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アーツカウンシル東京ブログ

アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

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アート、音楽、舞台、地域プロジェクト、ワークショップ、シンポジウムなど、アーツカウンシル東京では日々多様なプログラムを展開しています。現場やそこに関わる人々の様子を見て・聞いて・考えて…ライターの若林が特派員となりレポートします!

2017/03/10

震災6年 アートによるコミュニティ復興「Art Support Tohoku-Tokyo」の真価

東日本大震災が起きた当時、筆者は、企業による芸術・文化支援活動の推進団体で働いていた。発災当日、真っ先に入ってきたのは、企業の緊急支援の情報だった。国内外を問わず自然災害が頻発する昨今、緊急災害支援に備えている企業は多いが、2011年3月11日の企業の初動は、いつにも増して迅速だった。各社が次々と義援金の拠出や物資提供を発表して、支援に乗り出した。翌12、13日は土日だったが支援表明は続き、週が明けると、物資の運搬方法やルートに言及する企業も増えていった。

アートの現場からも催しの中止や延期の知らせが届き始め、しばらくすると、文化施設の被害状況が共有されるようになった。いわき芸術文化交流館「いわきアリオス」(福島県)や大船渡市民文化会館「リアスホール」(岩手県)をはじめ、避難所になった東北の文化施設は催事どころではなかった。自粛や計画停電、節電による公演中止も相次いだ。原子力発電所事故後は、海外のアート関係者の来日や作品貸し出しのキャンセルも続いた。想像だにしなかった極端に大きな悲劇を前に、アーティストやアート関係者からは、アートは無力だという声も聞こえてきた。自分自身、具体的にどこで何が必要とされていているのか、アートはどのような協力ができるか、それを現地の誰に相談できるのか、当初はまったく見当もつかなかった。

そんな発災直後の記憶も鮮明なまま、6年が経った。振り返ると、当時の自分が2つの思い違いをしていたことにあらためて気付く。

ひとつは、直後の記録を残すことの価値である。震災が起きた当時、筆者は所属団体の機関誌の編集を担当しており、震災と文化についての緊急特集※1 を組むよう指示を受けた。発災から2か月で全体の状況を取りまとめるなど到底無理だと反対だったが、結局発行することとなった。被災した現地の状況はやはり深く掘り下げられなかったが、6年後のいま思うのは、どんな形であれ「その時点」で残した記録は、のちに得難い資料になるということだ。時間が経過すると出来事の前後関係が正確に思い出せなくなる。発災後2か月間の詳細は、今となっては初期の記憶を取り戻す貴重な資料となった。1年後に記録したのでは多分端折っていたであろう情報の多さにも気が付いた。

※1:『メセナnote 69号-緊急特集:東日本大震災、文化をめぐる動き』(公益社団法人企業メセナ協議会、2011年6月)

実際、大規模災害時には、「過去の記録」に対する需要が高まることも実感した。阪神・淡路大震災時の記録※2 に対する問い合わせが、東日本大震災後に急増したのだ。震災時の文化関係の記録は、後年必ず誰かの役に立つと、今は強く感じている。

※2:『阪神・淡路大震災 芸術文化被害状況調査報告書』(阪神・淡路大震災 芸術文化被害状況調査研究プロジェクト委員会、1995年8月)。既に絶版だったが2011年3月末に急遽ウェブでPDF版が公開された。

思い違いの2つ目は、東京都とアーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)※3 が取り組んできた「東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業(Art Support Tohoku-Tokyo)」の展開である。大変失礼ながら、この活動が始まった当時は、きっと非常時の一時的な取り組みだろうと思っていた。他の行政区域に対する行政の支援は、それほど長続きしないように思えたのだ。行政の予算は、基本的には管轄内の受益者に対して使われるもので、東北への支援は震災時の例外的な措置だろうと考えていた。しかし、これはまったくの見当違いだった。この事業は、開始から6年経った現在も継続しており、しかもその成果は、ここにきてきわだって形になっている。

※3:2011年から2014年度は東京文化発信プロジェクト

今後、非常時の支援という側面だけでなく、芸術文化支援のあり方や、行政による越境支援などの観点からも各所で参照されるであろう「Art Support Tohoku-Tokyo(以下、ASTT)」 の取り組みを以下で紹介したい。

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ASTT公式ウェブサイト

ASTTは、「東京緊急対策2011」※4 の一環として、2011年7月に東京都とアーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)が開始した事業である。東日本大震災で被災した3県(岩手県、宮城県、福島県)の地域コミュニティに対し、現地の団体と協働してアートプログラムを実施することで、文化の面から復興を支えることを目指している。ASTTの特徴は、すでにできあがったプロジェクトを東京から「出前」するのではなく、芸術文化振興の専門機関であるアーツカウンシル東京の担当職員が現地に赴き、それぞれの地域コミュニティの事情に寄り添って、地元の人々と事業を企画、展開していくことにある。

※4:2011年6月に東京都が公開した95項目からなる対応策。東京都が有する「人的・財政的・技術的資源」を活用し、「被災者・被災地が自ら踏みだす復旧・復興を後押し」することを目指した。芸術文化の分野は「被災者・被災地へのきめ細やかな生活復旧への支援」の一部と位置付けられた。

過去6年にわたり、ASTTでは、コミュニティ再興と人々の交流を重視したアートプログラムが、のべ80件も実施されてきた。復興の経過も見渡しながら、被災地の状況に応じて活動してきたことが、各年度の概況(以下表▼欄)からも見て取れる。当初は緊急対応型の内容だったが、次第にテーマはアーカイブや議論の場づくりに移行し、さらには持続するための体制づくりが重点課題となっていった。主な担い手が引き続き活動を継続しているプロジェクトの数も増えている。2016年度のいわき市では、同市の今後の文化政策を考えるプログラムにまで発展している。

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ASTTのプロジェクトの変遷
画像拡大:JPEG版(2011-13年 / 2014-16年) / PDF版

なぜ、行政が主体となった復興支援活動が、6年間も継続して発展してきたのだろうか。

最大の理由は、東京都が予算を担いつつ、現場の実践は、東京都の芸術文化振興の専門機関であるアーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)が主導してきたからにほかならない。アーツカウンシル東京には、こうした長期的な復興支援事業を可能にする専門的な蓄積があった。

ひとつには、2009年から都内で展開してきた「東京アートポイント計画」のノウハウだ。人々が日常的にアートに触れることができる“アートポイント”を都内各所に増やすこの事業は、地域のNPOと連携して、一過性ではないアートプロジェクトを展開。担い手の育成や活動団体の運営基盤整備にも注力してきた。ASTTは、この方法論を適用している。それゆえ、「出前ではなく、協働」「単発の催しではなく、現地に長く根付く仕組みづくり」というASTTの基本方針も、ごく自然に導入されていったのだろう。外部からの震災復興支援は、いつかは支援が終了することも念頭に置いたうえで、現地での継続の仕組みが構築されていくことが不可欠である。ASTTは、東京アートポイント計画で力を入れてきた「事務局機能の強化」についても重視している。こうした経験知によるノウハウやスキルの提供は、資金に代えがたい貴重な支援であり、事業の継続を後押しする。

ASTTの継続を可能にしている要因として、「プログラムオフィサー(PO)」と呼ばれるアーツカウンシル東京の事業担当者の存在も大きい。POとは、企画立案から実施、報告、評価、改善、発信、資金調達まで、事業(プログラム)の一連の流れを専門的に担う担当官(オフィサー)、職能のことで、事業プロデューサー、コーディネーターともいえる専門職である。東京アートポイント計画では、POを「行政とアートプロジェクトの現場をつなぐ中間支援のプロフェッショナル、伴走者」と位置付けている※5 。ASTTは、開始当初から東京アートポイント計画ディレクターの森司さんとPOの佐藤李青さんが中心となって、現地とのネットワークを築き、地元の相談に応じながら各地のプロジェクトに伴走してきた。被災地域の声に耳を傾け、ニーズを見極めて事業を立ち上げ、予算を適正に執行し、状況を的確に言語化して発信し、事業を推進する――ASTTは、まさにPOの腕の見せ所でもある。ASTTにおけるPOの活躍は、東京アートポイント計画のプログラムオフィサー制度が、単なる呼称だけではなく実質的に機能していることをも体現している。

※5:「東京アートポイント計画」パンフレット(PDF

そうしたPOの伴走力と現地団体の実践力の結果、ASTTはこれまでに多数の出版物を刊行してきた。2011~2015年度までに、リーフレットや報告書、書籍など、計27点。うち、ASTT全体の活動についてまとめたものは5点、個別プロジェクトの報告書は22点にも及ぶ。6年間に積み上げられた活動記録の価値は大きい。その時点でしか語り得なかったであろう言葉が、それぞれの報告書につぶさに記録されている。「なぜ自分たちはこの事業(ASTT)をやらねばならないのだろう」という、ある現地コーディネーターの率直な葛藤も残された。この言葉は、文化による復興支援に関わってきた筆者にとっては、非常に大事な問いかけであった。地域コミュニティの将来を見据えた議論や、現地の方々のインタビューも多数収録され、切実さからくる印象深い言葉が心に静かに響いてくる。

2016年の秋に発行されたASTT5年間の活動成果記録集『6年目の風景をきく 東北に生きる人々と重ねた月日』は、ASTT担当POの佐藤李青さんと嘉原妙さんが、協働した現地のキーパーソン7名のインタビューを基調としながら、自ら筆を執って、POの視点で震災前後の現地の文化環境の変化やこれまでの活動を振り返った。震災に関する記録は自ずと被災した現地の声が中心になるが、同書では、支援する側が何を見て、何を感じ、どのように動いてきたかも知ることができる。彼らの支援の姿勢は、冊子のタイトルからも読み取れる。現地の人々と月日を重ねてきたからこその思いが、「被災地に生きる人々」ではなく「東北に生きる人々」という言葉に表れるのだろう。


『6年目の風景をきく 東北に生きる人々と重ねた月日』

震災から6年。東北復興は道半ばだが、文化政策やアート関係者の目下最大の関心は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会にシフトしている。あるいは、オリンピックの盛り上げにどう東北をからめるかという視点で、復興支援が語られるようになっている。そうした状況のなか、オリンピック開催の当事者である東京都が、アーツカウンシル東京とともに今後も引き続きASTTに取り組むとしたら、これこそが「復興五輪」を標榜する東京2020大会を代表する「文化プログラム」※6 となるだろう。いまだ困難に対峙する東北や復興五輪に注目する世界に向けた、大きなメッセージにもなる。未来に生き続けていく財産のことをレガシーというならば、ASTTは他の文化プログラムに先んじて、レガシーの一部を形づくり始めているともいえる。「オリンピックに関わりたい」という東北の声※7 をよい形ですくいあげられるのもASTTなのではないだろうか。ASTTの真価は、今後もさらに発揮されるだろう。

※6:オリンピック憲章では、オリンピックの開催に当たって文化的なプログラムの実施を開催都市に義務付けている
※7:『6年目の風景をきく 東北に生きる人々と重ねた月日』(アーツカウンシル東京、2016年、P23)。NPO法人@リアスNPOサポートセンター理事・川原康信さんのインタビュー

地道に成果を残してきたこうした支援プロジェクトの意義に光が当たることを願う。同時に、発災後に大量に被災地に押しかけて、一度切り、あるいは早々に引き上げてしまった支援活動が被災地に何をもたらしたのか、震災復興支援のあり方についても、震災6年を迎えたいま、真摯な検証が必要だ。

※本シリーズは3回連載です。次回はASTTの地元の担い手の取り組みをレポートします。

Art Support Tohoku-Tokyo(ASTT)

「東京緊急対策2011」の一環として開始した、東京都がアーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)と共催し、東日本大震災の被災地域(岩手県、宮城県、福島県)のコミュニティに対して、現地の団体と協働してアートプログラムを実施する事業。アーツカウンシル東京が都内で展開する「東京アートポイント計画」の手法を用いて、被災地域のアートNPO等の団体やコーディネーターと連携し、地域の多様な文化環境の復興を支援する。被災地域のコミュニティを再興するため、さまざまな分野の人々との交流プロセスを重視したアートプログラムや、その実施を支える仕組みづくりを行う。

文・写真:若林朋子

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