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東京芸術文化創造発信助成[長期助成プログラム]活動報告会

アーツカウンシル東京では平成25年度より長期間の活動に対して最長3年間助成するプログラム「東京芸術文化創造発信助成【長期助成プログラム】」を実施しています。ここでは、助成対象活動を終了した団体による活動報告会をレポートします。

2020/12/24

第9回「福島三部作と資金調達」(後編)

第二部インタビュー

第二部では、アーツカウンシル東京のシニア・プログラムオフィサー、石戸谷聡子の司会で、『福島三部作』成功を支えた資金計画や体制、上演の成果について、さらに詳しく聞く時間が設けられました。劇作・演出家で劇団主宰でもある谷さんと、制作を担当した小野塚さん、二人の率直なお話から見えてきたのは、懸命な情熱と地道な制作の取り組み、そして、観客も含めた人間同士の関係を基盤にクリエーションを進める姿勢でした。

第9回「福島三部作と資金調達」(前編)はこちら


−今回のプレゼンテーションでは、どこからいくら、どのように申請してという、資金調達のお話を聞かせていただきました。資金調達にはまず、自分たちの財源としてのチケット収入、それから民間の協賛金などもありますが、それらも含めて、いつ、どういった組み立てで、今回の資金計画を考えられたのかをお聞きしたいと思います。

小野塚 助成金を申請する時に「チケット代を決めたい」という流れになり、そこで谷さんが三部作一挙上演のチケット代を4,000円未満、3,900円にしたいと言ったんです。それで試算してみて、とても賄えないとなって。そこからどうするか、具体的に考えていったと思います。
 「お願いですから4,200円にしてください」と頼まれたのを思い出します(笑)。
小野塚 何パターンも予算書をつくって、「これじゃあスタッフにお金が払えません」と言いましたね。

−助成金の申請は、結果が出るまでに時間がかかりますね。採択されるかわからないうちに別の助成金を申請するということにもなりがちですし、クラウドファンディングにしても、やってみなければどのくらいの額になるのかわからない。小野塚さんはプロデューサーとして、その組み立てを、どのように見積もっていましたか。勝率などを考えていらっしゃったんでしょうか。

小野塚 現実的なところでできるだけもらえるように申請書をつくり、もらえなかったらもらえなかったで調整しようというような気持ちです。

−民間の協賛金は考えましたか。

小野塚 考えなかったです。以前挑戦したこともありましたが、なかなか難しいので。

−なるほど。かけられる手間も作品やスケジュールによって違いますから、いつどういう募集があるかわかっている助成金の方が使いやすいという意味ですか。

小野塚 そうです。

−2017年に私どもアーツカウンシル東京に、単年助成で申請してくださったんですが、不採択でした。そのことで何か、計画を変更せざるをえなかったというようなことはあったんでしょうか。

小野塚 不採択になったことで変更したことはありません。代わりに長期助成を申請してみようということになりました。ただ、もし単年助成で採択されていたら、第一部先行上演のための予算がちょっと変わっていたかもしれません。

−ありがとうございます。ではその先行上演ですが、評判がよかったですよね。それは続く第二部、第三部にどんな影響を及ぼしましたか。創作と運営の両面からお話いただければと思います。

 第一部の終わりに、第二部、第三部はこういう話になるみたいな字幕が出るんですけど、「だったらもう、今すぐ観せてほしい」という声が強くあったのは、作家としてはありがたかったですし、頑張って早く次を書こうというモチベーションにもなりました。それから、第一部のときは、自分で音響オペレーションをして、全部の公演を観ていたので、第二部ではこの人物をこういうふうに膨らませようとか、第三部ではこういう人間関係をつくってもいいかもしれないといったイメージを、お客さんの反応を見ながら考えることもできたんです。その意味でも、第一部の先行上演はやってよかったと思います。

小野塚 第一部の反応がよかったことで、たぶん、次の年の上演にも観に来てもらえるだろうというようなポジティブな予測ができたのはよかったと思います。

−第一部先行上演を終えられて、2年目に向けて、あらためてお二人で計画を立てたりといった話し合いはされたんでしょうか。

 あらたまって会議をしたりということはなかったと思います。実際的な問題、たとえば劇場を借りる期間やスタッフをどうするのか、といったことは定期的に相談していましたし、決めなければいけないことの締め切りにあわせて、そのつど輪郭がはっきりしていったのだと思います。
小野塚 「もうキャストを決めないと難しいんじゃないですか」とか、ずっと言っていたと思います。
 もちろんある程度のイメージは持っていたんですけど、そういうタイミングごとに「第二部はこのくらいの人数でやろうと思ってる」とか「こんな人を出したいけど、どうですか」と種明かしをしていった感じです。

−2年目の公演は全部で3週間ほどでした。1週目は第二部の初演、次が第三部、そして最後の週は三部作を一挙上演する、という流れはどのようなお考えで決めたんでしょうか。

 実際、こうするしかなかったというのがまずありました。第二部は福島で7月に上演しているのでちょっと思い出し稽古をすれば8月頭にできるだろうと。その裏で第三部を稽古して、幕を開けることができれば、あとは並べて上演できるはずだし、稽古が効率的に進むと思ったんです。ただ、東京の最初の週の第二部のチケットが売れなくて、ガラガラで。売上表を見たので覚えてるんですけど、200人くらい入る劇場でいちばん多い日でも100人くらい。60、50っていう数字が並んでいて、戦々恐々としましたし、そうとしか組めなかったということはありつつも「やっぱり第一部からやった方がお客さんは来やすかったのかな」と思ったりもしました。

−出演者の方も第一部、第二部、第三部とで、かぶって出演されている方もいらっしゃいましたよね。

 そういう人たちは本当に大変だったと思います。かぶっているのはうちの劇団員だけなんですが、これまでにも1日3ステージとか、1週間で新しい演目をつくったりとか、毎回僕にひどい目にあわされ、試練に耐えてきた精鋭だということもあって、なんとか2演目、3演目をやるということが成立させられた感じです。

−この2年間の中で、小野塚さんにとって、いちばん大変だったのはどんなことですか。

小野塚 やっぱり、福島での第二部公演が終わったあと、第三部の稽古をしていた時期です。東京公演のチケットは30%くらいしか売れていないし、第三部の台本もなかなか完成しないし。その時期の日記を読み返したら「心が砂漠」って書いてありました(笑)

−貴重なお話ありがとうございます。その時点で、予算書の中のチケット収入は、大幅に下方修正ということになっていたかと思います。そういう事態の中で、資金的にはどんなことを考えていましたか。チケットを売るためのSNSのキャンペーンをされたりはしていたわけですが。

小野塚 もう人件費を削るしかないです。最終的にそれはしなくて済んだんですが、あのままチケットが売れなかったら、それしかなかったと思います。

−もし、最終的に黒字になることがわかっていたら、どういう使い道があったと思いますか。

小野塚 演出部の人を増やして、劇団員の負担を減らすことができたと思います。

−私どものところにいただいている報告書でも、3つの作品を連続上演することの大変さが書かれています。特に通し上演の日は、スタッフや劇団員が座って食事する余裕もなく、午前9時から夜10時まで分刻みのスケジュールで、転換や客入れ、客出しをする必要があったと。もし、一人でも演出部の人員が多ければそのローテーションも楽になったということですね。ただ、劇団だからこそ、こういうことが可能だったということもできますよね。

 劇団だからこその良さは、裏を返せば劇団ならではの悪さでもあって。表裏一体なんですよね。僕が外部のプロデュース公演と劇団とで、いちばん違うなと感じるのは、やっぱり、劇団は自由で、小回りがきくんです。急に変えたり、足したりしてもみんなついてきてくれるし、それこそ台本が遅れても「もうちょっと粘りたいんだ」と言ったら理解して待ってくれる。もちろん、それで迷惑をかけている人がいっぱいることもわかっていますし、甘えちゃいけないなとは思うんですけど、「ここだけはこだわらせてくれ」というような時に踏ん張りがきいたり、「谷のやりたいようにやれよ」と待ってくれたりするのは、劇団の底力でもあると思います。
小野塚 ダルカラの人たちは本当に苦しい状況に慣れていて。谷さんがいなくても自分たちで稽古を回そうとか、小道具も自分たちでつくってきたり。受付とかも積極的にやってくれるんです。劇団に対するエネルギーの使い方がすごいなと感じました。

−アーツカウンシル東京の助成を申請していただく際には、その事業の目標、目的を書いていただくんです。その時に書いていただいていたことをおさらいさせていただくと、一つ目は戦後日本のあり方や原発について話題にできる場をつくること、二つ目は観客にも批評家にも評価される作品をつくるとありまして、ここには岸田戯曲賞という具体的な目標も書かれていました。それから三つ目が三部作で1万人を集客するというものでした。この目標はすべてクリアされたように思えますが、谷さんは、振り返ってみて、いかがですか。

 こうして終わってみると、この三部作は当然あるべき作品で、語られるべきことだったと感じますが、僕が動き出した時期、それこそ小野塚さんと一緒に始める前に、公共劇場や民間のプロデューサーの方に「こういう話をやろうと思ってるんです」と耳打ちした時の反応は、「ちょっと原発の話は」とか「うちじゃちょっと」と引かれたりという感じで評判はよくなかったんです。やっぱりこの話題は扱いづらい、触れたくないという空気があって。でも、ぶれることなく、物怖じせずにやれたのは、やっぱり劇団ならではのことで、すべて自分たちの責任でやれる覚悟があったからだと思います。それと、ただ原発の危険性を語りたいというんじゃなくて、これは民主主義とか社会の意思決定のシステムと密接に関わっていることで、だから語る必要があるという信念を持っていたことが、今振り返ると、作品の骨、強度になっていたと感じるんです。やっぱり作家が魂をかけ、重心をかけて書いたことは重みを持ちますし、そういう題材に2年、3年というプロセスを踏んで取り組めたことが、最終的な作品の仕上がりにも影響したと思います。準備期間をきちんととることは、作品づくりにとって、本当に大事なことなんだなとよくわかりました。

−取材活動から数えれば3、4年がかかっている作品ですよね。普段の劇団公演の制作期間はどのくらいですか。

 ぼんやり構想している時間は、半年とか1年くらいありますけど、実際、徹底的に資料を読み込んで取材したり、アイデアを書いたりしている時間で言うと、1、2カ月とか、長くて3カ月ぐらいでつくることが多いと思います。大体、執筆に1カ月、稽古に1カ月ぐらいです。

−そうしますと、福島三部作のように時間とエネルギーを注ぎ込む作品というのは、そうそうはできないということにもなるんでしょうか。

 実は今も、新たなテーマを探している最中です。福島とはまた違う題材でしょうけど、同じぐらい本腰を入れて取り組めることってなんだろうというのはずっと考えてますね。

−さきほどの目標の中に「1万人の集客」がありましたが、この目標はどのようにたてられましたか。

 この作品の準備が始まる直前の第17回公演が、活動休止公演だったんです。黒字が全然出なくて2公演連続で赤字でこのままだと財政破綻するから一回区切ろうってことで決めたんですが、だったらこの機会にいろいろと改革もしようということになって、さっき言ったように、外注スタッフのコストを削って劇団員に支払ったり、内容的にも工夫をしたら、結果、黒字になりました。劇団員にもボーナスが出るくらい。大入り袋って普通5円玉入れるんですけど、5万円入れて配ったくらい大盛況だったし、評判もよかったんです。その公演がだいたい3,000人くらいの動員でした。ということは、三部作だったら単純計算でも9,000人以上いけるだろうと。で、もちろんその時の公演より強度のある作品をつくろうとしているんだから、1万という数字を見てもいいんじゃないかと考えました。この数字は、クラウドファンディングをするにも、夢や理想を共有するという意味で大事だったと思います。ただ、自分のやりたいことをやりたいです、というより、私はこの作品を1万人の人に届けて、1万人の人と福島について語りたいんだと打ち出すことで、より理解を得られるんじゃないかと考えていたことも覚えています。

−この三部作を上演したことで、劇団や谷さんにとって、どのような成果があったでしょうか。もちろん戯曲賞の受賞ということはあると思いますが、そのほかに何か実感するようなことはありますか。

 戯曲の書籍化というのは一つありました。何かの賞をもらったわけでもなく、お客さんも満席だったわけではもないタイミング、さっき小野塚さんも言っていた地獄のような状況の中で、而立書房さんというところから出版しませんかという話が来たんです。どういう直感なのか嗅覚なのかはわかりませんけど、可能性を感じてくださったんだと思います。チケットは売れていないにしても、雑誌や新聞にはとりあげられていましたから、そこを見込んでくれたのかもしれません。いずれにしても、活字にして残すことができたのはすごく意味のあることでした。この先、百年後でも二百年後でも、国会図書館に行って「福島」「原発」とかってキーワードを打ち込めば、この本が出てくるわけですから。もちろん、このテーマについては大量の記録も残っていますけど、肉声として、福島の人がこういうふうに語っていたよ、ということを残すなら戯曲がいちばんだと思いますし、それができたのは本当によかったです。
劇団としては……これは難しい問いですが、一つにはきちんと会社化して、経理もちゃんとして、助成金関連のやりとりもやって、すべて精算も済ませるところまでできたので、任意団体でやっていた頃とくらべれば、かなり整理ができました。そこでいったん信用がつくれたことで、これから先に何か申請をする際にも、役に立つことはあるんじゃないかと思いますし、やってよかったなと思います。

−小野塚さんは、この長期助成を利用してみて、そのメリットはどういったところにあったとお考えですか。

小野塚 2年目に多くお金を残すことができ、一挙上演の見通しを立てやすかったと思います。

−長期助成の特長をうまく使ってくださった例だと思います。最後に、クラウドファンディングや助成金のやりとりなどを通じて、さまざまな方とのやりとりがあったと思います。資金を通じた関係づくりについて、印象的なことはありましたか。

 どこの担当の方も、本当に熱意を持って向き合ってくださり、それぞれにエピソードはあります。中でもクラウドファンディングで支援してくださった方たちには、非常に強く背中を押されました。足かけ3年、僕からのメールマガジンを出していたんですが、それに返事をくださったり。リターンの特典として稽古場見学ができるというのがあったんですが、一緒に飲んだり、旅行した人までいたり……稽古場でも劇場でも、あるいはメールでも、いつも気持ちのこもったやりとりができました。ただ単に「お金を出してくれてありがとうございます」というんじゃない、演劇をつくる側の視点を味わったり、そのプロセスを覗き見できるということをコンセプトにして募った企画でもあったので、そこで支援してくれた人たちと並走できたのは面白かったし、励みになりました。

質疑応答

質問者1 今回の企画に小野塚さんが参加されたタイミングは、劇団の制作の方が辞められた後だったとお話されていました。今後も、規模によっては、今回のようにプロデューサーの方を見つけて上演をされるのでしょうか。その場合、どんな基準でその方を見つけるのでしょうか。

 もちろん、基本的な能力は必要ですよね。お金の計算とか人とちゃんとやりとりができるとか、お客さんのことを心配できるとか。そういったスキルはありつつ、やっぱり、人間的な面で、一緒にいて楽しいとか、作品に刺激をくれるとか、座組みにとってよい効果があるとか……っていうことでご一緒させていただく方は決まってくる気がします。今日、短い時間ですけど、見ていただいてわかるように、小野塚さんはユニークなんですよ。非常にとぼけた発言をする一方ですごく深い知識を持っていて、歴代天皇を全員言えるし、ハプスブルク家の歴史も全部話せる。謎の深い知識を持っていて、着眼点も鋭い。もちろん制作としての基本スキル、プロデューサーとしての目線もあるんですが、何より一緒にいて、「今、こういうふうに稽古が進んでるけど、どう思う?」っていう時にぽろっと答えてくれる一言が非常に芯を食っている。それで、よく一緒にやらせてもらっています。

質問者2 クラウドファンディングのリターンにチケットは含まれていませんね。そのうえで目標額以上の達成をされたということですが、支援してくださった方は、もともと谷さんや劇団の作品のファンの方なのか、それとも『福島三部作』のテーマに惹かれた方たちなのか、どの程度把握されていますでしょうか。

 アンケートをとったわけではないので、感覚的なお答えになってしまうんですが、7、8割ぐらいは、もともと僕の作品や劇団の作品が好きだった方だと思います。ただ、明らかに2、3割ぐらいは、観たことがないという人たちでした。ですから、福島のことを今取材して話してくれるんだという期待で出資してくれた方たちがいたことは確かです。中には、3万円とか5万円とかを出してくださって、でも、地方に住んでいるから本番は観られませんが応援します、という方もいらっしゃいました。それはやはり、福島と原発というトピックが日本全体にかかわることだったというのが大きかったと思います。

(取材・構成 鈴木理映子)


プロジェクト概要:https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/what-we-do/support/program/34165/

福島三部作
福島にルーツを持つ谷賢一が、東日本大震災時の福島原発事故を題材に日本の戦後史について再考する。およそ2年半にわたって福島現地に数多く取材し、原発誘致決定から震災前夜までを三世代の家族の物語に紡ぎなおした三部作として書き下ろした。戦後日本を問い直す作品。
2018年に第一部『1961年:夜に昇る太陽』を福島・いわきアリオスと東京・こまばアゴラ劇場で先行上演、劇団としては 2年ぶりの復活本公演となった。翌年2019年には第二部『1986年:メビウスの輪』、第三部『2011年:語られたがる言葉たち』を完成させ、三部作をおよそ一か月間一挙上演した。
劇団公式ウェブサイト:http://www.dcpop.org/

谷賢一
1982年、福島県生まれ。千葉県育ち。明治大学演劇学専攻、ならびにイギリス・University of Kent at Canterbury, Theatre and Drama Study にて演劇学を学んだ後、2005年劇団DULL-COLORED POP を旗上げ。ポップでロックな創作スタイルで脚本・演出ともに高い評価を受ける。2013年、『最後の精神分析』の翻訳・演出にて第6回小田島雄志翻訳戯曲賞、文化庁芸術祭優秀賞受賞。2019年、3世代、3つの家族を通して、福島県と原発の歴史を3部構成で描いた『福島三部作』を一挙上演し10,000人を動員。本作で第64回岸田國士戯曲賞、第二部『1986年:メビウスの輪』にて第23回鶴屋南北戯曲賞を受賞。一方で劇団外の活動も活発に行っており、海外演出家とのコラボレーション作品も脚本や演出補として数多く手がけている。
最近の主な作品に『人類史』(2020/作・演出)、『エブリ・ブリリアント・シング』(2020/翻訳・演出)、『光より前に~夜明けの走者たち』(2018/脚本・演出)、『三文オペラ』(2018/上演台本・演出)など。

小野塚央
高校生の時に観た宝塚歌劇団雪組「エリザベート」に衝撃を受け、庭劇団ペニノ、演劇弁当猫ニャー等の制作を明治大学在学中より行う。大学卒業後、ホリプロにて票券業務を担当。2005年から2009年まで渡独。Deutsch Oper BerlinやMaxim Gorkie Theaterなどでドラマトゥルグ研修生として複数プロダクションに参加。
2010年よりゴーチ・ブラザーズ所属。2010年より再び庭劇団ペニノ制作。2012年から2016年まで、谷賢一、野村政之、伊藤達哉のユニットであるThéâtre des Annales全作品の制作を行う。また、Festival TokyoやTPAM、Yokohama Dance Collectionなどのフェスティバルや、カンパニーデラシネラ、ミナモザなど様々な公演の制作に関わる。
主な作品はThéâtre des Annales『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが(略)』、庭劇団ペニノ『地獄谷温泉 無明ノ宿』、『ダークマスター』、『蛸入道 忘却ノ儀』、劇団DULL-COLORED POP『福島三部作』など。

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