伝統芸能パースペクティヴ
日本の芸能のなかに脈々と息づく、時代やジャンルをこえた日本文化の核心を探るシリーズ企画。毎回、伝統文化が息づく場所を会場として、実演とお話で構成。さまざまな芸術分野における未来の創造に向けたヒントを取り出すこころみです。本ブログではこのイベントならではのユニークな雰囲気をレポートでお伝えします。
2017/05/19
「見えないものを見るということ」 実施報告:実演とお話による 伝統芸能パースペクティヴ 第3回「庭を読む<六義園>」(前編)
ディープなテーマ設定と、知的・身体的の双方で刺激に満ちた「伝統芸能パースペクティヴ」シリーズ。2015年11月9日(月)に開催した、その第3回目の模様をご紹介します。
「伝統芸能パースペクティヴ」とは、日本の芸能のなかに時代やジャンルをこえて脈々と息づく日本文化の核心を探る、従来にない新しい視点でのシリーズ企画です。普段、伝統文化や伝統芸能とあまり接点を持っていないけれど興味・関心はあるという方や、演劇やダンス、その他、さまざまな芸術分野で創作や制作に携わっている方々を対象に、毎回、日本の伝統文化が息づく趣ある場所を舞台に実演とお話で構成しています。事前申込制で入場は無料です。
伝統文化や伝統芸能を支える技法や価値は言葉で説明することが難しく、そのためいざ紹介・説明しようとすると大抵の場合、能・文楽・歌舞伎・長唄・三曲・日本舞踊等といった特定ジャンルの見どころの解説と実演の披露や体験というかたちになりがちです。しかし本シリーズでは特定の芸能種目を単独で取り出すのではなく、複数の種目や分野を横断して存在している特徴を取り出すことを重視しています。伝統的価値のエッセンスを複数の視点から眺望(パースペクティヴ)しながら実演を体感し、さらに講師による討議を通じてその核心を言語化する。つまり、このシリーズは参加者各自が伝統文化・伝統芸能から何らかのインスピレーションをつかむための実験場であるとも言えます。そして将来、このシリーズが蒔いた種から、東京ならではの新しい創造活動が生まれてくることを期待しています。
また、このイベントでは講師と参加者との間での深いコミュニケーションを大切にしています。日本の伝統文化・伝統芸能の繊細な魅力を直に受け取るためには広いホール等は不向きで、ある程度の親密な空間や場所の存在が必要不可欠です。近代的な舞台芸術を鑑賞するのに適したホールや劇場とは違った、木や紙や畳や自然に囲まれた伝統文化によく馴染む場所、ということになると、会場規模の制限もあっておのずから適正参加人数は100名前後ということになります。
シリーズ第1回は、2014年の秋に新宿区初台にある半屋外の代々木能舞台を会場に、「『語りもの』の声技(こえわざ) ―ものがたりの原像を探る― [浪曲、能、節談説教、聲明]」と題して開催しました。参加者は約110名でした。
第1回 「語りもの」の声技(こえわざ)/会場:代々木能舞台
出演者は、玉川奈々福(浪曲師)、沢村豊子(曲師)、安田登(下掛宝生流ワキ方)、槻宅聡〔つきたく・さとし〕(森田流笛方)、直林不退〔なおばやし・ふたい〕(浄土真宗本願寺派淨宗寺住職、節談説教研究会副会長、相愛大学教授)、新井弘順〔あらい・こうじゅん〕(真言宗豊山派宝玉院住職、迦陵頻伽聲明研究会会員)、釈徹宗〔しゃく・てっしゅう〕(浄土真宗本願寺派如来寺住職、節談説教研究会副会長、相愛大学教授)、進行:船曳建夫(文化人類学/東京大学名誉教授)の各氏でした。
第2回目は翌2015年冬、芝・増上寺の中にある普段はなかなか立ち入ることのできない「光摂殿〔こうしょうでん〕」を会場に、「日本の身体技法 ―能楽師、力士、山伏のわざを通して日本人の身体観をさぐる―」と題して開催しました。参加者は約80名。百八畳敷きの大広間で相撲の取り組みの型や山伏の歩行の型など、全身を動かしながら、同時に座談では頭脳もフル回転させながら、午後2時から6時までの4時間があっという間に過ぎていきました。
第2回 日本の身体技法/会場:光摂殿(増上寺)
出演者は、奥津健太郎(和泉流狂言方能楽師)、 槻宅聡(森田流笛方能楽師)、 松田哲博(元大相撲力士 一ノ矢)、 安田登(下掛宝生流ワキ方能楽師)、 吉住登志喜(出羽三山神社 禰宜〔ねぎ〕[神職]/山伏)、そして座談進行は船曳建夫(文化人類学/東京大学名誉教授)の各氏でした。
そして迎えたシリーズ第3回目は、日本文化の基層をかたちづくってきたテーマの中から、「語り」、「身体」に続いて、「言葉」とりわけ「和歌」の世界に注目しました。江戸時代に造営された駒込の六義園〔りくぎえん〕が和歌を参照して造営されていることに因んで、六義園とそこから徒歩数分の所にある東洋文庫を座学会場とし、「庭を読む<六義園> ―景色とうつろひ・『和歌の宇宙』に遊ぶ―」と題して、朝10時から夕方5時まで、ほぼ一日がかりのイベントとなりました。平日昼間の開催にも関わらずたくさんのご応募をいただき、抽選の結果、会場を埋め尽くすほど多くの方にご参加いただきました。
六義園にはところどころに和歌を記した石柱があります。庭の各所が和歌にちなんだ名勝になぞらえて造られているのです。六義園は五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、京都から呼び寄せた歌人・北村季吟〔きたむら・きぎん〕(芭蕉の先生でもあり、また吉保自身も季吟から和歌の奥義である古今伝授を受けています)からアドバイスを受けながら造った庭です。おそらく当時、この庭に入ることができた幕府の身分の高い人々は、漢文の素養はもとより和歌の一般教養も備えていただろうと思われます。だから石柱を見つけた途端、現実の景色の向こう側には、和歌によって起動されたもうひとつの景色が呼び出されて、現実空間と空想世界、自然と情感の行き交う、多層的なリアリティを体験していたと考えてほぼ間違いありません。
そこで今回の「伝統芸能パースペクティヴ」では、和歌の特徴を「見えないものを見る」という観点から捉え、講師には和歌の専門家だけでなく脳科学者も招いて、日本文化の基層にある「見えないものを見る」仕組みについて普段とはちょっと違った視点から迫ってみたいと考えました。
出演者は、鈴木宏子(日本古典文学 平安文学 和歌文学/千葉大学教育学部教授)、 藤井直敬〔ふじい・なおたか〕(脳科学/理化学研究所 脳科学総合研究センター 適応知性研究チーム・チームリーダー)、安田登(下掛宝生流ワキ方能楽師)、そして座談進行は船曳建夫(文化人類学/東京大学名誉教授)の各氏でした。
以下が当日のプログラム(進行表)です。参加者には会場入室時に講師が作成した分厚い資料が手渡され、皆これから何が始まるのか興味津々の様子。
<講座1>(10:00~12:00) 会場:東洋文庫2階
- 10:00
○今回の企画について ―― 安田登+船曳建夫 - 10:05
○和歌の修辞(レトリック)を知る ―― 鈴木宏子
・枕詞 ・序詞 ・見立て ・掛詞 ・縁語 ・歌枕 - 10:50
○見えないものを見る、ということについて ―― 安田登
○「六義園」と和歌との関わり - 11:20
◆座談<1> 鈴木宏子+藤井直敬+安田登+船曳建夫
※参加者各自が庭園内で実施する課題(和歌を読む等)の提示 - 15:00
○想像とうつろひ:脳の中で何が起きているのか ―― 藤井直敬 - 15:30
○中世の遊行者たちから芭蕉まで ―― 安田登
○歌枕と道行〔山伏の道、遊女の道〕 ―― 安田登
≪体験≫ 和歌の詠唱(謡) - 16:00
◆座談<2> 鈴木宏子+藤井直敬+安田登+船曳建夫 - 16:50
パフォーマンス 夏目漱石「夢十夜」より「第三夜」 ―― 安田登+玉川奈々福
<六義園散策>(12:00~15:00) 会場:六義園
<講座2>(15:00~17:00) 会場:東洋文庫2階
トップバッターの鈴木宏子先生のお話は学校で習う「古典」の授業とはまったく違うものでした。「へえーっ、和歌ってこういうものだったんだ」という参加者の皆さんの驚きと感動が会場全体に渦巻いて、和歌の宇宙の只中へと一挙になだれこんで行きました。
学校の授業では和歌を理解するためにどうしても文法の学習が中心になります。でも鈴木先生のお話を聴いていると、(鈴木先生ご自身が本当に歌の言葉一つひとつに実感をこめて反応されているからなのですが)たとえば掛詞の場合でも、「よる」が「寄る」と「夜」の二つの意味の重なりであることを分析的に理解することよりも、「よる」という同じ音に導かれて二つの意味が混じり合い、ぼんやりと、あるいはくっきりと、イメージが漂って響き合うそのさなかの体験にこそ和歌と接する一番の魅力があるのだということ、そして和歌とはなによりもまず「実感」なのだということが伝わってきます。
本書は和歌の入門に最適です。リンク先では電子書籍版の試し読みができます。
鈴木宏子先生
和歌に使用される特徴的な語彙や先人の詠んだ有名な歌を知っていれば、それがはらんでいるイメージを使って、そこにさらに違ったイメージを重ねたり変化させたりすることができます。和歌を味わうとは、それを五感全部の感覚器官をフル稼働して、あたかも目の前に展開されているかのように体験することだと言えます。そうなると、何よりも大事になってくるのは読み手の側の想像力です。
和歌というのは、読み手一人ひとりが自らの想像力で「和歌」を完成させるという点で、読み手自身が作り手であることを必然的に要求していると言ってよいでしょう。ただしその際に、読み手の側に和歌に関連する言葉とそれらに紐付いたイメージの引き出しがあらかじめ充分にストックされていないと、和歌を読んでも、それを楽しむところまではなかなか行けません。
古来、和歌は日本人のイメージのデータベースとして機能していた側面もありました。でも現代の日本人がそのデータベースに簡単にアクセスできなくなると、当然のことながら、「意味が分からない」「味わうことができない」「楽しめない」ということになり、古典の世界とは疎遠になってしまいます。
でも鈴木宏子先生のお話を聞いていると、和歌を楽しむコツをつかんで和歌の知識を持っていれば、こんなに面白い世界が体験できるということがじつによく分かってきます。自分の想像力次第で世界をどこまでも自由に体験することができるということ、それは、電気がなく機械に頼ることがなくとも、この身ひとつでどこへでもトリップできる究極の技法なのかもしれません。
安田登先生のお話は、ご自身が今回の企画者ということもあり、六義園という庭園の多層的な読解方法について、いくつかの補助線を提示しつつ、六義園を見る基本的なコツを紹介するという内容でした。さらには、六義園は後楽園との関わりで理解されるべきで、前者が和歌と、後者が漢文と関連している庭であることが徳川綱吉と水戸光圀との対比によって示唆され、さらにこの2つの庭園と江戸城と日光東照宮を結ぶ線が、驚くような配置になっている(下記地図参照)というのも、なにやら非常に興味をかきたてられるお話でした。
安田登先生 「まずは『石柱』を見つける」
また安田先生は、「見えないものを見る」とは現代でいえばAR(拡張現実、Augmented Reality)を使って実現されるものに近いのではないか、という視点を披露され、そこで今回、脳科学者の藤井直敬先生を講師としてお招きしたというお話へとつながっていきました。
科学者である藤井先生は脳科学の最先端を行く科学者であると同時に、スマートフォンに装着して使えるVR(仮想現実、Virtual Reality)装置「ハコスコ」の開発者でもあります。今回の「伝統芸能パースペクティヴ」の企画のための打ち合わせの席で、藤井先生は、和歌にしろ能にしろ、特殊な知識や技法を身に付けた人でないと理解できないし楽しめないというのは間口が狭いのではないか、そしてごく一部の人しか出合えないというのは不親切ではないか、と疑問を呈されていました。たしかに和歌にまつわる語彙や文法を知らないと和歌を読めませんし、謡本の内容を知らないと能を観ていても言葉や演者の動きの意味が分からず退屈なだけです。たとえば冬山の荘厳な景色はかつては厳重な装備と特殊な経験と技術を備えた登山者しか見ることができませんでしたが、今はヘリコプターに乗れば誰でも簡単に山頂へ行けるし、誰もが空撮映像を通じて冬山の景色を見ることができます。これが技術の力と成果です。では、人間がかつて「見えないものを見る」ことを通じてやっていたようなことが、技術の発展によって誰でも体験できるということはありうるのでしょうか。伝統芸能と脳科学はどんなふうに重なり合うのでしょうか。
午前中の第1回目の座談の様子
こんな疑問と共に午前中のセッションが終了。参加者の皆さんには、これから六義園を散策しながら実施してもらう課題が三人の講師からそれぞれひとつずつ出されました。和歌を詠んだり、見えないものを見た体験について記述したり等々。
あいにくと朝から一日小雨模様の天気でしたが、庭を散策する時間だけはちょうど図ったように雨が上がりました。参加者と講師の先生方も自由に会話を交わしながら、各自が好きなように庭全体を散策します。
六義園を散策する参加者の皆さんと鈴木宏子先生
この日は安田登先生のご紹介で、植物について大変お詳しいフラワーアーティストでガーデンデザイナーの塚田有一さんにも特別にご参加いただき、六義園の植生について参加者の皆さんに解説をしていただきました。
塚田有一さん
(後編に続く)
<後編では、会場を再び東洋文庫に戻し、藤井直敬先生のお話から始まる講座の第2部のレポートを掲載予定です。どうぞお楽しみに>
※記録映像:実演とお話による伝統芸能パースペクティヴ<第3回>庭を読む<六義園>―景色とうつろひ・「和歌の宇宙」に遊ぶ―