ライブラリー

アーツカウンシル東京ブログ

アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

東京アートポイント計画通信

東京アートポイント計画は、地域社会を担うNPOとアートプロジェクトを共催することで、無数の「アートポイント」を生み出そうという取り組み。現場レポートやコラムをお届けします。

2022/02/17

日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈後篇〉

「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」を行っている、NPO法人アートフル・アクション事務局長の宮下美穂さん。

いま、まちのなかでアートを営むときに大切な視点、姿勢とは何か。そんな問いを、アートプロジェクトの担い手と一緒に考えてきた東京アートポイント計画の「プロジェクトインタビュー」シリーズ。今回は、2021年度より東京都多摩地域(*)を舞台にアートプロジェクト「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」を実施する、NPO法人アートフル・アクション事務局長の宮下美穂さんを訪ねました。

*多摩地域:東京都の人口の3分の1にあたる400万人超を擁し、面積もその半分を占める、都道府県レベルの規模を持つ30市町村。

多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」は、小金井で2011年から10年間活動したプロジェクト「小金井アートフル・アクション!」を踏まえ、そこで得た経験や技術を、より広域のエリアで活かしていこうと始まった取り組みです。その大きな特徴は、多摩ですでに活動している誰かと一緒にプロジェクトを行うこと。

例えば、学校の図工の先生たちとネットワークづくりをしたり、社会的養護を必要とするこどもたちの施設の職員さんとワークショップを行ったり、さまざまな社会的・環境的な背景を持つ多摩という場所についてみんなでフィールドワークをしたり。こうした活動を通して、宮下さんは、「自分たちの足元の揺らぎを感じ、佇み、見えてくるものを捉えたい」と語ります。

今回、ともに話を聞いた東京アートポイント計画ディレクターの森司は、こうした宮下さんの活動内容、そしてプロジェクトの運営手法には、一見わかりやすくはないものの、現在の文化事業や社会とアートの関係を考えるうえでの大きなヒントがあるのではないか、と言います。キーワードは「微弱なもの」。そのヒントを、二人の対話から探っていきます。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:川村庸子/撮影:加藤甫)

日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈前篇〉

■足元の揺らぎと、不定形なナメクジ

――前篇ではプロジェクトに通底する宮下さんの考え方や、現代におけるその重要性を中心にお聞きしましたが、後篇は活動の中身についてもお聞きできればと思います。まず気になるのは、事業名の「地勢図」です。ここには宮下さんが造園家をされていることも関係するでしょうが、辞書を引くと「地勢」には、「土地のありさま」のほかに「人の地位・立場」「よって立つ所」の意味もある。なぜ、この言葉を付けたのですか?

宮下:おっしゃるように、人の足元にかかわることだと言えるかもしれません。そこには、揺らぎや変化がつねにある。固定されたものなんかなくて、揺らぎのなかに自分たちが生きているということ。そして揺らぎ自体も変化していく。それをそのまま引き受けようという思いを込めていますね。

それから、サブタイトルに「cleaving」という言葉を使いました。これは、荒川修作とマドリン・ギンズから教わりました。「cleave」という動詞には、「切り裂く」と「くっつく」という意味があります。切り離すことは接合することではありませんが、切り離すべき何かがなければ、こうした行為は存在しませんよね。切り離すことは、何が結ばれていたのかを炙り出します。

これは、ものの見方を変えることとは異なります。荒川さんは「切り結ぶ」と言っていましたが、外から「私」を見て相対化し、視点を変えることで、これからの私たちの暮らしについて、新しいまなざしを得ることができないか、という仮説でもあります。立脚点をずらしていくことで、その回転運動が血流を良くし、あるいは呼吸をしやすくするのではないかと考えています。

――僕は地元が小金井の隣の国分寺なのですが、今回、宮下さんたちが「ゆずりはをたずねてみる」(以下「たずねてみる」)でかかわるアフターケア施設「ゆずりは」が地元にあることに驚きました。恥ずかしながら、こうした施設があることをこれまで意識しなかったからです。宮下さんたちはこの活動で小平市の児童養護施設「二葉むさしが丘学園」(以下「二葉」)にも行かれていますが、こうした施設は多摩に多いのでしょうか?

宮下:多いと思います。そこには、土地が安くて広いという背景もありますね。ほかにも、国立精神・神経医療研究センターやハンセン病の施設があるのは、サナトリウム(結核等の療養所)の跡だったりする。都心から離れた場所に忌諱されるものを置こうという力はずっと働いてきた。

自分たちの暮らす地域についてリサーチする「たましらべ」では、多摩の過去の軍事施設の分布や、ハンセン病療養所や児童自立支援施設などの設置経緯、多摩センターの開発、水道や鉄道のインフラの歴史も調べました。『都市のイメージ』で知られる都市計画家のケヴィン・リンチではないけど、都市の「エッジ」にそういうものが集まってくる。だから「地勢図」は、「地政図」でもあります。ある種のパワーを人はどう扱ってきたか。そこから、同じく周縁化された福島から眺めてみると、我々東京はどのように見えるのか、という問題意識も生まれます。

――前篇に出てきた「ゆずりはのジャム」を認識することではないですが、たしかにそうした視点を得ると、自分のよく知ったエリアの見え方が揺さぶられる感覚があります。

宮下:そういう足元の揺らぎを感じていたいのです。それで言うと、このプロジェクトのあり方をうまく表しているのは、札幌市立大学の須之内元洋さんというデジタルアーカイブ設計者につくってもらった、プロジェクトのウェブサイトにあるビジュアルかもしれません。ページを開くとトップ画面にナメクジみたいなやつが4匹いるんですが、実はこれ、アーツカウンシル東京の紫色の三角形のロゴと真反対になっています(笑)。

――そうなんですか(笑)。

宮下:アーツカウンシル東京のロゴはとても強くて、ロゴとしては機能的で正解なんだけど、私たちはできるだけ強くないものでズラしたい、と。須之内さんは面白がってそういう意図を汲んでくれたと思います。

森:こういうことをこっそり仕込んでいるから、面白いですよね。ラッピングが絶妙すぎてめくじらを立てられないけど、感づく人は何か気づく。微弱なマネジメントですね。

宮下:カーソルで触ると不定形かつ微細に動く仕様で、捉えどころがありません。無数の線で構成されたロゴも、別のデザイナーには「ロゴとして機能していない!」と言われましたが、とても気に入っています。

「多摩の未来の地勢図」のウェブサイトのトップ画面にある、ナメクジのようなビジュアル。

■「勝手な盛り上がり」と、密かなズラし

――さきほど「事業の拡大が早い」というお話がありましたが、その背景にはこれまで小金井を拠点に活動してきた10年間もあるんでしょうか?

宮下:それはあると思います。私たちの活動では「わからなさ」を撒き散らかしてきたから、みんな耐性ができていたのかもしれませんね。小金井のときに学校連携プログラムを一緒にやっていた先生たちも協力してくれました。

拡大が早いのは、今日の「微弱さ」云々みたいな話を、例えば「ざいしらべ」を一緒にやっている学校の先生たちが共有しているからというより、やっぱり単純な楽しさもあると思います。今日、先生たちと竹林から材料をつくるワークショップの会議をしたのですが、勝手に盛り上がっているんですよ。夏には竹ひごをつくるワークショップをしました。ホームセンターなどで数十円で売っているものだけれど、これがとても奥が深い。大人が集まってただ竹ひごをいじらないでしょう? それにみんなハマっている。

――「ざいしらべ」では、図工の先生たちと素材の実験や研究、素材を集めてみんなが使えるようにした拠点づくりなどをしているんですよね。宮下さんが強く問題意識を共有するようなディレクションをしているわけではなく、むしろ自然に現場が温まっている。

宮下:道を定めないでよその船にしれっと乗らせてもらい、ときどき「うーん、何か違うんじゃないですか?」と言ってみたり、明るく「こんなことできます!」と言って、結局やらなかったり。そんな風に相手の文法に乗らせてもらいつつ、ときどきそれをズラすようなことをしていたら、今度は、先生たちが自分で竹を切りに行くということになったんです。

最近は大抵、教材は業者から買うじゃないですか。竹ひごづくりは案外危ないし、綺麗に仕上げるのは難しい。でも、シンプルな繰り返しに、たぶん竹の面白さを感じたんじゃないかな。竹林だけこちらで探したら、近くの小学校に集まって、自分たちで竹を切って加工する、と。事業でリアカーを買ったんです。素材は業者が車で運んでくるのが当たり前な人たちに、リアカーどうぞ、と。そうやって徐々に働きかけていって、「自分でできる感」を拡張してほしいんですね。

いま、自分の授業に自信がないと話す先生に、直径40cm、長さ4mの丸太を渡して大きなノコギリでただ切る、というワークショプを小学6年生と一緒にやってみないかと提案しています。これは、「無茶で無駄なことを教育の現場でやってもいいかもしれないね。それはそれぞれの限界を拡張するかもしれないね」というメッセージでもあります。もちろん、私たちも決して何かを教えるのではなく、必死に伴走しています。

――ワークショップや活動を一緒にやっていくなかで、いつのまにか、自分の見るもの、できることが広がっている、と。

宮下:素材は軽トラで運んでもらえるものだと思っているから、「自分でリアカーで運んで」と言われてみなさん最初は驚きますけどね。

森:それはひとつのコミュニティ形成でもあるんですよね。いままで「軽トラで運んでもらうコミュニティ」だったものが、知らぬ間に「竹を切ってリアカーで運ぶコミュニティ」になっている。コミュニティって、共通の体験がないと形成されないから、そうしたものができることで参加者のなかの「大切なもの」が微妙に変わっていくはずなんです。それを強制しないで促せるとしたら、これはアートの得意技だと思います。

図工の先生たちと素材や技術の共有をする「ざいしらべ」にて、東村山市の山に入って竹を刈ったときの様子。

宮下:一方、「たずねてみる」の方は、いまはまだアクセルをあえて全開にせず、ほどよい状態にしている部分があります。このプログラムでは、さきほど名前の挙がった「二葉むさしが丘学園」に、演劇ワークショップを専門とする花崎攝(せつ)さんに入ってもらっているのですが、彼女が100%の力を出すとすごく面白いと思うんです。ただ、まだアクセルとブレーキを交互に踏んで何かが湧き上がってくるのを待っています。というのも、そこにいる人たちの「船」に乗せてもらおうというとき、そんなに急ぐともったいないと思っているから。焦らなくてもできることがあるし、むしろその「あわい」のような時間のなかで、ゆっくりと、見えてくるものを大切に感じたい。

森:アートプロジェクトをマネジメントするとき、多くの人は既定のやりやすいレールや正義に乗ってしまう。でも、児童養護施設にいるこどもたちというのは、複雑な事情や背景や現状を抱えています。その子たちの持っている複雑さが、プロジェクトの進め方を「これでいいのだろうか」と問い直すきっかけになるかもしれませんね。

だから「たずねてみる」は、やりながらこちらが鍛えられていく活動だと思うんですよ。初めから目指す完成形があるんじゃなくて、更新していくものだろう、と。むしろ現場が発している微弱なものを、こちらが受信機として引き取れていれば、事業という航海における海図の読み違いもなく、行き着くところに行くんじゃないか。そう感じています。

宮下:それは唯一確信しています。その海図の深さと豊かさが生きる糧にもなると思いますね。

児童養護施設の職員を対象とした「ゆずりはをたずねてみる」。楽器の奏でるささやかな音に促されて、和紙に思い思いに絵を描いたときの様子。

■役割を超えて、こどもの複雑性に出会う

――「たずねてみる」では、施設のこどもたちではなく、むしろそのケアをする職員さんを対象に演劇的なワークショップを行なっているそうですが、なぜでしょうか?

宮下:施設のこどもたちの複雑性という話があったけど、職員さんは社会正義に燃えた真面目な方が多いと思います。私は、かれらがこどもたちが持っている複雑さに感応することがとても大事だと思っています。

職員さんはこどもたちに社会で生きていくうえでの「正しさ」を示します。もちろん、それはとても大切な仕事なのですが、一方で、人間の本質はどちらかというとこどもたちの複雑性の方にあって、職員さんたちに、この複雑さのなかに没入してほしい。職員さんはすごく真面目で、「何かをしてあげたい」「助けたい」とつねに思っている。でも、その真面目さゆえに折れてしまう部分もあるのかなと。むしろ、この子たちが抱える辛さとか傷つきやすさに、職員さんが自分自身のなかにある同じようなやわらかさを持って出会うと変わっていくのではないでしょうか。

――「二葉」にはどのくらいのこどもがいるのですか?

宮下:定員は78人です。0歳から高校生までいますからね。いろんなプロセスを経て入所していると思います。来年から施設を出ないといけない子は一人暮らしの練習もしています。本当にいろんなことを教えてくれますね。私たちがいま主に関わっているのは、小学生から高校生までが何人かのグループになり、そこに職員さん4~5人が交代で入って一軒家に住む、グループホームです。こうしたグループホームが「二葉」の周りに点在していて、そこから学校に通うこどももいます。

そうしたなかで、ワークショップは職員さんが対象だけど、ときどきこどもが来てくれたんです。そうすると職員さんは自分の時間から、こどもが主役の時間にスイッチが変わる。それまではその辺でリラックスしてストレッチをしていた人が、こどもの前では「ザ・職員」になってしまう。そういう関係ではないところで、何かできたらいいなと。

――社会的な役割で接してしまう部分がどうしてもあるのですね。

宮下:そう、役割に生きてしまうんです。例えば、こどもをお風呂に入れることを「入浴介助」と言うんですよ。「お風呂に入れる」でいいじゃんね、と思うんだけど。

――そういう関係に疑問を持っている職員さんもいるんですか?

宮下:そう感じる人は自然に変わっていくんでしょうね。ときどき覗きにくる私と同年代の方は、お父さんでもお兄さんでもスタッフでもない、「その人」としてこどもと接しています。だけどあくまでも職員として、距離を変えない人もいると思います。それはそれで大切なスタンスであることは間違いありませんが。

こどもとの距離を相手の状況に合わせて柔軟に変えるのは、すごく難しいことだと思います。それは、こちらが成熟していないとできない。ここまでは大丈夫とか、ここから先はダメとか、そういう境目を自分で判断して状況と相手に合わせてコントロールできるのは人間として、職員として高度な技能です。いつも同じ顔をしている方がある意味では楽でしょう。でも、そこを超えないと本当の人と人との関係はつくれないと思います。

正直、壁はありますが、職員さんに「職員」の顔を外すことをしてほしい。いつかそれを攝さんにやってもらえたら。ただ、それはもう少し機が熟してからだと考えています。

東京アートポイント計画のディレクター・森司とともに話を伺った。

■重なる日常と時間が支えるもの、変えるもの

森:冒頭で宮下さんは、「初めてアートが役に立つと感じた」とお話しされましたよね。そのように言うようになったことが、重要だと思うんです。おそらく、小金井の事業をやっていた頃から同じことは感じていたはずですよね。でも、いまは「アートが役立つ」とあえて口にしないといけない感じがあるということなんじゃないか。そしてそれは、美術館のなかにあるアートや戦争的なアートではなく、微弱なアートが役に立つという意味だと思います。

宮下:役に立たないものが、一番役に立っていることがありますよね。もっとも役に立たないものが、それでも居ていいと言われる、その承認が大事だと思います。

あと、アートって、曖昧さの幅がほかのジャンルに比べて広いですよね。そのあやふやな広さがあるからこそ通り抜けられる道がある気がしています。例えば、あるものとあるものが対立しているとき、その間の細い道をアカデミックな四角い箱では通れないけど、このウェブサイトにあるようなナメクジみたいな存在は通り抜けられるんじゃないかな、と。

森:アートは、役に立たない存在です。逆に何かが役に立たなかったら、それをアートだと認定してあげれば良い。大抵、多くのアーティストは、アートと言いながら妙に役に立つものをつくってしまう。役に立たないものをつくるのは意外と難しくって、これだけ意図に溢れた人工的な世界に生きていると、そのあり方がなかなかイメージできない。だから本当に名付けようのないものには、翻って貴重な価値が生まれることもあるんですよね。

今日の会話で、宮下さんが大切にするそうした「微弱さ」のニュアンスがどのくらい言葉にできたかというと、またうまく煙に巻かれた気もするけれど(笑)、ひとつだけ、ある人にとって一見わからないことをやっている人たちが、その人自身もわかってないわけではない、ということは言っておきたいですね。実はそこには確信があって、無闇にやっているわけではない。早急に説明する言葉を用意することもできなくはないけど、そうすることで失われるものがあるから、それならそっとしておいてほしい気持ちもある。言葉から逃れる密やかな時間が長ければ長いほど、ゆっくりと大切なことが育つんじゃないでしょうか。

宮下:今日は家族の話をしましたが、家具をつくったり、建物のリノベーションをしている弟は早くに連れ合いを亡くして、男手ひとつでこども3人を育てています。朝、こどもたちのお弁当をつくって、掃除や洗濯をして、学校に送り出して、仕事に行く。そういう日々を送っています。

私はそれを見ていて、大きな喪失のなかで弟が破綻せずになんとかやってこられたのは、まさにそうした日常の生活があったからではないか、と思うんです。生活には、依存とは違う寄りかかりがある。それに弟がいかに支えられたか。お弁当をつくることから始まる日常を通して、弟の方がよほどこどもたちに育てられた感覚があると思う。末の娘は出生後1年以上、病床の義妹を家族が看護するために児童養護施設で育てていただきました。こどもたちはこどもたちで深いところで、人として何かを感得した感じがします。

時間というものは面白いですよね。施設の職員さんたちも何かのきっかけでこどもたちと新しく出会うかもしれない。何かの時間や経験がその人を変えていくかもしれない。そのときに一発で変わるのではなくて、日々のなかでささやかな何かが重なりながらが変わっていくんだと思う。そういうものだと思っています。


Profile

宮下美穂(みやした・みほ)

NPO法人アートフル・アクション事務局長
2011年から小金井アートフル・アクション!の事業運営に携わる。事業の多くは、スタッフとして市民、インターン、行政担当者、近隣大学の学生や教員などの多様なかたちの参加によって成り立っている。多くの人の経験やノウハウが自在に活かし合われ、事業が運営されていることが強み。日々、気づくとさまざまなエンジンがいろいろな場所で回っているという状況に感動と感謝の気持ちを抱きつつ、毎日を過ごしている。編み物に例えると、ある種の粗い編み目同士が重なり合うことで目が詰んだしなやかで強い布になるように、多様な表現活動が折り重なり、洗練されて行く可能性を日々感じている。

多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting

文化や歴史などの「地勢」を探ることを通して、一人ひとりが自分の暮らす足元を見つめ直すプロジェクト。2011~2020年度に東京アートポイント計画と共催した小金井アートフル・アクション!が、これまでの経験を活かして中間支援的な働きをしながら、小学校や児童養護施設など多様な団体と協働して事業を行っている。
https://cleavingartmeeting.com
*東京アートポイント計画として2021年度から実施

最近の更新記事

月別アーカイブ

2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012