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アーツアカデミー

アーツカウンシル東京の芸術文化事業を担う人材を育成するプログラムとして、現場調査やテーマに基づいた演習などを中心としたコース、劇場運営の現場を担うプロデューサー育成を目的とするコース等を実施します。

2014/08/08

研修会レクチャー報告
日本の文化政策の潮流

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 アーツアカデミーでは、去る11月7日にニッセイ基礎研究所芸術文化プロジェクト室長吉本光宏さんをお招きし、「日本の文化政策の潮流」と題したレクチャーを行いました。吉本さんは、東京オペラシティ、世田谷パブリックシアターやいわき芸術交流館アリオス等の文化施設の開発に携わった他、文化政策、文化施設の運営や評価、クリエイティブシティ、アートNPOなどに関する幅広い調査研究に取り組まれています。また、東京都においては、都知事の附属機関である東京芸術文化評議会評議員をはじめ、文化プログラム検討部会専門委員、文化都市政策検討部会長を務めていらっしゃいます。
 文化政策分野の調査研究を長きにわたってリードされている吉本さんに、日本の文化政策の潮流についてお話いただきました。吉本さんのお話の中から、文化行政の「これまで」と「現在、そしてこれから」に着目して報告します。


これまで―文化行政の潮流―

<1980年代〜1990年代前半>
 1979年、当時の総理大臣である大平首相が「文化の時代」という、画期的な施政方針演説をしましたが、残念ながら文化政策が強化されたわけではありませんでした。1980年代には公立文化施設が全国で次々とオープンしたものの、この頃の文化庁には文化政策の明確な方針というものは必ずしもなかったのではないかと思います。日本の文化政策は、地方自治体が先行して始めました。
 1980年代の流れを受けて、1990年代には地方自治体が設置する文化施設が急増しましたが、ハードばかりでソフトがないとの批判を受け、1994年に自治省(当時)のイニシアティブで財団法人地域創造が設立されました。
 この時代は、民間企業が文化の分野で重要な役割を果たしています。特に、1980年代にはサントリーホールや東急文化村、セゾン美術館などの文化施設がつくられました。当時は、消費財系の企業などが「生活文化企業」と名乗って、CI ※1 が流行。ブロードウェイ・ミュージカルが初来日するなど、民間企業により海外のアーティストやカンパニーが数多く招聘されました。
 1988年には、京都で「日仏文化サミット」というとても重要な国際会議が開催されています。日本側からは文化庁長官、民間企業のトップが集まりました。この時の会議がきっかけとなって「メセナ」という概念が広がり、言葉としても定着していくことになりました。
 その後、1990年に社団法人企業メセナ協議会が発足。初代理事長に資生堂社長(当時)の福原義春さんが就任しました。民間の助成財団が数多く発足したのもこの頃です。

※1 Corporate Identity:企業独自の文化を構築し、わかりやすいイメージやデザインでそれらを社会と共有することで企業価値を高める企業戦略

<1990年代後半から2000年代>
 1995年、文化庁は「新しい文化立国をめざして」という政策文書を発表しました。国が文化政策に明確な骨格を示したのはこれが初めてだと思います。その枠組みは、現在でも文化芸術の振興に関する基本的な方針の下敷きになっています。
 1996年には文化庁がアーツプラン21を発表。芸術団体への重点助成などをはじめ、舞台芸術分野への助成が増えるきっかけとなりました。そして、2001年、文化芸術振興基本法が成立しました。特に、基本理念に国民の文化権が明記されたことが重要なことだったと思います。その後、文化庁は予算が急速に増え、2003年には1,000億円を超えました。
 その一方で、文化施設運営に効率性が求められ、民間開放の気運が高まると同時に、政策評価が重視され始めました。国や地方自治体の財政の悪化に伴い、官から民へ、経済性重視という流れが加速され、地方自治法が改正されて、2003年に指定管理者制度が導入されました。
 また、後の文化行政に大きな影響を与える重要な出来事として、1998年のNPO法(特定非営利活動促進法)成立が挙げられます。当時文化関係者の多くは無関心でしたが、後に述べる通り、NPOは文化行政において大きな役割を果たすこととなります。

<2010年代〜>
 2010年代に入って、「文化芸術の振興に関する基本的な方針(第三次基本方針)」が閣議決定され、いわゆる「劇場法」(劇場、音楽堂等の活性化に関する法律)が成立し、国がアーツカウンシルの強化を図り、地方自治体でもアーツカウンシル設置の動きが広がりました。

現在、そしてこれから―芸術文化を取り巻く変化と文化政策のパラダイムシフト―

 現在の文化政策には、三つのトレンドがあります。
 一つ目は、文化政策の領域が、教育、福祉、地域再生、震災復興、外交などの分野に広がっていることです。二つ目は、文化政策の担い手が多様化していることです。アート系NPOの数は劇的に増え、指定管理者制度の中で、民間企業と共に文化施設運営の担い手となっています。例えば、近年、BankARTやアーツ千代田3331のようなオルタナティブスペースが増加していますが、それらの運営はNPO法人や民間企業が担っています。三つ目は、都市政策や産業政策などとの連携が進み、あらゆる領域において、芸術が機能し始めているということです。
 このような流れの中で、私たちは、文化政策の概念を転換しなければならないと思います。これまでの文化政策とは、「文化芸術の振興」と「文化財や伝統の保存・継承」でした。それらは今後も文化政策の中核ではありますが、その中核部分があらゆる領域に与える効果を考える必要があります。その効果は、「公共・行政」、「経済・産業」、「まちづくり・地域再生・観光」の3領域に分けられると考えています。文化予算は中核部分の文化政策に投入されますが、芸術文化の領域内のみでその成果や効果を回収することはできません。例えば、その成果を計るには、劇場のプログラムに参加した子どもたちへの教育的効果まで考えることが必要だと思います。文化庁以外との省庁がどう連携できるかということが重要です。
 メセナができた時代には、文化芸術は「支援しなければならないもの」と考えられていましたが、芸術文化を起点にして社会にイノベーションを起こす時代になりました。これは、文化政策におけるパラダイムシフトだと考えています。

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 このレクチャーの冒頭で、吉本さんは様々なデータを示しながら、現在日本が抱えるいくつかの社会問題を提示されました。少子高齢化、限界集落と都市化 ※2 の問題、若者の就職難、自殺者数の多さなど、一見、芸術文化とは接続点が見えないこれらの問題に対して解決策を提示していくのが、これからの文化行政の、そしてアーツカウンシルの役割なのだと思います。
 当たり前の話ですが、このようなパラダイムシフトの中で、誰より文化政策に携わる者自身が大きく意識を転換しなければなりません。吉本さんは別のレポートの中で、「文化政策はもはや芸術文化のためのものではない」と言い切っています ※3 。芸術文化のことしか考えられないのでは、もはや文化政策の担い手になり得ない時代に突入しているのではないでしょうか。これからの文化政策を担う私たちは、より大きな視野と柔軟な思考を持たなければなりません。
 今、私たちには、2020年東京オリンピックという大きな目標があります。オリンピックに向けて、新しい文化政策の概念をたずさえ、諸先輩方の努力の上にこれまでとは全く違う1ページを築くこと。これが、アーツカウンシル東京に与えられた使命なのだと思います。

※2 人口が都市部に集中すること
※3 ニッセイ基礎研究所報vol.51

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