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東京芸術文化創造発信助成[長期助成プログラム]活動報告会

アーツカウンシル東京では平成25年度より長期間の活動に対して最長3年間助成するプログラム「東京芸術文化創造発信助成【長期助成プログラム】」を実施しています。ここでは、助成対象活動を終了した団体による活動報告会をレポートします。

2020/09/02

第8回「RE/PLAY Dance Edit に見る、国を越えたダンス共同制作の形」(前編)

対象事業:RE/PLAY Dance Edit実行委員会「RE/PLAY Dance Edit」(平成28年度採択事業:3年間)
スピーカー(報告者):多田淳之介(演出家)、きたまり(振付家・ダンサー)、岡崎松恵(プロデューサー)


平成28(2016)年からの3カ年にわたる長期助成事業に採択された『RE/PLAY Dance Edit』。演出家・多田淳之介率いる東京デスロックの代表作のひとつ『再/生』を、公演地ごとに異なる背景を持ったダンサーたちとクリエーションする同プロジェクトは、2012年の京都に始まり、横浜、シンガポール、プノンペン(カンボジア)、ふたたび京都、マニラ(フィリピン)、東京と旅を続けてきました。同じ内容、振付を繰り返すことを通じて「再生」に向かう人間を描くという、極めてシンプル(だが、身体的には過酷)な作品を通して見えてきた、「ダンス」の課題、身体の多様性、可能性とは−。演出の多田さん、この企画の発案者で振付家・ダンサーのきたまりさん、プロデューサーの岡崎松恵さんによる報告を兼ねた座談会の模様を前後編に分けてお届けします。

聞き手:北川陽子(アーツカウンシル東京 シニア・プログラムオフィサー)
配布資料:国際共同制作『RE/PLAY Dance Edit』リーフレット
http://www.wedance.jp/replay/img/replay2017.pdf

報告会登壇者の皆さん

―このプロジェクトは多田淳之介さんが主宰されている東京デスロックの『再/生』という演劇作品のダンスバージョン『RE/PLAY』から始まりました。まずはこの企画を立ち上げたきっかけについてお聞きできますでしょうか。

多田 きたまりがプログラムディレクターをしていた「We dance 京都 2012」(※)で、ダンサーと演劇の演出家が一緒に作品をつくるという枠組みがあり、そこで生まれたのが、この『RE/PLAY』です。ちょっとややこしいんですが、もとの演劇作品は2011年につくった『再/生』という作品なんですが、そのベースになっている2006年につくった30分の宴会と集団自殺の様子を3回繰り返す『再生』という作品がまずあって、2006年版の方がより台詞が多く、演劇要素が強いんですが、実は最初はそっちの方をダンサーでやってほしいというお話でした。

※「We dance 京都 2012」:NPO法人Offsite Dance Projectがコンテンポラリーダンスの活性化を目指し、2008年度から5年間にわたり開催したダンス・コミュニティ・フォーラム「We dance」の4回目。
http://www.wedance.jp/2012_kyoto/

きたまり 私は、岡崎さんが横浜でやっていた「We dance」に初年度から参加していたんです。そこには京都のアーティストも何人か参加していたこともあり、3年目を終えたところで、岡崎さんから「次回は京都でやりたい」と聞きました。ただ、どういうプログラムを立てるのか、京都のことは京都のアーティストじゃないとわからない。それで「きたまり、プログラムディレクターとして、プログラムを組んでね」と言われたわけです。『再/生』は、ちょうどその直前に、京都のKAIKAという劇場で2つのバージョンが上演されていました。この公演を観て、「ダンサーで上演するとどうなるんだろう」という気がしたんです。役者とは異なる身体言語を持ったダンサーとやるのもいいんじゃないかなと。「それでは」ということで多田さんに連絡して「いつなら京都に来られますか」「2月のその1週間だけなら」ということで、ダンス版の『RE/PLAY』が実現したんです。

多田 だから、稽古がね……どのくらいしたんだっけ。

きたまり 5日間ですね。月曜日に来てもらって土曜日に上演しました。

多田 よくやったなと(笑)。ただ、30分つくれば、90分完成するという作品ではありますから。初めて会うメンバーで、僕もダンサーと作品をつくるのは初めてだったので、「はじめまして」のワークショップというか、「ダンスってなんなの?」「なんでみんな踊ってるの?」って聞いたり話すことから始めました。その結果、作品としては、最初に依頼された2006年の『再生』ではなく、新しいバージョンの『再/生』のダンス版がいいんじゃないかということになり、今に至ります。

―『再生』(『再/生』)という作品がどういうものか、もう少し、多田さんの方からご説明いただけますか。

多田 2006年の『再生』は、宴会をして死ぬまでの30分を繰り返すので、死んだようにも生き返ったようにも見える。ただ、30分の間の運動量が非常に激しいので、生きている身体は90分かけて変わり続けていく、というものでした。新しい『再/生』は、東日本大震災の影響が大きくて、「断絶」「戻らない時間」というテーマが加わっています。お互いに関わりを持たない身体から何が見えてくるかという関心を持ってつくりました。たとえば、舞台上に身体があるだけで何かを表象してしまう、動いたり音楽がかかればさらに何かに見えてしまう、そうして立ち上がった風景を壊し、また立ち上げ、再び壊す。それを繰り返していくわけですが、同じ曲同じ動きでも同じ瞬間にはならない、むしろ繰り返すことで時間が止められないということを、身体的なパフォーマンスで伝えられないかなと考えていました。

―初演の手応えはいかがでしたか。

きたまり すごくよかったんです。会場は、廃校になった小学校の床の間のある大広間でした。京都って、明治、大正に建てられたような、古くからある小学校には、3、40畳の大広間があるんです。そのまま踊ったら畳が痛むので、赤いパンチ(カーペット)を敷いて。動けるスペースもそう広くはなかったんですが、それこそ宴会場みたいなところで上演ができました。

多田 途中で「オブラディ・オブラダ」を10回踊るシーンがダンサー版で初めて取り入れられたんです。俳優の場合は、同じシーンを繰り返していくうちに、生きていくうえでの辛さみたいなものが出てくるんですけど、ダンサーだと、同じ曲で同じ踊りを繰り返すことによって、踊りが身体化されるというか、踊りを通じて身体そのものがより見えてくる傾向がありました。俳優は動くことしかできないけど、ダンサーは「踊る」「動く」という2種類の行動を持っているんですね。だから、ダンサー版の上演では「この場面ではただ動く」「この場面は踊っていい」というような指示の仕方をするようになりました。俳優版がベースとなった作品ではあるんですが、ダンサー版ができることで作品のテーマが強化された面があるなと思っています。

2012年 京都公演/会場:元・立誠小学校 自彊室(写真:相模友士郎)

―2006年の『再生』をダンサーでというオーダーが、2011年の『再/生』をもとにした作品になったことについて、きたまりさんはどんなふうに受け止めていましたか。

きたまり 「We dance 京都 2012」の7本の作品の中で、多田さんは唯一関東から呼んだアーティストでした。さらに出演者8人のうち、多田さんの名前を知っているのは二人、作品を観たことがあるのは一人という状況でしたから、稽古初日の月曜日には立ち会っていました。ただ、そこで「うまく関係が築けそうだな」と感じたこともあって、その後はお任せしようと思って。で、水曜日の夜に行くともう2011年バージョンになっていました(笑)。同じ日の昼間に覗いた時には確かに2006年の『再生』の稽古をしていたんですが。
私がなぜ2006年の宴会バージョンでお願いしたかというと、「ダンサーがやりにくそうだな」と思ったからなんです。私自身も作品をつくる振付家ですから、ダンサーには、より高いハードルを与えたい。2011年バージョンは、初演を観て、「ダンサーにもできるな」と思ったんです。ただ、ダンサーとのやりとりの中で、多田さんがそっちのバージョンを選んだのであれば、「そこはお任せします」という感覚でした。それに同じ『再/生』でも、ダンスバージョンの『RE/PLAY』の方が、「オブラディ・オブラダ」の回数も増えていて、ハードルも高くなっていたんですよね。

横浜/シンガポール編:多種多様な身体を求めて

―その後2014年に横浜でキャストを変えて上演することになりましたね。

岡崎 「We dance」は、もともとアーティストにとっての課題をベースにプログラムにしていくものなんですが、きたまりさんがディレクションした「We dance 京都 2012」は素晴らしかった。特に『RE/PLAY』には、衝撃を受けたんです。自分自身、新しい形式を模索しながらも、心から揺さぶられるダンス作品を創り出せていないという自覚がありましたし、出演者にとっても特別な体験だったことがわかって、これは絶対、関東のダンサーともやってもらいたいと思いました。それで横浜公演ではきたまりさんとのCo.プロデュースで、資金調達など上演環境を整えるところから二人でやりました。また、この時からオーディションを始めました。ですから、国際共同制作『RE/PLAY Dance Edit』の構成は、まずオーディションがあり、クリエーション〜本番で、日数でいうと5日間の稽古+公演日、海外だと+1日で約1週間という非常にコンパクトな組み立てになりました。

―これは、TPAM(舞台芸術見本市)の時期に合わせての上演でした。

岡崎 この作品では8人の出演者が、一緒には出ているけど、個々に存在しています。ダンサーが多種多様であればあるほど、この作品が際立つので、海外もアリだろう、と。それで、TPAMフリンジ(当時はショーケース)に参加することにしました。また、ちょうど国際交流基金アジアセンターが「アジア・文化創造協働助成」という国際コラボレーションにぴったりの助成プログラムを立ち上げたタイミングで、それを念頭にアジアでの展開を考えるようになりました。

―なるほど。そこからシンガポールでの実施という流れになるわけですね。

岡崎 そうです。シアターワークスのオン・ケンセンがゲネプロ(通し稽古)を観に来てくれまして、アジアセンターの助成金がとれたら一緒にやろうと言ってくれました。幸いアジアセンターから3年間の助成をいただきましたので、それでアジアでの『RE/PLAY Dance Edit』をスタートすることができました。

−その時点で、アジアの他の国での実施は決まっていましたか。

岡崎 決まっていなかったので、シンガポールのオーディションの際に、クアラルンプールとプノンペンにリサーチに行きました。カンボジアは予定がなかったんですが、シアターワークスのプロデューサーから推薦されたからです。

きたまり プノンペンではカンボジアのパートナーを引き受けてくれたアムリタ・パフォーミング・アーツが振付家育成のショーケースを開催していて、それがオーディエンスの雰囲気も含めてすごくよかったんですよ。感動してしまって「カンボジアでやろう、ダンサーも素晴らしいし」ということになりました。さらにその後バンコクに行く予定だったんですが、メンターとしてタイから来ていたピチェ・クランチェンに「カンボジアがいいんじゃないかな」と言われたんです。

岡崎 「君たちはここにいるべきだ」みたいな話でしたね。カンボジアでは公務員として伝統舞踊を踊っているダンサーは少なくないんです。そういった環境の中から、創作の機運が芽生えてくる状況があって、それは私がかつてSTスポット時代に体験したコンテンポラリーダンスの起こりととても似た雰囲気だったんです。ピチェのワークショップも振付家とのディスカッションを通して、「ダンスとは何か」を考えさせるようなもので、アムリタの活動に共感しました。

−カンボジアのショーケースでご覧になったのは、古典ではなくコンテンポラリーの作品ですか。

きたまり みんな古典の動きをベースにしたコンテンポラリーの作品をつくっていました。たとえば照明でストロボをたくだけで、お客さんは「うわっ」っていうんですよ。古典でストロボたくことはまずないですから。そういうちょっとした照明や動きの変化に、観客がダイレクトに反応してくれるのを見て、「ここで絶対やりたいね」という話になりました。

−少し話が戻りますが、海外ではシンガポールが最初になったわけですが、オーディションに参加したダンサーの方は、コンセプトを理解してくださっていましたか。

多田 振り返ってみると、かなり早く理解してくれていたと思います。ただ、それこそ多様な踊りに出会いたくてアジアに行ったので、来る人の背景は本当にまちまちでした。同じコンテンポラリーのダンサーでもバレエや伝統芸能を学んでいる人もいましたし、エアロビクスの先生だったり、バレエを経験している俳優だったり、シンガポール在住のオーストラリア人という方もいました。だから、理解の仕方もそれぞれに異なっていたんだろうと思います。10回同じ踊りをやることについても、たとえば「これを使って動いてください」とか「ここでは、あなたのベースになっている踊りを使ってください」「ここは未来のあなたのダンスを見せてください」というような指示は出していました。ただ、振付自体は、本人が考えるものですし、指示にどう反応するかもそれぞれだったんじゃないかと思います。

カンボジア/フィリピン編:「踊らない踊り」はありうるか

−私どもアーツカウンシル東京の助成は2016年度から始まりました。1年目がカンボジア、2年目がフィリピン、そして3年目が東京での公演になります。

岡崎 2015 年度のシンガポールでの公演を準備する中で、翌年度からの展開のための基盤整備として、「RE/PLAY Dance Edit実行委員会」を立ち上げました。

多田 プロジェクトのコンセプトとしては、前回の出演者を次のツアー先の出演者に混ぜるということにしていました。なので、カンボジアの公演にもシンガポールのダンサーを連れていく予定だったんですが、スケジュールが合わなくなり急遽日本人の別の人に入ってもらいました。

きたまり カンボジアのダンサーは全員、古典舞踊をやってきた人です。オーディションでは、西洋的なテクニックを持っているサーカス出身のダンサーの人もいらしたんですけど、最終的にオーディションで選んだのは古典舞踊の人でした。

プノンペン公演/会場:Department of Performing Arts(写真:Kong Vollak)

−プノンペンの「デパートメント・オブ・パフォーミングアーツ」という、ちょっと変わった名前の劇場での稽古、公演でした。

多田 公共劇場なんですけど、吊ってある照明は1灯もつかないという。それで電源車も入れて。あと、スコールが降ると何も聞こえなくなったり。

きたまり 劇場でお祈りもしましたね。古典舞踊がベースになっていますから、コンテンポラリーであろうが、最初に成功を願うお祈りをするんですよね。

−途中でテキストをしゃべる場面がありますが、あれは各地で内容が違いますよね。

多田 そうです。各地のダンスシーンの話をすることになっています。作品をつくりながら「ダンスとは何か」という問いかけをする。集まったメンバーの背景も違うので、こういう話をしています。それも未来の時点から、たとえばこの公演を振り返ったりもしているという設定です。全体の構成はどこで上演しても同じなんですが、ダンスシーンは違うので。この時は、カンボジアではトラディショナルな舞踊の型を少しでも崩せばコンテンポラリーダンスなんだといういう話をしていましたね。

−クリエーション全体としてはどうでしたか。

多田 大変でした。それまで京都、横浜、シンガポールでも結構うまくいったので、説明すれば伝わると思っていたことが通じないことがよくあって。ゲネプロを途中で止めたりもしました。ルールがきちんと伝われば作品としてはできるはずなので、何度も説明し、最終的にはわかってもらえたんですが。

きたまり ダンスに対する概念がしっかりあるから難しいんですよね。実はこの作品はかなり振付が決まっていて、その中で唯一即興なのが、「オブラディ・オブラダ」の1回目なんです。で、ここだけは毎回新しいことをやって、覚えて、それを繰り返していくっていうことが非常に伝わりづらいということもありました。そもそも『RE/PLAY Dance Edit』という作品では「踊る」「踊らない」ということが重要なコンセプトですが、ダンサーにとって、ムーブメントを起こしながら「踊らない」ということはありえないんです。ダンスをしながらダンスを超えていく、なんてことも考えないわけです。その辺の概念がうまく伝わらなかった。そもそもエモーションに基づいて踊っているわけではなく古典だから、型が崩れたら踊りではないという意識もあるんです。アムリタ自体はもちろん、新しいスタイルのダンスをしようとしているけど、ベースは古典にありますから。もしシンガポールで出演していたメンバーがいたら、もっとうまく混じり合うやり方もあったかもしれませんけど、日本とカンボジアだけだと、言語も二つに分かれてしまって、コミュニケーションが難しかったですね。ダンス公演だと振付家が身振り手振りで教えていくこともできますけど、多田さんの場合は演出家で、言葉だけですから。カンボジアの古典舞踊は舞踊劇なので舞踊と演劇の要素が混ざり合っていたりするし、そういった舞台芸術の文化自体が違うということにも難しさがありました。

多田 でも、ダンサーは、オーディションの段階から、「なんだ、この人たちは」という感じで、素晴らしいんですよ。身体能力がすごく高い。

−稽古の時、ダンサーの一人が古典舞踊を見せてくれましたよね。それを観て、彼らはキャラクター、役を演じる、それも振付されたものを踊ることをずっとやってきたわけで、そこから全くの即興で独自の踊りを生み出すこと、そういった発想自体が難しいんだなと感じました。公演は2日間ありましたが、その手応えはいかがでしたか。

多田 作品として成立していたとは思います。またカンボジアのダンサーはこの後に続くマニラや日本の公演にも加わってくれていて、そこでだいぶ変わっていったという印象もあります。

岡崎 お客さんについて少しお話しておくと、ほとんどPRしていなくても満席になりましたが、退出者が次々と。現地のアジアセンターの担当者によると、コンテンポラリーの上演の機会が少なくあまり長尺の舞台を観る機会もないとのことでしたが、ダンサーも観客も、いろいろな意味で試された公演になりました。

−「オブラディ・オブラダ」やPerfumeの繰り返しの途中で帰る人が多かったようですね。ただ現地で一緒に観ていて、この繰り返しの回数は、かなり計算されていたのではないかと感じました。

多田 そうですね。「オブラディ・オブラダ」にしても、僕の中では10回全てに意味があり、何回目まではこういう流れで次はこうなる……というような展開もあります。基本的に繰り返しは3回以上やることが大切で、たとえば2回目は1回目との対比という意味がありますが、3回目以降は意味がなくなる。でもそれは観客の「なぜ?」が生まれる瞬間でもあるんです。僕はその答えを観客に受け取るんじゃなくて獲得してほしいと思っています。

岡崎 「オブラディ・オブラダ」の4回目ぐらいで、「まだ続ける気か」みたいな感じで私の方を見てくるお客さんはいましたね。7回目くらいになると天を仰ぐ。で、8回目になるともう、気合を入れて見てやるみたいに変わるんですが。

多田 10回見るとお客さん同士、仲良しになってる(笑)。

岡崎 それから、クリエーションの合間にアウトリーチなどの交流活動もしています。一つは、子供たちとのワークショップで、アジアセンターからタイニー・トゥーンという貧困地域の子供たちが通うフリースクールを紹介してもらいました。もう一つは、照明ワークショップで、舞台技術の向上が課題ということだったので開催したものです。

アウトリーチ/会場:Tiny Toones(写真:明博史)

−そのあともう一度、日本で、京都芸術センターとの共同制作公演がありました。そして、2年目はフィリピンということになります。2017年3月のカンボジアでの公演の後、6月にワークショップ・オーディションをされていますね。
オーディションにはどんな人が集まりましたか。またどういった観点で出演者を選ばれたんでしょう。

きたまり ストリートダンスの人、バレエ団の人、それから俳優です。現地のパートナーになったシパット・ラウィン・アンサンブルがどちらかというと演劇よりの人たちだったので、そのネットワークでいろいろな方が来ていました。それから現地のダンスの状況を知っているということで、ダンサーのアイサ・ホクソンには出てもらって、オーディションでも一緒に選考もしてもらうことになっていたので、最終的に何人採用するかも含めて迷いました。とはいえ告知のタイミングもあって集まった人数はそこまで多くなかったんです。それでヒップホップ系とバレエ系の、最終的に3人を採用しました。

岡崎 各公演地で、きたまりみたいなダンサーを探したんです。多田さんやきたまりと一緒に主たる役割を担う存在で、マニラではアイサ・ホクソン、プノンペンではチェイ・チャンケトヤで、ダンサーの選考も含めてクリエーションに参加してもらいました。

マニラ公演/会場:Power Mac Center Spotlight(写真:Claudia Enriquez)

−公演は翌年の1月でした。反応はいかがでしたか。

きたまり マニラのお客さんは、「オブラディ・オブラダ」の途中でどんどん出ていくんです。で、みんな戻ってくる(笑)。「繰り返しだから、ちょっとトイレでも行こうかな」「たばこ、吸おうかな」みたいな感じで。続くから、1回抜けてもいいかなというスタンスでも次のシーンはすごく楽しんで観ていたり。マイペースでした。それと、マニラは若いお客さんが多かったです。アフタートークにもたくさん残ってくれて質問がたくさん出ました。なぜか、みんな出演者と写真を撮りたがるんですよね。いろいろ聞きたいし、写真も撮りたいので最後まで残って、楽しんで帰るんです。

第8回「RE/PLAY Dance Edit に見る、国を越えたダンス共同制作の形」(後編)につづく


プロジェクト概要:https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/what-we-do/support/program/13404/

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