ライブラリー

コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

2017/02/24

2020年に向けてフィランソロピー型の助成を

アーツカウンシル東京カウンシルボード委員 / 公益財団法人セゾン文化財団常務理事
片山正夫

前回のコラムで、日本の文化政策では「助成」という方法の意義や可能性が十分認識されていないのではないかと疑問を呈した。今回はそこから一歩進んで、ひとくちに助成といっても、大きく分けてふたつの考え方がとりうることをお話ししたい。
米国の財団界ではよく、「チャリティ(charity) よりもフィランソロピー(philanthropy)を」という議論を耳にする。この両者は、それぞれ単独で用いられたときは、ともに社会的、慈善的な目的をもった寄付のことだから、まあ似たような意味だといえる。しかし、このように対比的に用いられたときには、少し違ったニュアンスを帯びる。簡単にいうと、同じ寄付でもチャリティは、「目の前の困っている人に手を差し延べる行為」であるのに対し、フィランソロピーは「問題の根源にある要因を変えることで、問題自体をなくしていこうとする行為」である。
文化政策でいえば前者は、たとえば民間の団体が行う公演活動がどうしても赤字になってしまうので、助成金で赤字部分を補てんすることで公演を可能にする、というのがこれにあたる。わが国で見られる官民の助成は基本的にこのスタイルだ。助成を受ける側にとっても有難いし、助成する側も、公演の実現という目に見える“効果”がすぐに得られるので、比較的手掛けやすいやり方といえる。ただ問題は、毎年こうした助成を続けても、赤字になるような状況そのものが改善するわけではないということである。
いっぽうで後者は、助成にあたって次のように問いを重ねていく。

  • そもそもなぜ赤字になるのか? 要因は何か?
  • その要因を変えることで赤字をなくせる(減らせる)可能性はあるか?
  • 可能性があるなら、その要因を変えるのに、どのような(新しい)方法が考えられるか?
  • 助成金があれば実行可能な、もっとも現実的なオプションは、そのうちどれか?

こうして助成金の出し先となる取り組みが絞られていくわけだが、お分かりのとおり、これらの問いに答えていくには相当の知識と知恵が要求される。時間をかけたリサーチも必要だろう。ただ、もし仮にこうした取り組みが徐々に功を奏して、赤字の改善が期待できる状況が実現したなら、その経験をセクター全体の共有財産とすることで、影響が及ぶ範囲は一団体を超えて大きく広がる。効果も持続的だ。つまり、将来的に多額のチャリティを“節約”することが可能となるわけだ。
チャリティ型の助成とフィランソロピー型の助成は、どちらが正しくどちらが誤りということもないし、どちらが効果的でどちらがそうでないということもない。政策的には両方のタイプを組み合わせていくことが必要である。
ただし、たとえばアーツカウンシルのような機関ならば、チャリティ型助成だけでなくフィランソロピー型助成も当然視野に入れておくべきだ、ということは言って良いように思われる。なぜなら、チャリティ型の助成なら個人寄付者にもできるし、企業メセナとしても取り組めるが、フィランソロピー型助成は、一定規模以上の資金と、その分野に対する専門的知見とを有した専門機関でなければできないからだ。
一般にフィランソロピー型助成は、何年かの時間をかけて計画的に取り組まない限り成就しないが、この点においてもミッションをもった機関向きの助成といえるだろう。米国の民間助成財団が「チャリティよりもフィランソロピーを」というのも、そうした理由による。  
さて、オリンピック・パラリンピックの東京での開催が足早に近づきつつある。2020年までは、関連の文化プログラムに対して相当額の予算が投入されることになるはずだ。ならばこれを一過性のお祭りに終わらせるのではなく、後世に残る何らかの“レガシー(遺産)”を生む機縁にすべきだろう。
こうした考えもすでにコンセンサスを得つつあるが、そうであれば、まさに今こそフィランソロピー型の助成に取り組むべきタイミングといえるのではないか。フィランソロピー型の助成は、ある意味では問題解決を志向した助成ともいえるし、またある意味ではコミュニティのストック(資産)やインフラの形成を志向した助成ともいえる。つまり、レガシーを創出する助成にほかならないのである。