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東京芸術文化創造発信助成[長期助成プログラム]活動報告会

アーツカウンシル東京では平成25年度より長期間の活動に対して最長3年間助成するプログラム「東京芸術文化創造発信助成【長期助成プログラム】」を実施しています。ここでは、助成対象活動を終了した団体による活動報告会をレポートします。

2018/04/17

第2回「身体を透してみえてくるもの-更新をつづける国際ダンスフェスティバル Dance New Air」(中編)

※第2回「身体を透してみえてくるもの-更新をつづける国際ダンスフェスティバル Dance New Air」(前編)はこちら

第2部:深堀りインタビュー

第2部では、チーフプロデューサーの宮久保さんと共に「Dance New Air」を牽引してきた3人のプロデューサー(平岡久美さん、小野晋司さん、小林裕幸さん)も交え、第1部で紹介された活動について、どのような目標を定め、どのように達成したか、助成事業を担当するアーツカウンシル東京のプログラム・オフィサー(今野真理子)の司会で、その取り組みをさらに紐解くインタビューが行われました。

地域で発展したフェスティバル

−−「Dance New Air」は2002年に始まった「ダンスビエンナーレトーキョー」から続くフェスティバルです。その立ち上げの経緯、どのような思いがあって、コンテンポラリーダンスの国際フェスティバルをつくられたかを改めてお聞かせいただけますでしょうか。

小野 最初は、青山劇場と青山円形劇場のスケジュールが空いていたから(笑)ということもありました。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、青山劇場・青山円形劇場は稼働率が90%以上ある劇場でした。最初の「ダンスビエンナーレトーキョー」は2002年8月に2週間の開催で、当時劇場の事業部長だった高谷静治さんと私と平岡(久美)さんとで企画を立ち上げ、バットシェバ舞踊団の公演などを招聘しました。さきほど宮久保さんの報告を聞いていて、3人で始めたことが、ここまでダンスの輪として広がったというのは、本当に大きな成果だったのではないかと思います。

2002年というのは、トヨタ コレオグラフィーアワードの第1回が開催された年でもあり、今のダンス、バレエを牽引している日本の振付家たちが、90年代の小劇場ブームから派生して大活躍された時代から、さらにいくつかの新しい展開が始まった年だったと思います。高谷さんはコンテンポラリーダンスの先人で、ダンスビエンナーレは、そのリーダーシップで始まったことですが、フェスティバルの最初のキーワードは「バニョレからの道、バニョレへの道」でした。高谷さんは、その当時、1960年代から始まったフランス・バニョレでの「バニョレ国際振付賞」の芸術評議委員を務められていました。バニョレは、世界各地にプラットフォームを形成して、新しいダンスのスタイルを広めていくことに貢献してきました。バニョレ国際振付コンクールのジャパンプラットフォームの第1回が青山円形劇場で行われ(1991年)、草月ホール(1994年)と続き、横浜ダンスコレクション立ち上げの目玉として横浜へと移って開催(1996年)されました。
なぜ高谷さんが「バニョレからの道、バニョレへの道」というキーワードを設けたかというと、世界中でコンテンポラリーダンスのムーブメントをつくってきたバニョレの影響をもう一度見つめ直すところから出発しようという思いがあったからだと考えています。

小野晋司さん(左上)、平岡久美さん(右上)、小林裕幸さん(左下)、宮久保真紀さん(右下)

−−2002年に始まった「ダンスビエンナーレトーキョー」は、2004年にスパイラルホールを仲間に加え、地域の中での連携を広げていかれます。その際の狙い、また、2015年に、フェスティバルの運営母体として、一般社団法人ダンス・ニッポン・アソシエイツ(DNA)を立ち上げるまでの変遷やその後の運営についてもお聞かせください。

小野 先に開催していた演劇フェスティバルが非常に好調で、評価が高かったということもあり、青山劇場としてもコンテンポラリーダンスを広め、観客を増やしていこうという意図はありました。そこで劇場を中心に企画を立ち上げ、ダンスビエンナーレを開始し、2002年の最初の開催が終わった後で、魁文舎の花光潤子さんにその後の展開を相談したのです。その時にスパイラルの小林さんと宮久保さんを紹介していただいて、同じ目標を持ちながら地域的な広がりを持てるということになりました。スパイラルの持ち味というのは、アートの様々な分野で発信をしていて、それぞれにしっかりとお客様がついているということ。スパイラルとなら、コンテンポラリーダンスの発信の仕方、見え方が違ってくるだろうと考えたのです。

小林 スパイラルの小林です。先ほど小野さんが冗談のように「ちょうど劇場が空いていた」とおっしゃっていましたが、実はスパイラルホールもちょうど空いていたのです(笑)。スパイラルは実は青山劇場と同い年で、1985年の10月19日にオープンしました。青山劇場は11月1日のオープンです。ですから同じエリアに同じ年に誕生したスペースで、同じく文化発信をしているということが、つながりとしてありました。スパイラルは立ち上げ当初から舞台公演やダンスをやってきて、30年以上前の1985年のオープン時に、いち早く芸術監督制を取り入れて、佐藤信さんや蜷川幸雄さん、勅使川原三郎さんや天児牛大さんなどの方々に芸術監督をお願いし、自主公演を何本も行っていました。ところが、兆候は92年くらいからあったと言われていますけど、94年、95年くらいから、芸術文化に企業がお金を出すということが難しくなっていったのです。パトロンだったりメセナというような関わりも、バブル崩壊を機にいったんなくなった、といっていいくらい、なくなってしまった。営利団体であるスパイラルも、曲がりなりにもかなりの年数アート活動をしていたので、会場を使いたいというアーティスト、ダンサーの方に協力するというスタイルで公演は続けていましたが、当然自主公演の予算は削られる事態になっていました。そんななか、青山劇場から、フェスティバルの話をいただいたことは、とてもいいタイミングだったのかもしれません。スパイラルもオープン当初から8割、9割の稼働率を維持するホールでしたが、やはりバブル崩壊以後は稼働率が落ちていました。そこで、ぜひ連携をとりながらやっていきたいということで、2004年からご一緒するようになったという経緯です。ちょうど、「お金がないなら知恵を出そう」というような流れに時代が変化してきて、実際に新たな取り組みも出てきた時期でした。ですから、点でも線でもなく、面で、なんとか芸術活動を続けていきたいということで、ストリートに広げていくとか、いろいろな会場と連携をとるといったことも、時代背景とつながって、ここまで発展していったのかなと思います。
残念なことに青山劇場は、ちょうどスパイラルと同じ30周年を迎える時に、「役割が終わった」とのことで閉館しました。ただ、文化活動や文化支援に「終わる」ということはないのです。青山劇場については個人の思いではなんともならず閉館ということにはなりましたが、文化活動は継続してこそのものですから、これからもこのフェスティバルを継続していきたいと考えています。

DNA2016 プレイベント 屋外パフォーマンス(Baobab) 会場:元・こどもの城 前 photo by bozzo

「継続」への意志が生む新たな展開

−−フェスティバルのプログラミングの際にはどんなテーマやコンセプトを掲げておられるのでしょうか。
宮久保 本当でしたらいちばん最初にテーマを掲げてそれに基づいたものを集めていくというスタイルが理想ではありますが、こうしたフェスティバルを継続していくと、国内外の様々なアーティストや劇場から企画の相談があります。その中でもいいお話があると、やはり2年後のフェスティバルの具体的な時期や場所が決まっていなくても、それをやるために動こうということになります。ですから先に決まっている作品を交えつつも、今の時代に「観せたいもの」をセレクトし、さらにその中からキーワードを拾い出して肉付けをしていくというような作業を毎回しています。
2016年の場合はそれが「言葉」と「音楽」でした。2002年から継続して助成していただいていた文化庁の国際フェスティバルという枠からの助成が不採択になってしまい、何千万単位の予算が一気に減ってしまいました。ですからプログラム全体を見直し、規模でいえば3分の1くらいに減らすしかないという事態にもなりました。実際、予定されていたカンパニー、アーティストをいくつかお断りするということにもなってしまって。それで最終的に残した作品の中を見ると、言葉や音楽を持っているものがラインナップできたということで、それをキーワードとして表に出しました。

オープニング ダンス三昧プログラム:伊藤キム/フィジカルシアターカンパニーGERO(日本)『家族という名のゲーム』 photo by bozzo

オープニング ダンス三昧プログラム:KENTARO!!/東京ELECTROCK STAIRS(日本)『前と後ろと誰かとえん』 photo by bozzo

−−文化庁の大型助成が見送られたというのはとても大きなことだったと思います。その一方で、私どもの長期助成にお申し込みいただいていたのは、こちらとしてもとても嬉しい出会いでした。最初に助成させていただいたのは、東京芸術文化創造発信助成の単年プログラムで、「Dance New Air 2014」に対するものでした。その後、長期助成の申請を考えていただいた経緯やその際の目標を教えてください。

宮久保 規模の大きなフェスティバルですので、事前準備が必要になります。単年ですと、ほとんどの助成というのが、秋に申請の締め切りがあり、その返事をいただくのが翌年3月の後半です。それで新しい年度に実施に向けた準備をしなくてはならないというようなことになると、かなりスケジュールが足りない。どうしても秋や冬に公演が多いのはそれが理由だろうと、同業者の中では、よくそういう話題にもなります。ですから、たとえ2年の長期助成でも、1年前から準備できるということがありがたい。申請した当時は、まだ一般社団法人をつくろうか、つくるまいか、決まってはいなかったので、「Dance New Air実行委員会」という団体名で申請しました。ただ、その中で、青山劇場は閉館してしまうのだけど、新しい組織を立ち上げて、フェスティバルを継続していく意志があるということは書きましたし、2次審査の面接でもお話させていただきました。

−−長期助成の採択のプロセスを紹介しますと、最初に書類の応募をいただき、その書類審査をパスされた団体の方々に第2次審査というかたちで面接をさせていただいています。青山劇場が閉まるという過渡期にどのようにフェスティバルを継続し、発展させていけるか、その面接でも、非常に熱い思いを持って語っていただいたのが、強く印象に残っています。私どもとしても舞踊芸術の振興を考えるうえで、DNAにはこれからも、東京を拠点としたダンスフェスティバルの中核として活躍してもらいたいということでご支援をさせていただくこととしました。
その時に掲げてくださった目標を今、おさらいしますと、
「国内最大のコンテンポラリーダンスの祭典の開催」
「ダンスを通じた国際交流も含め、日本のコンテンポラリーダンスの発展に寄与する」
「観客や評論家を育成するためのプログラムを開催する」
「フェスティバル開催前年のサイトスペシフィック企画をシリーズ化して、建築や空間、街並みに関心を持つ層にもアピールしていく」
「中学校義務教育の中でのダンス必修が導入され、次世代のダンスに対する意識が変容していくなか、新しい発想や表現が生み出される土壌を豊かにしていく」
「ダンスの持つ力が社会とどうつながり、どのような未来へのメッセージとなるか模索する」
「未来の表現者、観客を育成していくことにつながる子供たちとのかかわりを深め、子育て世代が楽しめる企画の充実を図る」
こういった目標を今、どのように振り返られますか。

宮久保 達成できたものもありますし、継続して掲げていきたいもの、また、いろいろな理由で実現できなかったものもあります。サイトスペシフィックシリーズは1年おきに開催していて2回目は来月の末(2018年2月)になりますが、シリーズ化して開催しています。その他については、もともとここで終わりというものでもないですし、2016年の開催があったことで間口が広がったものが多いので、今後の目標にもなると思っています。
それから、「やりたい」という気持ちはすごく強かったのですが、まだ取り組めていないのが、評論家を育成するためのプログラムです。今、新聞や雑誌も含めて評論をする場もなくなってきていますし、ウェブサイトもありますが匿名性が高く、そこにはいい面と悪い面があります。きちんとした評論をするという目線を持つ新しい人を育てられないかなという思いがここにいるフェスティバルのメンバーの中からも出てきたのですが、実際にどうやるかというところまでは、マンパワーも足りず、きちんと準備が整わなかったということがあり開催にいたりませんでした。これについては、アーツカウンシル東京さんにも1年目に、理由も含めて相談しまして、活動計画の変更をご了承いただきました。

−−最初にご申請いただいた際の事業計画には、確かに批評家講座といったものも含まれていて、その期待値も込めて評価させていただいたんです。ただやっぱり、2年という長期の助成の中では、考えや状況が変わっていくことがありますから、私どもとしても、そういった変化をうまく汲み取っていけるようにと考えています。実務的なことを申し上げますと、そうした変更が生じた時には、変更申請をいただいて、それを承認するというプロセスを踏んでいます。このようなやりとりをしながら、フェスティバルの運営をより明確にしていただくお手伝いをしています。

宮久保 実際に助成の申請を出して、その決定が出るまでにも2ヶ月、3ヶ月、長い時には半年近くかかってしまうこともあります。招聘しようと検討していたアーティストサイドでもいろいろと状況が変わってしまったりしますから、どうしても変更・調整の必要は生じます。ですからそのつど、ご相談をしています。

オープニング ダンス三昧プログラム:山田うん(日本)『ディクテ』(2011) photo by bozzo

−−2016年の開催に関して、さきほど掲げられた目標の中でも、いちばん大きな手応えを感じておられるのはどんなことですか。

宮久保 さきほどもお話したように、文化庁の助成金が不採択になり、当初の予算規模が叶わなくなったタイミングで、開催をどうするかということももちろん考えました。しかし、前年度から長期助成をいただいているというのが、まず大きな後押しになりました。とはいえ、プログラムを縮小する必要がありましたから、さきほど小林さんが、「お金がないときには知恵を」とおっしゃいましたが、まさにそうで、知恵はもちろん、そういうことを相談できる仲間がたくさんいるということも、すごく大切だなと思いました。その結果、新たな取り組みとして提携事業が膨らみ、フェスティバル感が強まったということはすごく感じています。
たとえば、チラシも刷り、配布が始まった7月の終わりくらいに、たまたまある公演の終了後にお話をしていて「ちょっとこういう事業を考えているのだけど、一緒にやれませんか」とご提案いただいたものをひとつ加えることにもなりました。それが「ダンス保育園!!」という事業です。これについては私たち自身も、未来の観客になりうる子供たちに向けて、ただの託児サービスでも、子供向けワークショップでもないものを何かやりたい、と思っていたのです。ただ、小さな運営部隊ですから、それをひとつのプロジェクトとしてやるのは困難だったのですが、ちょうどよいタイミングで外からそういう企画が立ち上がりました。そういう出来事が少しずつ加わったことで、最初は倒れそうだったフェスティバルの幹が、かなり太くなっていったという感覚があります。

DNA2016提携「ダンス保育園 ! !」 photo by Yota Kataoka

平岡 アーツカウンシル東京からの長期助成は、文化庁の助成金が不採択になる前から決めていただいたものでした。ネガティブな話にも聞こえるかもしれませんが、それで中止することができなかったとも言えますし、どうやってやりとげるのかということ自体があの年の目標で、それを実行できたことはとても大きいと思っています。
2016年の開催からすでに1年以上が経って、ダンスの現状は今また変わってきています。話題の登美丘高校のダンス部の映像が爆発的に世界に広がっていたり。教育の現場にダンスが取り入れられ、教えやすいリズムだったり、「揃う」ということが目標にされるなかで、「表現」という意味でのダンスの教育は置き去りになっていないかというようなこと。それから、コンテンポラリーダンスは、ますます発展していくのだろうか。今は発展というよりは、支えていくということが大事なんじゃないか。さきほどの小林さんの話にもありましたが、やめるのは簡単なのです。でも、今言ったようなことも問題意識として持ちつつ、続けることができたのは、改めて大きな成果だったと感じています。

−−連携プログラムという枠組みは、2016年のフェスティバルから始められたわけですね。

宮久保 今までは同時期に開催される舞台公演と広報協力するということはありませんでした。2016年はちょうど、あいちトリエンナーレがありましたし、さいたまトリエンナーレも始まったりして、それぞれのフェスティバルに参加したダンサーが、こちらのフェスティバルにもかかわっているということがあって、チラシの配布やSNSの発信といった相互協力ができていきました。できるところから、ですが、そういう形で連携プログラムに取り組んだのは初めてでした。

カンパニー・アドリアンM/クレールB(フランス)
『HAKANAÏ』(2013) photo by bozzo

ヴェルテダンス、Jiří Havelka, Clarinet Factory(チェコ共和国)
『CORRECTION』(2014)photo by bozzo

−−2016年の開催を終えられての今後の課題、目標については、どのように考えていらっしゃいますか。

宮久保 継続していくことがまず、いちばんの課題であり目標です。財源がないと続けていくこともできないので、助成金の申請にはつどつどチャレンジしていますし、企業協賛についても動いています。どうしてもそこがメインになってしまう悩みもありますが、やはり、どう続けていくかは、変わらずこれからも課題ではあります。

それから、「観客が増えている感じがしないね」というのもよく聞く話です。私は、何人か減ったぶんは何人か増えていたり、パイ自体は小さくならず、少しずつでも増えているんじゃないかと、期待値も込めて考えるようにはしています。ただ、まだダンスに触れていない人たちにどうアプローチしていくか。こういうフェスティバルだからこそ、多面的なプログラムを増やし、近づいてもらえるようなアイデアを加えていくというのも使命なのかなと考えています。

後編「面で広がり、社会にひらく」に続く

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