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アーツカウンシル東京ブログ

アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

東京芸術文化創造発信助成【長期助成】活動報告会

アーツカウンシル東京では平成25年度より長期間の活動に対して最長3年間助成するプログラム「東京芸術文化創造発信助成【長期助成】」を実施しています。ここでは、助成対象活動を終了した団体による活動報告会をレポートします。

2023/05/25

第15回「舞踏アーカイヴプロジェクト」~新たなダンスアーカイヴの創造~(前編)

開催日:2023年1月24日(火)19:00~21:00
開催場所:アーツカウンシル東京およびZoomウェビナー
報告団体名:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想
登壇者[報告者]:
溝端俊夫(特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想 代表理事)
飯名尚人(特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想 理事/Dance and Media Japan主宰)
岡登志子(アンサンブル・ゾネ主宰、振付家)
川口隆夫(ダンサー、パフォーマー)
田辺知美(舞踏家)
司会:水野立子(アーツカウンシル東京 シニア・プログラムオフィサー)
※事業ぺージはこちら


時代の中で変化するダンスを記録し、新たな価値を次世代に伝えるためのアーカイヴの創造を目的に活動している特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想(以下、ダンスアーカイヴ構想)による「舞踏アーカイヴプロジェクト」は、以下の3つの柱で実施された。

■場所を持つアーカイヴから、ヴァーチャルなアーカイヴに発想を転換した独自のシステム[舞踏デジタルアーカイヴ]を開発・公開。

■世界における舞踏の活動状況を俯瞰できるように定量的、定性的なデータを収集する[舞踏リサーチ2017-2019]を実施し、冊子『舞踏という何か』を発行。

■アーカイヴ資料を活用した作品創作と発表を行う実例を示し、アーカイヴの意義を周知する[リコンストラクション試演]を開催。岡登志子、川口隆夫、田辺知美が作品を発表。


【前編:報告会レポート】


登壇者(左から):川口隆夫、飯名尚人、溝端俊夫、田辺知美、岡登志子
(撮影:松本和幸)


舞踏、ダンスにおけるアーカイヴの取組みの先駆けとして活動してきたダンスアーカイヴ構想が、2017年から3年間にわたり、東京芸術文化創造発信助成【長期助成プログラム】の支援を受けて実施した「舞踏アーカイヴプロジェクト」。ダンスや舞踏の新たなアーカイヴの在り方を創造しようとする揺るぎないパッションが、独創的なアーカイヴ活動を継続させてきた。報告会レポート前編は、ダンスアーカイヴ構想の設立経緯や本事業の目的、[リコンストラクション試演]の作品制作に携わった振付家・ダンサーによる創作秘話、舞踏の源流を炙り出すアーカイヴの試み「All About Zero」、国内外の舞踏の活動状況をリサーチした集大成『舞踏という何か』について紹介する。

本報告会は、会場となるアーツカウンシル東京会議室での現地開催に加え、会場の様子をリアルタイム配信するZoomウェビナーも実施し、計97名が参加した。また、これまでの報告会同様、手話通訳とUDトークを用いた逐次字幕による情報保障も行われた。

会場の様子(撮影:松本和幸)

大野一雄アーカイヴの活動を引き継ぐダンスアーカイヴ構想


溝端俊夫:ダンスアーカイヴ構想という団体は、比較的早い段階からダンスのアーカイヴに取り組んでいると言えると思います。というのは、この団体の前身といいますか、母体となるのが、大野一雄舞踏研究所なんです。大野一雄は1906年に生まれ、1930年代から西洋のモダンダンスを学び激しい戦争の時代を挟み、モダンダンサーとして活躍しました。1950年代の終わりに土方巽と出会い、新しい「舞踏」と呼ばれるダンスを創出し、かつ1980年以降は国際的な活動を続けられました。大変ご長命で103歳、2010年に亡くなられました。

私たちがアーカイヴの重要性を認識し始めたのは1989年です。1970年代終わりから舞踏はヨーロッパではかなり普及しており、1980年代は大野がほぼ海外の活動ばかりをしていた時期で、我々もイタリアにマネジメントのオフィスを置いていました。ちょうどローマでの公演を終えてベルリンに向かおうとしていた時、イタリアのマネージャーからアーカイヴをつくる必要はないのかという問い合わせがあったのです。その時はベルリンの壁が崩壊する直前の、非常に緊迫した状況だったので記憶に残っています。我々はアーカイヴという言葉もよく知らなくて、そんなものが必要だろうか、舞台は消えていくものじゃないですかという認識でした。

1994年、大野一雄は88歳でとても元気で、年の3分の1ぐらい海外ツアーに出ていましたが、それがずっと続くわけではないことを認識していました。大野一雄の次男で舞踏家の大野慶人の発案で、今のうちに代表作品をひとつひとつ、横浜の家の近くの劇場でやっていこうという意図で「大野一雄全作品上演計画」を始めました。いわばアーカイヴの記録を取るためにやったと言っていいかと思います。

登壇者:溝端俊夫(撮影:松本和幸)


溝端:大野一雄は明治の生まれなので、ほとんど物を捨てないのです。彼は1930年代初めから、石井漠や江口隆哉といった日本のモダンダンスのパイオニアたちのところで勉強していましたので、大量の資料が残されていた。それらを稽古場に持ち出して整理をしたのが、大野一雄アーカイヴの始まりであり、それがダンスアーカイヴ構想という団体の活動の基盤になっています。

個人のアーカイヴは、当人がいなくなったらある意味、誰も責任を持てないし、ひょっとしたら捨てられてしまう。そうならないように社会的な存在として活動基盤を築いていくことが重要なのではないかと考え、まず団体として立ち上げ、その後NPO法人にしました。長期助成の活動を開始した2017年は、活動の実質の1年目にあたっています。アーツカウンシル東京の長期助成、3年間の助成をもって我々の事業はスタートアップしたという位置づけで考えております。

ダンスアーカイヴを創造する視点
アーカイヴを提供しなおす


溝端:ダンスアーカイヴ構想の理事であり映像作家としても活動している飯名さんから、“新しいアーカイヴの創造”という視点から我々の活動をどう見て来られたか、お話しいただきます。

飯名尚人:“新たなダンスアーカイヴ”という言い方をすると、デジタル的にも技術的にも最先端のものを扱っている印象がありますが、実はその土台づくりが一番重要だと思います。我々のアーカイヴは幅広くダンスのジャンルを捉えてはいますが、大野一雄からのスタートであると考えますと、やはり舞踏が重要になってきます。舞踏は、写真やテキストが多く残っていますし、映像もかなり残っています。50年代終わりぐらいから60年代も含めてフィルム、ビデオなどいろいろな映像が残っているのは、アーカイヴとしては非常に貴重です。

登壇者:飯名尚人(撮影:松本和幸)

飯名:新たなダンスアーカイヴを構築するうえでは、映像の取り扱い方について考えていかなくてはいけません。ダンスは時間芸術であり空間芸術でもありますから、写真とテキストによるアーカイヴの再現は当然、新たなものをつくる上でとても大事です。そして現実的に何が行われていたのかを検証するためには、映像が非常に良いわけです。ドキュメンタリーが多く残っていることがダンスアーカイヴをつくっていくひとつのモチベーションになっていきました。どのように資料を保存し保管していくかを考えることは、当然やっていかなければいけないことですが、もうひとつ大事なのが、それをどう公開していくかということです。公開のやり方に新しい考え方や新しいメディアを取り入れ、新しい手法によってアーカイヴをもう一度提供し直す。この公開の方法というものが、ダンスアーカイヴ構想の取組の特徴です。

アーカイヴ資料を活用した作品創作と発表[リコンストラクション試演]がアーカイヴにもたらす意義


■リコンストラクション試演1年目
2017年度「ザ・シック・ダンサー」~土方巽『病める舞姫』をテキストに
ダンス:田辺知美、川口隆夫


本作品は、土方巽の文学作品『病める舞姫』のテキストに沿って制作された。土方が生まれ育った秋田での少年目線の世界観が、独自の文体で書かれているテキストは、1977年から78年にかけて雑誌『新劇』に連載され、シュルレアリスム文学とも評される。70年代に土方がつくりだした「舞踏譜」に結びつくとも言われている同作品は、舞踏家が一度は手にするバイブル的な存在として知られ、これまで多くの舞踏家、コンテンポラリーダンサーがこのテキストを元にした作品創作に挑んでいる。

登壇者:田辺知美(撮影:松本和幸)


田辺知美:この作品に取り組むきっかけとなったのは、2012年に山崎広太さんが主催するWhenever Wherever Festivalで、『病める舞姫』を題材に作品をつくるプログラムをディレクションすることになったことです。若い頃に土方さんに出会って大きな影響を受け、土方さんの言葉にもとても惹かれていました。批評家の合田成男さんと國吉和子さんの『病める舞姫』を読む会に長く参加していたこともあって、このプログラムにとても興味がありました。せっかくの機会なので舞踏家ではなくて、パフォーマーである川口さんが、このテキストをどんなふうに読んで、何をやるのかを見てみたいなと思いお誘いしました。2人でプログラムに取り組むと決まってから発表するまでに2~3週間しかなかったので、この膨大なテキストの全部を網羅するのは無理だと思い、テキストの中の「畳」というワードに注目して、「畳」という言葉が入っている文章を私が選び、そこから読んでいくようにしました。一畳の畳を2人の共通のアイテムにして、各々がソロをつくることにしました。私は前半、畳の上だけで30分間踊る。川口さんは、その半畳の畳2枚を使って、パフォーマンスを展開するという構成になっています。

「『病める舞姫』テキストによる作品ノーテーションシリーズ II」(2012)より
(提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)


田辺:『病める舞姫』を頭で理解しようとすると難解ですが、文体として読むと体に入ってくる感じがあります。テキストをしゃがんで読んだり、寝転がって読んだり、あるいは念仏のように読んだり、いろいろな読み方をやってみました。その中で浮かんでくる言葉や、何か被っている感じがするとか、頭とおしりが逆転しているとか、よく解からない生き物など、気になった言葉を並べて、ディスカッションして創っていきました。

「『病める舞姫』テキストによる作品ノーテーションシリーズ II」(2012)より
(提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)


田辺:川口さんはオレンジ色のマスクを頭に被っていますが、後頭部の側に顔が描かれています。彼が『病める舞姫』を読んだ時に、頭の後ろに顔があると言って、このような形になっています。私の衣裳は全身ストッキングで、ストッキングと肌の間に、自分で乾燥させたヨモギを詰め込み、片方のお尻と肩を大きくして、水平に寝られない、関節がうまく動かせないという仕掛けをしています。ヨモギゼリーをつくって本番前まで冷蔵庫で冷やしておいて、そのゼリーを本番直前に体のいろいろなところに入れて、踊りながらそれがどろどろに溶けていく様をやっています。

川口隆夫:僕には、細江英公さんが土方の写真を撮影した『鎌鼬(かまいたち)』という写真集のイメージが非常に強く残っていました。そのほかにも60年代のいろいろな写真を、慶応義塾大学土方巽アーカイヴにお邪魔して見せてもらったり、テキストを読ませていただいたり、その中からいろいろなモチーフを考えていきました。なぜオレンジのマスクを被っているかというと、見た写真の中にマスクを覆ったイメージがたくさんあったのです。写真のマスクは黒でしたが。それが僕にすごくヒットした。そして顔が前にあるよりは後ろにあるということが、とても土方っぽいと思い、後ろに目鼻が来るようにそのマスクを被った。その翌年の「大野一雄について」という作品でも、このオレンジ頭をワンシーン使いましたが、その時は前に顔がくるように被りました。僕にとっては、土方と大野の対比は非常にシンボリックなのです。

登壇者(左から):田辺知美、川口隆夫(撮影:松本和幸)


川口:2018年2月に北千住BUoYで公演した時には、映像も入れています。同年のブラジル公演のために、『病める舞姫』のテキストを読むナレーションの英語字幕もつけることになりました。四方を観客が取り囲んだ真中で踊る作品なので、字幕を両側に出すようにしました。そのプロダクションをアップデートしていって、ブラジル、ベルリン、それからポーランドで上映しました。ナレーションを飴屋法水さんにお願いしたということもあって、非常に雰囲気のある饒舌な語りが聴こえてきます。

「ザ・シック・ダンサー」チラシ(提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)


川口:土方のお父さんが義太夫節をよくやってらっしゃったとどこかで読んで、面白いなと思って、義太夫のCDを少し使い、僕が義太夫の調子で『病める舞姫』のテキストを読む、「あんの~」みたいに唸りながらのパフォーマンスもやりました。海外の観客が、日本語で読んでもかなり難解なテキストを英語字幕で見て、理解してもらえたかどうかは疑問ではあります。でも言葉が引っかかりとなって舞台とのイメージを繋いでいくという面においては、とても好評をいただいたと思います。僕は舞踏のメソッドで動いているわけではありませんが、ベルリンでも、ブラジルでも、ポーランドでも、土方巽の『病める舞姫』の世界や作品のイメージが少しでも解ってもらえたのではないかなと思います。

■リコンストラクション試演2年目
2018年度「緑のテーブル2017」振付:岡登志子



「緑のテーブル2017」(2017)チラシ(提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)


登壇者:岡登志子(撮影:松本和幸)


岡登志子:「緑のテーブル」のオリジナルについて簡単に説明をさせていただきます。ドイツの振付家、クルト・ヨースによって創られました。ヨースは1932年、ドイツでナチスが台頭し、戦争が始まるのではないかと危惧してこの作品をつくったのです。この作品は、パリの国際ダンスアーカイヴ主催の振付家コンクールで1位を獲得しています。その後に本当に戦争が始まってしまったものですから、この作品はしばらく再演することができませんでした。作品の下地になっているのは、中世の『死の舞踏』という絵画です。中世にペストが流行った時代にたくさんの人たちが亡くなり、どんな立場の人でも死はいつか訪れるという大きなテーマのもとで描かれた作品です。こういった作品からインスパイアされて、ヨースは戦争をテーマに「緑のテーブル」をつくりました。

(提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)


岡:「緑のテーブル」の再現をしていくに当たっては、舞踊譜というものがありました。ヨースの師であるラバンという舞踊家は舞踊譜という、音楽の楽譜のようなものをつくっていたので、その舞踊譜で振りを再現できたのですね。ダンサーが変わってもずっと再演を繰り返しています。

これは1964年のリハーサル風景です。舞踊譜を見ながら皆で考えています。真ん中の眼鏡をかけている男性がクルト・ヨース、右に、ちょっと胸のあたりに手を当てているのが、クルト・ヨース舞踊団にいたピナ・バウシュです。ヨースの左にいるのは、たまたま私がドイツ留学中に習った先生、ジャン・セブロンです。彼から教えてもらったクルト・ヨースのメソッドは、私にとっては舞踊を続けていく上での大きなテーマになっています。

(提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)


岡:「緑のテーブル」のオリジナルは今も世界中で再演されています。8シーンからなり、死神、兵士、パルチザン、娼婦、難民といった役柄がダンサーたちに課され、戦争の中で翻弄される人々や戦争を企む人々が描かれています。オリジナルの配役が現代においてどんな役に当てはまるのか、例えば、兵士であれば企業戦士のようなサラリーマンが頑張って働いている姿にするなど、いろいろなシーンを創って構成していきました。オリジナルにはない、時代を眺めている中に吹いている風、永遠なる風というような風役をリコンストラクションでは設定しています。平和を願って踊ってきた舞踊家の存在がとても大事なのではないかと思いまして、初演とその後何度かの再演では、大野慶人さんに風役で出演いただきました。

「緑のテーブル2017」(2017)より(提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)

ダンスアーカイヴから現代に引き継ぐこと


溝端:クルト・ヨースは来日していませんので、日本での公演はなかった。しかし、大野一雄は「緑のテーブル」にものすごく感動していたのです。それは何故か。もちろん写真で見たのかもしれません。もうひとつ考えられるのは、1932年の国際ダンスアーカイヴでのコンクール公演に、少なくとも3人の日本人がその会場にいました。江口隆哉、宮操子、それから楳茂都陸平(うめもとりくへい)。彼らは当時ドイツやウィーンにいましたが、おそらくこの公演を見にパリに来ていたのでしょう。実は、大野一雄は1936年から、江口さんたちの稽古場で稽古をしていました。江口さんはその時、大野に「緑のテーブル」についていろいろと語ったに違いないと思うのです。大野一雄は常に「緑のテーブル」のことを話していました。実は私も「緑のテーブル」をちゃんと見たことがないのです。映像で見ると、大野一雄が本当に感動した作品なのかなという疑問がありましたが、とても気になっていたので、岡さんにこの作品をやりませんかと相談したわけです。当初はもっとオリジナルに寄った作品だったのですが、著作権の問題などがあり、新たに作品を創作したという、そんな経緯があります。

岡:アーカイヴから現代に引き継ぐことというのは、一体どういうことなのかを考える機会になったと思います。本当に昔の人たちは、いろいろな経験をして強い精神を持っています。この作品は、そんな中で生まれ素晴らしいオリジナルだと思います。それをリスペクトしながら、今の視点で何ができるのか、身体表現だからこそできることを考えてつくりました。オリジナルの作品を元にしつつ、違った角度から新しい価値を生み出すことができればと願っています。

■映像・トーク・実演から舞踏の源流をアーカイヴする試み
2019年度「All About Zero」 
大野慶人、及川廣信、ヨネヤマママコ


「All About Zero」(2019)より

出演者(左から):大野慶人、及川廣信、ヨネヤマママコ(撮影:玉内公一 提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)

飯名:「All About Zero」はシアターXで2019年に行いました。写真は客入れの時です。左側に大野慶人さん、真ん中に及川廣信さん、右側にヨネヤマママコさんがそれぞれ座っていらっしゃいます。このワンショットが撮れただけで、僕はかなり満足しているところがあります。この方々が、どういうメソッドでご自身の舞踊もしくは舞踏をされてきたのかを紐解き、舞踏の源流を見てみようという試みをしたわけです。ダンスアーカイヴ構想の母体は大野一雄舞踏研究所や大野一雄アーカイヴですから、そこからのスタートになってくるわけですけれども、こういった方々の大野一雄との関係を探っていくことにもなりました。

まず、それぞれの稽古場やご自宅にお伺いして、僕と溝端さんでインタビューをします。すべてビデオ映像も残していくわけですが、そこからキーワードを掴み取っていく作業から始めました。これは作品をつくるイベントではなく、ドキュメンタリー映画のようにそれぞれの方々を紹介していくことになりますが、それだけではトークイベントになってしまう。踊っていただくとしても、皆さん、全盛期の頃の体とは全然違います。そこで、当時の映像をお借りして、僕が編集し字幕を入れ直して全体を構成することを考えました。

かつての舞台の映像が流れ、その後登場していただいて、ご本人のヒストリーを伺っていきます。3人のそれぞれの足元やテーブルの上には、ご自宅から持って来ていただいたいろいろな物が置いてあり、舞台の上に各々の稽古場の時間を持ち込んでみました。能楽師の清水寛二さんにファシリテーター役になっていただき、稽古場に見立てたそれぞれの空間を訪ねて、舞踏やマイムについて質問してもらう演出をしました。

「All About Zero」(2019)より(提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)


飯名:発見があったのは、及川先生のインタビューでした。及川先生はマイムとパントマイムをはっきり分けて発言されます。正直、僕はあまりマイムとパントマイムの違いが解らないままリサーチしていましたが、掘り下げていくほど、いろいろなことが解かってきまして。ひとつは、コーポリアルマイムというものがあるということ。コーポリアルマイムは能や舞踏の体の使い方に似ているというとちょっと語弊があるかもしれませんが、参考になるということが解かってきました。

また、tarinainanika(タリナイナニカ)というユニットに、その当時のフランスのエティエンヌ・ドゥクルーの方法論を演じ直してもらいました。「舞踏とは何か」というだけではなく、その周辺にあったモダンダンスやマイムなど、舞踏という言葉が生まれる以前に、何か大きなムーブメントや人間関係のようなものの中で培われてきた世界観が見えてきました。このようにアーカイヴを利用しながら、当時の空気感などが見えてくるということはとても勉強になる時間でもありました。

イベントの冒頭で映画「天井桟敷の人々」の中でジャン=ルイ・バローが踊っているシーンを流しました。その後に、大野一雄の「愛の夢」の映像を流してから、このイベントを始めました。コーポリアルマイムなどは、今の主流ではないけれど、確実に残されてきたメソッドや歴史をもう1回掘り返して、新しい演出でそれを提示することを試みたイベントになったと思います。

世界の舞踏家へのアンケート調査
『舞踏という何か』刊行



ダンスアーカイヴ構想は、助成期間の3年間にわたり、「舞踏リサーチ2017-2019」として国内外の舞踏家405名を対象にしたアンケート調査を実施。その成果報告書として2020年に刊行されたのが、『舞踏という何か』である。世界の舞踏は今どういう状況なのか、どういった舞踏家がいるのかについて、丹念に取り組んだリサーチプロジェクトの集大成となった。

溝端:「All About Zero」が問題にしたように、舞踏は1950年代の終わり頃から始まり、1960年代に土方巽の暗黒舞踏があり、1970年代後半に室伏鴻をはじめとした方たちがヨーロッパに行き、大野一雄が行き、山海塾も行き、そして白虎社はアジアに──と世界中に広がってきています。

1990年代ぐらいまでは、日本人の誰かとの繋がりで、西洋やアジアの人たちが舞踏をやっている構図がありました。しかし現在、ひょっとしたらそれとは全く関係なく、いきなり舞踏を始めている人たちがいるように見えます。舞踏とは何ですか、と聞いた時に、とても答えにくい状況があり、アンケート調査を世界中にやってみて舞踏をスクリーンショットしてみようじゃないか、というのがこの企画の出発点でした。最終的には、3年間にわたって何回か、国内・国外でアンケートを繰り返しまして、まとめた成果を冊子にしました。

『舞踏という何か』表紙画像(提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)


溝端:この事業を3年間にわたって担当した松岡大は山海塾の中心メンバーで、現在、新作稽古中のため来られないので、彼が書いてくれたレポートを代読したいと思います。

舞踏は、その発端が明確である一方で、いまだ「舞踏とは何か」という問いに対する答えはなく、第三者に対する説明が容易とは言えません。そこで、私たちは、2017年度から19年度の3カ年にわたって、舞踏固有の魅力を、国境を越えて次世代にも伝えていくために、舞踏という無形文化財をアーカイヴする可能性と不可能性とに向き合いながら、過去の保存だけにはとどまらない、未来志向の創造的な取組につなげられることを意図した調査を行いました。

まずは、足がかりとして、舞踏から派生し、世界各地で多種多様に変容する『舞踏という何か』の現況を捉えたいと考え、アンケートを行いました。

ターゲットとしたのは、プロ、アマを問わない舞踏の実践者です。アンケートの質問内容は、実践者の活動拠点地、活動形態、公演集客規模、想定する集客のターゲット、経済状況、集客達成度、舞踏を始めたきっかけ、舞踏の定義、記憶に残っている舞踏作品、舞踏を実践することの喜び、舞踏が継承されるために必要と思うことなどなどでした。

パンデミック以前の調査ですので、現在では回答内容が大きく異なる部分もあるかもしれませんが、印象に残った調査結果を幾つかご紹介します。

2017年度は、国内の実践者を対象としました、回答数125件。翌2018年度には国外にも対象を広げ、国外からの回答が332件、国内が73件でした。国別では、アメリカの回答数が最も多く、次いでフランス、ドイツ、そしてブラジルとなりました。南米は、ほかにもメキシコやアルゼンチン、チリからの回答もあり、舞踏実践者あるいはそのコミュニティの確かな地盤があることを感じさせました。アフリカは少ないですが、マダガスカル、ナイジェリアなどからも反応がありました。これまで実感としてありながら、あくまで印象として語られてきた、「舞踏が世界に広がっている」という現状の一端を可視化できたのではないかと思います。

活動の形態においては「公演への出演」が最も多く、次いで「ワークショップ・レッスン講師」が挙がっていることも国内と国外で違いが見られませんでした。国外においても、自身で舞踏を実践するだけでなく、他者に教えている人が多く存在していることが確認できました。それほど驚きのない事実ではありますが、このこともまた舞踏が拡散してきた大きな一因と言えるかもしれないと思います。

コロナ禍の前に実施したアンケートですが、国外においては、「自主的な映像制作・映像配信」を行っているという答えが少なからずありました。舞踏のアーカイヴを行う上では、舞踏が今後より多様な活動形態へ派生していく可能性も視野に入れるべきだと再認識することができました。

集客規模については、国内外とも100名以下の答えが多いです。加えて、国外ではチケット料金が「無料」の回答も多く見られました。公的な補助制度が背後にあるのか、趣味的に行っているのか、定かではないですが、いずれにせよ大規模な集客には至っていない現状がうかがわれます。

回答者のプロ・アマの比率を見ると、国外プロが66%、国内プロが46%であったにもかかわらず、当時、国内外ともに100万円以上の年間収入を得ている回答は、国内で14%、国外では12%でした。舞踏の公演活動の収益化の難しさを反映しており、ある程度の支出が生じる興行よりも、ワークショップやレッスンで収入を得ているプロの活動形態が透けて見えてきます。エデュケーションやアウトリーチの活動は舞踏の普及には欠かせないことですが、その一方でコストがかかることが制作や上演における障壁として大きくなってくれば、舞踏の舞台作品が質量ともに減少していく可能性もあると思いました。

「あなたが舞踏を始めたきっかけを教えてください」という問いに対しては、生の舞台公演を鑑賞したことや、ワークショップや作品制作の参加など、舞踏に直接的に触れた経験を挙げる回答が多かった一方で、写真や映像などのメディア、チラシやポスターなどの印刷物から舞踏に出会ったという回答も多く見られました。舞台上の出来事だけでなく、記録媒体を通してもその魅力が伝播するということは、舞踏のもつインパクト、あるいは今後も有効なポテンシャルなのかもしれないと思います。

「あなたは舞踏をどのように説明しますか」という問いに対して、「剃髪」「全身白塗り」といった外見的な特徴を挙げる人もいれば、特に国外からの回答においては、「魂」「生命」「変容」「死」「存在」というような、時に実践者の人生観や哲学とも結びついた多様な解釈とともに、総じて舞踏への熱意が強くあらわれており、時代と国境を越えて、人々を引きつけ得る舞踏のポテンシャルと発展の可能性を改めて感じることができました。国内外ともに舞踏をめぐる経済状況は厳しい様子ではありました。多くの実践者にとって、舞踏が各人の生と分かちがたく結びつき、その表現や生活に大きな影響を及ぼしていることがうかがわれます。

これまでは実践者に対する調査を実践してきましたが、今後は制作者や鑑賞者を対象としたリサーチも検討すべきであろうと考えます。舞踏が継承され、世の中で浸透していくために、どのような方法があるのか、異なる複数の視点からの考察が必要と思われます。リサーチの方法論は常に反省的な再考が求められますが、そのような試行錯誤の過程を通じて、新しいコンテンツやネットワーク、ひいてはアーカイヴそのものが生まれ、『舞踏という何か』の輪郭もまたおぼろげながら明らかになっていくのではないだろうかと思います。


(提供:特定非営利活動法人ダンスアーカイヴ構想)


ここ数年で、コロナ禍で経済的打撃を負った芸術団体が、収益力強化のために過去の作品動画をアーカイヴ公開する動きが広がった。ダンスアーカイヴ構想は、このような動きが始まる以前から、舞台芸術のアーカイヴの先駆けとして、その公開・活用の手法を独自に開拓することで、舞踊における新たな価値創造にも貢献してきた。「リコンストラクション試演」や「All About Zero」の活動報告から、ユニークな創造性と活きたアーカイヴの形がみえてきた。現代舞踊の歴史資料の保存・公開に取り組む国内の公的機関はほとんどない中、活動を長きにわたり継続してきた「舞踏アーカイヴプロジェクト」の存在意義は大きい。さまざまな立場からプロジェクトに関わる登壇者たちの報告を通じ、舞踏に限らないアーカイヴとその豊富な活用手法について、さらなる可能性を感じさせられた。


第15回「舞踏アーカイヴプロジェクト」~新たなダンスアーカイヴの創造~(後編)に続く

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