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アーツカウンシル東京ブログ

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文化の力・東京会議2012

東京都および東京文化発信プロジェクト室では、平成24年秋に開催予定の東京クリエイティブ・ウィークス期間中、10月19日(金)-10月20日(土)に国際会議「文化の力・東京会議」を昨年に引き続き開催します。
このブログでは、10月20日に開催される「文化の力・東京会議」の本会議に先立ち、10月19日に開催予定の分科会の事前準備会についてレポートします。

2012/10/12

国際会議「文化の力・東京会議」 第二分科会 準備会 第二回(8月27日)レポート

第二分科会「文化芸術の挑戦に持続可能性を付与するフレームワーク」準備会第二回ではさらに発展的な議論が展開されました。
(前回の議論はこちらをご参照ください。)

議題:
・共有される価値と共有されない価値を共存させるためには
・持続可能でスケールを高めるやわらかなしくみとは
・完成された作品作りとは異なるアートプロジェクトというフレームについて
・ベクトルを設定することによって生まれる文化活動の強度とは

主な出席者
・林千晶氏(ロフトワーク)
・藤浩志氏(アーティスト)
・東京都歴史文化財団 東京文化発信プロジェクト室関係者
・国際交流基金関係者 

林「まずは構造構成主義とは何かについて復習しながら、今日の会議にうつりたいと思います。

そもそも哲学とは何のためにあるのか、何のためにアートはあるのか、といった点について話してみたいと思います。
そ もそも哲学の基本は、正しい世界が共有できるのか?という問いから始まっているようです。例えば、西洋の一神教的世界観と多神教的世界観の対立など、それ ぞれが正しいという価値観では、考えがぶつかりあってしまい、強いものの方が重要という状況になりかねません。皆が信じることができる正しさはいつか達成 できるのでしょうか?

哲学においては、そういった対立を超えるメタな思想を作ることが大事だそうです。つまり、ぶつかりあう主義・主張の 一段上のフレームワークを作る。何かがなぜ正しいと思ったか、そこまで立ち戻り、主義・主張の安易な対立をなくす。つまり、皆が共有する正しさ、共有しな い正しさ、その両方が共存する状態を作り出すということです。共有可能なものと、不可能なものがあると分けて考えないと、メタな思考はできないということ です。

今回、オランダから招待するポール・ケラーさんはヨーロピアーナというヨーロッパ最大のデジタルアーカイブの仕組みを作った人で す。彼は大英博物館や、ルーブル美術館などの美術館が参加するアーカイブを作ったのですが、そういった博物館には、ヨーロッパ各国で共有されている文化・ 歴史・制度などの文脈と、それぞれの博物館固有の文脈があるのでしょう。EU自体が、そもそも、共有されている部分、各国固有の部分を抱える複雑な総体で す。ポールさんには、実際の活動をとおしたそういった問題との向き合い方についてお話ししてほしいと思っています。

ところで、藤さんの活動に関してですが、藤さん固有の部分と、藤さん以外の人でも使える部分があるのでしょうか。」

藤 「私が気になるのはむしろ、他者と共有される部分の価値、「いい」と感じる要因についてです。価値の判断は、誰と対峙するかによって相対的に変化するとい うことです。つまり、相互関係によって。AとB、ふたつの価値があったとして、そのどちらかに特化するのではないということ。例えば、壁を這うヤモリ。壁 の色によって体色が変わる。状況に応じて自分を目立たなくする為に色を変えます。しかし、ご存じないかもしれませんが、ヤモリは鳴くのです。ある時には甲 高く鳴いて自己の存在を主張する。
「いい」という価値観はある誰かとの対話で、その相手のふるまいや思考から、誰でもなんらかの影響を受けています。価値は「誰と」の関係で変化するということを前提に考えています。」

林「その対立する価値のどちらでもいいという考え方は増えてきていますか?」


(左:藤浩志、右:林千晶)

藤「自分の感覚としては増えているような気がしますね。キーワードとして、西條さんのキーワードを借りれば関心の問題。関心相関性として考えられるかもしれません。

と ころで西條さんの本を拝読していて面白いなと思ったのは、活動への名前の付け方です。名前をつけることによって、そのプロジェクトが動きはじめ、時間軸が 生じている。私自身、活動を行う際も、まず名前をつけるところから始まります。名前をつけるとこれまで存在しなかったことが存在し動き始めます。

また、「誰か」との関係の中で価値が作られるように、他者との関係がないと自分の存在も、おぼろげになる。例えば、災害などで自分と関係のある人々を失ってしまった場合、自分の存在についての葛藤と闘わなければならなくなることと密接に関係しています。

関係をつくることで存在が発生し、存在をつくることで関係も発生します。関係の中で価値は変化しますから関係を多層に繋いでゆくしくみ、名づけることで発生する新しい関係を重ねてゆく活動はとても大切だと感じています。」

林「名前をつけることによって、存在していなかったものが発生していくんですね。時間が生まれ、重なっていく。

ところで東京アートポイント計画もまさにこのプロジェクトに名前をつけ、動かすような活動ですよね。」

森 司「今までの話についていうと、東京アートポイント計画はキュレーションを入れています。藤さんの活動に関しては、どこまでいっても藤浩志ではあるけれど も、人の手をいれることができる部分もある。つまり藤さんが言うように、AでもBでもいい。けれど大きな方向性はあります。」

林「それは 現在のインターネット時代になっての大きな変化ですね。つまり、活動の方向性について誘導するものが、地図ではなくコンパス。これまでは何かをする際に は、地図的に全ての道が決まっていました。しかし、現在は変化の速度も幅も大きすぎるために、全てを決めてしまうと、動きが止まってしまう。むしろ他者が 入るプロセスを残したほうが、その価値が見えると言えます。例えばコピーのようなものでも完全な一部の隙もないようなものより、つっこみをいれたくなるよ うなもののほうがシェアされます。どんどん渡していくような感じです。」


(林千晶)

藤「 2000年以降の特徴かもしれませんね。特に地域でのアートプロジェクトはネット社会がベースになっています。また、シェアするという発想も、意図せずプロジェクトに内在化されているような気もする。活動自体が閉じた状態のものは広がらないように思います。

私 は特にOSという考え方に興味がありますが、いいOSは動きがうまく制御されるように思います。私は80年代後半からコンピューターを使いだしましたが、 当時OSという考え方にかなり影響をうけました。それまでのハードかソフトかといった考え方とか、AかBかという選択の発想とは全然違いました。レイヤー という概念にも影響をうけました。平面的に拡がっている状態が多層に重なっているという物事の捉え方です。それとイラストレーターという描画のアプリケー ションを使い始めた頃、ベジェ曲線やベクトル、アンカーポイントなどのツールの使い方そのものが、私自身の考え方に影響を与えました。特にアンカーポイン トは現在のベクトルの打ち方で過去の曲線の形が変わるという点になんだか共感した。

ところで西條さんは、目的を作るとおっしゃっています が、完成形をめざしているようで、実はベクトルを示しているのではないかと解釈しました。私は完成形のビジョンを描き、そこに到達すべく作ってゆくことが できないタイプです。あくまでも進むべき方向性を示す。それは同時にどう広がるかわからない可能性を作ろうとしている気がします。」

国際 交流基金、原「文化の力で社会を変えるということを考えると、いまだコマンドを誰が出すかということが大事な気がします。今は一億総評論家というような時 代だからこそ、誰がオリジナリティのあるアイデアを出すかということが大事になりますね。藤さんのおっしゃる何でもいいという考え方と、違和感を感じ前提 を疑うということがどうやって両立できるのでしょうか。また、提案するということは共感を生むより難しいでしょうが、どうやって行えばいいでしょうか。」

森 「コマンドを出すということに関して言えば、あるフレームの中でたとえば関係性があり、動く人が集まり、ある一定量以上の密度があれば、活動がスパークし ます。つまり流動性のある個人同士のネットワークができると活動の速度が上がります。そういう風に影響しあう関係が大事です。」

林「アートは今何を目指しているのでしょうか。そもそもアートとは何でしょうか。アートをベクトルとして定義できないでしょうか。完成図を作るとわくわくしなくなってしまうし。」

藤 「僕の解釈では「普通の状態を超越した状態」だったり、「ありえない!」と心動かされる時に人は「アートだ!」と感じるのだと捉えています。その意味では イチローのバッティングもアートです。なんでもない状態の物事を、ありえない凄い状態の物事に変化させてしまうエネルギーとか技術とかがアートなのではな いかと考えています。しかし一方で「アートとはこれだ!」と限定してしまったとたんにアートはつまらなくなります。常識的にはカテゴライズされないわから ない存在で、その意味は時代の変化と共に常に変化し続けるものだと思います。

ところでアーティスト同士は作品を作る以前の状態で、さまざ まな対話をしてイメージを共有する場合が多くあります。形になる以前の未熟でぐちゃぐちゃした感覚を共有し、シンクロしながら、ほかの人の作品とは異なる 自分にしかできない方法へとずれて作品化してゆく。何かを立ち上げていく。そのずれがさらにお互いに影響しあうのです。その部分が興味深い。」


(藤浩志)

林「ある意味ビジネスの世界とも似ていますね。100%オリジナルなものはありませんから。アートとビジネスの違いは、お金になるかというところも大きいのでしょうか。」

藤「それは作品と表現を分けて考えればわかりやすいかもしれません。作品は社会の流通システムの中にあるものだと思います。けれども、表現とはまた別の活動です。それは自分の価値観や常識を超えることですから。表現とビジネスは違うかもしれない。」

原「ところで、「やわらかいしくみ」という話が前回出ましたが、システム論として世の中を変えたい人が集まれば変わるのでしょうか。

藤: 動く人・変えたい人を集めるというより、本来誰もが持っている側面であるにも関わらず、あるシステムによって束縛されている部分を開放し、普通に感じてい ることを自然な状態で引き出すことが大事だと思います。そのしくみをどう作るのか。これは人々が垣根のない状態で情報を共有し、遊びの要素の中でこそ可能 なことだと思います。決まったことを教えるというミッションを持った教育の枠の中からは生まれないのかもしれません。まだまだ未熟な時にどれだけの経験を 共有したかということが大事なのでしょう。」

林「真ん中にあるのは、やはり違和感や何かを超越する力ということでしょうか。それを持つ動 く人を集めるというより、動く人を作るプログラム。すでに動いている人が、より動くようになるのはどういうプロジェクトなんでしょうか。状態を定義するの はだめで、何がいいと決めるのもだめですね。つまり大きくベクトルを設定するのがいいのでしょうね。西條さんが自分に5%の失敗を許しているとおっしゃっ ていましたが、かなりこれは少ないですよね。実はこの誤差の部分を大きくとることができるのがアートという気もしています。

そのことにあって、巻き込む力を生んでいる。つまり正解はこれだと決める、教育(Education)ではなく、間違いを許容する学習(Learning)が肝心なのかもしれません。

ところで、この誤差を含む活動をどう検証していけばいいのでしょうか。」

森「現在はアートの検証システムはほぼないと言っていいでしょう。だから、エスノグラフィ(民俗学)の手法である調査のプロセスをいれた活動のしくみが必 要だと思います。つまりアートプロジェクトの活動サイクルのプロセスの中にリサーチとレポートを組み込みます。そうすることにより、価値が客観化され、外 にいるオーディエンスの反応もとらえることができる。アーティスト以外の担い手が、アートプロジェクトの活動の中に必要なのです。」

林「そこはビジネスとは大きく異なる点ですね。ビジネスは途中過程をわかりやすく設計しますし、どこかで定義します。そして何が生まれたかも検証しますから。」

藤「アートでは検証なしに、イメージが作品として流通してしまうこともありますからね。」

森「一方でプロジェクトと言ったときに、僕の感じでは時間軸が入っています。プロジェクトは流れる時間があるから、流動性があります。」

林 「ところで、社会が大きく変わる中で、普通の人は最初の一歩が踏み出せません。アートの人たちは、考える前に動く。その動く方向は360度バラバラですよ ね。アートは、人間が片方だけを向いて変な方向に行かない、人間としての360度のベクトルの活動なのかもしれないですね。

大切なおへそが、今決まった感じがします。アート作品でもなければ、アート業界でもないと。我々はやわらかなしくみを持ったアートプロジェクトについて語りましょう。

システムで見なくてはいけないというのが、これからの社会の見方として重要な気がします。アートプロジェクトをシステムで見るという意味で、我々は語ってきたし、あらためてそれを確認しました。」

藤 「アートピース自体が、システムの中からしか生まれてこない。洋画、日本画、彫刻と、素材の違いとして僕らは教育されましたが、実はシステムの違いという ことに注目すべきだと思います。もうひとつのキーワードで、強度という言葉が西條さんの本にも出てきます。僕らも学生時代からよく使っていた。「強度をつ くる」という概念が重要になるかもしれませんね。」

今回も非常に刺激的な議論が展開され、話題は実に多岐にわたりました。今回は 特に藤氏の活動や東京文化発信プロジェクト室の東京アートポイント計画についても触れられました。重要なのは、人が動きやすい、動いてしまうフレームづく り。それこそが第二分科会が考えるやわらかいしくみが可能にすることなのかもしれません。また、アートプロジェクトという、完成された作品作りとはことな るアートの実践について考えることにより、芸術文化の活動がより豊かになるフレームが浮き彫りになることでしょう。

(文:国際会議分科会担当 熊谷薫)

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