東京アートポイント計画通信
東京アートポイント計画は、地域社会を担うNPOとアートプロジェクトを共催することで、無数の「アートポイント」を生み出そうという取り組み。現場レポートやコラムをお届けします。
2013/12/02
長尾POレポート プロジェクト日誌(6)
11月30日。足立区千住の銭湯「タカラ湯」で、音まちトークの第2回が行われました。
今年の通年テーマは、新しい「まちづくり」ならぬ「のらづくり」プロジェクト(略して「のらプロ」)。この名前は企画者の造語で、日頃の活動の中で生まれた「のら」としての意識からスタートした企画です。音まち事務局長が自ら聞き手となり、「住む」(第1回)、「持ち込む」(第2回)などのキーワードを切り口に、ゲストスピーカーを迎えて取り組んでいます。(このトークにおける「のら」とは何か?はこちら。)
今回は、「千住ミュージックホール番外編『歌声★浴場』」として、トーク後に男湯・女湯の脱衣所でライブも開催されるなど、盛りだくさんの一日。墨東など東京アートポイント計画の他のプロジェクトからも参加者がかけつけてくれ、天井の高い昼間のほっこりした空間で、それぞれの「我がプロジェクト」についてしばし考えるひとときになりました。
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さて、久しぶりにタカラ湯へ向かう途中、同じ会場で音まちが2012年3月に開催した「野村誠ふろデュース『風呂フェッショナルなコンサート』」のことを思い出していました。
これは、千住だじゃれ音楽祭の初年度企画です。営業時間前の銭湯空間で、脱衣所席まで溢れそうなほどの老若男女が見守る中、作曲家・野村誠と千住だじゃれ音楽祭の参加メンバーが奏でる『ケロリン唱』や、風呂桶を叩く『おけウェーブ』の不思議なざわめきの連鎖のような音を、当時私はお客さんのひとりとして耳にしたのでした。
あれから1年8か月。去る11月10日に東京藝術大学千住キャンパス内で開かれたコンサート「メメットを藝大に歓迎だい!」では、もうすっかりお馴染みとなった「だじゃれ音楽研究会」の面々が、野村さんやインドネシアの音楽家・メメットさん、藝大大学院邦楽専攻の若手奏者たちとともに、演奏を繰り広げました。
その様子は、野村さんのブログ「野村誠の作曲日記」にも詳しく取り上げていただいています。【11月9日】【11月10日】
口琴を演奏するメメット・チャイルル・スラマット氏
野村さんの手法のひとつ「共同作曲」は、音楽を必ずしも専門としない人が自ずと音楽を生み出すのに関与してしまう面白い仕組みで、次々と技法(?)を作り出されています。
千住で今取り組んでいる「だじゃれ音楽」もそのひとつ。普段は「さむい」などと煙たがられることもある「だじゃれ」ですが、よくよく見ると、異質なもの同士を自在につなげる接着剤のような存在でもあります。その発想回路を、あくまで真面目に応用し、市民参加者とともに音楽を形づくる手法となっているのです。
千住だじゃれ音楽祭は、これまでヴァイオリン、お箏、ガムランなど洋の東西を問わず楽器との出会いや、言葉との出会いなど、種々の原動力を得て、当面の目標である「千住で1010人」のコンサートへ向けて、変化を続けています。(第1回定期演奏会の模様はこちら。)
振り返ると、私が初めて野村さんの活動に出会ったのは、取手アートプロジェクトで2006年に展開されていた「あーだ・こーだ・けーだ(ACD)」という企画でした。今すぐ答えの出ないことでも、急いで“かたち”にするでもなく、あーだこーだ言いながら、皆で即興的に実験を繰り広げるプロジェクトでした。
そこでキーワードとなった「あーだ・こーだ・けーだ」と「だじゃれ音楽」は少し似ているところがあります。どちらも言葉としてはどこか肩の力の抜けたやさしいもの。同時に、その組み合わせには少しひねりが効いています。そこが風穴なのでしょう。
取手のACDプロジェクトで、「かたちにしない」という合言葉によって蒔かれた種は、結果的に、その時携わった人たちの中に今でも残り、各所でゆっくりと芽を出し続けているような気がします。
今は現在進行形の千住だじゃれ音楽祭も、近い未来にはきっと、私たちにとってそんな存在になっているのかもしれないと、早くも想像がふくらんでいます。
東京アートポイント計画 プログラムオフィサー 長尾 聡子