東京アートポイント計画通信
東京アートポイント計画は、地域社会を担うNPOとアートプロジェクトを共催することで、無数の「アートポイント」を生み出そうという取り組み。現場レポートやコラムをお届けします。
2013/07/08
司雑記-3 七夕の日に願ってみた
6月29日(土)は、三鷹でTERATOTERAチームが開催した「私を委ねる場所」の会場にいた。(詳細は7月5日付け熊谷ブログ参照してください。)パラレルに語られる3人の場所についての活動を、どう編集したら展開ができるのだろうと、ぼんやり考えつつ、会場後方から眺めていた。翌30日は、珍しく移動のない本当のお休みで、フワッと過ごしていた時に素敵な気づきがあった。
きっかけは、1週間前の23日、立命館大学で開催された「日本学術振興会科学研究費基礎研究A【社会システム〈芸術〉とその変容―現代における視覚文化/美術の理論構築】(研究代表者:長田謙一)公開コロキウム「社会システムの中の身体/アート」だ。共同研究者の一人として6人(×30分)が語る言葉を聞いていた。このとき「語られた言葉」の断片が、突然、僕の意識の上に降りてきた。その言葉を手がかりとして考え、現場を組み立てるアプローチをしたら新しい展開がありえるんじゃないかと思いつく。たったそれだけの、でもとても僕にとってはデカイ、かなりナイスな気づきを得た日となった。
その後、「1日付け」のブログ担当者なのにすっかり投稿準備を忘れたまま、7月1日の午前中、仙台に向かう新幹線の中にいた。東京都が展開する復興支援事業(*ASTT)に関する宮城県での打ち合わせのためだ。舞い降りてきたその言葉を、僕よりも長く深く大切に考えてきたであろう人に投げかけ、いろいろ聞いてみることにした。舞い降りた言葉を、早速「お試し」の但し書き付きで使ってみる。手応え十分、有効カードが1枚増えた気分にすっかりなる。
僕はこの言葉の使い方を、立命館大学の竹中悠美先生が組まれた、第二部「新たな座標系を求めて」のゲスト報告者たちの言葉から心得た。新しい球種を習った気分で楽しい時間だった。
その場で拾った言葉は、言説のためのレトリカルに運用された言葉や身体性を切り口にアプローチする視座の提案に関することだから、本当に初見の言葉ではない。しかしそれゆえに、自分がツールとして使いこなすことのなかった言葉が体に入ってくる感覚が良かった。
言葉が新しいフィールドに体身を導く。実務者としての僕に、確認すべき場や活動、手に取るべき本、出会うべき人が存在することを、併せてもたらしてくれる。もちろんその逆もある。
斯くして、現場をつくるために、動き回りつづけることが余儀なくされる。必然的に椅子に座りPCに向かう時間がとれない(はずもないのだが)状況となる。と、延々遅延投稿の言い訳を綴ってきたのでまとめます。
遅延するこの状況を回避するために必要なものは、高CPUのPC!ではなく、時間と頭脳。だけどそれらを七夕の日に「我が身へ」と願っても詮無いこと。だからそれはしないでおく。その代わり周りの力を積極的にお借りする。そんな、わがままを許してもらうお願いをしてみた。これで時間と処理能力が格段に向上することは間違いなし。うーん、他力本願。(でも、情報共有に勝るものはないのが実感です。)次回は8月1日。「締切までに書けますように!」
藤浩志は6月29日のトークでも「生きる技法」の著者、安冨歩(やすとみあゆむ)が提唱する『自立とは、多くの人に依存することである』を口にした。安冨氏は著書末尾の必読リストに「歎異抄」を挙げている。
東京アートポイント計画 ディレクター 森司