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コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

2019/02/01

「奇想の系譜展」から思うこと

アーツカウンシル東京カウンシルボード委員 / 三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社理事長
中谷巌

東京都美術館では、平成31年2月9日から4月7日まで、「奇想の系譜展」を開催する。そこで紹介されるのは今から半世紀近く前の1970年、美術史家、辻惟雄氏によって執筆された『奇想の系譜』に収められた「奇想」の画家6人(伊藤若冲、曽我蕭白、岩佐又兵衛、狩野山雪、長沢芦雪、歌川国芳)に、白隠慧鶴、鈴木其一を加えた8人の作品である。ここでの展示作品はいずれも「奇想」の名に恥じない、きわめて独創的なものばかりであり、中には、常識を無視した奇怪な構図や想像を絶する筆遣いで見る人を圧倒せずにはおかない作品もちりばめられている。

そこで取り上げられる若冲、蕭白、芦雪などの作品を見ると、日本には因襲の殻を打ち破る、驚くほど大胆で斬新な発想の系譜があったことがわかる。先日対談した明治学院大学教授の山下裕二氏(日本美術史)は、「奇想の系譜」とされる江戸絵画の革新的な表現に「ジャパン・オリジナル」の真髄があると指摘されているが、その見方に全面的に賛成だ。

今の日本には「日本人にはイノベイティブで独創的な能力が欠如している。シリコンバレーのような元気のよいベンチャー企業が立ち上がってこないのはそのためだ。だから日本はだめなのだ」と自虐的に言う人たちが(大勢)いる。しかし、「奇想の系譜展」で取り上げられる画家たちの作品を見れば、「日本人には独創性がない」などと言う見方は吹っ飛ぶのではないか。失礼を顧みずに言うならば、「日本人には独創性がない」という人は、日本文化の奥深さ、繊細さ、そして、豊かな感性をご存じないように思えてならない。日本人がいかに大きな独創性を内に秘めているかを実感するために、日本に対して悲観的な人にはぜひともこの展覧会を見に行ってほしいと思う。

さらに言えば、私は、かねてから、日本文化に秘められた「美意識」にこそ日本企業の競争力の源泉があると考えてきた。例えば、日本の自動車の品質には国際的な評価が定着しているが、あの繊細なものづくりに対する取り組みを子細に見れば、日本人に備わっているある種の「美意識」がそれを後押ししているのは明らかだろう。そういった意味で、企業経営者にはもっと日本文化に対する関心を高めてほしいと思わずにはおれない。
それでは、現代日本の芸術文化は安泰なのか。自治体が芸術文化に何も支援もせずに、手をこまねいていても大丈夫なのか。そうではない。やはり、芸術への適切な支援は不可欠だと思う。芸術支援については、3つのポイントがあると思う。
1つは、独創的な才能そのものは、かなりの程度、生まれつき備わっているものであり、もしそうだとしたら、生まれつき凡庸な人にいくら支援をしても無駄である。だとすれば、芸術支援に際しては、才能のある人を見極める「目利き」が必要になる。

2つ目は、どんなに生まれつき、独創性を持つ芸術家でも、「基礎」がしっかりしていないとその能力が十分に発揮されないという点だ。先に挙げた奇想の画家たちの多くも、驚くほど基礎がしっかりしている人が多い。つまり、基礎がしっかり叩き込めるような企画に対してもっと積極的な支援が考えられてもよいのではないかということだ。

3つ目は、革新のためには「伝統」が必要という点だ。これは、基礎がしっかりしていないと大成しないという点と重なるところがあるが、革新はあくまで伝統に対する革新なので、「伝統が存在しないところに革新は生まれない」と言っておきたい。例は無数にあるが、「奇想の系譜展」に登場する画家たちの作品からは伝統を背負っていたからこそ独創的な作品を生み出すことができたことが読み取れる。例えば、鈴木其一は酒井抱一の弟子として琳派の伝統を徹底的に叩き込まれたが、後に琳派の常識を覆すような驚くべき作品を残したことで知られている。

芸術支援には、「目利き」「基礎」「伝統」への配慮が欠かせないと思う。