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東京芸術文化創造発信助成[長期助成プログラム]活動報告会

アーツカウンシル東京では平成25年度より長期間の活動に対して最長3年間助成するプログラム「東京芸術文化創造発信助成【長期助成プログラム】」を実施しています。ここでは、助成対象活動を終了した団体による活動報告会をレポートします。

2017/09/29

第1回「カンパニーデラシネラの若手プロジェクト 3年間を振り返る」(後編)

※第1回「カンパニーデラシネラの若手プロジェクト 3年間を振り返る」(前編)はこちら

ダンサー、俳優として生きる実感を得るには……「白い劇場」をきっかけとした変化

―――今日は、このプロジェクトに参加されている若手のメンバーの方もいらしているので、少しお話をうかがいたいと思います。皆さんが、小野寺さんの新しい活動に参加してみたいと思った理由はなんだったんでしょう。また、実際に「白い劇場」の活動に関わることで発見されたこと、ご自身の変化などがあれば教えてください。

2017_blog_long-grant_8前方左端:藤田桃子さん/後方(左から):仁科幸さん、崎山莉奈さん、大庭裕介さん

崎山 私は大学を卒業後、アルバイトをしながら手当たりしだいにオーディションを受けるということをしていましたが、ことごとく落とされまして。それ1年くらい、すべてが嫌になって、踊りもやらないという生活をしていました。ちょうどそのころ、大学時代の友人がデラシネラに出演しているのを観たんです。それが私にとっては初めてのデラシネラ作品でした。いろいろなところへ想像が広がる作品で、ものすごい衝撃を受けました。それで「どうしたら出られるの?」と友人に聞いたら「ワークショップに行けば会えるよ」と言われたんです。ただ、その時期にはなかなかそういう機会はなく、結局また1年が過ぎたころに「白い劇場」のオーディションがあるよと教えてもらいました。ちょうど石川の実家からも「いつまでふらふらしているんだ」と言われていたし、「これがダメだったら、もう、実家に帰ります」というラストチャンスのつもりで受けたんです。面接も必死でしたし、受かって、長期間の稽古もして、1時間以上の作品を舞台でやるというのも、すべてが初めての経験になりました。
以前はファミレスでアルバイトをしていて、稽古前に開店のための作業をして、稽古に行き、終わった後はまた店に戻って深夜まで働くというふうに生活だったんですが、今は振付のアシスタントやアンサンブルの仕事をさせていただいて、ダンス、パフォーマンスをして生活ができている状態です。それは、とても大きな自信になっています。石川公演を観に来てくれる友人もいましたし、地元でも、これまでは「何をやっているのかわからない人」だったと思うんですが、今は「こういうことをやっている」としっかり伝えられています。

仁科 通っていた大学で小野寺さんが集中講義をされたのが、デラシネラを知ったきっかけです。舞踊を専門にしている学科だったので、小野寺さん以外にも短期で講義をされる振付家やダンサーの方々はいらっしゃいました。なので、受講する生徒という、本当に楽な立場で、いろいろなメソッドを「これは好きだな、これは苦手だな」というふうに感じながら体験してはいたんです。ただ、デラシネラは観たことがなくて、授業を受けるか受けないかを決めるために、映像で観てみたのが最初の出会いになりました。すごく素敵で、そこでもう「うわーっ」となってしまったんですが、やっぱり、崎山さんと同じで、どうやってそこに入ったらいいのかも分かりませんし、ワークショップも不定期ですし、もし参加できるチャンスがあったらやりたい、ということで待っていたところに、「白い劇場」の募集があったんです。
以前から「面白い、やりたい!」と思っていたことが叶ったという、ワクワク100%で入ったんですが、1年目の『分身』では、全然うまくできなくて。だからもし、この「白い劇場」が若手育成ではない、1年だけの企画だったら、私はたぶんもう、ここにはいられなかっただろうと思っています。そういう意味では、人を育てたり、集団としての力を信じること、それがデラシネラのメリットにもなるという考え方で始まった企画に出会えて、とても運がよかったです。実際にあえて若手を使わなくてもいい作品はつくれる状況がある中で、門戸を開いてもらって、それも、「今、面白い人」「今、実力のある人」というのとは違う、長期の、将来を見据えた入り口になっているというのは、ダンス、演劇に限らず、日本の舞台芸術の中では珍しいとも思います。さきほども話があった、ダンサー、パフォーマーを生業にしようという心意気もそうですし、一作品ごとにオーディションがあることも、シビアであると同時に、開かれている。それは若手にとって、とても意義があることだと感じています。

大庭 僕は、この企画が始まる前からデラシネラの作品に何度か参加しています。でもやっぱり、さきほど小野寺さんもおっしゃったように、一作品だけの参加では、積み上げていくものがないもどかしさを感じていて。「白い劇場」のチラシで、3年やるということを知って、「これは絶対関わらなきゃ」と思ったんです。ただ、チラシには原則30歳までと書いてあって。僕、そんなのは10年くらい前に過ぎていたんで「受けていいですか」と聞いてからオーディションを受けました。実はこれまでにも二度くらい劇団に所属したことがあって。たまたまこの時はフリーだったんですが、やっぱり集団でしかできないものへの憧れはあったんだと思います。参加してみて、感じていることとしては……まず、舞台に立つ機会、それから子どもたちの前でやる機会が増えたということは、僕個人にとってもありがたいことでした。今は若手のメンバーだけでワークショップに行くこともあるんですが、そういうことも通して、カンパニーの力になっていけたらいいなと思っています。一つの公演で、一つの役割を演じるだけじゃなく、この集団の中で自分は何ができるのかを考えて行動するようにさせてもらったことも、意義深いと思っています。

―――メンバーの皆さんそれぞれにとって、とてもいい出会いがあったんですね。

小野寺 本当にそうですね。僕の方のモチベーションも上がりました。若者と話すことを通して、なんとなく「負けたくない」とか「もうちょっと頑張りたい」っていうような気持ちが蘇ってくるところがあるんです。すぐ近くに頑張っている若い人がいて、さっきも仁科が話しながらちょっと泣きそうになっていたけど、そういう姿は、忘れかけていたものを思い出すチャンスにもなった。外で振付の仕事をする時も、崎山や仁科が振付助手だと、普段一人でやっているときよりも、「いい加減なことはできない」と緊張するんです。そうやって、自分のやることも一つひとつ見られている、と考えるようになったのも大きなことだと思います。

海外公演、学校巡回公演。会いに行くことの喜び、思考の変化

―――話が少し前後しますが、2016年の1月にベトナムとタイで『もう一つの話』という作品を発表されました。当初の計画では、海外公演は3年目に考えていらっしゃいましたね。実際には、2年目にアジアで公演をするチャンスが巡ってきたこともあって、計画とは異なる体験をされたわけですが、その手ごたえはいかがでしたか。もともとの構想で実現したいというふうに考えていたことも、ある程度生かせたのでしょうか。

藤田 申請書を書く段階では、すごく高く目標設定をしていたと思います。1年目はまず一つ公演をして、2年目には50回のロングランを目指して、それで3年目は海外公演。そんなふうに夢物語を書いていたんです。以前、「水と油」としてアヴィニヨンとエジンバラのオフに参加して、50回公演をしたことがすごく力になったので、もう一度そういうことに挑戦しようとも思っていました。でも結果としては、いろいろと軌道修正をせざるをえなかったんです。公演回数も1回目(『椿姫』)は6回、2回目(『分身』)は10回になりました。ただ、それだけ回数を増やすのも大きなステップではありましたし、そこには喜びもありました。

「信号がない!」ベトナムの共演者たちと「信号がない!」ベトナムの共演者たちと

小野寺 海外公演については、僕は、考え方自体が変わってきました。最初は外国に行くということに、漠然とした憧れを抱いていたんです。でも、たとえば今年も、小学生、中学生合わせて8人という、奈良の山奥の学校に行く予定がありますが、そういう、自分たちのことを一切知らない、お芝居とも縁のない人たちに会いに行って何か見せるということと、外国で公演することにどんな違いがあるのかと思うんです。だから無理して外国に行ってそのことを誇るより、実をとりたいというか……なぜ今これをやるのかということを、できるだけ観る人に突きつけていきたいし、自分たちもその場で何かをつかみたい。犬島でやった『URA-SHIMA』で夜な夜な話をしに来てくれたおばあちゃんたちとの交流とか、全然演劇やダンスを観たことがない人たちに崎山や仁科が助手として振りを見せ、「あぁ〜」って驚いたり、喜んでもらえたこととか。そういう瞬間を確実に捕まえて、自分たちとはなんぞやということを確認する作業が、今、できていると感じています。だから、もちろん、最初の計画があってこそ、ここにたどり着いたということはあるし、「白い劇場」の活動全体を通していえば、目標も変わっていないんだけれど、ものの捉え方はずいぶん変わった気もします。

―――それは、成長といえるんですよね。

小野寺 そうです。カンパニーデラシネラは藤田と二人で続けていくことばかりを目標にしていましたから、最初は、「誰かともっと違うことをやれる!」というワクワク感をすごく求めていました。でも、実際にはそのやり方も知らなかったので、いろいろなことを体験しながら、気づいたり、諦めたり、それからさらにチャレンジしていきたいと思うようになったり。少なくとも僕自身はそうして得るところが大きかったです。

―――今回の助成をきっかけに、活動内容が発展し、収穫も得たというお話は、私たちとしてもとても嬉しいことです。ただ、助成金というのは、資金の一部をサポートするものでしかありませんし、手続きも多いですよね。実際にこの制度を使われて、不便だったり、面倒だったりしたことはありますか。

藤田 助成をいただく補助率は、実際にかかった経費の2分の1までです。ですから、たとえばチケットの料金設定や美術の経費を抑えることについては、特に大きな影響は感じませんでした。
小野寺 ただやっぱり、3年助成をいただけるという内定があることで、最初に計画を立てられる、というのは大きな利点です。もちろん、サポートがなくても自分からやるべきことはやらなきゃいけないですけど、助成を得られるかもしれないということで、スタートしやすくなる企画もある。そこで「こうすればやれるかも」という希望を持てるということは、すごくありがたかったです。面倒なことは……僕が直接書いてやりとりしたわけではないですが、書類は確かに多そうですね。ただ、それもやっぱり、必要だから書いているわけですよね。

―――もちろん、できるだけ書類は減らしたいという思いはあります。ただ、こちらは東京都から財源を得て運営しているプログラムです。そこが民間の助成金と大きく違うところで、皆さんからいただいた税金をどのように適正に有効に、使っているかを私たちの方でも説明できなければいけないんですね。そのために必要なフローがあり、書類があると考えています。今回に関しては、活動計画に変更があった場合には変更届けを出していただきましたし、1年ごとの報告書も提出いただきました。ですから、経済的な部分はもちろん、カンパニー活動や作品としての成果をきちんと言語化していただく作業もお願いしてきたということになります。

藤田 最初に長期的展望を立てて、その後、今どこまで来ているという報告も書くわけです。そうすると、たとえば数字を書きいれていくだけでも、すごく気がつくことが多いんです。だからもし、これを全然やらずにいたら、もっと漠然と過ぎていってしまい、今お話ししたような成長も得られなかったんじゃないかとも思います。そういう意味では、私たちにとっても必要な手続きだったと思います。

―――公演の様子から、作品創作の環境に至るまで、今日は、大変有意義な報告をいただきありがとうございました。最後に、小野寺さんから今後の活動の展望をお聞きして、この会を締めくくりたいと思います。

小野寺 この助成プログラムをきっかけに、あらたなカンパニーとして、とてもいいスタートを切れたんじゃないかと思っています。これをどこまで継続できるかが問われていると思いますし、できる限り続けていきたいと思っています。また、そのことが、もしかすると、もっと大きな仕組みを変えるような力になればという夢も持っています。
余談ですが、東日本大震災の時に、僕は青山円形劇場で芝居をやることになっていて、「なんでこんな時にやるんだ」というメールをいただいたことがあるんです。もちろん、それには「そうだな」と思えるところもあったんですが、やっぱり「そうじゃない」と思う自分もいて。そこで、僕らの仕事の意味を問われているような気がしたんですよね。今もそれに対する、はっきりした答えは見つかっていないんですが、偶然とはいえ、僕はこういう世界で仕事を続けていて、確かにその意義を感じている。だからこそ、できるだけ長く、こういう表現のあり方が続いていくように、僕自身できるだけのことはしたいと思っています。今回、助成をいただいた「白い劇場」というプロジェクトでも、何か大きな意味での答えを出せるんじゃないかと思うし、出すつもりで続けていきます。またその結果をしっかり作品でお見せできるように頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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<来場者からの質疑応答(抜粋)>

質問者1 3年間で具体的にどのくらいのお金が助成され、それをどのように使ったのか。足りなかった部分、十分活かせた部分、ほかにもこういうことに使えるお金があればいいな、ということがあったら教えてください。
ACT カンパニーデラシネラさんには、3年間で、制度上満額の1,200万円を支援しています。ただ、それは、助成対象とされる経費の半額までというルールの中で行われていますから、実際の活動としては、倍以上のお金がかかっているということになります。その足りない部分は、チケット収入や自己資金のほか、別の助成金などいろいろなファンドレイジングをされ、活動されました。
藤田 自己負担は、どうしても出てくるものではあります。助成金については、計画上は、いただけるだけの金額を3年で、3分割して使えるようにと考えていました。ただ、実際は2年目に海外ツアーが決まって、その経費がぐっと膨らんだので、配分は変わりました。
質問者1 3年間で1,200万円という金額については、どんなふうに感じていますか。ある程度、長期的な視点を持てるようになるのでしょうか。
小野寺 活動の基盤になることは確かです。もちろん、なんにでも使えるお金ではないですが、公演活動や海外公演の経費、稽古場の費用の一部になりますから、それでスタートを切ることができる。今、団体で活動するとなると、たとえばチケットノルマを課したり、あるいはお金はないけどとりあえず公演してしまったりするわけですよね。要するに、実際に観にきたお客さんからお金をもらって、赤字を補填し、スタッフやキャストのギャラにもしましょう、と。もちろんそういう興行もありえますが、助成金があれば、そこまで危ない橋を渡ることもありません。やっぱりきちんと予算を立てて、ちゃんとやれるし、むしろそうしなくてはという意識は生まれてくると思います。1,200万円というと大きいお金に思えますが、ひとつの公演を打つにも相当なお金がかかるわけです。ですから、ただもらう、使うというよりも、もらったお金をどう発展させるかを考えることが大事だと思ってます。

質問者2 長期的な助成はセゾン文化財団も以前から行っています。小野寺さんは、そちらでも過去に助成を受けていらっしゃいましたよね。この「白い劇場」を始めるまで、中長期的なビジョンはなかったとお話しされていましたが、セゾンの助成を受けていた時は、どういう考えで助成金を生かしていたんでしょうか。
小野寺 セゾン文化財団からは、シニア・フェローとして2009年度からの3年間、助成をいただきました。これは、どちらが良かったというようなことではないんですが、団体をやろうとしていたか、個人の活動だったかの違いだったと思います。セゾンのシニア・フェローになった時にはまだ、自分自身の活動をどうしようかという時期でした。ですから、助成金をいただくことで、活動の幅を広げることはできましたが、1年目、2年目、3年目というようにだんだんと発展していくような形にはならなかったんです。でも、今回はまず、ひとつの団体をやってみようというところからスタートしたので、自分が好きなこと、やりたいことをやるんじゃなく、自分以外の人や集団、環境をどう発展させるかを考えて、中長期的な視点を持てたということがありました。
質問者2 日本にはすでに、公立劇場のレジデントカンパニーがいくつかあります。公演助成ではなく、そういった形で活動をされたいと考えたことはありますか。
小野寺 憧れはあります。今はまだ正直、そのためのメソッドを持っていないかもしれないけど、本当に機会があって、やっていいんだとしたら、僕はやりたいと思います。また、「白い劇場」の活動ではそういう下地をつくれているような気もしています。どういう稽古をしたらどんな結果が出るのか、そういうところから今は実験をしている最中ですし、この先どういうふうにカンパニーのメンバーと付き合っていくのかも模索しています。「水と油」を10年やって、ひとつの団体を続けていくことの大変さはすごく実感もしました。それは永遠の課題でもありますけど、なんとかクリアするようなことも考えつつ、レジデントというかたちも、可能性としては考えていきたいと思います。
質問者2 単年決算がほとんどの公共事業の中で、長期助成プログラムをつくることにはご苦労もあったと思います。ACTが制度設計をする際のポイントになったことがあれば教えてください。
ACT 3年間の活動の中での計画変更も可能で、そのための助成金額の配分も変更できるという仕組みは、このプログラムの強みでもあると思っています。ただ、このやり方ですと、マネジメントの面で不安もありますので、そのリスクヘッジをどうしていくかについては、今後さらに検討する余地があるのではないかとも考えているところです。


―――長期助成活動報告会の第1回では、デラシネラの皆さんの快活なトークとともに、アーティストが抱いている生の思いや葛藤、目指すビジョンを伺うことができました。同時に、長期助成の活用方法のひとつのあり方をご紹介いただきました。
今後、この報告会をシリーズ化し、演劇、音楽、美術・映像、伝統芸能と多岐に渡るこれまでの長期助成対象活動のご紹介をしていきます。ご期待ください!


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カンパニーデラシネラ
http://www.onoderan.jp/
小野寺修二セルフユニットとして2008 年に設立。以降毎年数本の新作を発表。マイムを基盤とした、既存の枠にとらわれない表現で幅広い観客層の支持を得ている。国内のみならず海外公演も行う。また学校巡回公演や高校での芸術鑑賞会等、次世代へのアプローチに積極的に取り組んでいる。野外での作品発表も多く、美術館やアートフェスティバルなど、美術分野から依頼を受けることも多い。

小野寺修二
演出家。カンパニーデラシネラ主宰。日本マイム研究所にてマイムを学ぶ。1995年〜2006年パフォーマンスシアター水と油にて活動。その後文化庁新進芸術家海外留学制度研修員として1年間フランスに滞在。帰国後カンパニーデラシネラを立ち上げる。マイムの動きをベースに台詞を取り入れた独自の演出で注目を集めている。第18回読売演劇大賞最優秀スタッフ賞受賞。また瀬戸内国際芸術祭に参加するなど劇場内にとどまらないパフォーマンスにも取組む。2015年度文化庁文化交流使。

藤田桃子 
日本マイム研究所にてマイムを学ぶ。1995年〜2006年、パフォーマンスシアター「水と油」に参加。2006年「水と油」活動休止後は、主にカンパニーデラシネラの作品に出演する。出演作として、『あの大鴉、さえも』(小野寺修二演出)、『異邦人』『ロミオとジュリエット』(カンパニーデラシネラ)、『ハウリング』(井手茂太演出振付)など。

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