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コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

2021/01/13

これからの芸術文化のウェルビーイングとは

早稲田大学文化構想学部准教授
ドミニク・チェン

~これからの芸術文化のウェルビーイングとは〜
身体的、精神的、そして社会的に「よい状態」のことである、「ウェルビーイング(Wellbeing)」。
「with コロナ」の時代における、芸術文化の「ウェルビーイング」について、ドミニク・チェン氏をスーパーバイザーに迎え、特別編として全3回でお送りいたします。


2020年、COVID-19の脅威が世界中の地域を覆う中で、芸術文化の世界は大きな変革を被った。産業的な視点からは、大人数の観客を動員するコンサートや舞台、そして作品展示といったイベントが規模縮小もしくは中止や延期を余儀なくされ、芸術に従事する多くの職能が今も存亡の危機に曝されている。オンラインでの上演や展示の方法がいろいろと模索されてきているが、収入の激減や雇用機会の損失といった課題が出現しており、感染状況の悪化に歯止めがかからない現在、なお予断を許さない状況が続いている。

広義の芸術文化がその存続のために構造的な変革を余儀なくされる中、アーティストから施設従業員までを含む芸術文化の従事者たちを経済的だけではなく、精神的にサポートすることも重要に思われる。いわゆる展示や上演の施設に限定されないが、公的機関から「不要不急」のレッテルを貼られた仕事で生計を立てる多くの人々は自らの存在理由を問われているような社会的プレッシャーとも戦わざるを得ないからだ。
わたし自身は大学の教員と研究者の仕事が主たる仕事だが、ほぼ一年を通してオンラインのみで授業を運営し続ける中で、学生たちに学びの環境を提供できていると言えるのか自信を持つことができないでいる。研究者としても、「即効性」のある研究を行っているわけではなく、果たして自分の仕事にいかほどの社会的な意義があるのだろうかと自問自答したりもする。

学生たちと向き合っていても、孤独や無力感に苦しむ人たちが確実に増えている。大学生活の意義の多くの部分は、教員が提供する授業よりも、多様な他者たちと出会い、刺激を受けることだと思うのだが、断続的にしか接続できないスクリーン越しのコミュニケーションでは他者と交流できたという達成感は得られにくい。

それでもこの間、優れた文学や芸術の表現作品を体験したり、自らの手を動かし続けることで、この憂鬱な状況をかろうじて前向きに生きる活力が生まれることも確かなように思う。その意味では、皮肉にも、コロナ禍以前よりも芸術文化の「社会的効能」が浮き彫りになっているのではないかとすら思えてくる。そのことを考える上で、ウェルビーイングという概念がひとつの道筋を与えてくれる。

これまでのウェルビーイング研究

ウェルビーイングとは、心理的な充足をもたらす要因を探る研究概念である。「幸福」とも比較されることが多いが、幸福は統合的な感覚であるのに対して、ウェルビーイングは心が満たされるための多数の因子を探り、因子同士の相関も分析する。ウェルビーイングの捉え方にも、精神疾患の治療という医学的観点の他に、「楽しさ」や「気持ちよさ」といった短期的な快楽の因子を研究する向きや、「人生の意味」や「達成感」などの長期的な因子に焦点を当てる研究もある。

20世紀のウェルビーイング研究では社会心理学や行動経済学の見地から、主に経済状況とウェルビーイングの相関が研究されてきた。そこでは世界中の世帯収入とウェルビーイングの一定の相関が確認されたが、同時にある基準以上の収入を超えるとウェルビーイングはそれ以上は向上しないということも発見された。つまり、身体的健康と心理的な健全さを保つには最低限の収入が必要だが、一定以上の収入を超えてもウェルビーイングはリニアには上がり続けない。そして世界の一部の地域では、相関がまったく当てはまらないこともわかった。戦後の高度経済成長期の日本のデータを分析した研究では、50年代から80年代までGDPが右肩上がりの状態でも、日本国民のウェルビーイングは横ばいであり続けたことが示唆されているし、中南米の貧困国ではお金がなくてもウェルビーイングが西洋諸国よりも高い人々のデータも見つかった。21世紀に入るとインターネットでデータを集積したり共有したりすることが容易になり、ウェルビーイング研究は加速し、天候や風土、自然環境の有無、都市化の度合い、家族構成、社会的公正性や政治の腐敗状況など、ありとあらゆる因子が調べられるようになった ※1

※1:Diener, Ed & Oishi, Shigehiro & Tay, Louis. (2018). Advances in subjective well-being research. Nature Human Behaviour. 10.1038/s41562-018-0307-6.

わたし自身は情報技術がウェルビーイングに及ぼす正負の影響を調査する研究を行う他 ※2、共同研究者たちと共にウェルビーイング概念にまつわる文化的差異を調べてきた。端的に言って、従来のウェルビーイング理論の多くは欧米文化圏を中心に研究されてきているが、アジア、アフリカ、中東世界といった非西洋諸国では様々に異なる特徴が見いだされている。厳密に考えれば、アジアといっても国ごとで文化的価値観は異なるし、日本という一つの国を取っても、地方によってものの考え方は違う。このように文化を相対的に捉える視点から、究極的には個々人が属するコミュニティによっても何がウェルビーイングに必要なのかという考えが異なると言える。そのため、わたしたちは既存の理論にデータを当てはめていくのではなく、個々人に自己のウェルビーイング因子を定義してもらい、その分析を行うスタイルで研究を進めているが、そこで浮き彫りになっているのは一人一人を切り離して見るのではなく、個々人を他者との関係性のなかで捉える間主観的なウェルビーイングの観点である ※3

※2:ラファエル・A・カルヴォ、ドリアン・ピーターズ(著)、渡邊淳司、ドミニク・チェン(監訳)、『ウェルビーイ ングの設計論: 人がよりよく生きるための情報技術』、ビー・エヌ・エヌ新社、2017
※3:渡邊淳司、ドミニク・チェン(監修・編著)、安藤英由樹、坂倉杏介、村田藍子(編著)、『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために: その思想、実践、技術』、ビー・エヌ・エヌ新社、2020

アートとウェルビーイング

わたしのゼミに所属する島野史子はアート実践と間主観的なウェルビーイングの関係性の研究を行い ※4、その中で自身による実験提案と基礎的な動向調査をまとめている。まず大きな背景としてはWHO(世界保健機関)による2019年の調査報告「芸術が健康とウェルビーイングを向上する上で果たす役割のエビデンスは何か?」 ※5が公開されており、その中では2000年から2019年にかけて発表された900件の論文および3,000件以上の研究のメタレビューが含まれており、カバーされている領域はパフォーミング・アーツ、視覚芸術、文学、文化施設のイベントへの参加、そしてオンラインやデジタル形式の表現など多岐に渡る。そして、アート実践がポジティブな影響をもたらすと考えられる分野として、社会的不平等の啓蒙、幼児学習、精神疾患の予防、他者へのケアの視点の獲得といった「病気の予防」と「ウェルビーイングの促進」、そして精神疾患から終末治療ケアの「マネージメント」と「処置」の四つが挙げられている。ここでは詳説することはできないので紹介にとどまるが、報告書の結論としてはこうした科学的エビデンスの積み上げに基づき、より多くの国家が芸術分野を健康とウェルビーイングの観点から助成する公的施策を打ち出すように提言している。このような研究動向に目を通せば、芸術分野が決して「不要不急」ではなく、むしろコロナ禍の生活様式に起因するさまざまな生きづらさに対して積極的な役割を果たすということがわかるだろう。当然、アーティストを国家的マーケティングに回収しようとしたり、医療的な「効能」に表現行為を収斂しようとしてはならないだろう。あくまで、個々人の自由かつ自律的な表現という前提を忘れてはならない。

※4:島野史子、「芸術的表現活動を通したウェルビーイングの実現を目指すワークショップの提案」、早稲田大学文化構想学部表象メディア論系2020年度ゼミ論文(2021年3月Web公開予定)
※5:Fancourt, D., & Finn, S. (2019). What is the evidence on the role of the arts in improving health and well-being?.

その上で、WHOのレポートではプロフェッショナルの作家による作品の展示や上演と、子供や学生といった無名の非専門家による表現行為をまとめて「アート実践」としている点に注意が必要だ。しかし、それと同時に、両者を対立項ではなくスペクトラムの上で連続するものとして捉えることも重要ではないだろうか。先述した島野は、手触りの異なる素材を参加者が自由に組み立てて視覚に加えて触覚的に体験する「作品」を参加者に自由に組み立ててもらい、それを他の参加者に郵送して触れてもらった後にオンラインでフィードバックを伝え合うという実験を行った。ここでは制作行為は一人一人に閉じているが、互いの作品に物理的に触れながらコミュニケーションを取るという設定がされており、リモート生活下であらゆる交流がオンラインに制約されていることへのアンチテーゼという側面も見て取れる。小規模な実験ではあるが、実際に参加者は物理的な手触りを介したコミュニケーションを通して、他者から自身の表現へのフィードバックを受けることに対する達成感を報告している。

他者と紡ぐウェルビーイングの表現に向けて

わたし自身も、期せずしてコロナ禍の中で、表現とコミュニケーションを同一の次元で捉える活動を行った。2019年からディレクションを務め、現在も開催している21_21 DESIGN SIGHTの企画展『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020年10月から開催中)では、「翻訳行為」を「あらゆる表現やコミュニケーションのプロセス」として捉え、翻訳不可能な言葉のデータベースを構築する心理学者、手話と自然言語の世界を往復するバイリンガル話者、発話されない感情をグラフィックに翻訳するデザイナー、人以外の生命種との性愛可能性を探るアーティストなど、多種多様な作家に出展して頂いた。特に展示全体でウェルビーイングを標榜しているわけではないが、コミュニケーションとは完全な相互理解を目指すものではなく、むしろ必然的に意味がこぼれ落ちるものであり、互いのわかりあえない部分に注視することで自己の世界認識が変容するというコンセプトを置いた。

コロナ禍の巣ごもり生活の中でスクリーンタイムが増大しているが、SNSを支える機械学習技術は個人の注意を捕捉し、刺激的な情報を提示し続けることで自己の関心を肥大化する作用が批判的に研究されている。物理的な存在感を伴う他者との遭遇機会が減少し、瞬間的な快楽をもたらす情報に身を浸し続ければ、異質な価値観と出会い、認識を拡げることが困難になるだろう。わたしにとって文芸とは、自分一人では生き尽くすことのできない他者の生に触れ、追体験し、いわば「他者に成る」ことで、自己という隘路から逃れる術を提供してくれるものである。情報技術の研究者としては、そのような価値に基づいたSNSや情報システムの設計も考え続けていきたいが、そのためには、芸術文化が古来より内包してきたウェルビーイングの因子を再認識し、社会的に共有することが必要になると考えている。


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