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アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

Art Support Tohoku-Tokyo

Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)は、東京都がアーツカウンシル東京と共催し、岩手県、宮城県、福島県のアートNPO等の団体やコーディネーターと連携し、地域の多様な文化環境の復興を支援しています。現場レポートやコラム、イベント情報など本事業の取り組みをお届けします。

2021/06/28

アートによる被災地支援の役割と可能性—Art Support Tohoku-Tokyoの10年をふりかえる

渥美公秀さん(画面左下)、宮本匠さん(左上)、高森順子さん(右下)、佐藤李青(右上・中央)、嘉原妙(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー/右上・右)、川村庸子(右上・左)

東日本大震災から10年。東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業(Art Support Tohoku-Tokyo/ASTT)が終了しました。ASTTは、2011年7月に『東京緊急対策2011』の一環としてはじまった、岩手・宮城・福島県を対象とした事業です。都内で展開する東京アートポイント計画の手法を使い、現地のパートナーと対話を重ね、地域の多様な文化環境を支援。既存のプログラムを持ち込むのではなく、地域の人が主体となり、交流プロセスを重視したプログラムや、それを支える仕組みづくりを行ってきました。

今回は、事業を立ち上げから担当してきたプログラムオフィサーの佐藤李青が、阪神・淡路大震災や新潟県中越地震などの災害復興にかかわってきた、研究者の渥美公秀さん、宮本匠さん、高森順子さんとともにASTTの10年をふりかえりました。「震災から10年目」を何度も迎えてきたお三方には、何が見えるのでしょうか? 

互いの記録集や著書、論文を事前に読んで、語り合った3時間。防災の分野から見えるアートによる被災地支援の特徴や、活動の続け方、終わらせ方についても伺いました。

(構成|川村庸子)


2011年6月28日 福島県相馬郡新地町(撮影:佐藤李青)

被災地の人と同じ目線でかかわる

佐藤:Art Support Tohoku-Tokyo(ASTT)は、現地でパートナーを見つけるところから手探りで進めてきました。コロナ禍の2020年は、事業最終年として『Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021』と題して、東北にこころを寄せてきた人たちのかかわりをさまざまな言葉で残し、震災後の経験を未来に受け渡すウェブメディアをつくりました。

高森さんには「阪神大震災を記録しつづける会」の実践を参照させていただきながら、『10年目の手記』という企画に参加いただきました。渥美先生と宮本さんには、初めてお目にかかりますが、災害復興の現場でのさまざまな知見がおありになるかと思います。

今回は、被災地支援の先輩であるみなさんとASTTについてふりかえりながら、アートの役割と可能性について、ご意見を伺えればと思っております。事前にASTTの記録集をどさっとお送りしましたが、いかがだったでしょうか?

宮本:ASTTの10年をふりかえった記録集『震災後、地図を片手に歩きはじめる』では、初めての東北出張で地図をコンビニで買った話からはじまり、車のなかから撮影した写真が出てきますよね。あの写真で、ああそうやろうなってすごく共感しました。

僕が住んでいる大阪で、2018年に大阪府北部地震(最大震度6弱)が起きましたが、テレビをつけたらヘリコプターから街を見下ろした映像が映って、それを見ながら学者が解説をしてたんですよ。今回の地震の特徴では家屋は倒れないけどブロック塀は倒れるとか、ブロック塀は宮城県沖地震のときに問題になって法律が変わったと話しているのを見て、なんやねんと思って。まずは、ごめんなさいやろうと。法律が変わったのに倒れてしまうようなブロック塀があったのは、僕ら学者の責任なんだから。

僕らがやっている研究や実践って、ヘリコプターの上からじゃなくて、被災地の人と同じ目線でかかわることだと思うんです。かれらと同じものが見えるわけではないけれど、それでもその人たちが見ている風景を見ようとすることを大切にしたいなと思っていて。

高森:ASTTの記録集に繰り返し登場する「ただいる」や「伴走」という言葉につながりますね。

佐藤:「ただいる」ことからはじめるというのは、震災直後にアーティストからきいたのが最初でした。渥美先生は著書のなかで、「ただ傍にいる」ことの重要性を繰り返し語られていますが、みなさんが阪神・淡路大震災から積み上げてきた経験や言葉がさまざまなところを経由して、人々のなかで共有され、それが自分も含めてアートの分野でも使われているように思います。

渥美:ありがとうございます。「ただ傍にいる」ことの大切さが共有されてうれしく思います。「防災と言わない防災」というフレーズもあるんですが、これは笑い話ですけど、この前ね、若い人から「先生、そういうのは“防災と言わない防災”って言うんですよ」って僕たちが使っている言葉を教えられたんですよ。一周回って次の世代に伝わってるんだなと、うれしくなったことがありましたね。

宮本:インタビュー集『6年目の風景をきく』では、NPO西会津ローカルフレンズのお母さん二人の話が印象的でした。もともとアートに縁のない、野菜や加工品の販売、地域振興イベントをしてきた人たちとも一緒に活動してるんやなって。

佐藤:東北3県には芸術や文化に関するNPOがあまりなかったんです。ローカルフレンズのお二人は、なぜ芸術で復興支援ができるのか「ずーっと分かんなかった」と仰っていましたよね。ASTTはあくまで現地のNPOと組んで事業を行う仕組みだったので、アートに馴染みのない方々がパートナーになることも多かった。でも、そうやってわけのわからないものにずっと付き合ってくれた人たちは、その後、結果的にアートを「使いこなす」ようになるなと思いました。最近では、自ら補助金を取ってワークショップをしながら空き家の改修などをしているそうです。

ASTTに参加してくれたアーティストは、モノとして作品をつくるよりも、アートを掲げることで既存の社会的な関係性をずらして、一人ひとりと関係を築きながら協働的な場をつくっていくようなタイプなんです。わたしたちプログラムオフィサーの役割は、そうしたアーティストと地域の人たちとの間をつなぐこと。だから一枚目の写真のように、車を運転している地域のパートナーがいて、隣に案内してもらっているアーティストがいて、その後ろの席に自分たちが座っているというのは関係がよく表われていると思いますね。

ASTTの記録集とジャーナルを事前に読んでいただいた。PDFはこちらで公開中

「する/される」から「する/する」関係へ

宮本:僕ら防災や復興の研究者は、役に立つことを期待されてるんですよね。でもそれって、人の力を引き出すとか、地域のなかで活動が回っていくためには不利なんですよ。上下関係をうまいこと崩さなあかん。その点、アートは役に立つ必要はないし、最初からフラットに地域に入っていきやすいんかなと思いますね。

高森:「専門家」が現れると、支援される人というアイデンティティを持ちやすいですよね。その一方で、美術家のきむらとしろうじんじんさんの野点(のだて)を例に見てみると、ドラァグクイーンの格好をしたじんじんさんを受け入れることで、地域の人がじんじんさんを支援する感じがするのがおもしろいなと思いますね。

宮本さんが宮城県気仙沼市で出会った馬場国昭さんの話を思い出します(*1)。国昭さんは、東日本大震災が起きて、最初は自分が「まわりの風景に埋没していた」と語っていました。そこで何をはじめるかというと、家の前を歩いているボランティアに「お茶飲んでけや」って声をかけるようになるんですよね。さらに宿も提供しはじめる。国昭さんは、支援する人を支援することで埋没していた場所から浮かび上がったんじゃないでしょうか?

アートの現場では、「支援される人」が見えないんですよね。がんばってるアーティストがいるから支えたろか、みたいな空気になっていく。「被災者」としての自分が前に出ている状況が続くなかで、「大丈夫か?」「こんなんで食べていけるんか?」とかって言いながら、アーティストっていう、なんだかよくわからない存在を支える。そういう「する/される」関係を「する/する」の関係にするのがアートの特徴ではないかなと思いました。

佐藤:確かにそうですね。アーティストだけではなく、サポーターの学生も含めて、個人の関係ができてくると「どうやって生きてんの?」って、世話を焼いてくれますね。

渥美:ただ、わたしたちも専門性を期待されたところで、出せるときと出されへんときがあってね。だんだん付き合いが深まってこいつ何も持ってへんねやっていうことがわかると、高森さんが言うように、このまま帰したらかわいそうやなと思うみたいで、「書くネタあったか?」ってきいてくれたりするようになるんですよ。そして、「俺らこんなことやってんけど」って、自分らがやってはることを教えてくれるようになったらしめたもんです。こうした内発的な言葉は、「よそもの」がおったほうが生まれるように思いますね。

2012年10月7日 岩手県大槌町 じんじんさんの野点は、素焼きのお茶碗と窯、お茶道具一式をリアカーに積んで、まちのさまざまな場所で行われる。参加者はお茶碗を自作して、お茶を楽しむ(撮影:梅田彩華)

他者を信じて受け入れる力

佐藤:渥美先生は、新著『誰もが〈助かる〉社会 まちづくりに織り込む防災・減災』で「防災・減災3.0」を提唱されていますよね。専門家主導で行う「1.0」、楽しみながら取り組む、防災と言わない防災「2.0」そして、既存のまちづくりに防災を織り込む「3.0」でしたよね。

これを読んで、ASTTや東京アートポイント計画は、顔が見えるコミュニティを目指しているので、防災にもつながっているのだなと思いました。こうした関係性は、地域で何かあったときのセーフティーネットになるのではないかと考えています。

渥美:そうですね。主体はそこに暮らす人たちですから、もともとあった活動にさらに一人ひとりが声を発する場をつくることは、防災につながっていくと思いますね。

佐藤:渥美先生の「遊動化のドライブ」というキーワードにも共感しました。マニュアル化など社会に馴致させようとする「秩序化のドライブ」に対して、目の前にいる被災者を第一に考えて臨機応変に動こうとする視点ですよね。それこそ、都内の「日常」においても、アーティストがかかわると遊動化が起こります。かれらは社会的に大きな言葉で語られるような話になった瞬間にそれを崩そうとする習性がある。だからこそ、コミュニティにおいてこれまでとは異なる回路をひらく役割になりうるんですよね。がしかし、そうした現場にかかわる人たちも、自分たちがやっていることに慣れて「うまく」なっていくと同時に、秩序化はしてしまう。それにどう抗っていくのかはいつも悩んでいます。

宮本:被災したときって、自分たちだけではどうしようもないから、外からの支援をうまいこと使える地域がいい復興をするんですよね。でも、よそから来た人ってよくわからないから怖いじゃないですか。だから、実は「他者を信じて受け入れる力」のようなものが復興の肝やと思うんです。よくわからないアーティストを受け入れる経験をした地域は、災害時にもいろんな人たちを受け入れられるんやないかな。そう考えると、ASTTは東北3県の、東京アートポイント計画は東京都の防災において、重要な役割を担っていると思います。

佐藤:他者を信じて受け入る力、確かにそうですね。しかし、年々人と一緒に何かするときに、分担する技術だけが高まっている感じがありますね。それってただ仕事を得意な人に割り振っただけで、相手に何かを委ねるとか、誰かと一緒にやることで生まれる可能性が小さくなっているような気がします。アートは、初めてのことに驚いて、悩んで、何かを獲得するプロセスがおもしろい。そして、最後に誰もが予期しなかった風景に出会うことができるのが醍醐味だと思います。他者に委ねる信頼がないとできませんが、自戒も込めて、それが苦手な人が多いなと感じますね(笑)。

宮本:いまの日本社会の弱点やと思いますね。大学の授業でも、グループ活動をするとすぐ分担しよるんですよ。分担したらあかん。いかにその面倒なプロセスを一緒にやるかですよね。

高森:佐藤さんのテキストに出てくる「ただいる」、宮本さんの「めざす」のではなく「すごす」というキーワードは、すべて「対話」につながる在りようだなと思います。対話って、会話でも議論でもなく、ただ相手の声を受け取っている表明をするようなやり取りだと思うんですよね。成果に捉われず、対話をするレッスンが必要だなと感じます。

佐藤:そうですね。

高森:渥美先生が共著『災禍をめぐる「記憶」と「語り」』で、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』の話をする箇所があります。「いくら深刻な問題が横たわっていようとも、また、いかに政治的な偏向が作動しても、人々による不断の対話を進めていく姿勢が求められるべきであろう。(中略)“忘却の霧”が完全に晴れることが、完全に正しいのかどうか、そのことさえもが不断の対話による解決に持ちこまなければならないということを忘れずにいたい」と。わたしは、ここで「解決」という言葉を使われていることに驚きました。

宮本さんの表現を借りると、たとえ叶わないとしても、「めざす」ことを忘れずに「すごす」ということでしょうか。「めざす」と「すごす」は二項対立ではないと理解した上での整理なのですが、「すごす」だけではどうしても納得できない悲しみがありますよね。自分の愛する人が戻ってきてほしいと願ってしまうのが「めざす」だと思うんですよ。でも、それは叶わない。だから、生き返ってほしいと願う「めざす」自分は忘れない。その上で「すごす」という在り方なのかなと。

わたしたち人間は、未来に向けた「めざす」しかできなくなってしまうことが多い生き物だと思うんですね。そういうときにアートは、何かを目指しながらも、現在にともにいることができるように思います。

渥美: あの小説は、すべてが明らかになると主人公たちはあまりよくない関係になってしまうと思いますね。対話っていうのは、これは言わないでおいていいんじゃないかっていうことを互いに了解することちゃうかな。「解決」という言葉を使ったのは、「わたし」が解決するのではなく、その場にいる人たちが一つひとつ解決という名の「同意」を暗黙にでもとらないといけないことをわかっておこう、と言いたかったのだと思います。

事前に送っていただいた本や論文

喪失を支えてくれるような選択肢を増やす

宮本:東日本大震災は、これまでで最も「課題」という言葉が多く使われた災害だと思います。当事者は、問題が自分たちでは解決できないほど大きなものに感じられると、どんどん元気が奪われていってしまう。だから外の人は、まずは課題解決ではなく、当事者性を回復することが大切なのではないかというのが、「めざす」と「すごす」で考えたかったことでした。

高森:国昭さんの場合は、支援する人を支援することで当事者性を回復したということですよね。問題はなくならないけど、もう一つの立場を得たことでバランスが取れるようになる。関係性がすべて破壊されるのが災害だとすると、外から人がやってくると、新しい関係をつくらざるを得なくなりますよね。そのこと自体がきっと大きな意味での対話なのだと思います。

宮本:都市計画が専門の平井邦彦先生が、「損失と喪失は違う」と言うてはりました。損失は量で測れて回復可能だけれど、喪失は測れないし、取り戻せない。だから壊れた建物は損失で、亡くなった人やまち並みは喪失だと。本当に深刻な問題は、喪失の方ですよね。外の人がそこでできることって、その人の選択肢を増やすことやと思うんですよ。喪失を支えてくれるような選択肢を。見える風景を増やしていくのはアートの機能に似てますよね。白黒の二者択一じゃなくて、グレーじゃなくて、虹色みたいな感じでね。

渥美:課題は解決せえへんけど、問題への向かい方は解決するように思いますね。

佐藤:選択肢を増やすというのは、その通りだと思います。何かあるといつも「いま、アートは必要か?」という議論が起きますが、そもそもの問いの前提を問い直したり、時間の尺度を変えたり、新しい価値観を提示したりすることがアートの役割だと思いますね。

この10年をふりかえると、震災から3年、5年の節目を経た頃から外部支援が減少して、主体形成を促す対話を生み出す他者、つまり外の人が減っていきました。それが閉塞感を生んでいた。「ほかの地域はどうですか?」ときかれることも増えました。そこで、東京からできることは東北内外の関係をつなぎ直すことではないかと思い、ジャーナル『東北の風景をきく FIELD RECORDING』を発行することにしたんです。メディアづくりを口実に東北にかかわるきっかけをつくることができないかなと。ASTTが終了したいま、外からのかかわりをどのようにつくったらいいのか悩ましいですね。

終わらせ方と格闘する

渥美:阪神・淡路大震災から26年、新潟県中越地震から16年経ちますが、そのときどきでいろんなものを使って関係を続けていますね。たとえば、お祭りなど毎年の恒例行事。それから、神戸から新潟、新潟から東北、東北から熊本のように、被災した人たちが次の被災した人たちを支援する「被災地のリレー」です。互いの具体的な悲しみはわかり合えないけれど、それが他者に理解されにくいということを知っている者同士が出会うというのが大事だと思っています。

地域の人たちが主体的に活動することを目指してやってきましたが、そうすると逆に外から新たな人が入りにくくなるんですよね。そこで、時期や人、場所を変えることで同じことを間欠的にやっていくのがいいように思います。

佐藤:確かに、定期的に通う理由があるといいですよね。

渥美:お互い年も取るしね。2014年に岩手県野田村に桜の木を植えたのですが、いつかここで一緒に花見をしようって話してるんですよ。支援だとか復興じゃない理由で会える場を仕込むのは大事だなと実感しています。

佐藤:支援じゃない関係になったり、まちづくりの活動に防災が織り込まれていったりしたときに、「終わり」という概念は発生するのでしょうか?

渥美:研究は終わるけど、人と人の関係は終わらないように思いますね。でも、終わらせないかん場合もありますね。僕が阪神・淡路大震災を経験したのは34歳になる年でしたが、当時の50歳ぐらいの人たちは学生運動経験者で、ある意味うっとうしく感じることがあったんですよね。下の邪魔をするんやったら、おらんほうがええなと思ったことさえありました。だから自分たちも、ある程度のところでうまく消えて次に移らないと、進歩しないなと思うことがあります。人生もそうですが、終わらせ方についてはまだ格闘していますね。

宮本:新潟県中越地震は、「復興とは何か」という問いが初めて出てきた災害だと言われています。中山間地域における過疎化の問題もあったので、物理的な被害を単に元に戻すだけが復興じゃないのではないかと。それまで復興って、何かが変化したり、育っていったりするものだと思っていたのですが、峠村で寅吉さんというおじいちゃんに出会ってそれは違うかもしれないと考えるようになりました。

寅吉さんは、自宅が全壊したのに避難所には行かず、自分で車庫を改造して、冬の間そこに篭ってウサギを捕ったりして過ごして、次の年の春には「行政を待ってたらいつになるかわかんねえ」って言って、田植えを再開しました。最後は役場職員が「とにかく避難してもらわんと、俺らの顔が立たないから」って土下座したもんだから、しょうがなく昼間は避難所に「出勤」して、夜はこっそりまた家に帰るっていう生活をしていたんですよ。それを見て、結局、変わらないものが何かわかることが復興なんちゃうかなと思いましたね。これは活動を続けたり、終わらせたりする指針の一つになるんじゃないでしょうか。

2012年5月20日 福島県南相馬市 新潟県中越地震で被災した塩谷集落の人たちが山菜天ぷら蕎麦の炊き出しを行った、「被災地のリレー」の様子(撮影:渥美公秀)

言葉が生まれる土壌をつくる

高森:渥美先生の論文に、2004年の新潟県中越地震で被災した塩谷集落の元区長が、2007年の新潟県中越沖地震で被災した刈羽村の方々に手紙を送った話がありますよね。仮設住宅に暮らしていた塩谷集落の人たちは、今後の身のふりようを数週間で決めなければならなかった。その経験から、「どうしても不安から、少しでも早く自分の進路を決めたくなります。でも、あせらないで下さい」 と手紙に書かれていたと(*2)。集落を離れるか留まるか、二択しかない切迫した状況でそんなことを言われてもイライラする人もいるでしょうが、手紙を受け取った方は「救われた」と語っていた。これはつまり、選択肢が増えたということだと思うんです。そして、塩谷集落の人が焦って決めてしまった後悔を、刈羽村の人が受け取るということも生まれた。

選択肢を増やすことと、経験を次につなぐことが起きたのは偶然ですが、渥美先生がいろいろな地域に「よそもの」としているなかで、言葉や関係がだんだんと共有されていって、合理的なネットワーク化とは異なる、ゆるやかなつながりが生まれていったことが肝だったと思いますね。中間支援的な外部支援者が、ある場所の声や言葉が、郵便的にどこかに届くかもしれない可能性をつくる。かたちになるのは10年とか、もっと先かもしれませんが、とても重要なことだと思います。

佐藤:その時間の長さは、「文化」の役割に相応しいですね。

渥美:言葉が生まれる土壌をつくって、言葉を紡ぎ出す地域の人たちと一緒になって、ああでもないこうでもないと言い合うのは、アートでも防災の現場でも共通するやり方ですね。アートがきっかけで地域のよさに気づいたり、震災をきっかけに戦争や差別に思いを馳せるようになったり、アートも防災も互いに学び合って、次の何かにつながっていったらいいなと思います。


注釈
*1 宮本匠『災害復興における“めざす”かかわりと“すごす”かかわり−東日本大震災の復興曲線インタビューから』(2015年)に詳しい。
*2 渥美公秀『災害復興過程の被災地間伝承:小千谷市塩谷集落から刈羽村への手紙』(2010年)に詳しい。


▼プロフィール

渥美公秀(あつみ・ともひで)
大阪大学大学院人間科学研究科教授/(認特)日本災害救援ボランティアネットワーク理事長
1961年大阪府生まれ。1985年大阪大学人間科学部卒業。1989年フルブライト奨学金によりミシガン大学大学院に留学、1993年博士号(Ph.D.心理学) 取得修了。1993年神戸大学文学部助教授。1997年大阪大学大学院人間科学研究科助教授などを経て、2010年より現職。自宅のあった西宮市で阪神・淡路大震災に遭い、避難所などでボランティア活動に参加。これをきっかけに災害ボランティア活動の研究と実践を続けている。主な著書に『災害ボランティア』(弘文堂、2014年)、共編著に『誰もが〈助かる〉社会』(新曜社、2021年)、『東日本大震災と災害ボランティア』(大阪大学出版会、2021年)がある。

宮本匠(みやもと・たくみ)
兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科 准教授
1984年大阪府東大阪市生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。2004年新潟県中越地震の被災地でのアクションリサーチをはじめとして、内発的な災害復興はいかに可能かという問いをもちながら、東日本大震災や熊本地震などの被災地で支援活動を通した研究を行っている。共編著に、『現場でつくる減災学』(新曜社、2016年)、近著に「人口減少社会の災害復興の課題:集合的否認と両論併記」(『災害と共生』、2019年)がある。特定非営利活動法人CODE海外災害援助市民センター副代表理事。

高森順子(たかもり・じゅんこ)
愛知淑徳大学助教/阪神大震災を記録しつづける会事務局長
1984年兵庫県神戸市生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。1995年阪神・淡路大震災の経験を表現する人々とともにアクションリサーチを行い、被災体験の分有のあり方について研究している。2014年に井植文化賞(報道出版部門)受賞。近著に「声なき被災者の経験を未災者に伝える」(岡部美香・青山太郎との共著『シリーズ人間科学6 越える・超える』)がある。

佐藤李青(さとう・りせい)
アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー
1982年宮城県塩竈市生まれ。国際基督教大学卒業。東京大学大学院人文社会系研究科(文化資源学)博士課程満期退学。小金井アートフル・アクション!実行委員会事務局長として運営組織と活動拠点(小金井アートスポット シャトー2F)の立ち上げを経て、2011年6月より現職。東京アートポイント計画、Tokyo Art Research Lab、Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)を担当。ジャーナル『東北の風景をきく FIELD RECORDING』編集長。


▼お知らせ

Tokyo Art Research Lab「思考と技術と対話の学校」では、Art Support Tohoku-Tokyoでの経験を引き継ぎ、ディスカッション「災間の社会を生きる術(すべ/アート)を探る」を開催します。7月上旬にウェブサイトにて募集を開始予定です。

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