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コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

2015/12/18

〈公共〉ということ―ベルリンから

アーツカウンシル東京カウンシルボード委員 / 東京大学大学院教授
内野儀

勤務先からサバティカル(研究休暇)をいただいて、2015年8月から半年の予定でドイツ・ベルリンに滞在しています。ベルリン自由大学の国際演劇研究センター(正確には、英語表記では、International Research Center “Interweaving Performance Cultures”となる)に研究員として所属しています。

研究のことはさておき、ベルリンは音楽、美術、舞台芸術すべての分野にわたって大変充実した活動があることはよく知られているわけですが、その多くが〈公共的〉なものとみなされ、助成金の対象となっています。わたしの専門は舞台芸術なので、毎晩のように劇場に行くことになりますが、そこで上演される作品の個別的内容もさることながら、〈公共〉とか〈助成〉といったテーマについてもまた、この間、否応なしに考える機会を与えられるという経験をしています。

こちらに来て3か月あまり、冬の気配が濃厚になってきた去る11月19日~21日、ベルリン市内のゾフィーエンゼーレというスペースで、「ほんとうに役に立つ演劇(Really Useful Theater)」というフェスティヴァルが開催されました。フェスティヴァル名が英語であることからもわかるように、国際的なイヴェントで、講演会やシンポジウム、さらにパフォーマンスも行われました。その中で、わたしが興味を引かれたのは国内外からアーティスト/アクティヴィストを招聘してベルリン自由大学も参画したシンポジウムでした。「ほんとうに役に立つ演劇―国際的な視野から」と題されていて、その無記名の開催趣旨にはこう書かれていました。英語から訳してみます。

芸術や演劇の政治的装置/道具化については、国際的(ドイツ国外(訳者註))には、ドイツにおけるほど熱心に議論されることがあまりない。それは、社会的要素のない芸術作品への助成がドイツにはほとんど存在しないことに、少なくとも部分的には拠っている。その結果、アーティストはここから来る諸制約を扱うための創造的な戦略を発展させることになる。その戦略には幅があり、与えられた社会的使命を忠実に果たすものから、社会的義務と想定されるものの価値転倒的な問い直しまで幅が広い。フェスティヴァル参加者による本セッションにおいて、国際的に活動するアーティストがこの問題についての議論を行い、自身のかかわっているプロジェクト、コンセプト、さらに戦略について意見を交換する。(Really Useful Theater

このシンポジウムに招聘されていたのは、メキシコ、パレスチナ、キルギスタン、ジンバブエ、ギリシャ等の世界各地で、主としていわゆる社会的弱者との共同作業を長く行ってきたアーティストや研究者だったのですが、やや逆説的ながら、わたしがこの開催趣旨を見て強く興味を引かれたのは、「社会的要素のない芸術作品への助成がドイツにはほとんど存在しない」という部分でした。「社会的要素」における「社会」とは何かは、かなり曖昧ではあれ、これはつまり、端的には、単なる娯楽作品には助成はないという意味だと言ってよいでしょう。一方、このことからドイツでは、アーティストは戦略を練らなければならない、とも書かれています。芸術が「社会的使命を忠実に果たす」ことはそれなりにわかりやすいですが、では後半の「社会的義務と想定されるものの価値転倒的な問い直し」とは何でしょうか? これは、ドイツ演劇を知っている人であればおそらくすぐに了解するように、国家であれ市民社会であれ、そうした共同体の成員が共有している(あるいは、すべきである)と考えられている規範や価値をひっくり返してみせる、ということだと考えてよいと思います。つまり、社会の「メインストリームな=支配的な」ものに対して、批評的/批判的に向き合う、あるいはオルタナティヴなヴィジョンを提示する類いの芸術、ということになります。

先ほど、「ドイツ演劇を知っている人であれば」と書きましたが、そうでない読者も多いことでしょうから、ここでは、わたしが立ち会うことになった具体的な事例をいくつか挙げて、ドイツにおける〈公共〉あるいは〈助成〉の問題を考えるきっかけにしていただければと思います。

この夏以降、日本でも報道されているように、ドイツをはじめとするEU圏内には、シリアから避難する人たちを中心に、多数が押し寄せています。もちろんある日突然そうした避難や移動が始まったわけでなく、その数が急激に増大したために、通過やその受け入れについて、国境地帯を中心に、さまざまなところで問題が起きたということではあります。その後ドイツは、メルケル首相が「難民」を積極的に受け入れると公言し、ここベルリンでは、主要な移動ルートからはずれている地理的位置にあるとはいえ、すでに今年に入って10月までに2~3万人程度を受け入れ、さらにその数は増大する見込みです。

ということで、ベルリンにある大きな公共劇場のひとつであるマキシム・ゴーリキー劇場(写真1参照)では、11月13日~29日の期間、移民/難民をテーマにした特集「ベルリン秋のサロン パート2」が行われました。写真(写真2参照)をご覧になればわかるように、単に舞台作品だけでなく、展示と講演会・討論会やシンポジウムが連日開かれ、大勢の人で賑わっていました。この劇場の特徴は、2013年にトルコ系のシェルミン・ラングホフが劇場監督に就任して以来、観客層がかなり若くなったということなのですが、上演された作品には、ドイツ在住の主として中東からの移民/難民が作った劇団である「難民クラブインパルス(Refugee Club Impulse)」による『故郷(へ)の手紙(Letters Home)』や、主として中東からプロの俳優を招聘しての『我らの名において(In unserem Namen)』(セバスチャン・ニュープリンク演出)や、イスラエル出身でベルリン在住のヤエル・ローネンとアンサンブルによる『あの状況(The Situation)』などがありました。

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写真1:マキシム・ゴーリキー劇場外観(撮影筆者)

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写真2:同劇場戸外に掲げられた「ベルリン秋のサロン パート2」バナー(「アート(Kunst)、パフォーマンス(Performance)、対話(Diskurs)」とある。)(撮影筆者)

『故郷(へ)の手紙』は、当事者としての移民/難民のパフォーマーが、自らの経験を基にスケッチ風の場面を積み重ねていく作りで、いかにドイツにおける移民差別、中でも中東からの移民差別―そのなかには、善意で無自覚の差別も当然含まれます―が根強いかを直球で批判する内容でした。他方、『我らの名において』は、ギリシャ悲劇のアイスキュロスと日本でもよく知られたノーベル賞作家エルフリーデ・イエリネクのテクストに依拠した前半部に加え、後半は、今年ドイツで改正された移民関連法について、改正前に専門家を呼んで開かれた公聴会の記録を使いながら、「他者への寛容」という主題を、中東から招聘した俳優中心に描くものです。古典的なプロセニアム劇場の固定座席がすべて取り払われ、一種の集会のような状態で上演が行われたことも印象的でした。ほぼ同じキャストが出演した『あの状況』は、今度はベルリンで現在、具体的に起きていることを描くという趣旨で、ノイケルン地区というトルコ系住民が以前から多く住み、今やパレスチナやシリア、あるいはイスラエル(ユダヤ系とパレスチナ系の両者)からの移民が混在している地区にあるドイツ語の語学学校が舞台になっていました。『我らの名において』よりはずいぶんと軽い笑いを呼ぶような短いスケッチが積み重ねられていくなかで、移民/難民差別にとどまらず、宗教/エスニシティ/国籍/階級/ジェンダー/世代といったレイヤー状をなす複雑なアイデンティティにかかわる問題を中心に、現在のベルリンに住む人たちの日常的なありようが、いかに多種多様な要素が交錯した上で成り立っているかを掬いとるかたちで描かれていきました。

これら一連の企画は、実際にドイツの人たちがどう思っているかは別として、少なくともメルケル首相が打ち出した「より寛容」というメインストリームの政策と、その現実的な困難さ、また、当事者が声を発するといった重要な契機があったとはいえ、枠組みとしては親和的であり、上の区分では、「社会的使命を忠実に果たす」企画だったと言えましょう。つまり、いわゆるリベラルで進歩思想的な考え方に沿って、今後の移民/難民政策について、芸術というフィルターを通して、観客とともに考えるというイヴェントであったわけです。

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写真3:フォルクスビューネ外観 劇場建物上部に「東(OST)」とある。(撮影筆者)

現在のドイツが、あるいはEUが直面している問題に「価値転倒的」なアプローチをしかけているのは、ベルリンの公共劇場では、フォルクスビューネがその代表格です。ここの劇場は、今でも「OST(東)」というサインを劇場に掲げており(写真3参照)、旧東ドイツの演劇伝統のみならず思想哲学の伝統を捨てないことを公に表明している意味でも異色の劇場です。1992年以来、この劇場の劇場監督として活動している演出家フランク・カストルフは、日本にもその舞台が来たことがあります。また、日本で紹介されたことがあるルネ・ポレシュの演出作品も数多く上演されています。

「東」的とは即ち、資本主義、あるいは壁崩壊後はグローバル資本主義という、わたしたちの日常の細部までを支配するいわゆる「生政治」のシステムにつき、さまざまな角度や切り口から、批評的・批判的であると同時に芸術的に対峙するというのが基本理念になるのだと思われます。ここも他の公共劇場に負けない多彩なプログラムを持っていますが、「難民」問題関連では、9月9日付けの「ロンドン・レビュー・オヴ・ブックス」(The London Review of Books) ウェブ版に寄せたエッセイ(Slavoj Žižek “The Non-Existence of Norway“)が物議を醸した、これまた日本でもよく知られたスラヴォイ・ジジェク―左翼リベラルも移民反対ポピュリストもどっちもNGで、どちらかというと、前者のほうがよりNGと発言し、オルタナティヴな提案をしている―を招聘しての討論会が、11月後半、会議室等ではなく、大劇場で行われたことが目を引きました(それでも、チケットは瞬く間に売り切れ、劇場の別のスペースでネット中継をすることになったほどです)。もちろん話題に乗ってということではなく、すでにフォルクスビューネでは、5年前の2010年6月には、3日間、劇場内のすべての空間を使用して、ジジェクとフランスの哲学者アラン・バディウを理論的中心にすえ、「共産主義の思想。哲学。芸術。」というかなり大がかりの国際イヴェントを行った実績もあり、その後も、継続的にこのような取り組みが行われています。

また、HAUという愛称で知られるヘッベル・アム・ウーファ劇場(HAU1、2、3の3つのスペースを持つ)では、所属の劇団を持たないフリーシーンと呼ばれる圏域―フリーシーンおよびHAUについては、川崎陽子「開かれた思考の実践の場のために―HAUの試み」に詳しい―に属するアーティストの作品やプロジェクトの上演・展示等が行われています。ここでは11月11日~21日の日程で、「マルクスの亡霊たち」という特集がありました。このタイトルは、フランスの哲学者ジャック・デリダのよく知られた同名の著作(1993)によっています。デリダがかなり以前に書き論じていた主題が、今のヨーロッパの諸問題として、異なるかたちで現実化しているではないか、という問いの下、すでに触れたマキシム・ゴーリキー劇場の「秋のサロン」同様、講演や討論会、映像上映に加え、パフォーマンス作品も上演されました。

HAUの特徴は、全体としてみると、フォルクスビューネの伝統的とすらいえる硬派な「価値転倒」路線と比較して、より幅広い観客層に受け入れられるようなアウトリーチ的方向性と国際性を重視したより柔軟なプログラミングにあると思われます。この「特集」でも、高校生を巻き込んでの「金銭価値」の現在的調査といった劇場外活動から、マルクスの二人の娘の悲惨な末路(ともに、自殺)を取材したオランダの『マルクス・シスターズ』(テクスト ヴィレム・デ・ヴルフ)や、だらだら、のろのろの極地―もちろん、グローバル資本主義の速度、権力構造等々への対抗「価値」としての―を延々と繰り広げるサンフランシスコから招聘された『大荒れ―経済についてのダンス』(キース・ヘネシー等による集団創作)まで。はたまた、これも日本で紹介されたことのあるクリス・コンデックと、クリスチアン・キュールによる『アノニマスP』というインスタレーション・パフォーマンスのように、監視社会の現在的ありようを、単に告発するのではなく、観客自身に経験させるもの―より具体的には、観客に各自のスマートフォンでパフォーマンスのサイトに開演前に個人情報は与えることなくログインしてもらい、監視社会の全体化と不可視化をめぐる90分ほどのパフォーマンスが終了するまでに、ほぼ全員の観客の本名とそのヴァーチャル空間における存在の痕跡(たとえば、アップされた写真)をプリントアウトして本人に手渡す―まで、マルクス、マルクス主義、あるいは亡霊性といった主題にまつわる上演を並べ、さらに、今、具体的にカタロニアの独立運動に参画しているフェミニストで医師で神学者でベネディクト会修道僧のテレサ・フォルカデス・イ・ヴィラと、クロアチアでオキュパイ・ウォール・ストリートよりも前に、同じような運動を展開し、2013年まで「価値転倒的フェスティヴァル」を主宰したシュレチコ・ホルヴァットによる、まさしく「マルクスの亡霊たち」と題された対論等、盛りだくさんの「価値転倒的」イヴェント、あるいは、国家的問題設定の枠付け(「難民」問題における「寛容」であること」)を逸脱ないしは無視して、より大きなグローバル資本主義にかかわる理論的・芸術的文脈から発想されたイヴェントだったと考えられてよいと思います。

ここまで、ドイツにおける「社会的使命に忠実」な事例と「価値転倒的」な事例を挙げてきました。もちろん、シニカルに、そうは言っても、これらの劇場の諸実践は、助成金受給のためのクライテリアの振幅に収まるのだから、所詮、ドイツあるいはEUを超え出るほどの価値転倒的インパクトはないのでは、と否定することは簡単です。そして実際、その通りでありましょう。また、そもそもそんな助成金のクライテリアは、ドイツ独自のものであって、日本とは関係がない、とシャットアウトされてしまうようなお話だったかもしれません。しかし、近年、西洋近代があたかも乗り越えられたかのように(特に若い世代に)認識され、かつ不可視化されているという日本の文化状況と、芸術をめぐるお金の流れが、欧米からアジアに明らかに向いているという日本の現実的な状況をみるにつけ、少なくとも、〈公共〉とか〈助成金〉とか口走るのであれば、多くの人たちにとっては、それこそ過去の「亡霊」にすぎないかもしれないですが、ヨーロッパ的〈公共〉概念とそのドイツの芸術実践における具体化の諸事例ついて、歴史的あるいは同時代的に参照されるべきクリティカルな事象として、その脳裏のどこかには残っていてほしい、とわたし個人は強く願っているのです。