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コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

2024/02/05

コロナ禍で出会った「芸術」の場所。パンデミックとそれからの世界(後編)

歴史学者
藤原辰史

農業史と環境史の歴史学者として活躍する藤原辰史に、パンデミック下での経験・思考、そして現在からの展望を聞くインタビュー。前編では、コロナ禍で出会った人々やアーティストたちの表現が話題にのぼった。後編はその内容をさらに掘り下げ、芸術や文化を通した社会変革の可能性について話を聞いた。

アートと歴史研究の距離

──前編では、コロナ禍のあいだに出会った保育の現場、アーティストたちとの出会いなどについてお聞きしました。近年のアートシーンには、歴史や文化をリサーチするプロジェクト自体を作品として提示する作家も多くいます。そういった傾向は、アートと学問の距離を近づけるもののように思います。

藤原:たしかに、その場で生きて、悩み、学びながらいろんなフィールドワークをしているアーティストの活動は自分がやっていることと同じだなと思いました。かといって、自分をアーティストとはとても言えないんですけど(苦笑)。
面白い例を挙げると、「Still Present!」をテーマに掲げた、2022年の第12回ベルリン・ビエンナーレは歴史の問題に対して、アーティストはいったい何を学び、どういう表現ができるのかというキュレーションでしたね。
ロンドンを拠点に活動する「フォレンジック・アーキテクチャー(Forensic Architecture)」は建築家、アーティスト、ジャーナリスト、弁護士らが結成したグループで、Forensic(法医学、科学捜査)という言葉どおり、さまざまな歴史的事件を逐一現場検証していくプロジェクトを行なっています。本人たちのウェブサイトでも作品を公開していて、例えばウクライナのテレビ塔をロシア軍が爆撃したという事件を徹底して科学的に調査したものがあります。さまざまなアングルから撮られた映像を検証して、この場所・瞬間に爆撃されたと確定する。これはもう歴史家の仕事ですよね。
さらに驚いたのは、この場所を歴史的に掘り起こしていくと、テレビ塔のあった場所にかつてユダヤ人のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂。ユダヤ教会とも俗称される)があったことが判明し、歴史へも接続していくんです。このプロジェクトを通して、歴史がアートと出会っている。

──藤原さんご自身のやっている歴史研究とも重なる瞬間ですね。

藤原:そうですね。私たち自身が学ぶことを仕事にしていたのに、アーティストが学んでいる姿に反省を感じます。彼らは真剣に学んでいるし、学ぶことを本当に魅力的に表現に転化している。「フォレンジック・アーキテクチャー」の作品には、2003年から2015年まで、イスラエルがガザで農薬を撒いて作物を枯らした攻撃(pesticide)を調査したものもあります。2022年10月からのイスラエルによる侵攻以前から彼らは作品に扱っていて、アーティストと私たちのやっていることの近さと違いなど、いろいろと考えさせられます。

──「フォレンジック・アーキテクチャー」の場合は、専門性を持った集団によるリサーチですが、前編で話にのぼった保育士の先生たちの技術や活動も結びつくでしょうか。

藤原:保育士のみなさんも、まさに専門家集団なんですよ。研究をして勉強して、学んで切磋琢磨して批判しあって身に付けた技術だからこそ、子どもの扱い方や接し方に素人が見ていても魅了される。どちらも変わりません。
保育園という場所でも料理が得意な人、事務が得意な人、年長さん園児の扱いが得意な人、乳幼児が得意な人といろいろいるわけですけど、いろんな人がいろんな技を常に繰り広げています。アーティストと保育、その姿の両方を学べたのがコロナ禍での大きな経験です。保育も、誰でもできるような仕事ではありません。

──エンジニアリングや専門性の話題になると、近年はAIのような先進的な情報技術に目が向きがちですが、べつにコンピューターが関わっていなくても技術なんですよね。古い/新しいという区分とは異なる視点に立つとそれぞれの重要性がわかるし、場合によってはそれをアートとして見ることもできるように思います。

藤原:現場の磁力にビビットに反応する時、技術というものがやっぱり試されるのだと思います。それで思い出すのが「仕立て屋のサーカス」です。音楽家の曽我大穂さんが主宰をしていて、おもちゃの楽器とかをガチャガチャやりながら即興で演奏して、そこにファッションデザイナーのスズキタカユキさんが布を裂いてテントのような空間をつくって照明家の渡辺敬之さんがダイナミックにかつ幻想的に光と影を交錯させて……それこそ「場」ですね。音楽と布と光で幻想的な空間をつくるんですけど、それも即興なんです。
私はそこにゼミ講師的なポジションで参加させていただいて、「給食の思い出」というゼミを行いました。スズキさんの衣装を着て、その場にいる人たちを指名して「給食とは何だったのか」について考えて去っていくっていう、そういう役割なんですけど。ここでは演じ手と見ている人がゆるやかに交代していきます。見ている人たちがいつの間にか演じ手のなかに入っていたり、演じ手の人が聞く側に回ったりして、敷居がなくなっていく。そして最後に子どもたちがワーッとやってきて、一緒に積み木をしたりする。曽我さんによるとそれは『分解の哲学』がアイディア源になっているそうなのですが、べつに事前に仕込んでいるわけでもなくて、7、8人ぐらいが集まって積み木を積み上げて、即興で音楽が演奏されて、そして終わる。

──まさに「場」ですね。

藤原:それも自由なね。18歳以下は無料になっていて、それも自称なんで50歳ぐらいの人も「18歳です」と言えば無料になるかもしれない。食べ物の持ち込み自由だし、おしゃべり自由、寝ても自由、撮影しても自由、とにかく何をしても自由。「仕立て屋のサーカス」はそれだけアナーキーな場所を一つの空間にまとめるプロの集団だと思うんです。小山田さんのたき火がそうであるように、遠慮せずに人が交流したりしゃべりやすくなる空間をつくるための技術を持っている。
しかし、それもコロナ禍で長く断たれてしまった。学校給食は黙食になって、給食時間に、隣の子とふざけ合ったりして食べられなくなって、ただ前を向いて映像を見ながら黙々と食べるっていう。そういう時代状況に対して、素人の人たちでも自然に参加できる小山田さんや曽我さんの芸術に心が揺さぶられます。



写真:井上義和
提供:仕立て屋のサーカス

自律した芸術、文化、学問の必要

──コロナ禍で失われた物事がある一方、得たものも多くあったのだと藤原さんの話を聞いて感じました。それらをふまえて、藤原さんは今後の芸術文化や人の営みがどうなっていくと考えていますか?

藤原:『B面の岩波新書』で2020年4月に「パンデミックを生きる指針──歴史研究のアプローチ」というテキストを書きました。そこでは歴史的に見てスペイン風邪は3回の波があったのだし、簡単にパンデミックが終わることはないと書きました。また、コロナが明けた後の予想にも触れていて、パンデミックと向き合って一致団結すべき国際社会がすでにギクシャクしているように、おそらく国際社会はよりいっそう分断を深めていくだろうと書いています。
約3年が経ったいま、現にそうなったと思います。コロナ禍で止めた経済を取り戻すためにある程度人権を無視してでも動かさなきゃいけなくなっていて、その無理がまさにいま来ている。だから私は、これからについて基本的にはすごくネガティブで、コロナ後の社会では次々に無理難題が我々庶民に降ってきて、しかもそれは環境汚染や温暖化、労働条件の悪化としてあらわれ、同じに戻るどころか、さらにいっそうひどくなると考えています。
環境問題も人権問題も悪化し、現在のパレスチナの戦争難民は難民なのにイスラエルに殺されつづけている。そして、それまで暮らしていた場所に住めなくなり移住せざるを得ないっていう環境難民が溢れていく。そうなると自分たち純粋な人種こそがこの場所に生きるべきだと考える極右勢力が強くなってくる。現にアルゼンチンも極右が大統領になりましたし、ドイツでは極右政党の「IFD(ドイツのための選択肢)」が第2党になり、イスラエルのネタニヤフ政権も極右勢力です。対立を煽り、心地よい自己像を鏡のなかに見つめていたいというような自家中毒的な政治がどんどん増えていくでしょう。
ただ、そのなかでももし明るい未来があるとするならば、私たちの世代よりやや下の30代以下の世代の人たちが面白い。経済成長に疲れた人たちが多く、またジェンダーに対して非常に苦しさ、生きづらさを感じている人が増えている。そして、地球環境が人間が生きていくための条件だという意識も若い人たちに目覚めてきていて、Don’t trust over 40!のような感じになっている。「禍を転じて福と為す」というか、災いがあまりにも激しすぎるなかで、すごくラディカルな運動や思想や行動が現れてきたのが、私なりにすごく面白いと思っています。

──これから10年後20年後にいま20代前後の若者たちが社会の中心になっていく。その未来の社会に希望を持っているということですね。

藤原:残念ながら、20年後の地球環境は間違いなく、いま以上に悪くなっているでしょう。ただし、それは現在のマインドを根本的に変えないと生きていけないぐらいの緊張感のある世界になっているでしょうから、そのための準備を着々と進める世代がいる。諦念というのかな。自分のお父さんお母さんたちのように生きていくことは無理だともうわかっていている。でも、それは諦めではなくて、ちょっと違った社会を見たいという前向きな感情が含まれている。彼らの世代で、人類学やアナーキズム論が流行している原因もそこにあると思います。つまり、国家の権力とは違うあり方で私たちは人と繋がれるんだってことを若い人が考え始めているとか。そういう感じは見えている。

──その現在・未来では芸術文化の意味も変わっていくでしょうか?

藤原:大学教員である私がそうですが、現在の学問や芸術を支えているのは主には国家、つまり私たちが営んでいるのは、ステイト・スポンサード・アート、あるいはステイト・スポンサード・ヒューマニティーズです。でも、これからは周りの人がスポンサーになって芸術家や研究者を育てていくのではないか。
文化は上から降ってくるものだという時代は終わるべきでしょう。芸術も歴史学も政治の中に入り込んでいる。特に現在の歴史学は、もうほとんど政治そのものです。原爆をアメリカによるジェノサイドと見るか、歴史上しょうがなかったものと見るかで、徹底的に色がついちゃうわけですよ。
アメリカの原爆を批判しているプーチンはアメリカの歴史を「正当にも」批判して、あれは本当にひどいことだったと言えるわけです、彼の立場では。私も原爆投下という過去に対するアメリカの態度は全然ダメだと思っています。しかし、プーチンがウクライナ侵攻していることはどう見てもおかしい。彼は御用歴史家を動員して、ロシアとウクライナが合体するのは正統な意味があるってことを、歴史的に論文で証明してみせている。
政治から逃れられない歴史学の立ち位置を冷静に考えれば、私たちはもはや、のんべんだらりと中立的な学問をやっていますっていうのは、ちょっともう鈍感すぎて言えないんですよね。イスラエルがガザやヨルダン川西岸で行っている暴力は、西欧史の人種主義や植民地主義の暴力の系譜に位置づけられます。自分たちが人生をかけて研究し、憎んできた大量虐殺が目の前で繰り広げられているのに、西欧、とくにドイツを対象とする研究者たちはウクライナの戦争のときよりも反応も行動も遅くて鈍い。政治の磁場のなかで引きちぎられながら、物事を変えていかなきゃいけない。それは芸術家もそうだと思います。例えば、ある国である曲を演奏すれば、その背景や文脈に沿った意味を持たざるを得ない。すごく残念なことに、現在の学問や芸術は政治的な道具になり果てやすくなってきている。だからこそ、大きな力に依存するのではない自律した芸術や学問が求められているのではないでしょうか。

コミュニティスポンサーの時代へと

──厳しい時代だと思います。

藤原:戦争と農業』(集英社)を刊行して、地方で社会運動に関わる女性たちの勉強会に呼んでいただくことがあるのですが、それはつまりその人たちが私の学問のスポンサーになっているということ。国のようなステートスポンサーではなく、ローカルなコミュニティスポンサーがサイエンスやアートを支えてくれている。そういった、小さな規模で、かつ、実のギュッと詰まったものの時代が来ている予感がします。
その実現には、必ずしもお金を挟まないかたちもありえるかもしれないということを考えているのが「ギブミーベジタブル」というプロジェクトです。音楽家で料理ユニット・南風食堂のメンバーである池田義文さんが始めた取り組みで、ライブで演奏してそのチケット代でご飯を食べて生きているなら、最初からご飯をもらうのはどうだろうと考えて始めたそうです。
ライブの入場料を野菜にしてみると、2週間食べていけるくらいの野菜が集まった。このアイディアをシステム化しイベントにしたのが「ギブミーベジタブル」で、入場料として持ってきた野菜を、プロの料理家が即興的にその場で料理してみんなで分けて食べる。そして残った野菜が収入になる。このメソッドは無料で公開していて、どこでも誰でも自由にやれるようになっている。先日、池田さんを大学の講義にお招きして学生たちとしゃべってもらったんです。そしたらもう学生が目をキラキラさせて「手伝わせてください」と感激して。

──「それはいいアイディアだ!」と。

藤原:学生たちのなかには、カネでカネを生み出す金融ゲームの世界に受験を突破するように就活で進んでいく人もいると思うのですが、そういうのはもう嫌だっていう学生も多くいる。彼らはお金を介さない直接的な人間と人間のやり取りみたいなものに惹かれるんです。池田さんとは京都で「ギブミーベジタブルをやろうね」って話しているんですけど、これはここ最近の明るい話ですね。

──京都であれば京野菜も加わって、よりバリエーション豊かな貨幣としての野菜が並びそうですね。いや、そもそも貨幣の代替物として考える必要もないかもしれない。

藤原:おっしゃるとおりで、貨幣はもう別に諭吉とか栄一とかじゃなくていいんですよ。カネに固執したり踊らされたりすることの疲労から距離を置くのが大事だと思います。新聞広告を見ると、「精力を取り戻そう!」「若い頃を取り戻そう!」「ライジング・アゲイン!」みたいな感覚のものばかりじゃないですか。精力剤を飲んで若さを取り戻そう、という悪あがき。かつてのオリンピックや万博の思い出にすがるのはもうやめにして、精力剤を飲まなくても楽しく、おカネを介さなくても自律できるんだってことに気づきたい。

──それはこれからの芸術や文化のあり方においても示唆的ですね。

藤原:文化って1年や2年で「効く」ようなものじゃないでしょう。植物の種のようなもので、いつか芽生えてくるかもしれないし、仮に芽生えなかったらしょうがないんじゃない、っていうぐらいのものなんですよね。そして、ある時に発見されて、人々の行動を決めるみたいな、そういう役割。そういう意味で、単年度決算的に短いスパンで評価され、結果を求められてしまう私たちの仕事っていうのは、すごく文化を貧しくしている。だからこそ、みんなで支えて、いつか芽吹くのを待つコミュニティスポンサーを基盤にした文化は居心地がいいはずだと思いますよ。

(インタビュアー:島貫泰介/撮影:中谷利明)

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