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コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

2016/06/16

「普遍性」と「個別性」について

アーツカウンシル東京カウンシルボード委員 / 三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社理事長
中谷巌

私の勤め先のオフィスは高層ビルの21階にある。窓からは様々な建物が一望のもとに見える。すぐ右下には東京タワーを支える赤い鉄骨の大きな枠組みが見えるが、これは私のいるビルが東京タワーのすぐそばに立っているからだ。そのすぐ裏側には徳川家の菩提寺である増上寺のきれいな瓦屋根が見える。日本の典型的な由緒あるお寺である。さらにその後方遠くにはレインボーブリッジが見えている。目を転じると、窓の左下方にはオランダ大使公邸が見える。大きな鉄の門と豊かな緑に囲まれた美しい洋館だ。昭和3年に完成しており、観光客の目を楽しませているが、これは典型的な洋館という以上に土地に根付いているレトロな建物という印象だ。しかし、窓から見える建物で数から言って圧倒的に多いのは林立する真四角な、オフィスやホテル、マンションなどの高層ビルだ。

私が毎日のように眺めている東京という都会の佇まいは、このように多様な目的で建てられた、多様な趣のある建物が自然発生的にあちらこちらに具合よく配置されていて落ち着きがある。幸いなことに東京はマンハッタンのような高層ビルが林立するだけの味気ない街ではない。

これらの建物をあえて2種類に分けてみると、1つはどこに建てられていたとしても全く違和感のない、いわば、「普遍性」の高い高層ビル群である。これらは機能的で建物の隅々まで合理的な計算によって見事に設計しつくされている。面積当たりの効率という観点からはこれ以外には考えられない類の建物であって、その意味でもこれらの高層ビルは世界のどの都会に建てられても何の不都合もない「普遍性」を持っているといえるだろう。

先に述べたように、東京という都会はそのような「普遍性」の高い高層ビルだけから成り立っているわけではない。オランダ大使公邸のようなレトロ趣味を満喫させてくれる昔風の洋館があるかと思えば、600年の歴史を誇る増上寺が昔ながらに参拝客を迎え入れている。林立する高層ビルが「普遍性」の強い建物であるとすれば、増上寺などは典型的な「個別性」の強い建物ということになる。増上寺は芝公園という由緒ある場所にそのたたずまいを誇っているが、これが他の趣の異なる地方やアメリカやヨーロッパのどこかの国にあっては困るだろう。その土地固有の歴史・文化と一体化しているということが大事なのだ。

もちろん、「普遍性」の強い建物と、「個別性」「地域性」「装飾性」の強い建物が混在している都会は東京に限らず、世界的に見られる現象である。ル・コルビュジェは「近代建築の5原則」を打ち立て、それを基に「サヴォア邸」のような「普遍性」の高い近代建物を創り上げたが、他方、アントニ・ガウデイによる「サグラダ・ファミリア」のようなきわめて装飾性に富み、猥雑ともいえる曲線を縦横に駆使したきわめて「個別性」の高い建物もある。「サグラダ・ファミリア」はいまやアルハンブラ宮殿やマドリッドのプラド美術館を抜いてスペインで最も多くの観光客を集めたモニュメントとなっている人気の観光名所だ。ヨーロッパに点在する趣のある都会は大なり小なりこのような「普遍的」な建物と「個別的」な建物がうまく混在しているのである。

大げさに言えば、都市とは、このようなどこでも通用するような「普遍性」の追求と、独特の歴史・文化的伝統を背景にした「個別性」の強いものへのこだわりという人間の2つの真逆の志向性が互いに反発し、絡み合いながら相互作用を繰り返し出来上がってくるものなのであろう。人間は一方では種々雑多なものの中から一般性を見つけ出し、それを抽象化することによって普遍的なモデルを創り出すが、しかし、他方では、独自の文化的伝統や特別の装飾性を付加することによって「個別性」の強いものを残そうとする。機能や効率から考えた「普遍性」の高い建物にも憧れながら、装飾や伝統文化の色合いを強く打ち出した「個別性」の強い建物も創りたいのである。この「普遍性」と「個別性」という真逆の要素がぶつかり合いながら都市の景観の歴史が刻まれてきたのだ。

多分、そのどちらか一方だけを強調しすぎるとバランスを逸し、全体がいびつな印象を与えてしまうのではないだろうか。最近、東京2020オリンピック・パラリンピックのために建設される新国立競技場の設計や五輪エンブレムの図柄が決定されたが、私の個人的な感想で申し訳ないが、これらは過度に「普遍性」が強調されるわけでもなく、かといって日本の伝統文化が必要以上に強く打ち出されたわけでもないという意味で結果的にうまくバランスがとれたのではないだろうか。

「普遍性」と「個別性」という概念は、実はビジネスの世界でも適用できる。個々の企業の競争力というのは、普遍的なルールに則り、その機能的・効率的な利点についてはそれをしたたかに利用しながら、いかに独自の(個別的な)強みに磨きをかけるかという点にかかっている。個々の企業までがひたすら普遍性を追求するならば、それは自滅行為になるであろう。なぜなら、その企業は他の競争相手との「差異化」に失敗してしまうからである。逆に、「個別性」にばかりこだわっていると、グローバルには全く相手にされない会社になってしまうだろう。

このことは「グローバリゼーション」と「ローカリゼーション」との対比にも通じる議論である。グローバル化が進めば進むほど、他方でローカルな文化に固執しようとするのは人間の常である。普遍的な価値やルールが浸透すればするほど、それに反発するかのようなローカルな考え方が生まれてくる。イデオロギー的にみると、コスモポリタン志向の強い人はグローバル化の重要性を説き、ローカルな文化を軽視しようとするが、ナショナリズム志向の強い人はローカルな事物の重要性を強調しようとするあまり、逆にグローバル・スタンダードが持つ普遍的な利点を無視しようとする。

しかし、大事なのは、「普遍性」と「個別性」のバランスである。グローバルな世界にも通じ、そこでの普遍的なルールをうまく活用しながら、ローカルな文化が持つエネルギーを自身の創造力の源泉にする、という考え方が必要である。要は「普遍性」と「個別性」のバランスこそ重要なのであって、どちらかに偏りすぎると成功はおぼつかないということなのではないだろうか。

アーツカウンシル東京が目指すべき方向性も、こういった「普遍性」と「個別性」の調和がとれた文化・芸術の発展を後押しすることなのではないだろうか。どこの国のものかさえわからない抽象度の高いものも必要だし、これぞ日本、これぞ東京という地元密着型のものも支援していく必要があると思う。それらが総合されて、全体として好ましい芸術都市の情緒が自ずと醸し出されるようになれば「成功」である。