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DANCE 360 ー 舞踊分野の振興策に関する有識者ヒアリング

今後の舞踊振興に向けた手掛かりを探るため、総勢30名・団体にわたる舞踊分野の多様な関係者や、幅広い社会層の有識者へのヒアリングを実施しました。舞踊芸術をめぐる様々な意見を共有します。

2018/09/07

DANCE 360 ― 舞踊分野の振興策に関する有識者ヒアリング(13)舞踊評論 桜井多佳子氏

2016年12月から2017年2月までアーツカウンシル東京で実施した、舞踊分野の多様な関係者や幅広い社会層の有識者へのヒアリングをインタビュー形式で掲載します。

DANCE 360 ― 舞踊分野の振興策に関する有識者ヒアリング(13)
舞踊評論(バレエ) 桜井多佳子氏
インタビュアー:アーツカウンシル東京

(2016年12月15日)


──日本及び東京のバレエの現状と課題について、どのような所感をお持ちですか。

桜井:日本のバレエの全体水準は非常に高いのです。日本には、バレエ団がいくつも存在しています。しかしその中には、やはり「バレエ団」とは名ばかり、というケースも見られます。バレエに限らず、日本の多くの芸術分野では、アマチュアとプロが混在しています。それが良い場合もあるのですが、大きな課題でもあると思っています。

本来ならば、新国立劇場バレエ団を頂点にしたピラミッドにならないといけないんですよね。

──ダンサーの活動実態はどのような状態なのでしょうか。

桜井:バレエ・ダンサーという職業で生活していく、というのは日本ではなかなか大変です。だから「ダンサーで生活する」ために海外に渡るケースも多いです。
例えばロシアでは、モスクワはボリショイ・バレエ、サンクトペテルブルグはマリインスキー・バレエを頂点にしたピラミッド型のバレエ団の構造があります。パリ・オペラ座を頂点にしたフランスにしてもそうです。でも、日本にはそれがありません。新国立劇場ができた時点で、本来ならば、新国立劇場バレエ団(以下、新国立)を頂点にしたピラミッドにならないといけないんですよね。新国立の団員は、バレエ団からのお給料だけで普通に生活できるようにならないと。新国立劇場バレエ団の水準は非常に高く、当然ながらプロ集団です。ですが、新国立のダンサーでも、地方出身者はバイトをしながらバレエ団活動をしているのが現実のようです。また怪我をしたら、「その間、僕、ニートなんです。」と。その間はなにも(保障が)出ない。労災はもちろん入っていますけど、それに適合しない場合も多く、そうなると「ニート」。せめて、新国立は、海外の国立バレエ団並みに、お給料で生活ができるようにしないと。民間のバレエ団への助成ももちろん大切ですが、新国立がまず改善され、ダンサーの待遇の面も含めて突出していかないと日本のバレエ界全体の実態は良くならないと思います。

──バレエ団全般の状況はどうなっていますか。

桜井:東京にこんなにたくさん「バレエ団」があるということ自体が普通じゃないことだとは思います。ダンサーになりたい人にとっては入団の可能性が増えるかもしれないし、それぞれのバレエ団の個性ははっきりしているから悪いことじゃないかもしれません。けれど、そこでお客さんや劇場の取り合いは起こっています。同じ日にいろんなバレエ団の公演があることも珍しくはなく、観客が分散し、集客率が悪くなる。チケット収入が少ないので、赤字になり、支援に頼る、というケースもあります。それはおかしいと思います。「バレエ団」が多すぎる、というのも東京の大きな問題だと思います。地方も状況は似ています。最初にお話したように、じつは今、日本のバレエのレベルはすごく高いのです。地方の個人のバレエスタジオから国際コンクール入賞者を輩出することも珍しくはありません。はやくに日本を飛び出して海外で活躍していた舞踊家が、帰国し地方(故郷)にバレエ教室を開く。海外とはダイレクトに繋がっているので、指導法を含めた情報は国際水準。そこで優秀な生徒を育てる、というケースも見受けられます。また地方のバレエ学校の生徒のなかには、東京に行くのなら海外へ行く、という考えの人も多いです。ですから、一概に都会の東京の方がレベルが高い、とは言えません。
地方でも水準の高いバレエを観てもらおうとバレエ団が巡回するシステムがあり、中堅どころのバレエ団が行っていますが、それも本来は「突出している」新国立劇場バレエ団がすべきなのではないかと思っています。公演数も増えますので、団員のレベル、収入ともに上がることが期待できます。まず今、一番お金をかけないといけないのは新国立。すごく上手なダンサー達がいるので、その人たちの社会的地位から何から、きちんとしていかないと、私はだめだと思います。
ただ、民間のバレエ団も、レベルが高いところは高いのです。たとえば、東京バレエ団の『ザ・カブキ』は、世界を見渡しても、絶対ここしかできません。そのほかのバレエ団もどんどんレベルは上がっているし、個性を打ち出してきています。
新国立をトップにしたピラミッド、という方向性とは裏腹に、地方にも個人レベルではとても上手いダンサー達が点在しています。そのような「地方で活動するレベルの高い個人」の方が助成の緊要度が高いケースもあります。
本当に「助成」はすごく難しい。日本芸術文化振興会プログラムオフィサーの仕事をしながらも「助成制度」について限界を感じることは本音としてあります。新国立劇場バレエ団をトップとして、上から順番に助成すればいいと思うのですが、「順番」は見る角度で全く違ってきたりするのです。

ローザンヌにはパリ・オペラ座やボリショイ・バレエ学校の生徒は出る必要がない。毎年、このコンクールに日本人が大挙して参加するというのは日本に国立バレエ学校がないことも一つの要因

──仕組みとして、こういったものがあったら、個々に頑張っていて力のあるダンサーたちを支援ができるという、アイデアはありますか。

桜井:毎年開催されている「都民芸術フェスティバル」。反対意見もありますし、いろいろ課題もあるかもしれないけれど、地方の人が出ていたりもして、公平度という面と、バレエ団の枠を超えてレベルの高い舞台を作ろうとしている方向性は正しいと思います。ここ数年は、とても見応えのある公演になっていますよね。

──海外と国内のダンサーの状況について。

桜井:英国ロイヤル(バレエ団)のプリンシパルに平野亮一さんたち日本人が昇格したとき、NHKをはじめとした媒体が大きく報道しました。でも、同時期(2016年)に奥村康祐さんが新国立劇場バレエ団のプリンシパルになったということは全然報道されてないんですよ。奥村さんは国際コンクールでも入賞していて、海外の国立バレエ団で活躍するチャンスもありました。私に言わせれば、(日本の)新国立を選んでくれたわけです。(現在、新国立劇場バレエ団プリンシパルの)福岡雄大さんも海外で活躍していたけど、帰ってきてくれた。にもかかわらず、海外でプリンシパルになった人だけをあれだけ取り上げてしまうというのは、私は非常におかしいと思うんですよ。もちろん英国ロイヤルバレエ団もパリ・オペラ座バレエ団も素晴らしい。でも、新国立劇場バレエ団の水準も高い。プリンシパルのレベルも非常に高いのです。
数年前に、「ローザンヌ賞で女子高校生が優勝」とマスコミがものすごく騒いだころからバレエに関する報道はおかしくなってきたように感じています。
ローザンヌ・コンクールは、プロ・ダンサーを志望する若い人が(留学を含め)チャンスをつかむためのコンクールです。ですので、一流のバレエ学校で学ぶ、パリ・オペラ座やボリショイ・バレエ学校の生徒は出る必要はない。毎年、このコンクールに日本人が大挙して参加するというのは、日本に国立バレエ学校がないことも一つの要因です。ただ、新国立劇場にも研修所ができ、プリンシパルの小野絢子さんらを輩出しています。
留学すれば、なんとかなる、ということはなく、「バレエ留学」が一種のブランド化(親にとっても、ということもあります)しているようにも思えます。危険ですよね。
ローザンヌ・コンクールは、プロになる道程に過ぎません。そこで大騒ぎすぎるのは、おかしいのです。

──日本国内でのダンサーの活躍の場の現状は。

桜井:プロのダンサーになりたい若い人は多いです。でも、「なりたい人」が全てプロになれるわけじゃない。「日本には、バレエ団が多すぎる」と言いましたが、それでも「なりたい人」の方が多いように思います。また、国内コンクールなんかも数え切れないほどあり、「バレエ産業」化しています。「バレエ産業」が確立されるのは悪いことではありません。でも、同時に、怖さも感じています。

──バレエ人口に比べて、その受け皿がない。

桜井:受け皿がないのはある程度仕方がないことです。そして、既存のバレエ団全部に支援するというのは厳しい。観客数も限られているわけだから。12月になると同じ日に3会場ぐらいで同時に『くるみ割り人形』を上演しています。それを全部満員にするのは困難で、その全てに助成する意味が果たしてあるのかなと思います。

──バレエの分野から、ほかの舞踊分野を見たときに、どう感じていますか。

桜井:やはり基礎的な訓練を積み重ねて成長していくバレエ・ダンサーを観てきた私には、ダンサーの身体を持たない人のアイデア勝負のような公演、というのは受け付けません。そういう公演には助成の必要も認めません。ただ、コミュニティ・ダンスなど、そういうものの社会的な存在意義というのはあると思います。だけどその分野を発展させなくてはならないかというと、そうも思えないんです。地方でコミュニティ・ダンスを活発にしましょう、という流れには個人的に疑問もあります。たとえば、地方ならではの土着のお祭りや芸能など、そちらのほうを大事にするべきじゃないのかなと思うのです。

──ではクラシックバレエで技術的に修練されてから、別の舞踊表現に取り組んでいっているダンサーや振付家についてはいかがでしょうか。

桜井:やはりバレエの基礎が入っているコンテンポラリー・ダンスのほうが綺麗だし、しっかりとしていると思うので、そちらのほうが個人的には好きです。が、もちろん、全くクラシック・バレエの基礎がなくても、素晴らしい身体能力と、発想力に富んだ方が面白い作品をつくっている例もあります。

──民間も含めてバレエ団は多く、観客や学習者を含めたバレエ人口はさらに多い。一方で公共のダンスカンパニーは新国立バレエ団と新潟市のNoismのみです。十何年間頑張ってやっていますが、まだ他には出てきません。一方で民間のバレエ団も非常に質の高い活動をしていたりと、ピラミッド構造はなかなか成立しづらい状況だと感じます。

桜井:その通りです。京都を例にとると、この間、京都バレエ団がパリ・オペラ座のエトワール、カール・パケットさんとオニール八菜さん ※1 を主役に『ドン・キホーテ』を上演しました。演出もパリ・オペラ座で、豪華な公演でした。同じく京都が本拠の寺田バレエ・アートスクールはキエフ国立バレエ学校と姉妹校。世界的なスターのデニス・マトヴィエンコとエレーナ・フィリピエワが(寺田バレエを母体とする京都バレエシアターの作品に)出演して、やはり素晴らしい公演を成立させています。京都バレエ団とパリ・オペラ座、寺田バレエとキエフ・バレエ学校とのつながりは長く、どちらも、強い絆で結ばれています。パリ・オペラ座とキエフ・バレエ学校という、世界のバレエ界でも優れた国立の団体が、京都にあるプライベートな団体とそれぞれ強く結びついているというのは、すごいことだと思います。でも、京都での「公演」は、それぞれ一年に一度しかできないのが現実です。どちらも意義の大きい素晴らしい活動です。でも、「助成する側」からすると、意義の大きさに見合う助成はしにくいのが現実です。
何度も申している「日本にはバレエ団が多すぎる」問題に対して、「銀行のように、合併すべきなのでは?」と思ったこともありましたけど、でも、京都の例のように、それぞれの思いや絆が強い、この2つの団体を一緒にすることはできません。
東京に新国立劇場バレエ団があるんだから、ロシアにボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエがあるように、関西にも国立のバレエ団があってもいいんじゃないかなと思うのですが、すでに民間のバレエ団がそれぞれ個性的な活動をしているので、それは現実的ではありません。私は、20年ぐらい前から芸術文化振興基金の専門委員をさせていただいていています。最初のころは、「公平性を考えて多くの団体に広く少なく助成する=ばらまき助成はダメ」という考え方でした。が、それぞれの団体の考え方を知り、またレベルアップしているバレエ団の充実した公演を観るほどに、今の日本のバレエ界の現状に、もしかしたら最も適応するのは、「ばらまき助成」なのかなと、逆に思ったりもします。もちろん、新国立劇場バレエは別格として、また単に「ばらまく」のではなく、調査を十分にした上で、広く助成する、という意味ですが。

※1:オニール八菜:パリ・オペラ座バレエ団、プルミエール・ダンスーズ。2016年7月にロームシアター京都で行われた京都バレエ団公演「ドン・キホーテ」ではゲストで主演を務めた。

日本人のキャラクターダンスは日本舞踊なのだから、バレエダンサーにとってもそれは武器になるのではないかと。

──古典的な芸能が現代社会で果たす意味や、必要性などはどうお考えですか。

桜井:日本舞踊では、例えば山を表現するのに、お扇子を山に見立てて片手で持ち、もう一方の手をかざして遠くを見ることで、「山とその山を見ている人」を同時に演じる、というような、想像力をかき立てる表現があるんですよね。あるいは、一人の舞踊家が、一つの作品のなかで女性になったり、くるっと回ると男性になったり、はたまた一人で濡れ場を演じたりもできる。私自身、そんな日本舞踊の特性を知り、これは面白いと思うようになりました。少し解説を聞いてから日本舞踊を見ると、途端に面白くなります。でも、日本舞踊もバレエと一緒で、プロとアマチュアがあまりに混在しているので、結局、日本舞踊公演といっても、習い事の「おさらい会」であることも多いのです。そこで、鑑賞に耐え得る公演をしましょうということで五耀會 ※2 が立ち上がりました。ナビゲーターが簡単な説明をしてくれて実演する、という公演は、面白いし、発見もあります。私の周りでは、あまり知られていなかったけど、「日本舞踊は面白いから、みんな観ましょうよ」という感覚に今はなっています。
「日本舞踊の身体の動き」自体からの発見も大きいです。たとえば、バレエのジャンプは、高く飛ぶことに目がいきがちですが、日本舞踊のジャンプは、着地するときのカタチや足音に、より意味があるようにも思えます。また日本人の体型が最も綺麗に見える所作で舞台空間を支配します。そんな風に考えていくと、日本人のキャラクターダンスは日本舞踊なんだから、バレエ・ダンサーにとってもそれは武器になるんじゃないかと。日本人バレエ・ダンサーならではの美質みたいなことを日本舞踊から盗むことができるのではないかと思うんです。良い意味で日本人らしくて素敵だと思っていた小野絢子さん(新国立劇場バレエ団プリンシパル)が、日本舞踊を経験されていたと知ったときは、我が意を得たり(笑)。嬉しかったですね。

※2:一般社団法人 五耀會:閉鎖的になりがちな日本舞踊界に風穴を開けるべく、西川箕乃助氏、花柳寿楽氏、花柳基氏、藤間蘭黄氏、山村友五郎氏という日本舞踊界を背負う舞踊家5人が流派を超えて集い結成した日本舞踊集団。公演では歌舞伎を母体とする「歌舞伎舞踊」、舞踊としての新しい境地を築く「創作舞踊」、座敷舞の伝統をもつ「上方舞」など、19世紀に誕生した古典から初演となる新作まで、「日本舞踊」の様々な顔を紹介し、幅広い人々に日本舞踊の素晴らしさを訴えている。(参照:http://www.goyokai.com/

踊って楽しいだけのダンスに対しては、その人たちに支援する必要ないと思うんですよ。その仕組みに支援するのは、ひょっとしたらあるかもしれませんが。

──そのような伝統的な芸能に対する支援はどうあると良いでしょうか。

桜井:たとえば、五耀會は先日、インドのデリーで、インドの伝統音楽の担い手と舞踊家のコラボレーション ※3 を行いました。国際交流基金の主催でした。そういうことでなければ絶対に実現不可能でした。今までに例のない試みだったから、五耀會の舞踊家も半信半疑でインドに行ったのですが、実際には現地の方にも絶賛されて、舞踊家自身が大きな手応えを感じていました。日本舞踊にはこういう可能性もあったのだということを感じたようです。こういう支援というのはすごく大事だと思いました。それは実演家に対しても、同時に観客に対してもすごく意義があります。日本の文化紹介という点でも価値があります。
日本舞踊の公演への支援は難しいです。何度も申し上げているようにアマチュアとプロの間が曖昧ですし、個人での活動が中心なので。ですので、プロ集団の五耀會などは支援の対象にはなりえるとは思います。
また、古くから続く日本舞踊家の家には、初演時代から続く「振付」が残っていたりします。藤間蘭黄の家では、祖母が祖々母から受け継いだ「振付」が「振り帳」というノートに残っています。1900年頃に初演された作品の「振付」が正確に記録されているということです。例えば、バレエの『白鳥の湖』の1895年版の復元というのはとても大変。復元されたとして、それがどの程度正確なのかどうかはわからない。そう考えると、「原典版」が保存されているのは貴重です。実際に舞台で踊るときは、そのままではなく、現代の感覚に合うように多少アレンジしていますが。そんな原典版を上演する機会や、それをアーカイブすることに支援するというのも意義深い、とは思います。

※3:2016年12月、国際交流基金ニューデリー日本文化センターの招聘で、西川箕乃助氏、花柳寿楽氏、花柳基氏、藤間蘭黄氏、山村友五郎氏による「五耀會」は、国際交流基金ニューデリー日本文化センターの招へいで現地を訪れ、インドの舞踊家や古典楽器演奏家らとのワークショップを実施し、その成果を発表した。また、同プロジェクトは2017年12月にも実施されている。 

──(演劇に比べて)小さいコミュニティの舞踊芸術を振興していくための説得力をつけるとしたらどのようなお考えがありますか。

桜井:演劇とは違い、言葉がない分、グローバル。海外でも活動できるし、外国人の方にも観ていただき感じてもらえます。言葉を介在させない芸術というのは、人間の営みとして、とても根源的なことだと思います。と同時に、バレエ・ダンサーは、幼少のころから、特殊な訓練を受けて身体をつくりあげます。その身体での表現は誰でもできるものではない。たとえば五耀會の舞踊家も、「6歳からお扇子が友達だった」というのが当たり前のようですし、気がついたときには、お稽古をはじめていたようです。もちろん、小さい時から習っていたから良い、ということではありません。しかしバレエでも日本舞踊でも、鍛錬を重ねてきたプロの舞踊家の芸は、やはり観る価値はあると思います。そこには支援の意味は大きいと思います。
一方で、誤解を恐れず言うならば、踊って楽しいだけのダンスに対して、その人たちに支援する必要ないと思うんですよ。その仕組みに支援するのは、ひょっとしたらあるかもしれませんが。趣味として楽しむものは自分でお金出してやるべきだと思うんです。芸術文化振興基金で、地域の活動についての審査をさせていただいていたときにもそれは思いました。たとえば、(ベートーヴェンの交響曲)『第九』。アマチュアの人がこの名曲を歌う機会を持つのはとても素晴らしいことです。でも、歌いたい人が指導者に謝金を払うのは当たり前で、そこまで支援する必要はないと思いました。青少年への助成は別ですけど。話はまた戻りますが、日本はやっぱりプロとアマチュアの境が曖昧だから、踊って楽しいダンス公演にも支援をくださいと言う声と、本当に小さいときから舞踊を極めてきた人の支援をくださいと言うものと同じになってしまうことがある。それは間違っていると思います。
実演家だけではなく、観客に対する支援という風に考えても、プロとアマチュアは分けないといけません。観客は、実態はアマチュアの公演も自称プロだったりすることもあり、プロだと思い込んで観ることがあります。ですので、支援することが、「それがプロ」の公演だと認めることになるのが理想だと思います。

──日本舞踊を習うことの教育的な側面についてはどうお考えでしょうか。

桜井:日本人のアイデンティティという意味では、日本舞踊を習うというのは大事だと思います。私自身は習ったことはないのですが。でも私ぐらいの世代までは、かろうじて家に畳の部屋があったりして、正座でのお辞儀はできると思うんです。でも、いまは畳自体が希少。そこでのお行儀は日本舞踊で身につけることができます。バレエ界だけでなく、いまは留学する若い人も多いですよね。海外に行くと、自国の文化について聞かれることもあるし、やはりアイデンティティという点でも、自国の文化や美意識をきちんと持っていないと流されてしまったりする。国際人になるためには、自国の文化を知っておかないと、と考えると、日本舞踊というのは、日本の美意識のエッセンスが詰まっているから身につけておいたほうが良いのでは、と思いますね。

──最近は芸術文化においてもわかりやすいもののニーズが高まってきていますが。

桜井:まさしくバレエもそうですよね。「わかりやすい」というのが一番になって、エンターテインメント系のバレエが大流行りです。新国立劇場バレエ団のデヴィッド・ビントレー ※4 の(振付した作品)『アラジン』にしろ、そっち(エンターテイメント寄り)ですよね。楽しいし、私自身も好きです。世界的に見てもそうなのではないでしょうか。でも、その流れだけで本当に良いのかな、とも思います。

※4:デヴィッド・ビントレー:1957年生まれ、イギリスのバレエダンサー、振付家。1995年よりバーミンガム・ロイヤル・バレエ団の芸術監督。2010年9月に日本の新国立劇場舞踊監督に兼務で就任、2014年8月の退任までに20世紀以降の作品を意識的に上演した。

やはり「深い芸術性」も芸術家は追い求めなければいけない。時流に乗らない芸術を支援することも大切です。

──芸術を学ぶ次世代にとって芸の本質などを含めて、どのように修練していくかが今、難しくなっているのかもと思います。

桜井:たしかに絵本をみるような、わかりやすいバレエは多いです。ただ、同時に、ジョン・ノイマイヤーの『ニジンスキー』なども愛されています。決して「わかりやすい」作品ではありません。やはり深い芸術性が観る者を感動させるということはあります。ですので、やはり「深い芸術性」も芸術家は追い求めなければいけない。時流に乗らない芸術を支援することも大切です。

──日本のバレエ・ダンサーは非常に努力家だということですが、最後のところはもう一歩、飛躍するような天性が要ると聞いたことがあります。

桜井:そもそもの話なのですが、たとえば、パリ・オペラ座バレエ学校やロシアのワガノワ・バレエ学校、ボリショイ・バレエ学校は、非常に厳しい入学試験があります。身体条件、音楽性、容姿、頭の良さなど、将来プロのダンサーとしてやっていく素質があるかどうかをチェックされる。晴れて入学しても、進級試験があり、ふるいにかけられる。ロシアのバレエ教師がいうには、「バレエに適さない生徒がここで学ぶのは可哀想」と。それだけシビア。バレエが職業として成り立っていて、バレエ学校はいわば「職業訓練校」なのです。日本は、誰でもがプロを目指せます。そしてプロを目指す人は、非常に努力家です。でも、努力だけでは無理な場合もあるのです。その現実に気づき、病んでしまった人もいます。留学先で自殺した例もあるようです。「バレエ産業」が盛んな日本で、子供達がバレリーナになる夢を見るのは悪いことではありません。でも現実に気づかせることも同時に大事だと思っています。

──型や伝統を持たず、継承的でない他の舞踊についてはどのような支援が考えられるでしょうか。

桜井:自然淘汰されるべきだと思います。例えばコンテンポラリー・ダンスには、刹那的に成り立っているものもあります。無くなって構わない、という考えもあると思います。なので、それに対する支援は、既存の作品や振付家へというよりも、ダンスが生まれるシステムに対しての方が良いかもしれません。たとえば、ダンス・フェスティバルに支援して、そこで優秀なダンサーを発掘して、次のステップの機会を与えるとか。

──舞踊の連盟や協会のような統括組織は有効だと思われますか。

桜井:例えば現代舞踊協会 ※5 については否定的におっしゃる方も多いのですが、私は有効だと思います。現代舞踊は古くさいと言われるけど、やっぱり日本独自のメソッドみたいなものを持っている。コンテンポラリー・ダンサーとして活躍されている方の中には、以前、現代舞踊協会に加入していたことを隠す方もいらっしゃいますが、それは違うと思います。その方にとっては、現代舞踊の素地あってのコンテンポラリーだと思いますね。
統括組織があるというのも大事なんじゃないでしょうか。現代舞踊協会では、過去の名作をリバイバルするアーカイブ公演を行っています。江口隆哉振付の『プロメテの火』などを上演されました。協会があってこその企画であり、公演だったと思います。
でも、コンテンポラリー・ダンスに「統括団体」というのは、少しそぐわない気もします。ただしこれは個人的で無責任な感覚です。
統括団体が発足するのは、理由や意義があってのことです。日本バレエ協会や日本舞踊協会も、発足時期に、理由と意義があって誕生した。でも、時代は流れていきます。すでに発足したときとは時代も舞踊家の環境も考えも変わっています。なので、いまそのような組織が有効なのかどうかは、議論の余地はあると思います。

※5:一般社団法人現代舞踊協会:戦後まもなく洋舞の興隆の中で、1948年に「日本芸術舞踊家協会」として結成された。1956年には全国的組織に改組となり舞踊家の石井漠氏を初代会長とする「全日本芸術舞踊協会」と名称を改め、さらにその後、国の認める法人組織化に迫られ、1972年に社団法人化、2009年に一般社団法人化し、現在の「一般社団法人現代舞踊協会」となった。2013年時点で2400名の会員を擁する。(出典:http://www.gendaibuyou.or.jp/

桜井多佳子

舞踊評論(バレエ)
大阪生まれ。1992年ロシア国立劇場芸術大学研修。日経新聞、ダンスマガジンほかに執筆。
ペルミ(ロシア)国際バレエコンクールプレス審査員、ヴィチェフスク(ベラルーシ)国際振付コンクールプレス審査員、文化庁国民文化祭実行委員、同芸術選奨選考委員などを歴任。海外取材は38ケ国。著書に「感じるバレエ」、共著に「バレエ・ギャラリー30」ほか。2011年12月〜2017年3月 独立行政法人日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(舞踊部門)。

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