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アーツカウンシル東京ブログ

アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

東京アートポイント計画通信

東京アートポイント計画は、地域社会を担うNPOとアートプロジェクトを共催することで、無数の「アートポイント」を生み出そうという取り組み。現場レポートやコラムをお届けします。

2020/05/15

日常生活に戻るためのキュー出し(ディレクター日記 2020/05/04)

▲五十嵐靖晃「くすかき」でつくられた「樟香舟」

昨日は今年初の夏日だったが、連休中日の本日5月4日は雨のせいか半袖だと肌寒い。
換気のためにいつもは開け放している自宅の窓を、午前中は閉めて過ごした。

デスクに置いた「樟香舟(しょうこうぶね)」の香りがからだを包む。アーティスト五十嵐靖晃から届いたプロジェクトの成果物だ。五十嵐が太宰府天満宮で2010年から続けているアートプロジェクト「くすかき」では、多くの仲間とともに天満宮のくすのきの落ち葉をかき、その葉を蒸留して樟脳(くすのきから採れる芳香のある結晶)を取り出し、「樟香舟」や「芳香袋」をつくって全国の応援者と分け合う。ただし、今年の「くすかき」は特殊だった。緊急事態宣言下では集うことができないので、五十嵐が独りで進めたのだ。4月18日(土)の朝、私は太宰府からオンライン中継された「くすのかきあげ」の音を聞き、東京から見守った。コロナ禍でのアーティストの対応とそこから生まれた連鎖的事例の一つといえるだろう(*1 )。

東京都は、2020年4月25日から5月の連休までを「Stay Home週間」と名付けた。都内における公的な文化施設/事業の活動休止は2月下旬から始まっていたので、アーティストやアートプロジェクトの活動自粛期間はすでに2ヶ月以上が経ったことになる。それでも、集うことができない状況下におけるアート関係者のアクションは、東京アートポイント計画の記事でも紹介したように多岐に渡る(*2 )。

13の特定警戒都道府県以外での地域では、対応の準備が整い次第、美術館も再開できそうだ(*3 )。しかし、プロジェクト型のアート活動を再開するにはもうしばらくの間は難しいだろう。そしてそれ以上に難しいのは、「日常生活に戻るためのキュー出し(合図)」となる気持ちの再興ではないだろうか。

*1:五十嵐は、紙でつくった器を「舟」に見立て、香りを運ぶ「樟香舟(しょうこうぶね)」を全国の仲間に届ける。「舟」とえいえば、彼の師匠にあたるアーティスト・日比野克彦も「明後日朝顔プロジェクト」で朝顔の種を情報を運ぶ舟に見立てている。プロジェクトの現場ではしばしば、振る舞いの技術が伝承伝播する。
*2:コロナ禍におけるアーティストや関係者、施設、行政などの対応については「ウェブ版美術手帖」が連日その動きを報じている。「パンデミックで美術館が注意すべき20のこと。国際美術館会議(CIMAM)が公開」(2020年4月30日)、「東京から鳥取まで。行政によるアーティスト支援事業まとめ」(2020年5月2日)など。
*3首相官邸「新型コロナウイルス感染症対策本部(第33回)」(2020年5月4日)

▲「ファンファン」拠点前の様子

「日常生活に戻るためのキュー出し」の振る舞いのイメージを、 「ファンタジア! ファンタジア!」(通称「ファンファン」)をディレクションするキュレーターの青木彬との会話で想起した。

「ファンファン」は、東京の墨東エリア(墨田区北東部)で活動する、東京アートポイント計画のアートプロジェクトのひとつ。4月30日(木)夜、私達は、青木もふくめた事務局チームとウェブ会議を実施した。

そのなかで驚いたのは、彼らが路地で「ソーシャルディスタンス(フィジカルディスタンス)」を保ち会話をしていると、「三密だぞ」と通りがかりの人から声がかかるというエピソードだ。青木が語る情景や内容が「あまりにもきちんとしすぎていて、らしくなさすぎて」笑えてしまった。が、笑えないほどの状況が社会を覆っているということだろう。

なぜなら彼ら「ファンファン」の謳い文句は、「それまで当たり前だと思っていた考えを解きほぐす“対話”を生み出し、地域の文化資源の活用から“学びの場”を創出するプロジェクト」だからだ(*4 )。

彼らの活動拠点の前はバス停で隣はコインランドリー。ふらっと人が立ち寄れる場所にある。予期せぬ訪問者をふくめ、不要不急の事象にあふれ、ノイズに満たされていたのが「ファンファン」の良さであった。それがウェブ会議中心のコミュニケーションになりノイズがなくなってしまったのだと言う。確かにオンラインでの沈黙がまるで放送事故のように感じる自分がいる。そして今や路上に出て佇めば「三密」で「不要不急」だと注意を受ける。

巷にあふれていた「不要不急」が生み出していた、無数のノイズを再び取り戻すための活動。それこそが、最小の単位で始められるマイクロなアートプロジェクトが今担うべき役割のように思える。「日常生活に戻るためのキュー出し」は、活動の指針を示すいい言葉だ。

アート的機会の損失がもたらす「失ったもの」の明示はされることがない(*5 )私達はきっと「失った時間」をリカバリーしていくことから始めないとならないのだろう。プロジェクト型の作品としての存在がない(無形)行為に関しての経験的知見の消失の速度は速い。コロナ禍の早い収束を願う。

*4:「ファンファンパック‼2019」(2020年3月22日発行)より
*5:アート的機会の損失として私個人が危惧しているのは、たとえば「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」展(東京都現代美術館で3月14日開幕予定だったが延期中)や、「さいたま国際芸術祭2020」におけるアラン・カプロー≪Fluids 1967/2020≫などだ(同じく3月14日開幕予定だったが現在は開催時期未定)。オラファー・エリアソン展はもしかすると閉幕の6月14日までに体験できる機会があるかもしれない。「ハプニング」の父であるカプローの作品も、どうか最終的に「中止」にならず、いかなる形かで(もちろん感染症対策が講じられた上で)実施されることを願う。目にした作品の解釈のために思考し、文献を読み、文脈に触れるアート的機会は本当に貴重なものだからだ。

(2020年5月4日)

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