀行」。4年間の活動のなかで探られてきた、本当に創造的なアートプロジェクトのあり方とは何なのか? 羊屋さんと、伴走者である東京アートポイント計画ディレクター・森司に話を訊きました。江古田周辺をめぐった写真とともにお届けします。

(取材・執筆:杉原環樹/撮影:高岡弘 *提供名のある写真以外)


■「演劇は作るな、クリエイションするな」

——「東京スープとブランケット紀行」は、東京アートポイント計画の関わるアートプロジェクトのなかでも、ひときわ変わった活動で知られているそうですね。まずはプロジェクトの始まりがどのようなものだったのか、お聞きできますか?

羊屋:2013年7月に、森さんから声をかけていただいたのが始まりですね。このときのオファーがとても難しいもので、ひとつは「若いアーティストの心に火をつけるようなことをしてください」ということ。もうひとつは、「演劇は作るな。クリエイションはするな」ということでした(笑)。演劇の世界では、公演の半年ほど前に告知を打って本番を行うという制作パターンがあります。私もそうした制作をしてきたのですが、従来の作り方をしないで、より時間をかけて作ってほしいと問いかけられました。

:東京アートポイント計画では、過去にも演劇人と組んだプロジェクトを行ってきたんです。劇作家の岸井大輔さんとは、新しい公共モデルを考える「東京の条件」(2009〜2011年)を、ドラマトゥルクの長島確さんとは、ギリシャ悲劇の物語を街にインストールする「アトレウス家」シリーズ(2010〜2012年)を行っています。その流れのなかで、三人目の演劇人としてお願いしたいと考えたのが羊屋さんでした。

——なぜ羊屋さんを?

:このとき、いくつかのテーマを考えていたんです。ひとつは、何かの終わりに立ち会う「看取り」の問題をアートプロジェクトでやりたいということ。いま、地域活性化のような事業にアートを活用する試みは多くありますが、東京は今後、人口減少や空き家問題に直面し、静かにシュリンクする時代に入っていく。そこでは別種のプロジェクトも用意しなければなりません。また、非常に口当たりがいいプロジェクトが多いことに対して、毒を皿に盛れる人はいないかとの思いもあった。そんなとき、それらをまとめてできる毒たっぷりの人がいるじゃないか、と思ったわけです(笑)。

——実際、羊屋さんといえば、過去の作品でも劇場ではない屋外での公演や、一般の人たちとの協働制作を行うなど、演劇のかたちを疑うような活動をされていますね。

羊屋:森さんからは、2005年から2006年にかけてやった《東京境界線紀行》の話をされました。これは障害者をはじめ、多様なマイノリティの方と交流して作ったツアー型の作品で、「厳しいことをやり続けていてタフだ」と。だけど、「クリエイションをするな」というのは私にとって行動を封じられていることに近い(笑)。そこからは、企画を考えては森さんに提示して……という、千本ノックのようなやりとりが長い期間続きました。

:「作るな」というのは、言い換えるとクリエイションの仕方を作ってほしいということでもあります。これまでにない看取りの文化事業のオペレーションシステム(OS)を作ってほしいと。じつはこれに連なる社会的テーマ型の取り組みには、「東京迂回路研究」(2014~2016年)のような研究型のプロジェクトもあったんです。羊屋さんはその表現サイドであり、一種の劇薬だと考えていたので、時間がかかるのはわかっていました。そんななか、羊屋さんがあるとき一種の宣言文をフェイスブックに上げたことから、具体的な活動が始まりました。

羊屋:そこに綴ったのは、加速記号に溢れた東京に休符を打ちたいという思いです。私は上京して以来、つねに加速する東京を感じてきました。東京は疲弊している、もう少しゆっくりの方がいいと感じていた。2017年に行ったプログラムのタイトル「R.I.P. TOKYO」(東京よ、安らかに眠れ)は、当時から考えていたものです。

■プロジェクトの複層化

——そこからプロジェクトは、どのように具体化していったのでしょう?

:最初の打ち合わせから半年ほど試行錯誤が続いたのですが、そんなとき羊屋さんがふと出してきたキーワードが、プロジェクト名にもなった「東京スープとブランケット紀行」でした。この言葉によって、それをどう捉えるか考えられるようになりました。

——スープやブランケットという言葉は、なぜ出てきたのですか?

羊屋:由来は2012年の、飼い猫「まぷ」の死です。まぷは社交的な猫で、倒れたときには仲の良かった多くの友人が駆けつけてくれたんです。そのさい、みんながその身体を温めるために持ってきてくれたのが、スープやブランケットでした。そして亡くなるまでの五日間、猫をどう弔うか、焼くのは嫌とか木の下に埋めるのがいいとか、みんなでいろいろ話しました。そこには自分の死への思いも重なっていて、猫の死を機に夜な夜なそんな話ができたのはすごいことだなと。「江古田スープ」には、この弔いに向けた時間の経験を、まぷを知らない人とも再現したいという側面もあります。


江古田市場跡地に立つ東京スープとブランケット紀行のチーム(写真提供:東京スープとブランケット紀行/撮影:中澤佑介)

——「江古田スープ」は、「東京スープとブランケット紀行」という言葉が分解されて生まれた、四つの小さなプロジェクトのひとつですね。これは羊屋さんが暮らしてきた江古田で、月に一回、プロジェクトに関わる人が集まり、スープを作って食べるものですが、そこには食事を通した一種の看取りの場をつくるという思いもあったと。

羊屋:さらに「江古田スープ」では、活動を始めてまもない2014年の大晦日、90年間続いた地元の江古田市場が閉場することが決まったため、そのリサーチも行うようになりました。これも一種の看取りですね。とはいえ、月に一度の集まりで交わされる会話は本当に世間話のようなものでしたし(笑)、そもそも当初、私は自分の街を材料にすることをうまく消化できていなかった。そこで、どこかに行くべきだと思って訪れたのが、「青ヶ島ブランケット」というプロジェクトで行った青ヶ島です。この人口180人の島への訪問が、概念としての「東京」や自分の街を見直す機会になりました。

——というと?

羊屋:東京を成り立たせている背景を感じたというか。もちろん青ヶ島も東京の一地域ですが、遠方から自分のベースを考えることの有効性を感じたんです。速すぎる本州の東京が何も生み出していないこと。青ヶ島では1785年の火山活動の激化で、島民全員が八丈島に避難し、50年後に帰還した「還住」という歴史があることも知りました。「青ヶ島ブランケット」の二年目には、都市への水の供給のために奥多摩のダムに沈んだ村もリサーチしたのですが、こうした秘境の経験が活動を複層的にしていったんです。


リサーチプログラム「青ヶ島ブランケット」、2017年7月の青ヶ島訪問にて。かつて名主屋敷があった場所をリサーチ。(写真提供:東京スープとブランケット紀行)


島の歴史を引き継ぐ「還住太鼓」を叩いてみる。(写真提供:東京スープとブランケット紀行)>レポート

■雑多な材料から澄んだスープが生まれる

——小さなプロジェクトとしては、「江古田スープ」「青ヶ島ブランケット」以外にも、「東京一箱」「対談紀行」というプロジェクトも行われています。「東京一箱」は、東京に住宅を購入しようとする人を追うドキュメントで、「対談紀行」はゲストを迎える対談企画です。ところでこうして見ると、じつにさまざまな要素が混在していますが、それらが最終的にどう絡み合っていくか、といった予想図は描かれていたのでしょうか?

:いや、「江古田スープ」の月一の集まりもそうですが、青ヶ島や奥多摩を訪れることにも最初から明確な目的はありませんでした。プロジェクトというと、事前に具体的なゴールがあるように思われますが、そうした必然はなくてもいい。むしろ、偶然が必然を呼び、必然が偶然を呼ぶ、「わらしべ長者」的な連鎖があればいいんですよ。

羊屋:そうですね。「対談紀行」も、アートプロジェクトにつきもののトークを自分もやってみたい、くらいの気持ちで始まっていて、人選も緩やかに決めましたが、いいタイミングで出会うべき人に出会えました。


2016年2月21日に開催したトークイベント「対談紀行 2016年春篇」。詩人・詩業家でココルーム代表の上田假奈代さんを迎えて。(写真提供:東京スープとブランケット紀行/撮影:中澤佑介)>フォトレポート

:それこそスープを作るには、いろんな材料を突っ込みますよね。同じように、このプロジェクトにも最初は多様な要素が突っ込まれた。それらが溶け合って、結果的に透明感のあるスープになったけど、はじめから予期していたわけではないんです。

羊屋:そうして「江古田スープ」を月に一回、「対談紀行」を半年に一回……と続け、4年目にようやくそれらが「R.I.P. TOKYO」としてひとつになった。やっと公言できたなと。

——ただ、それはプロジェクトの作り方として、異質なようにも思います。普通、少なくとも建前では何かの「成果」に向かうものですが、そうした作り方はしなかったと。

:発酵するのを待ったんですよ。「月命日」と称したスープの集まりも、基本的には集まるだけ。そこには積極的なクリエイションなんかないし、むしろ、しないようにしていた。みんな、一生懸命やりすぎているわけです。まずは「元気?」から始まる、取るに足らない日常会話があり、誰かが「なぜ集まっているんだっけ?」と言うと、たまにシビアな会話にもなる。「あの店、閉まったらしいよ」とか。テーマの「看取り」だけにフォーカスするわけではなく、日常の集まりにそれが紛れている状態なんです。

羊屋:プロジェクトメンバーには演劇関係者やデザイナーなどもいるのですが、みんな、その場では自分の仕事を離れているんですね。デザイナーがスープのシェフになったり(笑)。でも、何回かに一度、ふと大事なことに気づくこともある。それは、劇的な気づきではなくて、みんなのなかに自然に染み込んだものから出てくる気づきです。だから、プロジェクトの一環としては「これをしている」と明確に言えないといけないんだけど、そうした言い方ができなくて。むしろ本当に大事なのは、月に一回、みんなで会うことだったんです。

〈後篇〉「あとは命名を待つだけ。都市を減速させる試み —羊屋白玉「東京スープとブランケット紀行」インタビュー」へ続く


(写真提供:東京スープとブランケット紀行/撮影:中澤佑介)


Profile

羊屋白玉(ひつじや・しろたま)

1967年北海道生まれ。「指輪ホテル」芸術監督。劇作家、演出家、俳優。主な作品は、2001年同時多発テロの最中ニューヨークと東京をブロードバンドで繋ぎ、同時上演した「Long Distance Love」。2006年、北米ヨーロッパをツアーした「Candies」。2011年、アメリカ人劇作家との国際協働製作「DOE」。2013年、瀬戸内国際芸術祭では海で、2014年の中房総国際芸術祭では鐵道で、2015年、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレでは雪崩よけのスノーシェッドで公演した「あんなに愛しあったのに」。舞台作品以外の活動は、2013年よりアジアの女性舞台芸術家たちとのコレクティブを目指す亜女会(アジア女性舞台芸術会議)を設立。2014年より東京を舞台に「東京スープとブランケット紀行」始動。2006年、ニューズウイーク日本誌において「世界が認めた日本人女性100人」の一人に選ばれる。
http://www.yubiwahotel.com/

東京スープとブランケット紀行

演出家・劇作家の羊屋白玉を中心に、生活圏に起こるものごとの「終焉」と「起源」、そして、それらの間を追求するアートプログラムを展開。テーマに呼応するコラボレーターとともに、トークシリーズや、アートプログラムの実施へ向けたエリアリサーチを行う。
http://soupblanket.asia/index.html
*東京アートポイント計画事業として2014年度から実施


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