2015/09/24
2020年を通過点に私たちは何を残せるか――。
If you want legacy, then you have to plan for it.
ニッセイ基礎研究所 研究理事 / アーツカウンシル東京カウンシルボード委員
吉本光宏
2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会まで5年となった。
オリンピックがスポーツばかりか文化の祭典でもあることは、各方面で理解が進み、関係機関では検討が本格化している。文化庁は7月「文化プログラムの実施に向けた文化庁の基本構想」を発表した。東京都も3月末に「東京文化ビジョン」を策定し、都が主導する文化プログラムの基本方針について、先日、東京芸術文化評議会での審議を終えた。
国や東京都だけではない。全国各地の地方公共団体や経済団体も、2020年の東京大会を地域の活力創出につなげるべく、文化プログラムに大きな関心を示し、具体的な計画を発表したところも少なくない。
かねてより、2020年が文化にとって大きなチャンスであることを訴えてきた立場としては、嬉しい限りである。が、これだけ誰も彼もが2020年の文化を声高に叫ぶようになると、気がかりなことも出てくる。このままでは全国各地で華やかな文化イベントが行われるだけで、終わってみれば何も残らないのではないか。2020年を特別視しなくとも、また五輪、五輪と騒がなくとも、従来の文化事業を着実に継続・発展させる方が望ましいのではないか――。心配の種は尽きない。
いずれにせよ、2020年東京大会の文化プログラムへの気運が高まってきた今こそ、その意義や役割、ビジョンを明確にする必要があるだろう。
◎ 若者をインスパイアした2012年ロンドン大会
2012年ロンドン大会では、かつてない規模と内容の文化プログラムが実施されたことは周知のとおりだ。2020年東京大会の検討の際にもしばしば参照される。最近、「London 2012: Have We Inspired A Generation?」という興味深いレポートを読んだ。ロンドン大会の文化プログラムの3大スポンサーのひとつ、レガシートラストUKが発行したものだ。
ロンドン大会全体のスローガンは「Inspire a Generation」。カルチュラル・オリンピアードの目的は「英国の誰もがロンドン2012に参加するチャンスを提供し、あらゆる文化に共通する創造性を、とりわけ若者たちに、喚起する(inspire)こと」であった(※1)。レポートには、その目標を達成できたかどうかを検証するため、英国全域の16~25歳の1,000人以上を対象にした調査結果が掲載されている。主なポイントは次のとおりだ。
「2012年ロンドン大会は、英国にポジティブな変化をもたらした(84%)」「2012年ロンドン大会は、若者たちの人生を変容させた(61%)」「パラリンピアンに触発された(70%)」「2012年ロンドン大会に関わった結果、他のプロジェクトにも参加するようになった(73%)」。代表的なコメントとして「オリンピック・パラリンピック競技大会によって、英国人であることを誇りに思うようになった。今まで何年もそんな気持ちを抱いたことはなかった」という23歳男性(英国南東部在住)の言葉も掲載されている。
2012年ロンドン大会はスポーツを超え、英国文化のショーケースとなり、文化的な催しはオリンピック・パラリンピック競技大会になくてはならないものだとみなされた。実際、若者たちの才能や技能の向上を支援するために様々なチャンスが提供されたという。それを反映して、調査した若者達の65%は、結果的に地域の芸術文化団体に参加する可能性が高いと回答している。このレポートを見る限り、2012年ロンドン大会は、文化プログラムでも所期の目的を達成したと言えそうだ。
◎ 2020年東京大会のビジョンと文化プログラム
2020年東京大会はどうだろう。組織委員会は今年2月に発表した「東京2020大会開催基本計画」に基づいて「文化・教育委員会」を設置し、来年2月にIOC・IPCへ提出する文化プログラム/教育プログラムのコンセプトを検討中だ。その基本計画の中に文化プログラムのビジョンを考えるヒントがある。
まず大会ビジョンは次の一文で始まる。「スポーツには、世界と未来を変える力がある」。この「スポーツ」はそのまま「文化」に置き換えられる。「文化には、世界と未来を変える力がある」と。大会ビジョンは「全員が自己ベスト、多様性と調和、未来への継承を3つの基本コンセプトとし、史上最もイノベーティブで、世界にポジティブな改革をもたらす大会とする」と続くが、この目標も文化プログラムで共有することが可能だ。
さらに分野的、時間的、地域的な広がりを持たせるため、大会ビジョンでは次の5つの柱を立てているが、いずれも文化と親和性のあるものばかりだ。
第一が「スポーツ・健康」。文化芸術には、高齢者の新たな生きる喜びを創出して健康寿命を延伸させる力がある。高齢者施設の入所者や認知症患者が芸術やアーティストと出会うことで、リハビリでは上がらなかった腕が上がるなど周囲が驚くような福祉的成果が各地で報告されている。市民マラソンなどスポーツを楽しむお年寄りも多い。超高齢社会に突入した日本から、スポーツのみならず文化芸術による新たな取り組みを世界にアピールし、スポーツと文化芸術に支えられた先進国の新たな成熟モデルを示すことはできないだろうか。
第二の「街づくり・持続可能性」についても、アートを活用した地域再生の取り組みは既に日本各地で数多く行われている。越後妻有や瀬戸内に限らず、過疎と高齢化に悩む農山漁村で開催される芸術祭は、地域に大きなインパクトをもたらしている。地域活力の創出を視野に入れたアートプロジェクトも目白押しだ。アーティスト・イン・レジデンス、アートによる遊休施設や空き家の再生なども全国に広がる。それらを2020年東京大会の文化プログラムに位置づけることで、文化による街づくりや持続可能性のあるべき姿を描くことができるはずだ。
三番目の柱は「文化・教育」である。文化プログラムの検討と並行して、文部科学省や東京都では、オリンピック・パラリンピック教育の検討が進められ、7月、8月にそれぞれ「中間まとめ」を発表した。文化芸術との触れあいや体験、芸術活動への取組は、子供たちの自信や自己肯定感の回復、コミュニケーション能力や創造力・想像力の育成など、教育面でも大きな効果がある。教育活動の一環として検討されているオリンピアン・パラリンピアンの学校への派遣とアーティストの学校訪問やワークショップなどを組み合わせることで、文化と教育が融合したプログラムの展開も可能になるだろう。
第四の「経済・テクノロジー」についても、文化芸術と連携できる可能性は大きい。最近では、ITテクノロジーを活用した芸術表現が数多く見られるようになった。ロンドン大会でも、文化プログラムの40%は何らかの形でデジタル技術を活用したものだという。創造産業分野の中小企業とのコラボレーションが行われた例も多く、アーティストの斬新なアイディアを実現するため、3,000社を超えるビジネスパートナーが誕生したそうだ(※2)。2020年東京大会でも、アーティストならではの発想が新たなIT技術の開発に結びつくばかりか、文化芸術の持つクリエイティビティは、創造産業をはじめ今後の日本経済の発展に欠かせない存在となるはずだ。
第五が「復興・オールジャパン・世界への発信」である。東日本大震災からの復興において文化芸術は大きな役割を果たしてきた。東北地方は日本の郷土芸能、祭りの宝庫で、その多くが大震災で甚大なダメージを受けたが、地元の力と全国からの支援によって継続され、地域の誇りや絆を醸成している。その姿を2020年に示すことで、オールジャパンによる復興を世界に強くアピールすることができる。
このように、2020年東京大会の基本計画には、既に文化プログラムのポテンシャルが織り込まれているのである。
◎ オリンピズムと文化
ここまで書いて、オリンピック憲章に示されたオリンピズムの根本原則の第1の文言を思い出した。「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする」(2014年版)
まさしく、2020年東京大会の文化プログラムは、スポーツや教育と一体となって、これからの生き方を探求、創造し、世界に示すものでなければならない。そのためには、文化プログラムのビジョンや目標を描き、レガシーを明確にする必要がある。
去る7月、文化経済学会〈日本〉はアーツカウンシル東京、ブリティッシュ・カウンシルと共催で「五輪文化プログラムの社会的意義と役割――ロンドン2012の実績と東京2020への展望」と題したシンポジウムを開催した。ロンドン・キングズカレッジのデボラ・ブル氏の基調講演「2012年ロンドン五輪文化プログラムの社会的インパクトとレガシー」の一節が忘れられない。
If you want legacy, then you have to plan for it.
2020年を通過点に私たちは文化プログラムで何を残すことができるのか。今こそ真剣な議論が待たれるところである。