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コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

2015/10/20

「助成」の価値を見直そう

アーツカウンシル東京カウンシルボード委員 / 公益財団法人セゾン文化財団常務理事
片山正夫

 日本の文化政策において「助成」という手法は、何故か軽んじられてきた印象がある。金額的にみても、たとえば文化庁で、一般の民間団体が申請可能な補助金・助成金のうち主だったものを挙げてみると、「舞台芸術創造力向上・発信プラン」が37億円、「文化芸術による地域活性化・国際発信推進事業」が26億円、「劇場・音楽堂等活性化事業」が30億円などである。これに、芸術文化振興基金の11億円を加えても100億円をわずかに超える程度に過ぎない。子供向け事業など特定の対象に絞ったものや、事業委託形式で民間団体に払い出される金額をさらに足し合わせたとしても、1030億円の文化庁予算全体からみれば、大きな比率ではない(金額はいずれも概算)。
 170億円強の文化振興予算(平成26(2014)年度)をもつ東京都でも、ここのところ2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて増額傾向にあるものの、民間芸術団体向けの「東京芸術文化創造発信助成」(現在はアーツカウンシル東京が実施)の助成金額がようやく1億円を超えたのは、実はつい最近、平成25(2013)年度のことなのだ。
 これは行政に限ったことではない。これほど企業メセナが盛んな日本でも、芸術文化を対象にした助成プログラムを運営している企業は、資生堂などのわずかな例外を除けば、ほとんどないに等しい(一部の企業は財団を設立して助成活動を行っているが)のである。
 
 そもそも財政支出を伴う文化支援のあり方を大別すると、「自ら文化施設を運営したり、事業を行ったりする」か、または「他者の行う活動に助成する」かの二者択一である。そしてこのうちどちらを選択するかは、政策目的の達成にいずれが効果的・効率的かによって判断されるべき事柄である。平たく言えば、「自分よりうまくできる人がいるならその人に助成するし、いないなら自分でやる」ということだ。
 もちろん現実には、さまざまな側面からこれを判断していく必要がある。官民の性格の違いによって生じる事業との相性も考慮されるべきだろうし、民間の芸術セクターの成熟度など時代状況も考えに入れる必要があるだろう。ただいずれにしても、この二つの選択肢をどう使い分けていくのかは、資源配分にあたって考慮されるべき重要課題であるはずだ。

 ではそうしたなか、日本の文化支援の方法が「非・助成」に傾斜しているとすれば、その理由は奈辺にあるのだろうか? 本来なら、日本は政府の財政が逼迫しつつあるのだから、民間の芸術文化セクター/団体の基盤を強化していく方向の支援策がもう少しあってもよさそうなものだ。にもかかわらず、そういった明確な意図をもった民間団体への「助成」が、これまでほとんど行われてこなかったように見えるのはどうしたことだろうか。
 おそらく根底にあるのは、文化や芸術に限らず、公共的な社会サービスはすべからく国や自治体が供給するものとして、民間にその供給主体を想定してこなかった(実際には存在していたとしても)という、わが国が明治以来形成してきた”社会のかたち”ではないか。「助成」というものへの理解が、「困っているというから気持ちだけ援助してやろう」という”お上の施し”、あるいは「要望が多いから少しは応じてやろう」という”陳情対応”程度のものに留まってしまったのは、つきつめれば社会構造に起因しているのだ。

 またいっぽうで、実務の現場で起こりがちなこととして、自ら事業を企画し遂行するほうが、人のやることに「助成」するより充実感が得られやすいし、楽しくも感じられるということがある。何かをやり遂げた達成感も、自主事業のほうが大きいように思えてしまう。つまり裏を返せば「助成」に仕事としての奥深さや創造性を実感できないわけだが、これもまた、助成することを”施し”や”陳情対応”といったレベルでしか捉えてこなかったことに原因があるといえる。

 「助成」は、高度な専門知識をもって、戦略的に状況を変えていく手段である。文化施設はハードにも膨大な投資を要するうえ、一度建ててしまえばその施設じたいに拘束される。だが「助成」はそうではない。新しい考えをプログラムに反映させるためのハードルは低いし、より高い効果を求めて機動的に形を変え続けることができる。試してうまくいかなかったときの撤退も容易だ。そしてなにより、うまくやりさえすれば、限られた原資で多くの人や団体を育てることができる。
 「助成」が(金額においても、情熱においても)軽んじられてきた理由は、政策立案に携わる人々も、実務を担う人々も、「助成」のもつこうした価値を十分認識せず、その可能性を本気で掘り下げてこなかったからなのだ。政府財政が厳しく、民間セクターへの期待が高まるいまこそ、「助成」の価値をもう一度見直していくべき時ではないだろうか。