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コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

2017/02/10

国際的に活躍する日本の演劇人
マティアス・リリエンタール(ミュンヘン・カンマーシュピーレ芸術総監督)に聞く
~岡田利規への劇場レパートリー作品の委嘱について~

アーツカウンシル東京 企画室企画助成課 シニア・プログラムオフィサー
佐野晶子

アーツカウンシル東京では平成24年度の機構発足時より、「東京芸術文化創造発信助成」(以下、創造発信助成)という助成プログラムを通じて、東京を拠点に活動する芸術団体やアーティストへの活動支援を行っています(対象分野:音楽、演劇、舞踊、美術・映像、伝統芸能、複合)。また、演劇分野では、アーティストの国際的な活躍を後押しするため、海外の劇場やフェスティバルから正式招聘を受けて行われる公演への支援を重視しています。例えば、昨年は、若手から巨匠まで世界最高水準の作品がラインナップされることで知られるパリの「フェスティバル・ドートンヌ」に、平田オリザ氏、岡田利規氏、タニノクロウ氏、神里雄大氏4人のアーティストの作品が招聘されました。そのうち、タニノクロウ氏が主宰する庭劇団ペニノ『地獄谷温泉 無明ノ宿』と、神里雄大氏が主宰する岡崎藝術座『+51 アビアシオン、サンボルハ』を、創造発信助成で支援しています。
また、ここ数年は、すでに製作された作品の招聘にとどまらず、海外の劇場やフェスティバルが日本人演出家・劇作家に新作を委嘱し、現地の俳優やスタッフとクリエーションを行うことが目立っています。タニノクロウ氏は2015年、ドイツ・クレフェルトの市立劇場に招かれ、劇場専属の俳優やスタッフと東日本大震災をテーマにした一人芝居『水の檻』を製作しました(2015年6月にタニノクロウ氏によるパブリックトークをアーツカウンシル東京にて開催しています)。また、世代は異なりますが、これまでフランスや韓国等で数多のコラボレーションを行ってきた平田オリザ氏が、昨年ドイツ・ハンブルクの州立歌劇場で、作曲家・細川俊夫氏による新作オペラの脚本・演出を手がけたことは記憶に新しいところかと思います(『海、静かな海(Stilles Meer)』)。
そして今、比較的若い世代で国際的な活躍が目覚ましい演劇人といえば、劇作家・演出家でチェルフィッチュ主宰の岡田利規氏でしょう。
チェルフィッチュの初の海外公演は2007年、先端舞台芸術のアンテナ・フェスティバルとして知られるベルギー・ブリュッセルの「クンステン・フェスティバル・デザール」でした。同フェスティバルで上演した『三月の5日間』は大きな反響を呼び、上演直後から欧州を中心に50近くの招聘公演のオファーや、国際共同製作(複数の劇場やフェスティバルが共同出資してアーティストに新作委嘱すること)の提案を受けたそうです。以来、チェルフィッチュの海外公演は欧州や北米、アジアなどの世界70都市以上を数えています。岡田氏個人の仕事としても、2015年9月に韓国・光州にオープンした “Asian Arts Theatre” のオープニング・プログラムとして委嘱され、フェスティバル/トーキョー15でも上演された日韓共同製作作品『God Bless Baseball』の作・演出が記憶に新しいところです。

その岡田氏が今、ドイツ有数の公共劇場であるミュンヘン・カンマーシュピーレ(ミュンヘン市立劇場)から、2016年から2018年までの3シーズン連続でレパートリー作品の作・演出を委嘱されるという、前例のない仕事に取り組んでいます。
詳しい方には自明のことですが、ドイツでは国ではなく地方自治体(16州と市)が文化や教育の権限を持っています。各自治体は都市の顔、文化の象徴として劇場に多額の予算を拠出し、劇場は全権を握る芸術総監督(インテンダント)を頂点として、専属アンサンブルやドラマトゥルク、運営スタッフや舞台スタッフなど数多くのプロフェッショナルを雇用しています。そして劇場は才能ある演出家や作家を招致してレパートリー演目を製作し、日替わりで上演するという、堅牢な劇場制度を有しています。ちなみにバイエルン州の州都であるミュンヘンは人口140万人、ベルリン、ハンブルクに次いで3番目に大きな都市で、ミュンヘン・カンマーシュピーレはドイツ語圏を代表する公共劇場の一つです。
その劇場の芸術総監督に、2015/2016シーズンからマティアス・リリエンタールという人物が着任しました。リリエンタール氏は90年代、旧東ベルリンの公共劇場フォルクスビューネのチーフ・ドラマトゥルクとして、フランク・カストルフ、クリストフ・マルターラー、クリストフ・シュリンゲンジーフといった名立たる演出家と数々の挑発的な作品を創作上演し、若者から熱烈な支持を受ける劇場にしたことで知られます。その後、2003年から12年には専属アンサンブルを持たないHAU劇場(Hebbel am Ufer)の芸術監督兼経営責任者として、フリーシーンと呼ばれる劇場に属さないアーティスト達による先鋭的クリエーションを牽引しました。2002年及び2014年には3年毎に開催される「世界の演劇(Theater der Welt)」祭のプログラム・ディレクターを務めるなど、ドイツ語圏のみならず世界の演劇シーンを牽引する人物の一人です。(フォルクスビューネおよびHAU劇場については、カウンシルボード委員の内野儀氏がコラム <公共>ということ-ベルリンからで紹介していますので、ぜひご参照ください。)
私は昨年6月、岡田氏のミュンヘン・カンマーシュピーレでのレパートリー作品第一作目であるドイツ語版『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』のプレミアを観に訪れた際、同氏にインタビューする機会を得ました。200席程の劇場Kammer2で、劇場専属俳優によって見事に演じられた『ホットペッパー~』は好評を博し、現在も上演が続いています。と同時に、岡田氏は今、二作目となる『NŌ THEATER』の初日を控えリハーサルの只中です。リリエンタール氏はなぜ、伝統あるミュンヘン・カンマーシュピーレという劇場に着任早々、岡田利規という日本のアーティストに3本もの作品を委嘱することを決めたのか――。助成対象アーティストの海外での活躍や現地での評価についてご紹介するべく、その内容を抜粋して掲載します。


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(C)Sima Dehgani

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ミュンヘン・カンマーシュピーレの外観 撮影=筆者

2016年6月22日、プレミア前々日、ミュンヘン・カンマーシュピーレ芸術総監督室にて

―――本日はありがとうございます。このインタビューの趣旨ですが、私どもは助成制度を通じて、東京を代表するアーティストの一人である岡田利規さんの劇団活動を支援していますが…

リリエンタール氏(以下L):東京、ではなく、アジアにおける最も重要な演出家の一人だと思いますよ。

―――はい。今まさに指摘されたように、我々には日本人アーティストの国際的な位置づけや評価を正確にとらえるのが時に難しいことがあります。ですので、今日は直接お話をお聞きすることができて、大変嬉しく思います。
リリエンタールさんは2008年、当時芸術監督を務めていたベルリンのHAU劇場にチェルフィッチュの『三月の5日間』を招聘して以来、岡田さんと継続的に仕事をしています。2012年にはHAU任期最終年の特別プログラム『The World is not Fair – Die Grosse Weltausstellung 2012(巨大万国博覧会)』(注1)で短編作品『Unable to see』を委嘱し、2014年の「世界の演劇」祭では日本のコンビニエンスストアを舞台にした『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』を委嘱しています(いずれもアーツカウンシル東京「創造発信助成」助成事業)。岡田さんのアーティストとしての魅力や、どのような点を評価しているのかを教えてください。

L:利規には特別なアーティストとしての起点があります。それは、彼が作品の中で社会におけるさまざまな葛藤を扱うという点です。特に、日本社会の従来の伝統的価値観と、アメリカの消費文化との狭間に生じる摩擦や衝突について、彼は常に格別なイメージを見出します。矛盾に満ちた難しい状況下にある人々が、今にも爆発しそうな怒りや不満を内に抱えていて、爆発させたいと思いながらも結局は内に内にと溜め込んでいくさまを描いています。また、今回この劇場の俳優達と『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』を創ってもらう過程であらためてよく分かったのですが、身体が語る言語を、実際に話されているせりふとは全く無関係に作り出すという、明確な美学的方法を用いています。これが非常に魅力的です。
日本とドイツは似ているところが多く、両国ともかつてファシズムの時代があり、1950年代以降は大規模な経済発展を遂げました。そして今やドイツは日本のデフレや高齢化社会の後を追いかけている。つまり、ドイツにとって日本は自分達の将来像、日本を見ているとドイツの未来が分かるという意味でも、興味深いのです。

―――なぜ日本のアーティストに関心を持つようになったのですか?

L:2002年に「世界の演劇」祭のキュレーションをした時に、日本と中国、ベトナムにリサーチに行きました。なんとなくですが、今どき北米と中央ヨーロッパの作品だけで演劇祭をやるのは何とつまらないことかと思っていました。
最初に注目したのは(2007年クンステン・フェスティバル・デザールで観た)岡田利規、(2009年に)タニノクロウ、快快(faifai)、(その後に)Contact Gonzo、神里雄大などです。もっと若い世代にも面白いアーティストがいました。大きな劇場空間で作品をつくるタイプのアーティストには興味がなく、こちらではフリーシーンと呼ぶのですが、比較的小さな規模で新しいことをやっている人達に関心があります。

―――岡田さんとはその後、招聘公演や新作委嘱を行うだけでなく、時にはドラマトゥルクとして創作面のアドバイスもしていると聞きました。他にもフリーシーンに相応しいアーティストがいる中で、なぜ岡田さんだったのでしょうか。

L:そういう関わり方をしたのは、クンステン・フェスティバル・デザールで『三月の5日間』が大変な反響を受けた翌年、いくつかのフェスティバルが国際共同製作(コ・プロダクション)で入って新作をつくったんです。インターネットカフェみたいなところを舞台にした作品だったのですが、それが全然うまくいかなかったんですね(注2)。国際的なフェスティバルは若い演出家やアーティストを好みますが、1回失敗するとその後は嫌います。最初の作品がヒットしても次に失敗すると、一作品で終わりだというレッテルを貼られてしまう。
2009年にHAUで日本特集「トーキョー/シブヤ:新世代」をするためのリサーチでフェスティバル/トーキョーを訪れた時に、利規が『クーラー』(注3)の映像を見せてくれました。20分程の短編でしたが、何だかパーティーのダンスシーンのサンプルのように見えて、自分にはとても面白かったのです。それで、『クーラー』を基にしてフルスケールの作品を創ってみたらどうかとアドバイスしました。それがチェルフィッチュの『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』(注4)です。

―――これから上演される作品ですね。

L:今回こういうこと(ミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリー作品を3シーズン連続で岡田さんに委嘱すること)になったのは、やはり自分がこの劇場に来たというのがありますよね。専属アンサンブルのあるドイツの公立劇場では、ある程度経験を積んだ人とでないと仕事にならない。たとえば、実験的で知られるHAUの時代であればもっと若い世代の人を探すこともできたけれど、この劇場に25歳位のクレイジーな若者を連れてきてアンサンブルと作品を創ってもらっても、まず失敗します。なので利規についても、なるべく慎重に時間をかけて、共同作業を進めるために、一作目は『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』をリメイクするという比較的安全な道を取りました。それでも新しいことがとても多くて、結構彼は大変だったと思いますが。

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『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』舞台写真 (C)Julian Baumann

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『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』舞台写真 (C)Julian Baumann

―――ミュンヘンはドイツの中でも保守的で知られる、敬虔なカトリック教徒の町だと聞きました。市立劇場ですから劇場にも保守性があると思うのですが、そこに数々の革新的なプロジェクトを手掛けてこられたリリエンタールさんが着任されたのは大変興味深いです。リリエンタールさんにとっても新たなチャレンジだと思いますが、ここでどのようなことを仕掛けていきたいと考えていますか?

L:ミュンヘンは日本で言えば京都みたいなところでしょうか。ドイツにはアジアでよく見られるような、他の町を凌駕する首都や大都市というものがありません。欧州では今尚、町は都市生活の中心として機能し、いまだに中世以来の中規模な町が中心です。私にはミュンヘンというとてもドイツ的な町の文化を、より国際的なものにしたいという思いがあります。そのために、この劇場の専属アンサンブルと、国際的に活動している演出家をどんどん混ぜていきたい。今シーズン招聘しているフランスのフィリップ・ケーヌ、レバノンのラビア・ムルエ、日本の岡田利規などによって影響を及ぼすことです。

―――異文化を取り入れることでミュンヘンの文化を国際化していく、と。

L:利規との次のシーズン(二作目)では、とても日本的なテーマである「能」に取り組みます。彼はどちらかと言うとサブカルチャーから来ている人で、能を長年愛好してきた人ではないと思いますし、西洋のパフォーミング・アーツを多く見ていて影響も受けていると思います。次の作品は能と狂言のいくつかを構成し、(複式夢幻)能の構造を取り入れ、現代の日本に置き換えた作品になる予定です(注5)。この作品を通じて、ヨーロッパのパフォーミング・アーツに日本の伝統の影響を及ぼすことができるのではないか。そういうやり方はミュンヘンだけでなく、東京の皆さんにとっても面白いのではないかと思います。もう一つの狙いは、後期資本主義に対する批判として提示するということです。

―――岡田さんに限らず、国際的な演出家を招聘して作品を創ることは、劇場のアンサンブルにスムーズに受け入れられたのでしょうか。それともリリエンタールさんのイニシアティブがあったからこそでしょうか。

L:未知の世界の人達との協働作業のなかで、利規とは、特に若い役者にとっては禅のワークショップのようだったようですよ(笑)。日々起こる、異文化による誤解がとても愉快です。今回の作品(『ホットペッパー~』)に入っている一人の女優から聞いたのですが、利規はとても細かいダメ出しをするそうです。たとえば「腕をもっと暗く動かして」と言ったらしいですよ(笑)。

―――それは、日本人は感覚的に分かるような気がしますが。

L:今、私達は社会主義世界革命を、(右派ポピュリズム政党である)AfD(ドイツのための選択肢)の道化から解放しようとしている最中ですので、「もっと暗く動かす」という表現にはある種の意味があります。

―――ミュンヘン市の要請で着任されたのですよね?

L:オーガニックのグミキャンディが欲しかったのに、買ってみたらポーランド産の爆竹だった(笑)

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劇場の外壁に貼り出された『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』のポスター 撮影=筆者

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『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』プレミア終演後のKammer2、エントランス周辺 撮影=筆者

―――現代社会への批判としての演劇を追求されている理由を教えてください。

L:それはもう、自分の基本的かつ普遍的な姿勢です。例えばミュンヘンには、家賃が非常に高いという問題があります。ですから、公共空間に25戸の低家賃の住宅を建てて提供する「シャビシャビ・アパートメント(Shabbyshabby Apartments)」というプロジェクトをやりました。また、今とても興味を持っているのはポスト・インターネットアートで、Airbnb(エアビーアンドビー)という宿泊施設や民宿を貸し出す人向けのウェブサイトの中でアートプロジェクトをやりたいと思っています。例えばアヴィニョン・フェスティバルに行こうとしてもホテルが全て満室な時、Airbnbを見るとキッチュでロマンティックな、新婚旅行で行くような天蓋付きのベッドのある部屋があります。つまり、アプリを通して新しいリアリティがどのように作り出され、人々がそれにどう反応するかに興味があります。東京もそういう意味では面白いと思います。

―――立派な劇場の外でプロジェクトを行うことは、劇場の運営サイドや地域社会に受け入れられるのでしょうか?

L:ええ、劇場運営サイドは全く問題ないです。「シャビシャビ~」もうまく受け入れられていて、皆にもよく知られています。簡単ではなかったですけどね。

―――最後に、これからアーツカウンシル東京に期待することを教えてください。ご存知かと思いますが、日本にはドイツのような劇場制度や豊かな創造環境はありません。リリエンタールさんから見て、岡田さんのようなアーティストが今後さらに発展するためには、どのような支援が必要でしょうか。

L:最も良いのは、東京に実験的なクリエーションの場を創ることだと思います。例えば250人収容するくらいの劇場なりスペースで、それほど大きくなくて良いので、200万ユーロ位の予算をつける。
例えば昨年、韓国の光州でキム・ソンヒさんがアジアのアイデンティティとは何かというテーマでフェスティバルを行いました(注6)。素晴らしいコンセプトでしたが、残念ながら場所が間違っていた。東京はぴったりの場所だと思います。例えば利規は映画を多く見ていて、映画からたくさんのヒントを得ていると思います。タイの映像作家アピチャッポン・ウィーラセタクンの作品などからも。アピチャッポンの作品の神秘的な部分は良いとは思いませんが、死者が現れ、生きている者よりも重要に扱われます。その瞬間が、辛辣な資本主義批判につながっています。そういう発想はヨーロッパ人にはありません。

―――アジアならではの価値観を扱う創造拠点が東京に必要だと。

L:もう一つの可能性として、長期にわたり安心して、様々な演劇の在り方やテーマをリサーチして取り組むことができるような支援です。ミュンヘン・カンマーシュピーレとしても、利規と5年位は仕事をしていく可能性が十分あります。ただ彼にとってミュンヘンがどれだけ興味深いのかという問題もあるし、他の都市からオファーが来るかもしれませんが。

―――リリエンタールさんのような存在があって、岡田さんは幸運でした。

L:でも利規も私のことを支えてくれていますよ。ミュンヘンで作品を創ってくれるのですから。先週、(上演が近づいて)稽古場から劇場に移った時、実は結構大変だったんです。そういう時は必ず、自分も彼の側にいて、アドバイスしたり、何とか一緒に乗り越えようとしています。

―――今日はありがとうございました。


岡田氏のミュンヘン・カンマーシュピーレでの初の完全新作となる『NŌ THEATER』は、2月18日にプレミアを迎えます。現代音楽の内橋和久氏による生演奏を交え、東京の地下鉄に乗る人々をドイツ語の俳優が演じ、語ることとは――『NŌ THEATER』の成功を祈りつつ、今後も機を捉えて、世界で活躍する東京のアーティストを紹介していきたいと思います。
なお、本インタビューのコーディネートと通訳は、ドイツ語版『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』でドラマトゥルクを務めた山口真樹子氏にご協力いただきましたことを申し添えます。


注1:ベルリンの旧テンペルホーフ空港跡地に計15の万国博覧会を模したパビリオンを設置した大型企画。ベルリンの建築家集団ラウムラボア・ベルリンによって建てられた日本/東京パビリオンは、廃墟となった原子力発電所の施設を模したものであった。
注2:この時の作品『フリータイム』(実際にはファミリーレストランが舞台)がうまく伝わらなかったことは、岡田氏自身も著書『遡行 変形していくための演劇論』(河出書房新社、2013年)で語っている。
注3:男女二人がオフィスの空調について話しながら、全く関係ない身振りを続ける小作品。2005年「トヨタ・コレオグラフィー・アワード」最終選考会にも出場した。
注4:HAU劇場のコミッション(委嘱)で実現し日本特集「トーキョー/シブヤ:新世代」で上演された。作品はヒットし、チェルフィッチュ版はこれまでに世界31都市で100回以上、上演されている。
注5:700席程の劇場Kammer1で上演予定。なお、この作品の意図について、岡田氏がセゾン文化財団ニュースレター「viewpoint」第77号「特集◎不在/亡霊の演劇」に寄稿している。http://www.saison.or.jp/viewpoint/index.html
注6:アジア最大規模の複合文化施設 ”Asian Cultural Center”(国立アジア文化殿堂)内にある ”Asian Arts Theater”(アジア芸術劇場)で開催されたフェスティバル。キム・ソンヒ氏は同劇場の初代芸術監督。

ミュンヘン・カンマーシュピーレ 劇場ウェブサイト(英語)
https://www.muenchner-kammerspiele.de/en
※MENUから入り、例えばARTISTS AND GUESTSページでは劇場アンサンブルや招聘アーティストが、KAMMERSPIELEページではスタッフの充実ぶりがうかがえます。

『NŌ THEATER』公演ページ(英語)
https://www.muenchner-kammerspiele.de/en/staging/no-theater
『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』公演ページ(予告編あり)(英語)
https://www.muenchner-kammerspiele.de/en/staging/hot-pepper-air-conditioner-and-t・he-farewell-speech
『シャビシャビ・アパートメント』(英語)
https://www.muenchner-kammerspiele.de/en/shabbyshabby-apartments


マティアス・リリエンタール
1992年から1999年までベルリンのフォルクスビューネ・アム・ローザ・ルクセンブルク・プラッツで、フランク・カストルフの下チーフ・ドラマトゥルクを務め、その間クリストフ・マルターラー、クリストフ・シュリンゲンジーフ等を同劇場の作品の演出家に起用した。2002年、ボン・デュッセルドルフ・ケルン及びデュイスブルクの4都市で開催された「世界の演劇」祭(Theater der Welt)のプログラム・ディレクター。このフェスティバルで初めて「X-アパートメント」(個人の住宅などにアーティストが設置したインスタレーションを観客が二人組になって訪ね歩く、地域に根差した作品)を立ち上げた。このフォーマットはこれまでにベルリンの様々な地域で3回実施された他、カラカス(ベネズエラ)、イスタンブール(トルコ)、サンパウロ(ブラジル)、ワルシャワ(ポーランド)、ヨハネスブルグ(南アフリカ共和国)やその他多くの都市で実施されている。2003年から2012年までベルリンの劇場HAU(Hebbel am Ufer)の芸術監督兼経営責任者。ディレクターズ・コレクティブである「リミニ・プロトコル」は継続的にHAUで作品を発表し、創り上げている。リリエンタールのイニシアティブで、クロイツベルクやノイケルンという(劇場のある、ベルリンの下町でトルコ系移民が多く住む)地区の特性を扱い、Nurkan Erpulat、 Neco Çelik、 Tamer Yiğitらによる「Beyond Belonging(帰属を超えて)」というシリーズ作品となった。また任期最終年に行われた大型企画-ユートピア的な西側をめぐる24時間のツアー作品「Unendlicher Spaß(Infinite Jest)」と、旧テンペルホーフ空港跡を会場に(建築家集団)ラウムラボア・ベルリンとの協働で行われた「Die große Weltausstellung(巨大万国博覧会)」の二つも大きな注目を集めた。2012年9月より10ヶ月間、アシュカル・アルワン(Ashkal Alwan Beirut-レバノンおよび中東地域の現代アートを世界に発信することを目的にベイルートに設立された非営利の芸術支援組織)のホーム・ワークス・プログラムでレジデント・プロフェッサーとして教鞭をとる。2014年、マンハイムで開催された「世界の演劇」祭(Theater der Welt)プログラム・ディレクター。2015/16シーズンよりミュンヘン・カンマーシュピーレ芸術総監督となる。
※劇場ウェブサイトより翻訳。カッコ内は筆者による補足。

岡田利規
1973年生まれ。演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰。活動は従来の演劇の概念を覆すとみなされ国内外で注目される。2005年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。同年7月『クーラー』で「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD2005-次代を担う振付家の発掘-」最終選考会に出場。07年デビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を新潮社より発表し、翌年第2回大江健三郎賞受賞。12年より、岸田國士戯曲賞の審査員を務める。13年には初の演劇論集『遡行 変形していくための演劇論』、14年には戯曲集『現在地』を河出書房新社より刊行。14年、東京都現代美術館にて映像インスタレーション作品『4つの瑣末な 駅のあるある』を発表して以降、15年同館での企画展の一部展示会場のキュレーションや、16年さいたまトリエンナーレでの新作展示など、美術展覧会へも活動の幅を広げ、「映像演劇」という新たな手法による作品制作に取り組んでいる。15年初の子供向け作品KAATキッズプログラム『わかったさんのクッキー』の台本・演出を担当。同年、アジア最大規模の文化複合施設Asian Culture Center(光州/韓国)のオープニングプログラムとして初の日韓共同制作作品『God Bless Baseball』を発表。16年、瀬戸内国際芸術祭にて長谷川祐子によるキュレーションのもと、ダンサー・振付家の森山未來との共作パフォーマンスプロジェクト『in a silent way』を滞在制作、発表。16年よりドイツ有数の公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリー作品の演出を3シーズンにわたって務める。平成28年度より3年間、アーツカウンシル東京 東京芸術文化創造発信助成(長期助成プログラム)の助成事業としてチェルフィッチュ「アジアの国際共同制作プロジェクト」も進行中である。

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(C)宇壽山貴久子