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アーツカウンシル東京ブログ

アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

伝統芸能パースペクティヴ

日本の芸能のなかに脈々と息づく、時代やジャンルをこえた日本文化の核心を探るシリーズ企画。毎回、伝統文化が息づく場所を会場として、実演とお話で構成。さまざまな芸術分野における未来の創造に向けたヒントを取り出すこころみです。本ブログではこのイベントならではのユニークな雰囲気をレポートでお伝えします。

2017/05/19

「見えないものを見るということ」 実施報告:実演とお話による 伝統芸能パースペクティヴ 第3回「庭を読む<六義園>」(後編)

「実演とお話による 伝統芸能パースペクティヴ 第3回『庭を読む<六義園>』」のレポートを前回に続きお届けします。

午後3時からは会場を再び東洋文庫に戻して、藤井直敬先生のお話で講座の第2部が開始されました。藤井先生は、現代はすでに目の前の現実を本当の現実であると証明することができないのにもかかわらずそれを現実だと思い込んで生活をしている状態である、とおっしゃいます。この日、藤井先生はご自身が研究されているSR(代替現実、Substitutional Reality)の実験について紹介してくださいました。被験者が現実だと思って見ているものが、じつは虚構の映像であることを体験させるといった実験です(実験の模様は下記Youtube上で動画が公開されていて誰でも見ることができます)。

※参考ウェブサイト:rikenchannel “代替現実(Substitutional Reality: SR)システム” YouTube

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藤井直敬先生

脳が判断する現実がそれほど確かなものではないのだとすると、これまでの「現実」という概念や事態そのものがじつはもっと可変的なものだということになり、場合によっては、自身の知覚を他者の知覚や体験と接続したり交換できたりする可能性すら生じてくるかもしれません。もしそうしたことが実現されると(藤井先生はすぐにそういう時代になるだろうと仰いますが)、これまでの「文化」や「倫理」や「法律」なども、その内容や範囲が現在とはまったく変わってくることになります。今の「常識」は通用しなくなるでしょう。藤井先生のお話を聞きながら、現在はまったく予想もつかないような社会の姿が、遠い将来、いや近い将来にも出現してくる事態を思い描いて、頭がクラクラしてきました。(そうなると、わたしたちが今アートと呼び習わしているものなども、数十年後か数百年後の社会では、すべからく「伝統芸術」という限定的な枠内で語られるものに変わっているかもしれません)

そして最後の座談は、参加者の皆さんから提出していただいたばかりの「課題」の成果についての講師の先生方によるお話から始まりました。鈴木宏子先生の課題は、「六義園の景色や「八十八境」のことばを取り込んだ序詞を用いて、『~恋もするかな』型の恋歌を詠みましょう。」というものでしたが、大変な力作揃いで鈴木先生のコメントにも熱が入ります。座談進行の船曳建夫先生も、参加者の皆さんが普段は伝統芸能や和歌とあまりなじみがないにも関わらずあまりに素晴らしい歌を詠むので大変びっくりされていました。おそらく興味が湧いて最初の入り口さえ見つけることができれば、伝統文化の中に入り込むのはそれほど難しいことではないのでしょう。

安田登先生が出した課題は、「『六義園』を活かしたアートを考えてください。その際、『見えないものを見る』と『和歌のレトリック』、『ARマーカー(暗号のキュー)としての石柱』など本日の講義の要素をいれてください。」というものでしたが、こちらも安田先生がうれしい悲鳴をあげるような面白い回答が続出。もし時間があればこの回答を題材に別途イベントが開催できるのではないかと思ったくらいでした。

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午後の第2回目の座談の様子

座談は藤井直敬先生の講義内容を巡って進んでいきました。2015年10月に藤井先生の製作・監修により、熊本市現代美術館での展覧会「STANCE or DISTANCE? わたしと世界をつなぐ『距離』」において発表された、ヘッドマウントディスプレイとヘッドフォンを装着したひとりの体験者が約8分間の自己認識と身体感覚の乖離を体験するという作品「The Mirror」についてもご紹介いただきました。

突然、鈴木宏子先生が能「井筒」のお話をなさいました。帰ってこない夫を待ち続けて死んだ女が旅の僧の夢の中に現れて、愛する男の形見の着物を身にまとって静かに舞い、井戸の底に自らの姿を写すとそこには最愛の男の姿が映っていたという、「伊勢物語」に典拠した世阿弥作の夢幻能の傑作です。鈴木先生は、藤井先生の「The Mirror」に、能「井筒」と共通する何かを感じられたようです。鏡という像の介在で、「見えないものが見える」ことを体験すること、男と女、現在と過去、生者と死者、そうした壁を行き来して、本当はどちらなのかが分からない状態に至る・・・。藤井先生も驚かれて、「その発想は『The Mirror』と同じですね。『井筒』のことを知っただけでも今日ここに来た甲斐がありました。」と応じたので、東洋文庫の場内がどよめきました。その瞬間、600年前の世阿弥がすでにこうした意識の仕組みに着目して演劇化していた事実への驚きと感動が、会場全体を包み込んでいたように思われました。

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夏目漱石「夢十夜」から「第三夜」/ 安田登 + 玉川奈々福

最後は浪曲師の玉川奈々福さんが特別ゲストとして三味線で参加されて、安田先生による夏目漱石「夢十夜」から「第三夜」が演じられました。部屋を暗くして、参加者それぞれが想像力を一杯に駆使して、一つひとつの言葉、音声、楽器の響き、それらが一体となって作り出す気配から、見えないものを目の前にどれだけ引き出せるのかを体験して、今回の「伝統芸能パースペクティヴ」の長い濃密な一日は無事に幕を閉じました。

そして参加者の皆さんには、後日アーツカウンシル東京にご提出いただく「課題(2種)」をお伝えしました。(1)「あなたが好きな絵画・彫刻・映画作品を六義園の景色に重ねて和歌を一首作ってください」。(2)「六義園の景色に重ねて、今後出合ってみたい場面・情景、または(芸術作品として)創り出してみたい場面・状況を織り込んだ和歌を一首作ってください」。

お寄せいただいた和歌をここでご紹介いたします。(名前は出さず、作品のみ) いずれも<課題(1)>の回答でした。


天照 夏の光に 照る黄色 「六義園」にはなく咳ひとつ


ぬばたまの夜の帳(とばり)の芙蓉橋
神曲奏づる真珠(たま)の指やも


そして次の方は画像も添えていただきました。


紅葉の むくさの園の 東山 重ねる色は 秋翳(しゅうえい)か
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ところでこの日、イベントに参加された方は東洋文庫ミュージアムの展示を無料で観覧することができました。「幕末展」の会期中で、珍しい本や写真がたくさん展示されていて大変見応えがありました。六義園に行く機会があれば、ぜひ東洋文庫にも足を伸ばしてみることをおすすめいたします。

※参考ウェブサイト:安田先生のブログに掲載された本イベントの案内記事「庭を読む<六義園>伝統芸能パースペクティブ第3回」(イナンナの冥界下り)

※記録映像:実演とお話による伝統芸能パースペクティヴ<第3回>庭を読む<六義園>―景色とうつろひ・「和歌の宇宙」に遊ぶ―

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