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アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

東京芸術文化創造発信助成【長期助成】活動報告会

アーツカウンシル東京では平成25年度より長期間の活動に対して最長3年間助成するプログラム「東京芸術文化創造発信助成【長期助成】」を実施しています。ここでは、助成対象活動を終了した団体による活動報告会をレポートします。

2024/02/13

第17回「松井周の標本室2020-2022/ ダイアローグとアートが発酵したら」

開催日:2023年12月15日(金)19:00~21:00
開催場所:アーツカウンシル東京
報告団体:有限会社quinada(キナダ)
登壇者[報告者]:
松井周(劇作家・演出家・俳優・劇団サンプル主宰)
三好佐智子(有限会社quinada代表取締役)
綿貫美紀(株式会社アプレシア代表)
司会:酒井徹(アーツカウンシル東京 シニア・プログラムオフィサー)
※事業ページはこちら


登壇者(左から):綿貫美紀、松井周、三好佐智子(撮影:加藤和也)

「松井周の標本室」とは、劇作家・演出家の松井周が「演劇」を通して世の中に思いをめぐらそうと立ち上げたスタディ・グループ。経済的な効果や芸術性をめぐる評価から距離を置き、参加者それぞれの興味や関心を、対話を通じて育てアウトプットする場は、どのように実現したのか。また、そこにはどんな鉱脈があったのか。記録映像の上映や活動の中で生まれたワークショップ(ゲーム)のデモンストレーションも含む活動報告の模様をレポートします。

会場の様子(撮影:加藤和也)

試行錯誤を通じてたどり着いた「場」

ふと生まれたアイデアや関心を温め、発酵させ、育てるための場をいかにつくっていくか。芸術文化にかかわる人はもちろん、日々の仕事や暮らしに追われる多くの人にとって、このことは、それぞれの活動、人生をより豊かにするのに欠かせない課題だと言ってもいいかもしれない。劇作・演出家・俳優の松井周とそのマネジメントや公演制作業務を手がける有限会社quinadaは、アーツカウンシル東京の助成を得て、2020年4月から3年にわたり、一定の成果が求められる公演、制作活動の中では時間も予算も十分に確保しきれない「場づくり」に、ほかのアーティスト、観客など、自分たち以外の人たちを巻き込みつつ、取り組んだ。

登壇者:松井周(撮影:加藤和也)

登壇者:三好佐智子(撮影:加藤和也)

きっかけになったのは、2019年に松井とquinadaの代表・三好佐智子が開いた会議。

「この年に上演したinseparable『変半身(かわりみ)』という作品で、やりたいことをやりながらも興行的に厳しく、続いて予定していた大きなプロダクションがキャンセルになってしまいました。その時あらためて、この先何をやりたいのか、松井さんと会議をしたんです。そこで生まれたのがコミュニティをつくってみてはどうかというアイデアです。この10年来、東日本大震災やトランプ政権の成立など、現実がフィクションを追い越していくような出来事が続いている中で、松井さんにとって『演劇』というフレームは小さすぎるというふうに私自身も感じていましたし、松井さん自身も『生き物としての人間』に長く関心を持っていて、他人の興味に没入したいといった発言もしていたので、だったら、いろいろな人を集めてコミュニティをつくりましょうと」(三好)

参加者を公募し、10代から70代まで多様な背景を持つ40名で、「松井周の標本室」をスタートさせたのは2020年4月。オンライン上での「交流」をベースに、オフラインでのイベント参加などを行う「視察」、松井の主宰する劇団サンプルでも2009年から継続してきた各種の「ワークショップ」、そしてメンバーそれぞれのアウトプットの場である「発表会」を、1年(1期)ごとに半数のメンバーを入れ替えながら、2022年度末まで継続した(2023年度は休止中)。

「3年間助成をいただいたんですが、正直に言えば1年目はあまりうまくいっていなかったと思います」と松井はその活動を振り返る。年齢や職業、興味、関心が異なる人々と一つのコミュニティとして活動することと、劇団や公演のための集団を率いることとは、大きく異なっていたからだ。

「最初はどうしても何か作品をつくる時に、僕たちのようなプロが一般の方をサポートするというような感覚があった。今思えば、発表する際のクオリティに対する不安があったんです。でもそれは自分の型に嵌めようとしているだけだったんですよね。そんな反省もあって2年目は、空間は用意するのでそれぞれにブースをつくってなんでもやってくださいという形にしました。小説もあったし、展示も、音楽や映像のインスタレーションもあって、僕自身は面白かったです。ただ、今度はやっぱりクオリティを疑問視するお客さんもたくさんいらして。それでようやく3年目に、アプリを使ったり、みんなで演奏をしたり、ダイアローグというか双方向性を持った企画にたどり着きました。そういう形になれたということが、実は3年間でのいちばんの気づきだったかもしれません」(松井)

活動にあたっては、あらかじめ① 自分を“標本”として捉え、自由に振る舞う(社会的な「役割」以外に、無意識な「その人性」を発揮できる場所である)、② 経済的合理性や効率は無視する(あらゆる行動において、利益や完成度にこだわらない)、③ プロアマの垣根を払い、集まり、表現する(それぞれの「役割」の立場と「その人性」を合わせて発信し、交流する──という3つの指針を掲げたが、それを実現するのには、やはり、相応の工夫や意識の転換、時間が必要だったのだろう。

登壇者:綿貫美紀(撮影:加藤和也)

運営を担当したのはコンサルティング会社アプレシアの代表をつとめる綿貫美紀。

「普段は企業の事業戦略だったり、どちらかといえば『やってあげるから、貸して』という感じで、私の方から結論を導いていくような仕事をしているんですけど、『標本室』って真逆で、絶対に結論を急いだりしちゃいけないし、何かをジャッジするようなコミュニケーションをしない場なんだってことを、全員に浸透させなきゃいけない。その一方で、発表会はするので、お金やスケジュールの管理はしっかりやらないといけないという状況にすごく苦労はしました」(綿貫)

「メンバー間で安心安全なコミュニケーションをとることはもちろん、いかにメンバーに自主性を持ってもらうか。幽霊部員を減らすかにも気を配りました。告知や報告を徹底すること、たとえばリアルタイムでチャットに参加できなくても、記録でキャッチアップできるようにといったことから、いかに魅力的な人選と場所でワークショップを行うか。2023年3月に行った『標本の湯』という発表会では、それぞれに企画書を提出してもらって、話を聞き、支援金の額を決め、監修者による面談やフィードバックを挟みながらその人がやりたいことができているのかということを一緒に考えていきました」(三好)

「標本室のメンバーは3年間を通じて、東京の人が6割、残りは東京以外に住んでいらっしゃる方でした。ですからオンラインのコミュニケーションがベースになるんです。そこで少しでも『ほっておかれている』というような感覚を持たれないように、何か投稿があれば、とにかく運営がリアクションをとるということは意識しました。それを続けていると、だんだんリアクションをとる仲間も登場して、私がやらなくても熱量が交換されるようになるんです。また、次のトークのゲストの希望を聞いたり、ワークショップのレポート執筆をしてもらったり、巻き込む仕掛けを用意するようにしていました」(綿貫)

2020年〈回遊型展示〉「セルフサービス」(撮影:Ryo Iwase)

2021年〈回遊型展示〉標本空間vol.1『無選別標本集 』(撮影:Noriyuki Sato)

「自分」の枠を離れて広がる想像力、可能性

報告会では、標本室の活動をまとめた60分の映像の一部も披露された。「人間は何かをするために集まるんじゃない。集まりたいから集まって、集まったから演劇しようか、踊ろうかってなるのが自然な流れなんじゃないか」「集まって何かをアウトプットし続けることで、(『表現』をめぐる)垣根を超えることができるんじゃないか」という松井のコメントから始まる映像では、演劇やダンス、自分史を書くこと、FtMトランスジェンダーである自分と他者とのコミュニケーションについて、粘菌についてなど実にさまざまな関心を持った参加者たちが、そのタネを見せ合い、語り合った時間を振り返る。

彼らが口にする「とにかく出してみるところ」「会話ではなく対話する場」という形容には、日頃のもやもやした思いや興味を言語化し、(時には作品やパフォーマンスとして)共有したことへの手応えが確かに伴っていた。さらにメンバーの中には、標本室の3年を経て、自分の活動を発展、継続している者もいるという。

短い映像の終わりに、こうした「場」をつくることを通じて「表現する人を増やしたい」と語る松井。と同時に、彼は自身もまた、自らも誰かの語り、誰かの表現を体験することで変容する可能性も口にする。「わからないところにダイブするじゃないですけど、VRみたいな感じなんですよね。その人の話の中に自分が登場していって、イメージの中に入っていくというかね」。

この日、活動紹介の映像に加え、メンバーと共につくった作品としてデモンストレーションされたワークショップ、松井周+標本室『標本会議』にもその感覚は色濃く反映されていた。「誰でも俳優になれる!未来を生きる!憑依系カードゲーム!」と謳われたそれは、参加者が自分ではない誰かの役を担いつつ、日常ではなかなか話題にすることのない問題、話題について意見を交換するというもの。

この日のテーマは「安楽死推奨日を教えてくれるAIの導入、ありか、なしか」。その日に安楽死すると遺族に300万円が支払われるといった補足情報、他者の意見を否定しないで尊重するといったルールを松井と綿貫が説明したのち、ゲームはスタート。職業などが書かれた役割カードを引いて、少しの雑談ののち、まずはYES/NOの意見を表明。その後、国会議員、スーパーヒーロー、葬儀屋の社員、僧侶といった役柄にそって、それぞれが理由を述べていく。この日のデモの参加者には標本室のメンバーも入っていたこともあるのか、「ニコニコ笑って生活するのと同時にニコニコ笑って死んでいける国をつくりたい」(国会議員役)、「死に向かうことがわかってしまうと、物を買わなくなる。売り上げ的な問題が生じる」(商社社員役)、「自分の死に様をしっかり準備できる、終活しやすいという利点があり、しっかりとしたセレモニーを提供できる」(葬儀屋役)など、意見交換は思った以上にスムーズに進んでいった。

短い休憩を挟んだあとは、それぞれの役柄の(犯罪やトラブルを含む)過去の行いを明らかにする「アクションカード」を引き、議論はやや複雑に。興味深かったのは、自分とはおよそ異なるキャラクターを演じるという遊びが想像力を刺激し、さまざまな思考実験がされていること、そして立場の異なる役を演じる時にもまた、自分自身の思いや考え方の癖が導き出されるといった感想が参加者からあがったことだった。「他者を想像することで寛容になるということが標本会議の基本。だから一通りやった後の、振り返りの時間もすごく大事です。本来の自分との距離を感じたり、誰かの発言によって自分が変わっていくときの気持ち、現実とは違う設定だけれど、自分自身も同じ言動をするかもしれないという体験が、他者理解につながるというふうに思っています。また、これを、カラオケのような感覚でカジュアルにやってみてほしい。あくまでもフィクションという前提を持ちながら、ゲームのように楽しむことで、いろいろなシミュレーションができる」と、松井はこのワークショップの可能性を語った。

従来の見せる/見せられる関係を超え、演劇をいかに社会の中に息づかせるか。学校や地域のコミュニティと協働するプロジェクトも増えるなか、そのあり方、つくり方をいかに開かれた、豊かなものにしていくかが問われている。「松井周と標本室」は、あらためてその可能性に真正面から取り組んだと言えるだろう。

『標本会議』ワークショップの様子(撮影:加藤和也)

『標本会議』ワークショップの様子(撮影:加藤和也)

三好は、報告会のサブタイトルにある「発酵」にも触れつつ、「いろいろな人、素材と松井さんという酵母菌を混ぜて何が生まれるか。そこで発酵してできたものを味の違いとして面白がるというのが標本室のあり方でした。コロナ禍を経て変化した社会の中で、標本室は、互いへのリスペクトを持ったサードプレイスであり、そして安心してアウトプットもできる場であったと思いますし、それが、参加者や松井さんにとっての心のケアになっていたのではないかと思います」とこの3年間を総括する。2023年度は松井自身のアウトプットの期間として活動を休止したものの、「標本室」とそこで得た発見、手応えは、これからも手放すことなく生かし、広めていくつもりだ。

「三好さんの言う菌は誰の中にもあって、いろいろな社会経験をするなかで発酵している。それをうまく出していくのが標本室の表現かなと僕は思います。『標本』ってわかりづらい表現なんですけど、僕はそれって『演じる』ことにつながっていると思っていて。人って誰もが社会的役割を演じているけれど、そういった枷の中でこそ発酵して出てくる『その人性』を作品としてアウトプットできたら、それはきっと専門的なアーティストがつくるものよりもっと面白い表現になるんじゃないのかな」(松井)

「標本室は、アーツカウンシル東京の助成を得て、東京で始まったものではありますが、誰とでもどこにでも移植できるものです。ですから、この活動を通じて、誰もがアートを生み出し、心豊かに明日を生きる一助になれるんじゃないかとも考えています」(三好)

2023年〈回遊型展示〉標本空間vol.3『標本の湯』(撮影:Sora Kurata)

「松井周の標本室」が採択されたのは、<芸術創造環境の向上に資する事業>を対象とする助成プログラムだが、そこで提供されたのは、3年間で480万円という資金だけではない。年度ごとの報告や目標設定などを通し、継続的にアーツカウンシル東京からのフィードバックがあったことも、「自分たちの活動を理解することに役立った」と三好は言う。おりしもコロナ禍で公演活動が制限された時期に、そうした対話を重ね、新たなコミュニティづくりに取り組み、耕すことができたのは、「標本室」のみならず、かかわるメンバーそれぞれのこれからの活動の力ともなるだろう。報告会の終盤に行われた質疑応答では、演劇集団の主宰をしているという参加者から、メンバー間での情報やビジョンの共有といった運営方法、さらには標本室の今後についても熱心な質問が重ねられていた。

(取材・文:鈴木理映子)


プロフィール
「松井周の標本室」
劇作家・演出家の松井周が2020年より立ち上げたスタディ・グループ。
*標本とは?:自らの、本意ではないかもしれない「社会的な役割」と「その人性(個性)」の間で揺れながら生きている者をここでは指しています。

松井周
劇作家・演出家・俳優・劇団サンプル主宰
2007年劇団「サンプル」を旗揚げ、2011年『自慢の息子』で第55回岸田國士戯曲賞を受賞。近作に北九州芸術劇場クリエイション・シリーズ 「イエ系」(2023年脚本・演出)など。「サンプル・クラブ」を前身として2020年から「松井周の標本室」を企画・総合監修している。

三好佐智子
有限会社quinada 代表取締役
スロウライダー、サンプル、ハイバイの劇団制作をへて、現在は松井周のマネジメントと劇団た組の制作を務める。2023年より一般社団法人EPAD理事。2020年から2022年まで「松井周の標本室」を企画・主催。

綿貫美紀
株式会社アプレシア代表
早稲田大学卒業後、コンサルティング企業やAIスタートアップ勤務を経て、現在。様々な企業の事業開発プロジェクト等を支援する傍ら、2020年より「松井周の標本室」のコミュニティマネージャーを立ち上げから務める。

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