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アーツカウンシル東京ブログ

アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

Art Support Tohoku-Tokyo

Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)は、東京都がアーツカウンシル東京と共催し、岩手県、宮城県、福島県のアートNPO等の団体やコーディネーターと連携し、地域の多様な文化環境の復興を支援しています。現場レポートやコラム、イベント情報など本事業の取り組みをお届けします。

2018/02/14

目の前の風景に、踏み止まり続ける(上)― Art Support Tohoku-Tokyo 7年目の風景(8)

シリーズ「7年目の風景」はArt Support Tohoku-Tokyoを担当するプログラムオフィサーのコラムを毎月更新します。今月の11日で東日本大震災から6年11ヶ月です。来月は7回目の3月11日を迎えます。執筆は佐藤李青(アーツカウンシル東京 Art Support Tohoku-Tokyo担当)。事業の詳細はウェブサイトをご覧ください。
http://asttr.jp/


何でもいいから記録を残しておいたほうがいい。Art Support Tohoku-Tokyoに携わるようになった頃、いろんな人にそう言われた。記録は後で役に立つ。次の経験に生かすことが出来る。それは間違いのない事実だった。東日本大震災では過去の災害の経験が多くの実践を後押ししていた。時間が経つほどに、残された記録の数によって、その後の語りの多様さが左右されてしまうことを実感するようになった。

だが、こうした警句に、いまは気を付けなければとも思う。「後」や「次」に目を向けた記録の意義は正しいが、それによって目の前の出来事を見過ごしてしまってはいけない。少なくとも「震災」の後の「東北」を支援する本事業にとって、この「いま」に踏み止まり続けることが必要なのだと思う。風景の変化は微細になり、これから語り始める人たちもいる。今まで以上に目を凝らし、耳を澄ますことが求められているように感じている。


岩手県大槌町城山からの風景、2017年12月13日。

2011年7月1日。東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業(Art Support Tohoku-Tokyo)は事業を開始した。7月以前から事前調査や準備作業は始まっていたが、正式に予算を動かし始めたのは、このときからだった。全体の事業スキームを検討し、各県の事業を立ち上げ、出張を重ねることで活動をかたちづくっていった。そして、この事業の存在と現地の状況を発信するため、真っ先にウェブサイトの制作に着手した。

サイト名は「Art Support Tohoku-Tokyo Report」、アドレスは頭文字をとって「asttr.jp」。「Report」を冠した名前の由来はウェブサイトの構造に由来していた。トップページを開くと、いくつもの記事がグリッド状に並んでいる。基本的にすべての記事は等価に表示される。そうした事業の報告(report)の集積でサイトは成り立つように設計されていた。各記事は、ごく簡単なカテゴリで分類され、個別に複数のタグも付いていたが、正直言ってアクセスする側には親切な仕様ではなかった。

サイトは9月に公開された。いま振り返っても、驚くほど短期間で立ち上げている。日々変化する東北での出来事を記録し、発信する。不都合があれば後で改修すればいい。このサイトをつくる意義を制作に関わる誰もが共有していたことを覚えている。とにかく急いで簡単に記事をあげられる場をつくることが優先された。

記事の投稿権限は各地で動き出した事業の担い手に渡していった。事業の実施の様子や進捗報告など、多くのレポートは複数回のシリーズものとして展開された。初年度このサイトでの多少の「報告」の責務を課していたことも影響していたのだろう。そうは言っても震災直後の心身ともに慌ただしいなかで、こうした記事を書くことは並大抵のことではない。少なからぬ人々の間に、自らの経験を書き残しておく熱のようなものがあった。


「Art Support Tohoku-Tokyo Report」はウェブサイトのリニューアルに伴い、アーカイブを国会図書館インターネット収集事業保存事業「WARP」にて閲覧可能(リンク先は2016年10月15日時点のもの)。国立国会図書館は東日本大震災に関するウェブサイトを重点的に収集していたが、本サイトも公開後に国立国会図書館からの連絡を受け、収集対象となった。現在も定期的にアーカイブされている。

「たとえば現地に出張に行ったとき、寝る前の10分でいいから、その日のことを書いて、投稿するといい。それくらいの時間で書けるもので構わないから」

サイトの制作過程で、そう言われたことがあった。その影響もあって「出張」とタグを付けた「事務局日誌」をいくつか書いた。だが、結果的に投稿記事は5本、出張の数で言えば2回分から先を更新することはなかった。

忙しかった。目の前の出来事に向き合うことで精一杯だった。理由のひとつではある。それだけではない。現地に行けば伝えるべきことは沢山あった。だが、何かを言おうとするとこぼれ落ちるものが気にかかった。沢山ありすぎて書けなかった。ある一面を語ろうとすれば「被災地」や「震災後の東北」を代弁するようなふるまいになりそうだった。どれだけ現地に通っても、むしろ、通えば通うほどに、その土地で暮らし、震災を経験した人々の実感からの遠さを常に感じていた。

言葉を記すことは、いまを遠くに伝える力をもつ。だが、それは見えない誰かを傷付けてしまう可能性も高めるだろう。文字にしてしまえば面と向かって表現の機微を伝えることもかなわない。ただ、怖かった。それは今も変わらない。


Google フォトのアルバム。書き残す代わりに写真を撮ることだけは続けていた。日付と場所をデジタルデータのアルバムフォルダ名に記載して溜めていた。公開は目的にしていなかった。その日、その場にいたことを思い出す素材として残していた。この数年でデジタルカメラからスマートフォンに撮影機材を移行したことで、日付と場所が自動で記録されるようになった。

2016年4月。ASTTの活動のドキュメント制作に着手した。これから先に同様の活動が必要になったときに参照できるものをつくりたい。ASTTが、実際に、どう動いてきたのか、何が課題となったのか。それを時系列に収録し、ハンドブック形式でまとめるのはどうだろうか。初めて編集者の川村庸子さんに相談をしたときは、これくらいのイメージだった。

編集会議は難航した。5年という時間を精緻に追えるほど記録は整理されていない。過去を振り返って素材をつくる必要があった。それには時間も予算も足りない。過去の5年を振り返るために、また5年の月日が必要になってしまいそうだった。だが、それだけの量があったとして、果たして伝わるものになるのだろうか。時系列で実績を追う方針は、早々に断念した。

この頃、東北では5年という「節目」を迎えていたが、それは支援の減少など「外」からの話であって、当然のようにカレンダー通りに現地の状況に区切りが付いた訳ではない。まだ5年しか経っていない(5年が経ってしまった)。「震災後が、こうであった」と言い切ることは出来ない。ドキュメントの制作のきっかけは、この節目と無縁ではなかったが、そうした区切りを付けるものになることは避けたかった。

「東京」から東北に通う、わたしたちが何をしてきたのか。初年度から各事業の現場ではドキュメントを制作していた。その意味で各実績は残されていた(※)。これからつくろうとしていたドキュメントは事業6年目にして、初めて東京の「わたしたち」を主語としたものだった。ASTTは、わたしたちが東京から東北の地を訪れ、パートナーとなった人々と対話を重ねることから事業を展開してきた。あるときの編集会議で、この構造自体をドキュメントに反映するアイディアが、どこからともなく現れた。

※ 各事業のドキュメントはASTTウェブサイト(BOOKのページ)にて一部PDFダウンロード可能。今後も過去のデータは随時追加予定。

こうして完成した『6年目の風景をきくー東北に生きる人々と重ねた月日』にはASTT初期から関わりのあったパートナー7名のインタビューを収録した。時間の連なりを意識し、話は震災以前から伺うことにした。こうしたインタビューは既に知っている(はずだった)方々との「出会い直し」の機会となった。

インタビューの合間に短いコラムを書いた。それぞれの生き様を表現した力強く熱の込もった「声」に応答することに苦心した。自らの経験を振り返り、声に近い言葉で文字にしようと試みた。この誌上での対話のような構造が、本事業のつくりかたを表現していた。


『6年目の風景をきくー東北に生きる人々と重ねた月日』。本書には「震災」にかかわらず、ある土地で生きることの信念や、芸術や文化の仕事に従事することの意義が記されている。その回答ではなく「問いかけ」として読んでもらいたい。ASTTのウェブサイトにてPDFダウンロードが可能。

「失敗したことも沢山あったし、何にも学んでいないことも多い。それこそが記録に残らねばならないし、いま、振り返らないといけないのだと思う」

本書の送付によって、久しぶりに連絡をくれた方は、そう言っていた。本当にそうだと思った。言葉で書き残すことは、同時に残らないことを明快にしていく作業でもあった。少なくとも、このメディア(媒体)があることで書き記されたものから「書け(てい)ないこと」を語り始めることができる。メディアを(つくる作業を)介在させることで人と人とが出会う。その可能性に気が付いた。


えずこホール20周年記念事業「えずこせいじん祝賀会」の風景、2017年3月4日。この場に一歩足を踏み入れたときから2日間のプログラム終了まで、えずこホールが地域で積み上げてきた蓄積を実感し続けた。えずこホールはASTT立ち上げからのパートナーであり、『6年目の風景をきく』では館長の水戸雅彦さんに話を伺っていた。だが、このときの経験は、それまでの言葉では知りえなかった、えずこホールの真価を思い知らされた。

2017年度が始まった頃、出張先で「潮目」が変わってきたという言葉を聞くようになった。沿岸部では嵩上げされた地面のうえに家が建ち始めた。外から支援に訪れる人も減り、震災後に立ち上がった人々が地域の活動の中核を担うようになった。だが、安定する風景のなかで地域が閉じていくような感じも受けた。震災で「気が付いた」人だけが背負ってはいないだろうか。地域の内外を問わず、この土地の出来事を分かちもつことがあるのではないだろうか。そう問うとき(功罪はあったが)震災直後の開かれた状況を思い出した。

もしかしたら、東北の「外」から東北の各地に通うことは、この土地の出来事を東北の内外に開くことの後押しになるのかもしれない。自らが媒介となることで、遠くの人、近しい人々の関係を繋ぎ直す。それは震災直後に東京から「お節介に」東北を訪れたときから変わらないが、いまになって改めてこの役割の意義を考えるようになった。

2018年2月2日。ジャーナル『FIELD RECORDING』の第一号を発刊した。メディアづくりを介して変化する東北のいまを探索し、その土地の文化的な生態系のなかで動く人々と出会い(直し)、拾い集めた言葉や表現を東北との関係を繋ぐ可能性をもつ人々へ届けたいと思った。


『FIELD RECORDING』(vol.1)、アーツカウンシル東京、2018年。特集は「記録の生態系にふれる」。インタビュー、寄稿、東北での表現の紹介、日記の再録などを通して、多様な「参加者」の方々がまなざす東北の風景を採録した。ASTTウェブサイトでPDFダウンロードが可能。


巻頭インタビューは、せんだいメディアテーク アーティスティック・ディレクターの甲斐賢治さん。

震災後の東北の経験は、どれもが「震災」に限らない意義をもっていた。だからこそ、言葉にするときは、小さくとも切実な声を、大きな言葉で解釈し、広い文脈に接続するような作法も必要となるだろう。だが、そうした言葉の後ろに、その先に、東北の地に、いまも現に生きる人々がいることを想像することが、もう一方で必要な態度なのだろうと思う。

「(震災を思い出し)苦しいけれど(次に同じ経験をする人がいないように)伝えなければならない」。想起がもたらす痛みと経験が支える伝えることの切実さ。こうした言葉に触れるとき、ある特定の経験と向き合うことと、それを「伝えること」の間の悩ましい関係を考える。社会的な忘却と繰り返す災害による経験の上書きは「防災」の意識を高め、ある経験を「伝えること」の意義を強くする。だが、誰もがそうした教訓では掬い切れない個々人の固有の経験をもつだろう。「被災」を聞きたい訳ではない。いうまでもなく「防災」が不要なのではない。こうしたひとりひとりに向き合う態度も、ひとつのありようとして必要なのだと思う。そして、そこに踏み止まる術として「アート」に賭ける意義があるではないだろうか。

(つづく)


シリーズ「7年目の風景」

(1)「被災地支援」を再定義する

(2)術(すべ)としてのアート

(3)生態系を歩く

(4)「平時」を書き換える

(5)どんなときでも始めることができる

(6)かつての未来が、いまを動かす

(7)往還する記憶:「ラジオ下神白」から


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