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アーツカウンシル東京ブログ

アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

Art Support Tohoku-Tokyo

Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)は、東京都がアーツカウンシル東京と共催し、岩手県、宮城県、福島県のアートNPO等の団体やコーディネーターと連携し、地域の多様な文化環境の復興を支援しています。現場レポートやコラム、イベント情報など本事業の取り組みをお届けします。

2017/11/17

どんなときでも始めることができる ― Art Support Tohoku-Tokyo 7年目の風景(5)

シリーズ「7年目の風景」はArt Support Tohoku-Tokyoを担当するプログラムオフィサーのコラム、レポートや寄稿を毎月11日に更新します(今月は都合により17日更新)。今月の11日で東日本大震災から6年8ヶ月です。執筆は佐藤李青(アーツカウンシル東京 Art Support Tohoku-Tokyo担当)。事業の詳細はウェブサイトをご覧ください。http://asttr.jp/


できるだけ、遠くに届く言葉を紡げないだろうか。いま東北で起こっていることは「震災」に限らない話なのだと思う。震災との距離に関わらず、色んな人が東北に関わりをもってほしいタイミングでもある。だが、震災というひっかかりや出来事の情報だけでは関心をもってもらうのは難しいのも事実だろう。だからこそ、経験の記述だけではなく、その事象を異なる時間と地域を結び付けるように見つめてみる。東北の話から逸脱しないように気を付けつつ、「いま」の問題意識を書き繋ごうと、この連載を続けている。これまで記事を更新するたびに新たな出会い(直し)があり、自分も忘れていたような記憶が還(かえ)ってきたり、思わぬことを考えさせられたりしている。こうして言葉にすることの飛距離を実感している。

先々月はNHKラジオのディレクターの方にも届いた。毎月11日放送の「アフター3.11」というコーナーを担当しており、東京から東北の支援を続けている活動を探しているなかで、このウェブサイトの記事に行き着いたのだという。そうして繋がった1本の電話から10月11日の放送出演が決まった。事前の準備では、聴覚のみに頼るというラジオの特性や必ずしも「アート」に関心がある訳ではないリスナーに向けて、いかに分かりやすくArt Support Tohoku-Tokyoのことを伝えるかに苦心することになった。(ここで言う)アートとは何か? アートと復興は、どう結びつくのか? と直截に投げかけられる(ある意味では当然の)質問に、改めて自分たちの活動の根幹を考えさせられた。ある問いかけには次のように応えた。

これまで6年間で、のべ約80件のプログラム、今年も10件程が実施されているそうですが、続けてきた中で、どのような変化や手ごたえを感じていますか?

佐藤)こうした緊急時でも、芸術や文化の活動を始めることができる、必要だ、大事だと感じてくれる人たちがいる、ということを実感している。先日、ずっと一緒に事業をやってきた現地の方に、「最初は何でこんなことをするんだ? と思ったけど、アートプログラムの実践を重ねてきて、いまは本当に大事だと思っている」という話を聞いた。正直な感想だと思うが、お互いにそれを共有するまで時間がかかった。
(ラジオ出演時のやりとりより抜粋)

震災直後に東北で出会う人々は誰もが多忙だった。芸術や文化の意義に確信をもった人たちだけではない。この事業は訳も分からないものだったに違いない。だが、そうした「分からないもの」と向き合う時間をともに過ごしてくれた方々と出会うことができたから、この事業は始められた。実践を共有し、現地状況が変化するなかで「大事」だと確信をもって動いている人も増えた。文化事業には時間がかかる。どんなときでもアートは生活の選択肢として社会にあるべきだ。そう思っていたことが実感できる現場と、いまは出会えている。それも「始めた」からこそ出会えているのだろう。

いま必要なのは東北に生まれている出来事が内包する時間の「厚み」を伝えることなのかもしれない。わたしたちが事業を継続してきたからこそ見える風景もあるのかもしれない。手前味噌を承知で言えば、この事実は誰かの「始まり」を後押しするかもしれない。ラジオでの対話から、そう気が付いた。そして、このときに返した言葉の背景には岩手県大槌町で6年続いてきた「きむらとしろうじんじんの『野点』」(以下、「野点」)の経験があった。

2017年10月1日。大槌での「野点」の現場を訪ねた。開催場所の北小福幸商店街は震災後に建てられた仮設の商店街だ。プレハブの建物が取り囲む駐車場の隣の「路上」で「野点」は行われていた。

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「野点」の立看板には「自分で作った、焼きたてのお茶碗でお茶を楽しめる移動式カフェ―旅まわりのお茶会です」という説明がある。好きなかたちの茶碗を選んで、自分で絵付けし、窯で焼いてもらう。出来上がった茶碗でお茶を飲む。ドラァグクイーンの姿に「化けた」じんじんさんが迎えてくれる。

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白いテントでは絵付け(手前)と茶碗選び(奥)が、さらに奥の緑や青のテントでは地元の商品や野菜の出店やミニフリーマーケット、DJブースなどが展開されていた。

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焼きあがった茶碗に、じんじんさんが息を吹きかける。釉薬の色が変化するのだという。

時折、現場に訪れた人から「じんじんさ〜ん」と声がかかる。それに応えて、じんじんさんは「おぉ、○○さん」と近況を話し始める。じんじんさんを介さずとも「野点」に関わる人々の間でも同じような会話が生まれている。2012年に大槌で始まった「野点」の関係性がにじみ出るようなやりとりが随所で交わされている。初めて「野点」に訪れる人もいる。黙々と作業に没頭する人もいる。買い物をしたり、「野点」と関係のない会話に花を咲かす人もいる。訝しげに眺めていく人もいる。

空間の真ん中にはじんじんさんがいる。けれども、そこを中心に場が動かされるのではなく、誰もが自分なりの「居方」で時を過ごしているようにみえた。「路上」を自分の居場所に変えていく。6年という時間の積み重ねの上にある穏やかな現場に、静かだけど芯の通った運動性を感じた。「野点」の真骨頂に触れたように思えた。

毎年続いてきた大槌での「野点」は2017年で6年目になる。ASTTをきっかけに始まり、2015年からはじんじんさんと地域内外の有志によって営まれている。じんじんさんは「野点」の始まりとなった隣町の釜石市に初めて訪れたときの心境を次のように語っていた。

……仙台の「野点」を終えた(引用注:2011年)11月頃、岩手の釜石で「野点」をやりませんかというお話をいただきました。正直、下見に行くまではとても迷いました。下見に行くというのはやはり実施する」ということなのだ、という思いがあったからです。下見に行った後に「やめときます」と言えるのか?何を根拠に「やめておく」という判断をするのか?「被災地」だからか?やめる根拠となるくらい具体的な経験を1日や2日の訪問でできるのか……。下見に行くことは、「実施する」こととセットだと思っていました。
 そう思いながら2011年12月に釜石に着いたときの最初の感想は、それでも「『野点』なんてできないでしょう?」でした。このまちに住んでいる人たちが、今のまちの風景を見ながらお茶を飲んだりお茶碗を焼いたりしたいなんて思うはずがない、と勝手に思い込んだんです。あれほど「具体的であらねば」と思っていたにも関わらず、釜石に着いた途端、まちに住んでいる方たちをまとめて「被災者」、釜石には「被災地」というラベルを大急ぎでかぶせたくなった……それほどの風景でした。
(きむらとしろうじんじん「大槌での『野点』——押し売りと、ありがた迷惑」『アートプロジェクト——芸術と共創する社会』水曜社、2014年、351-2頁)

じんじんさんは震災直後から「『大震災』『大惨事』『被災地』というラベルだけが頭にどんどん張り付いて」いったことに対して、「具体的になるために『野点』に『すがった』」のだという。それでも、実際の釜石の風景を前に揺らいでいた。

その後、大槌での「具体的な」人々との出会いや言葉を拠り所に、じんじんさんは「野点」を実施することを決める。そうして出来上がった現場を震災以前から付き合いのあるスタッフは「『野点』がいつも通りの『野点』でしたね」と言い、じんじんさんは「いつも通りの『野点』」とは「今の大槌ならではのやりとり、摩擦、作業、風景のある『野点』」だったのだと語っている(※1)。

※1)ここまでカギ括弧内の言葉は、いずれも、きむらとしろうじんじん「大槌での『野点』——押し売りと、ありがた迷惑」『アートプロジェクト——芸術と共創する社会』水曜社、2014年、349-358頁から引用。本稿には初年度の「野点」の実施までの経緯が詳細に語られている。

前述のラジオで語った「何でこんなことするんだ?」という疑念は「野点」の始まりを思い出して投げかけられたものだった。「いつも通り」にこだわったじんじんさんでさえも揺らいでしまった風景を前にすれば、当時としては正直な感想だったのだろう。それから「野点」は変化する「具体的な」担い手や関わる人々、風景とともに続いてきた。「今の大槌ならでは」の「野点」であることは変わりない。そして、いまは、あえて「いつも通り」と問わずともいい「野点」となっているのだろう。

震災という非常時は圧倒的に生活の選択肢を狭める。さまざまな資源の喪失と欠乏によって、限定された条件のなかで判断を迫られることになる。何かを始めることよりも、目の前の困難を終わらせることがなによりも優先される。生きるためには致し方ない、と。だが、本来、人が生きることは多様で複雑なはずだ。おのずと複数の選択肢を選ぶことから生活を営んでいる。どんなときも「誰も」が必要とするものだけでなく、「誰か」にとって必要なもの(必要となるだろうもの)を始めることが社会の豊かさを生むのだと思う。アートは、その生きるためのひとつの選択肢となるだろう。それを始めることは摩擦も生むだろう。それゆえに「もうひとつ」の選択肢であることの意義をもつ。時間の「厚み」とともに眼差したときに見えてくるものでもある。それを、どんなときも始めることができるだろうか。これは非常時に限らない射程をもつ問いなのだろうとも思う。

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大槌町の蓬莱島を眺める。(2012年9月29日/最初に大槌町で「野点」が行われた日)。

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現在は島の灯台と島までの堤防も再建されている。(2016年9月25日/撮影:嘉原妙)

追記:きむらとしろうじんじんの「野点」の岩手県での開催記録
2012年9月29日(土)常楽院(大槌町)、10月3日(水)桜木町児童公園(大槌町)、10月7日(日)大槌駅前広場(大槌町)は、ひょっこりひょうたん塾「フィールドワーク演習」(ASTT)として実施した。13年10月3日(木)常楽院(大槌町)、10月6日(日)青葉通り(釜石市)、10月9日(水) わらび学園(大槌町)、翌14年9月28日(日)みんなの家 かだって(釜石市)、10月5日(日)北小福幸きらり商店街(大槌町)は「きむらとしろうじんじんの『野点』in 釜石・大槌」(ASTT)として実施。15年10月4日(日)北小福幸きらり商店街(大槌町)以降は、同じ場所で16年10月3日(日)、17年10月1日(日)に自主企画として実施(ASTTでは15年に「きむらとしろうじんじんの「野点」in 釜石・大槌 リサーチ&アーカイブ」を実施)。


シリーズ「7年目の風景」

(1)「被災地支援」を再定義する

(2)術(すべ)としてのアート

(3)生態系を歩く

(4)「平時」を書き換える


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