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コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

2016/02/12

東京の地勢学

アーツカウンシル東京カウンシルボード委員 / 東京大学名誉教授
船曳建夫

須弥山も 五岳も富士も 一同に
  どつととわらふ 春はきにけり 

景気のよい歌だ。インドの須弥山(しゅみせん)や中国の五岳を心に念じ、晴れ渡って見通しのよい正月の関東平野を、左に富士山を望み、右に東京の市街地を見て、下にくっきり東京湾の濃紺を置く。この200年ほど前の大田南畝による狂歌は、そんなパノラマ風景にいまでもぴったりだ。それは、この人工都市、江戸・東京の地勢が、都市計画された400年前から、ほとんど変わっていないからだ。

武蔵野台地から来たつらなりが皇居の西側にまで達し、そこで濠が深くえぐられて急斜面を作る。東側の濠の石垣は浅く、日比谷通りから先は新橋、銀座、と低地になる。じつは、皇居のお濠の水面は、西と東で高さが違うのだが、それは要するに、富士山の麓がちょうどそこまで来ている、ということだ。いや、徳川家康さんが、「ちょうど」その丘の先端にお城を建てたのだ。そして日比谷は名の通り「谷」で、その先、愛宕山を右手にして海までの一帯は埋め立て地である。

まとめると、東京は、あの日比谷の交差点を臍(へそ)とし、そこから三方に向かって、台地、低地、埋め立て地の、三種の土地からなっている。台地は大体、大名屋敷になって、低地、埋め立て地に町人が住んでいた。これが、東京の「地勢」学的基層構造である。

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日比谷交差点から手前の低いお濠と向こうの高台を望む

ところが、江戸は都市計画のスタートからたった50年で50万人近くの人口に膨れあがり、狭隘(きょうあい)となって、明暦三年(1657年)の大火では数万人の死者を出す。そこで、行政は当初のプランを拡げ、隅田川の向こう、深川一帯に埋め立て地を造成すると共に、都市機能(大名屋敷や寺社やその他)の分散移転を行った結果、その後、江戸は100万の人口までになり、いま1千万を超えるまでの大都市となったわけだ。

地勢が変わっていない、と書いたが、そもそも、山を掘って谷にでもしない限り、人間が表面を多少削っても太古から作られた地球の皺は、そう変わるわけはない。そこで、気になるのは、江戸・東京で、災害が起きると、明暦大火であれその後の大火や江戸三大水害、関東大震災、東京大空襲、と、被害の大きい地域は常に、お城の東側の、低くて平らなところ、特に埋め立て・灌漑で作られた隅田川と荒川に挟まれた低地だった、ということだ。補足説明は必要だが、大局から見るとそうなる。そうすると、さらに関心を持たざるを得ないのは、江戸・東京の拡張計画は、それでも必ず、東に進むということだ。隅田川を越え、荒川を越え、灌漑をし、海を埋め立て、そこに都市機能の増大を収容しようとする。そこが可能性のあるフロンティアだから。ただし、その新たに発展を期待される地域は平らな造成地で、火にも水にも地震にも弱い、という、地勢からくる基本的な弱点がある。

江戸・東京の活性化は、誰が構想しなくても、勝手に充実して来るのは西部である。賑やかなのは西の台地の盛り場であり、若い人たちが住みたい町としてあげられるのは、東京西部の吉祥寺であり、自由が丘であり、下北沢である。それがここに来て、東部が再び脚光を浴びている。東部開拓の再開である。

まず観光地として、東部のスカイツリーや魚市場、浅草、歌舞伎座が焦点となり、湾岸にマンションが多数建つようになった。1964年のオリンピックは会場も選手村も西の台地の上で行われたが、2020年は選手村も水泳や他の種目の会場も多く東部に作られる。しかし地名というのは貴重な歴史資料で、いまのべた新しい計画、構想は、すべて、押上、築地、豊洲、芝浦、台場、晴海、海浜公園・・・元は海や水辺だったところの上に載っていることを教えてくれる。

ポイントは技術だろう。私のような技術の素人が言うのも何であるが、何度もはね返されながらも進む東京・東部開拓史の最大の課題は、「水の上」の危険をいかに技術で克服するか、なのだ。このめでたい歌で始まった話も、もう少しほんわかした言葉、たとえば「里山」で締めくくった方がエッセイとしては心温まるのだが、東京は元より計画の上に成り立った都市であることを忘れてはならない。日本列島で、東京の中心地域だけは、「里山」コンセプトが効かない異次元の地域で、その400年しか歴史のない例外的人工都市が国の首都となっているのだ。

世界に他にモデルを探しても見つからないスケールの都市である。文化施策も、そのスケールと技術を無視して語れば、東京の場合、たんにばらばらのちまちましたお遊びとなる。しかし、そのスケール感は難題でもあるが、「どつととわらふ」大ぶりの魅力でもある。そこには土木技術だけではない、社会システムやコミュニケーションの技術も、総動員されることになるだろう。

ここからはその道の専門家に任せることにして、私の今年の課題は、大田南畝を読むことである。