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アーツカウンシル東京の芸術文化事業を担う人材を育成するプログラムとして、現場調査やテーマに基づいた演習などを中心としたコース、劇場運営の現場を担うプロデューサー育成を目的とするコース等を実施します。

2022/11/29

芸術文化創造活動の担い手のためのキャパシティビルディング講座2022レポート:誰ひとり取り残さない芸術文化について、文化政策の歴史から考える。第6回:人間にとって「文化」「芸術」とは?~「文化権」から捉え直す~

『文化権』という言葉を聞き慣れていますでしょうか。キャパシティビルディング講座では開講以来初めてのテーマとして取り上げ、講師に中村美帆(なかむら・みほ)さんをお迎えして実施しました。今年度第6回となる講座では、まず『文化権』と関連するその他の権利の概念(生存権、生活権、社会権、人権、自由権、教育権、幸福追求権、など)やその歴史を学びます。そして、あらゆる人々にとっての芸術文化の意味や、“稼ぐ文化”を推進するだけではない公共文化政策について考えることで、芸術文化の可能性について広く問い直していきます。ファシリテーターの小川智紀さんから「『文化権』という言葉を使った時に、お金がある/ないとは違う側面が見えてくるのでは」と期待が寄せられ、講座がスタートしました。

講師の中村美帆さんは長年『文化権』について研究されています

『文化権』ってどんな権利?

中村さんはまず「権利ってなに?」「人権ってなに?」というところから噛み砕いて話してくださいます。「高校までの授業を思い出してみると『権利』って要求型になりがちな、よく言えば問題提起の言葉です。一方で、その存在を知ることで希望を与えてきた言葉でもあります。なかでも『人権』は、歴史の大きな流れを押さえていくと、過去からずっと「人権とはなにか?」という問いそのものがアップデートされながら現代まで続いていることがわかります」とし、『権利』というものが国民権から人権へ、自由権から社会権へ、法律による保障から憲法による保障へ、そして国際社会における話へと広まってきた歴史を振り返ります。

まず「人権とはなにか」を知るところが第一歩だと中村さんは言います

『人権』という言葉の存在を知ることで、「そういう概念があるんだ」「誰もが持っていてもいい、保障されるものがあるんだ」と思え、世の中の見え方が変わる。『文化権』も同じで、知ることにより理想を語ることができる希望の言葉だと、中村さんは言います。

では『文化権』とはどういうものでしょうか。中村さんが『文化権』に興味を持つようになった2004年頃にはまだそれほど知られていない言葉でしたが、文化権=文化政策の基本理念のひとつである、ということは最近では定着してきました。しかし今なお発展途上の権利です。中村さんは「贅沢だったり文化を好きな人だけが関わるものではなく、人間誰しもが望んでいいものだよ、という権利だと思ってます」と力を込めます。

文化に関する国際的な権利には、さまざまなものがあります

簡単に歴史を振り返ると、『文化権』は第二次世界大戦以降に国際社会で発展してきた新しい権利のひとつです。戦後1946年に発効した『ユネスコ憲章』では、文化と平和と人権はセットで語られていました。その後、1948年に採択された『世界人権宣言』第27条には「自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び化学の進歩とその恩恵とにあずかる権利」と書かれています。1966年に採択された『国際人権規約』15条には「この規約の締結国は、すべての者の次の権利を認める。(a~cのうち)(a)文化的な生活に参加する権利」とされ、日本は1979年に批准しました。

一方で日本の場合は、20世紀の終わりくらいまでは『文化権』についてあまり触れられてきませんでした。その後、2001年に『文化芸術振興基本法』が成立し「人権は等しく保障され、政府の責任として等しく環境整備をやっていく」ことが示されたほか、憲法として文化的な権利はどのように扱われるのだろうという議論がうまれています。

日本は戦後30年以上経って後、注目を集めるようになっていきました

ポイントとなるのは、『文化権』には自由権的な部分と、社会権的な部分があるということです。自由権とは、国家からの自由を示します。例えば「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(日本国憲法第21条)などです。しかし政府からの自由を得た結果、市場では独自のやりとりが発生し、発展と同時に失業や貧困が多くうまれました。それにより国家に積極的な配慮を求め、戦後直後は、社会権(生存権)の概念が重要視されることになります。1945年以前は、生存権(最低限度の生命の保障)と生活権(文化を含む生活の保障)を分けて捉える見方を、複数の論者が唱えていました。それに対し、戦後の日本国憲法第25条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」として生存権を位置づけ、「生存権」に「文化」も含める可能性をひらいたことが画期的な変化でした。ただ当時の議論においても、生存権と生活権がまぜこぜに語られる場面も少なくありませんでした。
しかし、『文化権』の考え方は進化してきています。文化権にはたしかに、自由権的な部分と社会権的な部分がありますが、それだけでない部分もあるのではないか、と考えられるようになりました。そこにとどまらない自分達の権利を作っていこうという動きが、現在進行形で起きています。

ここで主題に戻り、人間にとって「文化」や「芸術」とは?と考えてみます。『文化権』とは、権利と歴史の文脈から「文化や芸術は誰にとっても必要なものである」と考え、説明できるものでした。そこには稼ぐ文化/稼がない文化という視点とは違い、権利としての文化を捉えることができます。文化的な生活や文化芸術を考える時に、文化政策の視点だけでなく人権という視点で見てみると、より広い世界が開かれるのではないか。そんな俯瞰的な視点を得られた前半の講義でした。

『文化権』を身近に引き付ける:グループディスカッション

後半はA~Cの3グループに分かれて60分のディスカッション・発表を行いました。「文化権を自分事に引き付ける手がかりになれば」と厳選されたお題はふたつ。

(1)身近な文化の現場で、人権に関係するエピソードとして、例えばどんなことが思いつきますか?
(2)文化権が実現できた世の中では、どんなところが今と変わると思いますか?

各テーブルにメモ用紙と付箋が配られ、ディスカッションはすぐに盛り上がります。対面型の講座は受講生同士のコミュニケーションが円滑になっているように感じます。3グループとも、テーマに沿いながらお互いの意見だけでなくエピソードをシェアしていきます。人権が侵されそうになった時のこと、誰かと権利について話をしようとした時のこと、海外と比較して日本にもあったらよい制度についてなど、どんどんグループ内での具体性が増していきます。各グループまったく違う話題に熱が入り、あっという間に時間が過ぎました。

Aグループは、おもに文化とお金の話です。文化を創造する側も享受する側もお金がかかり、経済資本がないと文化資本が蓄えられないジレンマに注目。それでは生活における文化の優先順位が低くなるため、もっと制度面で改善できることがあるのではないか……と、入場料が無料になる文化の日や、未成年や学生がヨーロッパのように金銭的に負担が少なく文化に触れられる機会があればいいという意見が出ました。

Aグループのワーク記録

それを受けて中村さんが「芸術文化には、経済的な営み(“稼ぐ文化”)とそうではないものがある。(今年度の本講座では「非営利」について考えることを大きなテーマと設定していることを踏まえ)だからこそ“稼ぐ文化”を全否定したらいけないんだろうなと思います」と述べると、「“稼ぐ文化”と”稼がない文化”には、社会の中で価値観の差があると感じる。対等に共存するにはどうしたらいいんだろう?」という意見には、中村さんは再び歴史を振り返り「共産主義社会主義を打ち出した国が軒並み行き詰まり、資本主義が台頭した。それまでの社会は身分制で自由に買い物もできなかったため、資本主義は画期的だった。その後、資本主義がいきすぎるのも問題だからこそ、互いに歩み寄れるかどうかがまず一歩なのでは」と広く俯瞰した視点が示されました。

Bグループでは、お題(1)について「公演の空席について、当日に近づくにつれて値段が安くなったり、座席によって値段を変えたり、子どもや障害者料金を設定してはどうか」という意見の一方「障害のある当事者は公平に扱ってほしいかもしれない。文化権アクセシビリティを作って、こういう時はこう言ったら、という案が出せたら」と建設的な議論が交わされた様子。また(2)については平安時代まで遡り「スポーツより文化の方が嗜みだったが、現代は体育会系がモテる。文化部がモテるようになればいいな」という身近に引き付けたアイデアに他のグループから笑いと拍手が巻き起こりました。

またCグループは(1)について、大きな社会問題との向き合い方が議論されていました。例えば知人がミャンマーで拘束されていること、性暴力の当事者と周りの人との関係、3.11後の創作において震災について表現した方がいいのか悩んだこと、そしてそれら大きな社会的テーマによって口にしづらくなる日常の小さな問題など、身近なさまざまなエピソードがシェアされました。(2)については「文化権に携わる仕事も携わらない仕事も存在しないような、文化権が当たり前の世の中になっているんじゃないか」とイメージ。その発表を受けて中村さんは「変化は身近な小さなところに現れますよね。大きな物語のことだけ考えると疲れてしまう。人権とは、他人も自分も等しく同じで、他人を犠牲にするのも他人のために自分を犠牲にするのもダメだということ。無理のない範囲で少しずつやっていくことしか世の中って変わらないというのは、20世紀後半の教訓かな」と、前半の講座とも繋げながらコメントを返してくださいました。

講座のようす。この日はグループごとにテーブルに分かれて受講しました

講座の前半では法的な視点で権利の歴史を振り返り、後半のグループディスカッションでは身近なことに引き付けて考えてみました。最後に中村さんはこう総括します。
「法律は、不幸を減らすことはできるけど幸福を与えることはできないんじゃないかなと思うんです。誰かが誰かを気にかけるというのは、法律ではなく愛情の話。法律ができることは、愛情の強制ではなく、人を傷つけないこと。寂しい人に愛する人を作ることはできないけど、孤独死しないようにできるのが法律です。文化政策もそうで、アートは愛のきっかけを作ることはできるかもしれないけど、本当に愛が生まれるかどうかは個々のこと。人に愛や幸せを与えることは制度がやるべきではないというのも、20世紀の教訓だと思います」。それを受けてファシリテーターの若林朋子さんが「考え続けることが大切ですね。文化権って手の中にあるものだから、そこから考えていきましょう」と身近な感覚に引き付け、講座は終了しました。

次回の第7回は、「社会における芸術文化の必要性を考える~芸術文化支援を鍵に、自立の在り方等を考える~」と題し、片山正夫さんに講師を務めていただきます。「なぜ、社会にとって芸術文化が必要なのか」について考え、活動の価値を客観的に説明する力を磨き、自立・自走の在り方を探求していきます。

※文中のスライド画像の著作権は講師に帰属します。


講師プロフィール

中村美帆(なかむら みほ)
青山学院大学総合文化政策学部准教授。東京大学法学部卒、同大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻(文化経営学)博士課程単位取得満期退学、博士(文学)。
静岡文化芸術大学文化政策学部准教授を経て、2022年4月より現職。主著に『文化的に生きる権利-文化政策研究からみた憲法第二十五条の可能性』 (春風社、2021年)、『法から学ぶ文化政策』(共著、有斐閣、2021年)、『自治体文化行政レッスン55』(共著、美学出版、2022年)など。

執筆:河野桃子
記録写真:森勇馬
運営:特定非営利活動法人舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)

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