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アーツカウンシル東京ブログ

アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

東京アートポイント計画通信

東京アートポイント計画は、地域社会を担うNPOとアートプロジェクトを共催することで、無数の「アートポイント」を生み出そうという取り組み。現場レポートやコラムをお届けします。

2020/10/23

「アート」の新しい問い、新しい語りに向けて。 —青木彬「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」インタビュー〈後篇〉

「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」ディレクター/インディペンデントキュレーター 青木彬さん

まちで活動するプレイヤーの言葉から、「アートプロジェクト」の営みについて考えるインタビューシリーズ。今回は、2018年より墨田区北東部の「墨東エリア」を舞台に「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」(通称、ファンファン)を展開する、インディペンデントキュレーターの青木彬さんにお話を聞きました。

アートプロジェクトを運営すると同時に、ギャラリーなどにおける展覧会もキュレーションしている青木さんにとって、まちと溶け合うファンファンの活動は、従来の「アート」の枠組みでは捉えられない、「生きること」そのものと表現をめぐる新たな問いの場所にもなっているようです。活動を続けるなかで、青木さんはどんなことを考えてきたのか? 東京アートポイント計画・ディレクターの森司と探っていきます。

(取材・執筆:杉原環樹/撮影:加藤甫 *提供名のある写真以外)

「生きること」と「アート」の新たな結び目。 —青木彬「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」インタビュー〈前篇〉

月2回発行している広報誌「ファンファンレター」。このレターを集まってつくること自体もプロジェクトの大事な活動。ファンファンを表す代表的なツール。

■メンバーの「いま」を映す広報紙

——ファンファンでは、まちの人の個人的な話を聞く「WANDERING」や、外部のゲストの話を聞く「ラーニング・ラボ」、その対話から生まれたものを実践する「プラクティス」などのプログラムが行われています。また、活動を紹介する「ファンファンレター」という広報紙を定期的に発行していますが、その制作方法がユニークだとお聞きしました。

青木:さきほど「当たり前を解きほぐす」と言いましたが、ファンファンレターは自分たち自身の当たり前から解きほぐすためのものとして設計しているものです。活動をカッコよく伝えようと思ったら、カッコいいデザイナーに依頼すればいいんだけど、それよりもみんなと集まる口実が欲しい。制作過程に協働性を入れたくて、手探りで作れる広報紙をデザイナーと相談して考えました。具体的には、みんなで対話をしながら、ハサミやノリやオリジナルのスタンプを使って手作業で「版」を作り、それを刷っています。

3年間の活動で、ファンファンレターがあったのは一番大きかったと思います。地域の人と関わるという意味でもそうだけど、裏テーマ的に言うと、やっぱり事務局が鍛えられたんです。 定期的に集まってコミュニケーションをとる場がある。かつ、そのつどの参加者によるムラや空気が、誌面に出ている。これまで すでに30号以上を発行していますが、そういうムラを許容できる身体を作っていった感じがします。

森:去年、そのレターなどをまとめた「ファンファンパック!!2019」というボックスを作りましたよね。僕は、あれがファンファンの一つの集大成の仕事だと思っていて。構造的に設計されたものを、あえて「ヘタレ」な形に落とし込む。個々は歪なところもあるけど、まとめるときちんとメッセージになり、所信表明になっている。「やったな」と思った。東京アートポイント計画で毎年発行している印刷物のなかでも、去年のベストでした。「ファンファンは何をしたの?」と聞かれたら、「ボックスを作ったね」というものとして、僕は受け取っているんです。

プロジェクトの運営レベルで言うと、スーパーの広告チラシ風のこの印刷物に東京都の主催を表すロゴを付けることは、すごいことなんです。そこでまず自分たちも覚悟を問われた感じがあるのですが、ボックスでまとめると、見事に受け入れやすいものになっている。そこまで見据えていたかはわからないけれど、 できているという事実が大きい。コロナ禍を受けて作った特別号もとても良かったです。

「ファンファンレター」特別号。

青木:6月に立て続けに全4号を出した「みじかい間」という特別号で、紙でミニチュアの展覧会を作れる付録をつけました。コロナで直接会えなくなるなか、 プログラムを止めるのではなく、いままでやってきたことを使えるんじゃないかと思い、ファンファンレターのフォーマットを使って実践的なプログラム「プラクティス『みじかい間、少しとおくまでの対話』」をやりました。展覧会の作品素材は墨田区でギャラリーをやってるアーティストたちに協力してもらい、描いてもらいました。

森:コロナの時代への打ち返しとして、すごく良かったです。アートワールドの人はここに価値を認めないかもしれないけど、この微弱な価値を認めないと行き詰まると思います。

青木:もうひとつファンファンレターで重要なのは、それがメンバーや東京アートポイント計画のプログラムオフィサー(PO)とのコミュニケーションツールでもあることでした。初期の頃によく、自分たちの考えを身近な人たちにどう伝えるかを話したのですが、そこでは、仰々しい企画書を出せばいいわけではない。何を考えているのかを共有していく一番手前のところから設計できたのが、ファンファンレターの機能として大きかったと思います。

■ 組織やアートの当たり前をいかにほどく?

——さきほど「ムラを楽しめるようになった」というお話がありましたが、青木さんは組織の運営方法も工夫されているそうですね。ミーティングの際も、冒頭にメンバー同士でラジオ風に近況を報告し合うなど、中心性を作らない仕掛けを導入しているとか。

青木:決定権をいかにフラジャイルにするかに興味があるんです。アートに限らずさまざまな組織において、中心的な誰かが物事を引っ張るのは簡単で、その求心力の生み方もわかるのですが、個々人の想像力を引き出す会議の仕方を作りたいと思いました。そのとき、ただ集まるのか、付箋やホワイトボードを使うのか、メールか、LINEを使うのかなど、集まり方や用いる道具によってあり方が変わるじゃないですか。それこそ、「当たり前」の部分から問いたかったんです。そこに手を入れないと、新しいものも出てこないなと。

——集まり方から変える。

青木:そうですね。定例会も、これまでは集まって会議をして、ご飯を食べて、というかたちでしたが、最近はオンラインで、最初に5人の出席者を二組に分け、ここ一週間ほどの関心をラジオ風に話す時間を20分ほど設けています。映像は切って、音声のみ。だんだんBGMを付けたり、ラジオメール風にお便りを出すようになったり。会議としては、その部分はとくに意味があるわけじゃないんだけど、それが活動に影響していく。その小さい選択から決定権が揺らぎ、その先に見たことがないものが作れる気がしています。

岡野:私もPOとして定例会に参加していますが、ラジオの仕掛けはプロジェクトのあり方に影響を与えていると思います。本当にそれぞれの個人的な関心を話しているのに、不思議とキーワードが重なっていたり、つながっていたり。一人の人が主導してまとまっていくんじゃなくて、みんなで「ファンファンの脳味噌」を作っている感じがあります。

森:面白いマネジメントですよね。このプロジェクトには、「プロジェクトをしよう」という構えがないんですよ。所作のすべてをプロジェクトにしているから。逆に言うと、だからこそ、よりわかりにくくなっているんです。

さっきの話で言うと、ファンファンの活動の価値を誰もが当たり前に感じられればいいんですけど、なかなかそうはならない。一般に表現とは、「刺激的なもの」「向こうから楽しませてくれるもの」と考えられていますよね。ファンファンの活動はそれとは異なり、乗るか乗らないかはその人次第。非常に能動性が求められるから、届け先をどう創出するかという問題が出てくるんです。「勝手に楽しむ人」をどう増やしていけるのか。

東京アートポイント計画ディレクター 森司

——コロナ禍で、大きなイベントに頼っていた場所が危機に追い込まれている。一方、小さな活動を大事するファンファンのような場所は元気というのも、示唆的です。

森:本当の自由を求めているからだと思います。価値化された「自由」のなかで動いている限り、現在の状況では立ち行かなくなる。その象徴が、美術館で、大きな動員を見込んで行われるいわゆる「ブロックバスター」展ですよね。でも、本当に必要なのは、ファンファンのような勝手に認証を楽しむあり方。それを変わらず楽しんでいるから、ファンファンは「元気」に見えるのだと思う。ファンファンレターのようなサイズの営みを価値化していかないと、これからの時代、立ち行かなくなると思うんです。

——逆にその価値を認めないと、あらゆる文化的イベントが閉じられてしまったいま、この時代には文化的な出来事は「何もなかった」ことになってしまいますね。

森:そう。その「何もなかった」という感覚は、危ない。

青木:それはすごく感じます。最近、ほかのアートプロジェクトの関係者から、「コロナになって出会いがなくなった」と聞くのですが、それはアートを非日常性のなかで捉えているからだと思う。ファンファンにはその感覚はなくて。日常には普通に人との出会いはあるし、そこにもクリエイティビティはある。展覧会やイベントがないと言えばそれまでですが、むしろ、その外にあるものをいかに「アート」と呼び直すかだと思います。

ファンファンのプログラム「新しい対話のためのプラクティス『ゆびのかたりて』(アーティスト:佐藤史治+原口寛子)の様子。(2020年8月23日〜25日開催)

■ 新しい問い、新しい語り

青木:いま、「アート×福祉」のように、異なるジャンルとの間に架け橋を掛ける取り組みが多くありますが、そもそも、「福祉」にも「地域」にも、「アート」はあった。僕らが興味を持っているセツルメント運動や、あるいは、手作業を通して障害を持つ人の能力の回復をめざす「作業療法」という領域も、じつは源流には19世紀のアーツ・アンド・クラフツ運動があります。そうした関係性に、あらためて気づいていくことも重要になるのかな、と。でも、それをブロックバスター展的な規模でやると、おそらく「アウトサイダー・アート」的な文脈に回収されてしまう。それと、僕らがファンファンレターなんかでやっている当事者間のやりとりは、まるで軸の違うものなんです。

——青木さんは、その部分を言語化したい?

青木:言語化をしたい思いはあります。 ただ、いまのような語り方では、その言葉が届く範囲はすごく限られてしまう。歴史を参照しても、ファンファンレターが届くような人たちには通じないというか。言葉の作業もやりつつ、一方で言葉だけでなく、ファンファンを通して作ってきたようないろんな人が集まれる場所、それは空間的な意味に限らず、生態系的なネットワークをより作っていけたらいいんじゃないか、と。その規模感で実感を作らないと、「生きること」とアートという視点は社会に伝わらないと思っています。

——ありがとうございます。いろんなお話を聞けましたが、正直に言うと、今日はその「本当に新しい部分」にうまく触れられていない気もして。どう質問したらいいものか……。

森:それで言うと、おそらく、「従来のアートの着こなし」による問いの立て方では向き合えない活動だからだと思うんですよ。普通のアートワールドの人たちには響く問いだとしても、青木さんはもうそれとは違うアートの着こなしをしている。だから、そこでは違う問いの立て方が必要になる。彼の言う、ファンファンレターが届く人はいわゆるアートの言葉で話す人とは違うというのはそれを言い当てていて、違う場所を見据えているから。

——話しながら、それは感じますね。インタビュアーである僕自身ももう一つ大事なところを抑えられていないような感じがする。

森:実際、その先に問いを進めるのは難しいのですが、「Why?」「Because~」というかたちのやりとりではなく、「So what?」(だから何?)と返されるくらいが我々にとってはいい塩梅ではないかと思うんです。そうじゃないと、あっという間に既存の制度に回収されるから。

一方で青木さん自身も、以前は語れなかったことを、いまではこんな風に綺麗に語れるようになった。ただ、それは言い方を変えると、ひとまずの代弁ができるようになったということでもある。でも本当は、現在もうまく語れないものを持っているはずで、「代弁をやめようぜ」というのが、いま、青木さんに問いかけてみたいことですね(笑)。

青木:そこが自分でも、もどかしいところで……。語れないことがあることは自分でもよく分かっているけれど、語れるものがある程度まとまってきちゃった。でも、その先にどんどん自分が見つけたいもの、本当に言葉にしていきたいところが出てきていて。

突拍子なく聞こえるかもしれませんが、最近、僕は東京の外に引っ越して、自然に囲まれた環境で畑仕事をしたり、手芸をしたりし始めているんです。手芸というジャンルは、これまでのアートの制度のなかで、その中心から幾重にも隔てられ、ジェンダーや家庭というものと結び付けられてきた。これも予感ですが、そうしたものを自分で体験して、咀嚼するなかで、何かファンファンの活動に反映できるものがある気がしています。でも、いまこうして話していても、アートの言葉で話している違和感はあるのですが……。

森:その意味では、いまは「貯め」の時期で、「待ち」の時期なんですよ。

青木:そうですね。少なくとも言えるのは、 それに向かっていま、確実に思考を貯められているという実感があることです。ファンファンのみんなで話し合えているし、みんなもその新しさを掴もうとしている。この2年くらいで、そこに向き合うことに躊躇がなくなりました。このメンバーとなら、ちゃんと考えられるという気がしています。

2020年8月26日「喫茶野ざらし」にて収録

Profile

青木彬(あおき・あきら)

インディペンデントキュレーター/一般社団法人うれしい予感 代表理事/まちを学びの場に見立てる「ファンタジア!ファンタジア!─生き方がかたちになったまち─」ディレクター。
1989年生まれ。東京都出身。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。プロジェクトスクール@3331第一期修了。公共劇場勤務を経て現職。アートプロジェクトやオルタナティヴ・スペースをつくる実践を通し、日常生活でアートの思考や作品がいかに創造的な場を生み出せるかを模索している。
これまでの主なキュレーションに、「中島晴矢個展 麻布逍遥」(2017, SNOW Contemporary)、「根をもつことと翼をもつこと」(2017, 大田区京浜島、天王洲アイル)などがある。「ソーシャリー・エンゲイジド・アート展」(2017, アーツ千代田3331)キュラトリアルアシスタント、「黄金町バザール2017 –Double Façade 他者と出会うための複数の方法」(2017, 横浜市)アシスタントキュレーター。「KAC Curatorial Research Program vol.01『逡巡のための風景』」(2019, 京都芸術センター)ゲストキュレーター。社会的擁護下にある子供たちとアーティストを繋ぐ「dear Me」プロジェクト企画・制作。「喫茶野ざらし」共同ディレクター。

ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまち―

多くのアトリエやオルタナティヴ・スペースが集まる東京都墨田区北部(墨東エリア)において、点在する文化拠点との連携やアートの思考を通じて、「学びの場」を形成するプロジェクト。街そのものの特性とこの街に集う人々がみせる文化的な生態系、そして区内外のアーティストや研究者など専門家のアクションが交わる状況を創造する場としてのラーニングプログラムの実施とそれらの検証から、豊かに暮らすための創造力や地域の文化資源の価値についてやわらかな観点で考えます。
http://fantasiafantasia.jp/
*東京アートポイント計画事業として2018年度から実施

事業紹介ムービーはこちら(アーツカウンシル東京YouTubeチャンネル)

※2020/11/11 情報の一部に誤記があったため、修正いたしました。

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