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DANCE 360 ー 舞踊分野の振興策に関する有識者ヒアリング

今後の舞踊振興に向けた手掛かりを探るため、総勢30名・団体にわたる舞踊分野の多様な関係者や、幅広い社会層の有識者へのヒアリングを実施しました。舞踊芸術をめぐる様々な意見を共有します。

2019/11/20

DANCE 360 ― 舞踊分野の振興策に関する有識者ヒアリング(26)大駱駝艦主宰・舞踏家・俳優 麿赤兒氏

2016年12月から2017年2月までアーツカウンシル東京で実施した、舞踊分野の多様な関係者や幅広い社会層の有識者へのヒアリングをインタビュー形式で掲載します。

麿赤兒氏(大駱駝艦主宰・舞踏家・俳優)
インタビュアー:アーツカウンシル東京
佐藤美紀(株式会社アーキタンツ プロデューサー)

(2016年12月5日)


──芸術文化の現状をどのように感じていますか?

麿:僕らの最初のころはほとんどゲリラみたいなもので、勝手にやっていたような感じでしたね。それが、だんだん文化庁や東京都のお世話になるようになった。そんなところから助成してもらっているのはたるんでいるんじゃないのか、どうして自力でできないんだという根本的な思いはあるんですけれども、その辺は忸怩たる思いをしながらね(笑)。援助いただければ当然それなりの責任はのしかかりますからね。やはり都民、国民の税金ですから。そういう責任を感じつつ、だからといって妙に迎合する必要もないだろうと。そこはある種、アーティストの矜持みたいなものがありましてね。本当にこれが国のためになっているのだろうか。あるいは都民、市民のためになっているのだろうかという疑問は常にあるんですけれど。
…… 目先のことは何とかなっているとしても、これから人類はどうなるんだろうみたいな先行きを常に考えてしまいますね。今世紀もつのかどうかとか。そういうことを考えると、大社会というか、そういうものとの緊張感みたいなものができてきますよ。一つの関係、国と国、あるいは人と人、あらゆるところで非常に極限的な緊張感みたいなものが。そして、それが身体にどう移るのか。そういうことを考えています。

ダンスというものは人間の一番底におりていくようなものだと思います。僕はそこが舞踏の一つの目覚めだと思っているんですけどね。

──60年代ごろから本格的に創作活動をなさる中で、対社会や世界、宇宙と向き合ってきていますね。

麿:当時はアバンギャルドが隆盛だった。じゃあ、アバンギャルドって何なんだろう、と。アバンギャルドというのは、兵隊の位でいえば前衛ということですよね。前衛は人が一番死ぬ場所だ。一番前にいて、ドンとやられるとかね。若いときというのは、一番前に出て、真っ赤な血だらけ、傷だらけになってやっていくというヒロイズムみたいなものもありますから。そういう前衛というイメージ。
それから前衛、アバンギャルドとは、過去と未来との背中合わせにあるんじゃないかとかね。過去の時間というものを背中に背負っているんだと。
そういう肉体論みたいなものですね。舞台は一つの実験場でもあり、自分の身体そのものを一つの実験体としてやっているというような。
人類は地球をちょっとずつ傷つけて、何かを掘り出してきている。そして内臓にまで手を突っ込んで、掘り出して、ついにここまでか、というふうに滅びていくかもしれない。そういうある種のカタストロフといいますか、そういうものもちょっと表現してみたいなと思いますね。
どうしたらいいんだろう、どうしたらいいのかわからない。震えて迷走する人、迷走する身体。これが舞踏の典型的な方法の一つなんです。どうしたらいいかわからないということが身体の表現としてある。それが滑稽にも悲惨にも見えるし、見え方はいろいろあるとは思うんですよね。これは別に日本だけの問題じゃなくて、世界中が、全てがどうなるんだろう、どうするんだ、というふうな。その辺のところの一つの視点ということになるんじゃないですかね。(社会に対して)科学者は科学者、社会学者は社会学者、精神医学者は精神的なとか、それぞれのプロのそれぞれのアプローチの仕方というのがあるでしょう。我々のアプローチの仕方は、身体そのものが一つの容器だと。何でもかんでも入ってきちゃうわけですからね。それをその容器のまま出す。いっぱい入っちゃって、変な身体になりました、というのもあるでしょうし。
ダンスというものは人間の一番底におりていくようなものだと思います。僕はそこが舞踏の一つの目覚めだと思っているんですけどね。今そこにある身体というものが。ですから、皆さんも見方によっては、立っているだけでもう舞踏家だというような。
自然とのかかわりとしての人間。ほかの動物でも、変な嫌なものが来たら、パッと素早く動くというようなことはあるでしょうし、それをどう体系化していったか。そういったことはもう踊りでも綿々とつくられてきていますからね。例えば民族舞踊はそれぞれの狩りの形とか、日本も多いですけど、田植えの踊りとかね。どういう視点を持つことによってアートになり得るか、みたいな。

──踊りは身体を、あるがままを出すということですが、これを舞台に置いたときに、どのような意味があると思いますか。

麿:方法論としてはどういう効果をもたらすかということですよ。舞台でわざわざやる必要ねえじゃないかということがありますよね。ところが、舞台というのは汚いものもきれいに見えるというかな。逆にきれいなものも汚く見えたりする。ポツンといるだけでいろいろな見方ができる場所なんですよ。その辺の道を歩いている人だって、一つの舞台だと思って見れば、その人の動きを1時間ぐらい見ていられますよ。日常ではみんな忙しいから、人のことなんか見てられないだろうけれど、それをポツッと切り取って舞台にポッと置くと、いろいろな見方ができる。それがおもしろい。ちょっとしたことで非常にハッとするようなことがある。そういうことを採集したりするというかな。僕は「天賦典式」と名付けて踊りをつくっているんです。捉えたその瞬間をもう一度やると、儀式的なものになっていく。サーッと行ってしまうのではなくて、ピタッと止まる。その一瞬、一瞬が命の証だ、みたいなね。

──個人のアーティストという形ではなくて、あえて、大駱駝艦という集団の形をとっていらっしゃいますが、集団である意味や、大事なところはどういうことがありますか。

麿:ある程度の共通言語というかな。小さな小さな共同幻想。一つの共同幻想を持つためにはそれなりの大きな友愛、平等、自由とか何か必要なわけですよ。憲法にしても何にしても、いつからかそういうふうになっている。それも人間の想像力ですからね。
…… 気持ちを言葉にして、何か納得する幻想をつくって、その共同幻想の中ではたくさんの人が約束のもとに生きていきたいと。ちょっとそこと違うものを考えようじゃないか、と。そうなると、やっぱりちょっとした集団、30人ぐらいの集団でああでもない、こうでもないと考えるのは、そういう意味ではおもしろいなと思っていますよね。
…… この指とまれ、みたいな、おもしろい遊びしようと。そのおもしろい遊びをするためにはいろいろ工夫しないと寄ってこない。同じかくれんぼでも、こうやってアレンジしよう、石けりでも、こういう石けりつくろうか、みたいな。身体をいじくりながらやっている。こんないじくり方もあるぜとかいうかな。
…… インチキな論理をいろいろ言って、それに乗るかどうかですよね。それこそ共同幻想を持ち得るかどうか。「麿が言っていることは嘘だよ」とか言われないように。僕は「本当」なんか無いと言っているけど(笑)。

──長い時間を集団で共有することにはどのような意味がありますか?

麿:芸というのは練る必要があるんじゃないかと。もっとおもしろい空間出てくるんじゃないの、おもしろい時間が場所から浮かび上がってくるんじゃないのというところはありますよね。だから、本当に泡のようなものなんだ。アートは泡のようなものだという、そういう諦めなり、一つの強いものがあれば、またそこに違ったものが出てくると思うんだけど。

──壺中天 ※1 での取り組みについて教えてください。

麿:何年もやっていたら自分でも作品を創りたいと思うようになってくる。企画書を出させてOKとなれば、壺中天で公演をやってもらう。もちろん、一人に振付、演出の全責任を持たせますよ。みんなで作っていたらよくわからないし、誰がいじっているかわかりませんからね。「俺が選んで決定したんだ」という人がはっきりしないと、誰に文句言っていいかわからないから「おまえが悪い」と言えない(笑)。そうして2001年に始まったのが壺中天(公演)で、いま55作品(インタビュー時)あります。
「本体(天賦典式)と壺中天と2つを(活動の軸として)やっている」と海外のダンス関係者に言うと、ヨーロッパでは考えられないと。30分程度の小作品を生徒さんが発表するというのはあるけれども、フル作品をカンパニーに所属しながらということはヨーロッパではありえないと言っていましたね。すごくおもしろいと。ですから、フランスでは、本体と若手の作品、2つ見せるようにしているんです。

※1:壺中天(こちゅうてん):東京都の吉祥寺にある大駱駝艦の活動拠点。ワークショップや同団体若手舞踏手のアトリエ公演なども行う。

──舞踏が日本で独自に展開されてきた身体芸術として世界的に認識されて50年以上が経ち、日本での身体芸術が今、どういう形であるべきなのかが問われていると思います。

麿:難しいところですね。舞踏というものに安住してはいけない。僕はもともと舞踏の中に舞踏はないと言っています。科学や生物学の話とか、そういう話ばかりしている。一つの形をやればいいというものではない。やっぱり時代とのにらみ合いですよね。そういう意味では、ますます切羽詰まってきていますけどね。
あくまでも身体、どう言ったらいいのかな。死というものとのかかわりですよね。個が社会にかかわる。種が自然にかかわる。地球にかかわるでもいいんですけれども、何らかの緊張関係みたいなね。僕は、そういうひとつの種族がいるんだと思うようにしているんですよ。
…… 時代に置いていかれていつもボーッとしている。わけわからないイノセントみたいな。無知でピュアでボーッとしてね。何食わされても、「いただきます」と言って、死ぬということもわからないでそのまま死んでいくような種族というかな。「舞踏族、またやってまいりました」という(笑)。

──舞台作品の他に、「ゴールデンズ」※2 のような路上パフォーマンスも継続されています。

麿:あれはもう芸者みたいなもんですよ。「(呼んでいただき)ありがとうございます」という(笑)。オファーされればどこへでも行く。そういう面ははっきりしていますよ。(路上だから)バンバンバンと撃たれたらどうするんだろうとか、それは考えますけど。一応安全圏だという条件はありますよね。そこ(撃たれるようなところ)まで行けねえのか、俺たちは。情けないなあというようなこともありますね。一瞬でもいいから、我々がポッと立てば静かになる。みんなでワーッと見てくれるとかね。『戦場のピアニスト』じゃないけど、そういう気分にもなりますよ。あいつは裸で立っているんだ。見てやろうじゃないか。死んでもそういうものがあればいいな、という願いはありますよ。

※2:大駱駝艦の舞踏手が路上で行う金粉ショー等がメインの活動。東京都のヘブンアーティストの登録アーティストでもある。

舞台芸術なんて全く知らなかった彼ら(カメラ小僧)が、ゴールデンズをみて、面白いと思って白塗りの本公演にも来てくれている。

麿:大道芸でいろいろやらせていただくと、いわゆるカメラ小僧がすごく多くてね。だけど、舞台芸術なんて全く知らなかった彼ら(カメラ小僧)が、ゴールデンズをみて、面白いと思って白塗りの本公演にも来てくれているらしいんですよ。全部追っかけてくる。沖縄も予約しました、秋田も行きますと。そういう意味では、また一つの広がりですね。親子連れの方も大道芸で大駱駝艦を知って、それから公演を見にきてくださる。路上から劇場へとお客さまが繋がっていくという相乗効果的な面はありますよね。

──麿さんは俳優としての顔もお持ちですが、演劇との比較において舞踊の本質とはなんでしょうか?

麿:演劇というのは言葉がありますからね。そこが一つの大きな違いですよ。人類が言葉を得たというのは大変なことだけれども、言葉を得る前にやっぱり身体はあったぜというね。非常にプリミティブなもの。
一方で、言葉で語れば語るほど不可解になってしまうという、言説不可能みたいな面も。僕は、肉体可能、言説不可能みたいなことを自分で標語のようにつくっているんですけどね。
何か一つのある種の覚悟をしている。だから、演劇的と言われるのも嫌だし、踊り的と言われるのも嫌ですよ。演劇に行くと、「麿さん、踊ってるみたいだね」と言われるし、踊りへ行くと、「演劇的ですね」と。違う、もっとアマルガム(混合物)なものなんだ。だんだん開き直って、こっちはハイブリッドなんだとか言ったりして。
歌舞伎でも、所作事は踊りだし、言葉が入ってくると演劇だしと、非常に混合的なものですよ。同時的にあるというかな。だから、あんまり分けて考えないという感じですね。もっと言えば、見せ物に変わりねえ、みたいな。

──舞踊家は身体の強さがあるがゆえに、言葉がちょっと弱い、足りないということがあるのかなと。

麿:そうそう、ありますね、本当に。(稽古で)「馬鹿になれ」、と言うんだけれど、その後大丈夫かなと思いますよ、若い人を見ていると。本当に馬鹿になっちゃうんじゃないかと(笑)。
確かにそういう意味では、ダンサーは下手かもしれませんね。でも、ダンサーだって、やっぱり言葉との対話というのはありますからね。俺は何をやっているんだと。その反芻でも、記憶でも何でもいいですけど、反芻するのは人間の力ですからね。そして、それを言葉にしていけば、もっとリアリティのある言葉で出てくる。
…… 人間というのは一瞬のうちに何かいろいろなものを見ている。こうやってしゃべりながらも、違うものを見ていたりするし、多様、多種的、多角的な面があるでしょう。だから、それを方法論にすると、ピカソみたいになったりね。何が横なのか、縦なのかわからないとか。そういうことを定着していく能力ですよ。

──公的支援の課題と思われることはありますか?

麿:状況劇場 ※3 のとき、堤さん(セゾン文化財団の故・堤清二氏 ※4)が渋谷の西武(現PARCO)劇場を使えと。そう言ってくれたのがありがたいなと思いましたね。ちゃんと経済人としてのパースペクティブを持っていらしたんですよね。西武百貨店を建てる前の前哨戦として、若者を集めるためにやった、青田買いしてくれたみたいなね。そういう面も必要でしょうね。これは行けると思ったら、どれだけ江戸から発信できるかみたいなことは必要でしょうね。

※3 状況劇場:1963年に旗揚げされた演劇集団でテント芝居の先駆け。現在の唐組。麿は同劇団の唐十郎が提唱した「特権的肉体論」の体現者として注目を集めた。
※4 堤清二:公益財団法人セゾン文化財団の創立者。2013年に逝去するまで初代理事長を務めた。

──カンパニーとしての体制をどうしていきたいかなど、お考えはありますか?

麿:本当におもしろい作品を自由に創れても、それを支える人がいないと、やっぱりだめになるんじゃないでしょうかね。照明、音響、美術、衣裳といったあたりは一応全て自分たちでできるようにしているから、一番のポイントはやっぱり制作だと。いいものをつくって、他には何をやればいいのか。それこそ助成金の申請書一つ書けないというのでは困る。もし独立したいならこういう申請もあるとか、その辺を今後はみんなが勉強していく必要もあると。
まあ、戦略と言ったってね。何だ、“戦略”とは。おもしろいことをやるぞ、ということに尽きるね。


麿赤兒(大駱駝艦主宰・舞踏家・俳優)

1943年生まれ、奈良県出身。
1965年、唐十郎の劇団「状況劇場」に参画。唐の「特権的肉体論」を具現化する役者として、1960~70年代の演劇界に大きな変革の嵐を起こし、多大な影響を及ぼす。
1966年、役者として活動しながら舞踏の創始者である土方巽に師事。
1972年、「大駱駝艦」を旗揚げし、舞踏に大仕掛けを用いた圧倒的スペクタクル性の強い様式を導入。“天賦典式”(てんぷてんしき:この世に生まれたことこそ大いなる才能とする)と名付けたその様式は、国内外で大きな話題となり、「BUTOH」を世界に浸透させる。
精力的に新作を発表し続けているほか、舞踏手育成にも力を注ぎ、多彩な舞踏グループ・舞踏手を輩出。また、映画・TV・舞台等においても独特の存在感を放ち、ジャンルを越境し先駆的な地位を確立している。
1974年、87年、96年、99年、07年、12年舞踊批評家協会賞受賞。
2006年度文化庁長官表彰。2013年第7回日本ダンスフォーラム賞大賞受賞。
2016年東京新聞制定 第64回舞踊芸術賞受賞。
2018年第55回批評家大賞・ダンス出版部門(フランス)受賞。
2018年春陽堂書店第1回種田山頭火賞受賞。

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