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コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

2017/03/13

東京文化の魅力

アーツカウンシル東京カウンシルボード委員 / 東京大学名誉教授
船曳 建夫

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東京文化の魅力はその広さと、開け方と、集中にある。
京都、大阪、仙台、ふつう都市の文化的な魅力とはその地域に蓄積された生活の楽しみや、歴史遺産だろう。もちろん東京にも、地域としての江戸から引き継いだ、鮨や歌舞伎、皇居(江戸城)や神社があり、その上に、現代都市としてのエンタテインメント、ファッションが生み出されている。その東京を他の都市と比べてみると、いろいろな面で頭抜けているのだが、ついそれは日本で最も大きく、かつ首都であることから来ると思ってしまう。一面そうだが、本質は違う。東京文化の特徴は、その表面的な規模や政治的なポジションにあるのではなく、都市としての歴史的な生い立ちに根差しているものだ。
東京は日本でほとんど唯一の人工都市である。(京都という例外がどこまで人工都市の性格を失い、しかしながらある点でそれを保持しているか、については、ここでは語らない。)この性格は江戸が始まってのち、いまに至るまで変わらない。400年ほど前に、この地にかなりの人が住んでいたとしても、そこには「都市性」のかけらもなかった。関東には、鎌倉も小田原も足利もあったが、関東平野の海岸、水の流れの入り組んだ土地に江戸を創造出来たのは、徳川幕府による権力と富の集中、戦国時代を経ての土木技術の進歩があってのことだ。
東京が人工都市であることは東京にどのような性格をもたらしたのか。さまざまな人間がやってくる。灌漑、城の建設、町並みの整備、そういった公共事業に働く人たちが日本各地から江戸に集められる。政治的にも参勤交代の制度によって、日本中の異なる藩の侍たちが常住する。江戸はその昔から、いまで言う「多様性」の都市であった。「この前の戦(いくさ)といえば応仁の乱」などと、そこに住み始めた家の古さを自慢するような気風は江戸にはなかった。むしろ宵越しの金は持たない、という、気取りも含んだ刹那性が、常に現在に生きようとする精神を形作っていた。誰もが自分が移り住んできた人間だという意識を持っている。その点はニューヨークと似ている。
その江戸・東京は、日本列島の経済に比例して、大きくなり続けた。理由は首都であり続けたことと、後背地に広い平野があったことだ。人口は、1600年の時点でほとんど「集落」の規模から、半世紀で50万、一世紀あまりで100万の都市となる。そうやって膨らみ続けるために、江戸から始まって、21世紀の東京も、灌漑・埋め立てによって海の方に広がり続ける。それはニューヨークが高層建築によって、上に向かって伸び続けたように。人の受け皿としての東京は、かつて日本列島から人を吸収していたのに加え、いまでは外に開けていて、世界から人を呼び寄せている。
「刹那的」といったが、東京の文化、気分は、やや慌ただしい。日本中の物と人、地球上のあらゆる物と人、が集中してくるから、それによって新しいものに刺激され江戸・東京人は興奮し、ますます他の都市とは桁が違う量と質の人と物が東京にやってくる。ニワトリと卵の関係である。そうやって、楽しくも忙しいので、食べる時間もまったりばかりはしていられなく、江戸・東京で発達した食べ物は、鮨でも蕎麦でも天ぷらでもファストフードである。
しかし、ここまで書けば分かるように、東京文化の本当の魅力とは、そうした個別の何か、料理やスカイツリーと指差せるものではない。そうしたものを生み出した、歴史的な性格、広さと、開け方と、集中である。しばしば誤解する人がいて、郷土自慢のようなものを東京にも見つけようとする。それは東京の上澄みであり、一部分である。ひとことで言えば、他のあらゆる都市は、「一地域」であるが、東京は「地域」ではなく都市的なシステム、「圏」である。だから、東京だけが、真の意味で、「都市の空気は人を自由にする」という、「空気」を持っている。その空気を吸うこと、それが東京の魅力である。