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アーツカウンシル東京ブログ

アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

DANCE 360 ー 舞踊分野の振興策に関する有識者ヒアリング

今後の舞踊振興に向けた手掛かりを探るため、総勢30名・団体にわたる舞踊分野の多様な関係者や、幅広い社会層の有識者へのヒアリングを実施しました。舞踊芸術をめぐる様々な意見を共有します。

2018/09/19

DANCE 360 ― 舞踊分野の振興策に関する有識者ヒアリング(14)公益財団法人全日本郷土芸能協会 事務局次長・理事 小岩秀太郎氏

2016年12月から2017年2月までアーツカウンシル東京で実施した、舞踊分野の多様な関係者や幅広い社会層の有識者へのヒアリングをインタビュー形式で掲載します。

DANCE 360 ― 舞踊分野の振興策に関する有識者ヒアリング(14)
公益財団法人全日本郷土芸能協会 事務局次長・理事
小岩秀太郎氏
インタビュアー:アーツカウンシル東京

(2017年1月16日)


──現在の日本及び東京の芸術文化の状況をどのように捉えていらっしゃいますか。

小岩:最近の傾向として、情報過多の割にはあまり行き届かず、一部の人に固まっている感じがするので、自分で探しにいかなければいけない感じが強いという気がしています。例えば民俗芸能などの公演に関しても、昔はあまり情報が多くもなかった一方で、比較的耳に入ってきやすい状況だったけれど、ここ最近はあまりにも数が多すぎて、どこに何があるかが、情報を取りにいかなければ入ってきづらい状況になっている。さらに、ジャンルを超えたコラボレーション(例えば伝統芸能とコンテンポラリーダンスなど)も多くなってきているので、どの方向から情報を取りにいくのかも、結構悩みどころで、これは一体何の公演なのだろうかというのが、わかりづらくなってきている感じがします。
また、インタラクティブアートというか、情報系のアートが多くなってきていて、生に触れられるものというのがどれだけあるのかなという印象です。場所が足りなくなってきているというのもあるのかもしれないですけど、現状、何となくそんな感じがしています。

2011年の震災以降、やっぱり(郷土)芸能というのは、ただ守るべきものではないのだという視点に傾きました。

──民俗芸能/郷土芸能を巡る環境の変化をどのように捉えていらっしゃいますか。

小岩:民俗芸能とか郷土芸能の公演に関して言えば、保存保護という観点の、教育委員会がやるような大会や、5分で見せるような大会ではなく、もう少し交流型であったり、それこそさっき言ったコラボレーションのような、別な視点を入れ込んできたり、広く一般大衆がおもしろいな、かかわれるかも、という入口をつくるためのイベントにしなければいけないのではないかと感じています。
例えば全日本郷土芸能協会(以下、「全郷芸」)にしても、1970年の大阪万博 ※1 のときに立ち上がった協会なので、その当時からいるスタッフと自分のような比較的若手とでは20年の差があって、実はその20年間、誰も新人が入ってきていなくて、知識とか、やり方、ノウハウというものがうまくつながっていないと感じる。ある意味では大阪万博時代のままやってきているところがあるのでは。舞台のつくり方というのが、大阪万博の後に保存保護を重点とした方向にシフトして、まじめな形でやらないと一般の人たちは見てくれないだろう、お金も取ってはいけないだろうというような方向性にだんだんなってきていました。しかし、先日の羽村市での石見(いわみ)神楽 ※2 公演なんかは3,000円ぐらいで満員になって、エンターテインメント性もありつつ、交流もできるようなことをしたら、すごく盛り上がりました。だから、そういったことをやっていくべきなのかどうかというところで、今、結構揺れているところです。
特に2011年の震災以降、やっぱり(郷土)芸能というのは、ただ守るべきものではないのだという視点に傾きました。だから、コンテンポラリーダンスのJCDN ※3 が、岩手で三陸国際芸術祭みたいなのをやって、コンテンポラリーダンスと一緒に郷土芸能を動かしていくというような手法をとったときに結構盛り上がったりします。だから、芸能に対しての見方とか触れ方というのが、少し変わってきている今なのではないかなというふうに思います。
また、震災以降は芸能や祭りの露出がやっぱり激しくなりました。どういう芸能があるのかとか、どういう人たちがやっているのだろうかとか、どういう道具を使っているんだろうかというような、そもそも民俗芸能、郷土芸能が持っていたおもしろみの部分が、少し外に出やすくなって、皆さんが少し触れやすくなっている状況のように思います。例えば津波の被害があったところで踊っていることにしても、それを踊っているときの映像だけではなくて、それまでの復活の映像であったり、道具を作っている姿であったりというストーリーが加わったことで、やっぱり関わっている人の顔が見えるようになって、何々地区のどこに行けば、そういう人がいて、その人たちがやっている踊りなのだというふうに、何となくわかったと思うので、少し親近感がわいたんじゃないかなと思うんですね。いつも何か飲んだくれているようなおじさんたちが、実はすごい踊りをやったり、実はすごい衣装をつくったり着ているということを、逆に改めて感じてみると、またすごいギャップに驚きがあって、余計に郷土芸能が好き!みたいな話になっていく人たちが増えてきている感じがします。
一方で、郷土芸能団体自ら新しいことに取り組もうとして、観光的なことをやって一気に人を呼ぼうとし、それで失敗している例もたくさんあります。だから、結局、自分たちのことがおろそかになって、人をとにかく呼ぶために、ちょっと省略したりだとか、段取りをなくすことによって、やっぱりうまく伝わらないことが多くなってくるんですよね。お互いに納得した上で、変えていかなければいけない部分もあるけれど、震災後は外からいろいろ変えられて、外のスピードに乗っかって変わってきてしまっていることというのは、結構多いかなというふうな気がします。なので、今になって結構疲れてきているところもあります。

※1:大阪万博:1970年に大阪で行われた万国博覧会。アジア初かつ日本で最初の国際博覧会として、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された。77か国の参加のもと6,400万人をこえる入場者により、好評のうちに幕を閉じた。
※2:石見神楽:島根県西部・石見地方の民俗芸能で、古事記や日本書紀を題材とした演目は30数種にものぼり、代表的なものとしては、日本神話でも有名な“八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治”を題材にした「大蛇(オロチ)」など、エンターテインメント性が高い演目がある。
※3:JCDN(NPO法人 ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク):2001年に設立されたコンテンポラリー・ダンスの促進と全国的なダンスのネットワークの構築、文化行政等におけるアドバイザー・コーディネーター等も取り組みを行う。設立時より佐東範一氏が理事長を務める。代表的な取り組みとして 三陸国際芸術祭(サンフェス)(2014年~)、「踊りに行くぜ!!Ⅰ・Ⅱ」(2001年~2016年)がある。(参照:JCDN

──ビッグイベントにおける民俗芸能/郷土芸能

小岩:大阪万博のときに「日本の祭り」 ※4 というものがあり、それまで一切外に出ていなかった日本各地の郷土芸能やお祭りに出てもらうように全郷芸の創設メンバーの先輩方が話しにいった、といいいます。会場内のお祭り広場という限られたスペースでやるため、その中で、人数を変えたり踊りを見せる方向や向きを変えたりせざるを得ないんです。さらに今まで2時間やっていた芸能を40分、30分でしか見せられませんから、それをわかった上で来てくださいね。そのかわり、それを地元にそのままの形で持って帰らないでくださいよ。自分たちで話し合って、こういうふうに何かイベントがあったら、全郷芸がやった形式=モデルケースを何か使って、イベントに出てもいいかもしれないけれど、お祭りの形を変えるのは、私たちの本意ではないですよ、ということを歩いて説明して回ったらしいんですよね。
演出家にしても、プロモーターにしても、きちんとそういうことをわかって連れてくる、参加してもらうということが、これからのオリンピックに向けて、オリンピック以降に向けて、やっぱりやらなければいけないことだなというふうには思っています。いろいろな無理な注文をさせられることもあるけれども、じゃあ、それをやることによって、何に、どうなっていくのかということは、出る側も演じる側も考えられるようになってくれればいいなと、一応、私たちから話はしているところもあります。それは、海外から来る人も含めて、今まで見たことがない人が来るかもしれないということに対しての驚きを持たせたいという、彼らの思いであり、その1つの形がこういうビッグイベントなんです。だから、そのときに、そういう場を提供してあげるのはもちろんのこと、その中から、地域の人たちが今まで何もなかったと思っていたところに、実は外の人たちを驚かせられるようなものを持っていたのだという気づきになったというのが、大阪万博では1つあると思います。

郷土芸能を、やっている人たちは、みんな一般の人たちなんです。プロじゃない。かかわり方も千差万別なんですよね。だから、踊りをやっている人たちは踊りで、衣装をやっているのはお母さんたちだったり、子供がかかわる場所があったり。それこそ障害者や一般の生活ができないから踊りをやるという人たちがいたりして1つの集落で生きていく形として芸能はできたところもあるから、その地域の中で一番重要な存在としてやってこられたわけです。

小岩:逆に、出るのであれば、何かやっぱり考えてほしいです。地域代表であるとか、私たちがこういうものを踊っていて、こういうものを着ていて、それが東京の場所に出てきていることというのは何なのだろうということがちゃんと言えるようにしておかないといけない。ただ2分20秒やってくれということだけでいいのかとやっぱり思うわけで。そこら辺を、面倒臭いと言われようと、ちゃんと考えを持っておかないといけないと、今言って回っているんです。
何とか地域を復活させようとか、若い人たちの力で戦争から生き返ろうみたいなことでやっていた時代があったから、万博とか、若者が多かった郷土芸能に関する活動というのはそれなりに盛んな時期があったけれども、そのころの若者がそのままの気持ちで歳をとっていって、で、守りのほうに入っていって、今ふたをあけたら、昔に若者だった人たちが、やっぱり重鎮にドンといて。あの人たちに任せておけば、ある程度動かしてこられたんだよねというふうな図式になっているから、その後の若い人たちが積極的に魅力をもって関わろうとしなかった。だから、上の人たちがああいうふうにずっと40年間頑張ってきたからよかったねと言って、若い人たちは見ていて、自分たちから何かしようとか、おもしろいことをしてみようとか、それこそお年寄りに話を聞きに行ってみようとかという感覚にはなっていなかったところがあります。震災があるまでは。そういう意味では、震災が1つの切り込み方として、今までできていなかったところに、ちょっとだけ戻ってきているかなという感じがします。
郷土芸能を、やっている人たちは、みんな一般の人たちなんです。プロじゃない。かかわり方も千差万別なんですよね。だから、踊りをやっている人たちは踊りで、衣装をやっているのはお母さんたちだったり、子供がかかわる場所があったり。それこそ障害者や一般の生活ができないから踊りをやるという人たちがいたりして1つの集落で生きていく形として芸能はできたところもあるから、その地域の中で一番重要な存在としてやってこられたわけです。

※4:日本の祭り:1970年の万国博覧会で行われたイベントで、開閉会式をはじめ各国のナショナルデー・スペシャルデーなど国際性豊かな多彩な催し物が連日繰り広げられた場所「お祭り広場」で、日本の様々な郷土芸能を紹介した。

──郷土芸能からみたダンスについて

小岩:しげやん(北村成美)さん ※5 とお話をして、「踊りたいというか、踊りをすることによって、みんなが注目してくれるというようなことで、すごい踊りをやりたい、ダンスをやりたい」とお思いになったと。一方僕ら郷土芸能の踊手としては、最初の入口はいやいやだったからということもあって、踊りを見られると、恥ずかしいんですよね。何か今も。だから顔を幕で隠せる芸能である鹿踊は安心できるんです。顔を隠しているからやれるけれども、顔を隠さなかったら、できない。僕らがやっていることというのは自分の表現じゃないからということなのかなと思うんですけれども、何かやっぱり、やる=自己表現としての舞踊じゃないんです。そういう意味では、舞踊というものをやっている人たちが、そのどちらから出発したのかということに興味があります。舞踊とか、ダンスとか、言葉がいろいろあるけれども、やっぱり自分の姿を美しく表現したいとか、自分のバックグラウンドを、この踊りで表現をしなければどうにもならない感情があったから、今の舞踊家、ダンサーがあるというふうに思っているかとか、結構気になっているところではあります。
舞踊そのものに、何か意見があるということではないけれども、何をやりたいのかなということを、郷土芸能をやっている人間からは、考えてしまうところがあります。舞踊を見るにあたって、何も考えずに、からっぽにして見なさいという見方があるじゃないですか。それは、郷土芸能側からは、あまりできない見方かもと思っています。そのバックグラウンドを考えてしまうとか、どのように生まれてきたのだろうかということを考えてしまうことはある気がします。だから、コンテンポラリーダンスとかに対して、その創作の過程、クリエーションしている過程から見に行ってみたいというほうが強いかもしれないなと思います。その当日のドーンというよりは、そこまででき上がっていくまでの葛藤であったり、何を伝えたいのかということをわかっていった上で見たいというところが強いんです。

※5:北村成美(きたむらしげみ):振付家・ダンサー。「生きる喜びと痛みを謳歌するたくましいダンス」をモットーに、国内外でソロダンス作品を上演するほか、日本各地で市民参加によるコミュニティダンス作品を発表している。 「三陸国際芸術祭2016」に参加。

小岩秀太郎

1977年岩手県一関市生まれ。行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)伝承者。(公社)全日本郷土芸能協会に入職し、芸能の魅力発信や復興支援、コーディネートに携わる。また、東京鹿踊ならびに縦糸横糸合同会社を組織し、風土とそのくらしの中で受け継がれてきた地域文化(芸能、祭り、技、食など)の継承と発展、関わり方の入口をデザインする企画提案を国内外で行っている。
http://tateito-yokoito.com/

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