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アーツカウンシル東京ブログ

アーツカウンシル東京のスタッフや外部ライターなど様々な視点から、多様な事業を展開しているアーツカウンシル東京の姿をお届けします。

Art Support Tohoku-Tokyo

Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)は、東京都がアーツカウンシル東京と共催し、岩手県、宮城県、福島県のアートNPO等の団体やコーディネーターと連携し、地域の多様な文化環境の復興を支援しています。現場レポートやコラム、イベント情報など本事業の取り組みをお届けします。

2018/04/27

目の前の風景に、踏み止まり続ける(下)― Art Support Tohoku-Tokyo 7年目の風景(9)

Art Support Tohoku-Tokyoを担当するプログラムオフィサーのコラムシリーズ「7年目の風景」の最終回です。今年の3月11日を過ぎ、東日本大震災から8年目を迎えました。執筆は佐藤李青(アーツカウンシル東京 Art Support Tohoku-Tokyo担当)。事業の詳細はウェブサイトをご覧ください。
http://asttr.jp/


若林区荒浜地区も津波で壊滅的な被害を受け、地震発生当初「若林区荒浜の海岸に200〜300の遺体」という衝撃的なテレビテロップが流れたほどであった。

2018年3月1日にせんだい3.11メモリアル交流館の企画展「3.11現場の事実×心の真実 結~消防・命のプロが見た東日本大震災」の展示パネルの一文で7年前の感覚を思い出した。震災直後に東京都内でUstreamを介したテレビ中継を見ていたとき、このテロップが流れたことを覚えている。地名はよく知っていた。おおよその土地勘もあった。だが、現実感がなかった。言葉の意味は分かるが、それが指し示す事態に想像が及んでいなかった。少なくとも震災後の東北の地を実際に訪れるまでは。

同時に夜通し聞こえていた、都内を歩いて帰宅する大勢の人々の衣擦れや足音も思い出す。店舗に水がなくなった。計画停電が始まり、照明が消され、街が暗くなった。不安げにマスクをする人が増えていた。東北の状況を伝えるニュースが飛び交う東京で震災を体感していた。同じように全国各地で、いや、世界中で震災は経験されていたのだろう。


企画展「3.11現場の事実×心の真実 結~消防・命のプロが見た東日本大震災」展示風景(会期:2018年2月6日~4月22日)。震災直後から対応にあたり、その数ヶ月後に記された消防署職員の方々の(公開を目的としていなかった)手記をもとに展示が構成されていた。7年を迎えるからこそ開封された記憶と伝えることの切実さを感じる。


今回の展示で制作された、震災直後を振り返ったインタビュー動画も公開されていた。


近くには実物の非常食の展示も行われていた。ちょうど消防署職員の方々がメンテナンスに訪れており、展示の感想について声をかけられた。東京から来たことを告げると「東京の消防も支援に来てくれましたが(この展示であるような)実際どうだったかは知らないと思うんですよね。ぜひ、東京でも!」と、いま「伝える」ことの熱意を強く感じる話し振りが印象的だった。

3月15日には福島県猪苗代町のはじまりの美術館「ビオクラシー~“途方もない今”の少し先へ」と会津若松市の福島県立博物館「特集展:震災遺産を考えるー災害の歴史と東日本大震災ー/アートで伝える 福島の今、未来 at Fukushima Museum」を訪れた。はじまりの美術館は昨年から3月に震災に関連した展示を行っているのだという。福島県立博物館では震災後に立ち上げた「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」の6年間の活動の集大成として数々の作品が展示されていた。どちらも震災後の社会へ楔を打つ態度表明に立ち会うような展示だった。


はじまりの美術館の入口。築130年の酒蔵を改修し、2014年6月に開館した。この日は、まだ雪が残っていた。


3.11関連特別企画「ビオクラシー 〜”途方もない今”の少し先へ」展示風景(会期:2018年2月24日~3月25日/出展作家:赤間政昭、アサノコウタ、岩根愛、梅原真、古久保憲満、SIDE CORE、佐賀建、佐藤菜々、田島征三、Chim↑Pom、平井有太、藤城光、宮川佑理子)。画像手前(左右)は平井有太《ソーシャルスケープ:福島の場合》、奥はSIDE CORE《rode work》。


福島県立博物館の特集展「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト成果展:アートで伝える考える 福島の今、未来 at Fukushima Museum」の展示風景(会期:2018年3月3日~4月11日)。岡部昌生、安田佐智種、藤井光、土田ヒロミ、岩根愛と取り組んだプロジェクトの成果が展示されていた。


岡部昌生フロッタージュプロジェクトから生まれた南相馬市の「おらほの碑」をもとにした作品。「おらほの碑」は2012年12月に南相馬市鹿島地区の八坂神社に震災の記憶を残すために建てられた。「おらほ」とは土地の言葉で「わたしのほう」を意味する。


福島県立博物館では特集展「震災遺産を考える-災害の歴史と東日本大震災-」も開催されていた。同館が震災後から取り組んできた「ふくしま震災遺産保全プロジェクト」の成果として震災にまつわるさまざまな「モノ」が展示されていた。写真は福島県いわき市で収集された「火災で溶けた街灯看板」。日本各地の災害の歴史についての記述や資料もあり、東日本大震災を広い視角から捉え直すことができるようになっていた。

3月の東北で触れた展示は、いずれも震災直後の生々しさを伝えていた。それぞれの展示の先に、それらをつくった人々の姿が重なる。Art Support Tohoku-Tokyoを通して出会った人々だった。誰もが自分の持ち場で抗がっているように見えた。時間の経過がもたらす経験の忘却、変貌する風景、震災前に回帰しようとする心性。揺さぶりをかけるには、ひとつひとつの実践はあまりにも小さいのかもしれない。だが、その力強い態度は実践の手を共に携えた人々に、それに触れる人々に確実に伝播するのだろう。いま東北の地で、こうした実践がいくつもあるという事実は土地や時間の距離を超えた連鎖反応をもたらすに違いない。それは、すでに始まっているのだと思う。

「被災者」とは誰なのだろうか。「被災地」とはどこなのだろうか。震災後の東北に通い、そう問えば問うほどに、そんな「」で括るような人も場所も存在しないのだと気が付いた。「被災」とは個々人の経験の襞のなかにあった。だからこそ、抽象的な枠組みに囚われるのではなく、目の前の具体的な出来事に目を凝らす態度が求められた。「アート」の作法を介して向き合う現場は常にそうした「」を外した先から始まっていった。 

美術家の藤浩志さんが、あるとき、次のように書いていた。

被災後よく「アートに何ができるか」という問いが聞こえてきた。アートに何ができるかという問い自体、アートが主語になっていて、面白くないし興味もない。しかし、これまでの既成概念や常識を超えて行動することや、手や体を動かすこと。何かを「つくる」時間にいること。感性を開き、対話を試み、知ろうとするためにしっかり向き合うこと……これらの態度はとても重要だと思っている。そしてそれらのことはアートを実践するうえでとても重要な要因でもある。
(藤浩志「あとがき 考える状況をつくる。」『見る、聞く、話す、感じる、そして考える。』公益財団法人東京都歴史文化財団東京文化発信プロジェクト室、2013年、105頁)

アートは、ひとりひとりと向き合う術になる。むしろ、そう向き合う態度こそが、アートが立ち上がる端緒となる。誰かと出会う。「つくる」時間を介在することで、ある役割を超えた固有名の関係を築く。単に肩書きを外すのではない。肩書きも含めた、その人に出会い直す。そのとき、その人のもつ技術も見えてくるだろう。誰かと出会い、また出会い直すためには相応の時間がかかる。こうした営みが生まれる数々の風景に、これまで立ち会えてきた。そして、いまも、新たな風景は現れ続けている。

2017年度のArt Support Tohoku-Tokyoの一環として、岩手県釜石市では特定非営利活動法人remoの松本篤さんが、ひとつの写真館の歴史を追いかけた。プロジェクトの名称は「ランドスケープ|ポートレイト――まちの写真屋の写真論」。松本さんは2018年3月11日付で発行したドキュメントに、本プロジェクトを始めた動機を次のように書いている。

光陽写真の店主、菊池賢一さんにはじめてお会いしたのは、2017年の8月。津波に流された家と仕事場の再建をめざし、仮設の商店街で営業を続けられていた。1時間の取材時間のあいだに、遺影の仕上げ、家族アルバムの受け渡し、工事現場の写真の出力など、人の暮らしにまつわるさまざまな局面に、写真を介して触れられていた。「(震災から7年が経とうとしている)今の自分の状況を何かに残しておきたいなあ」。ふと、呟かれた。記録に残す人々の営みを、記録に残したいと思った。
『ランドスケープ|ポートレイト――まちの写真屋の写真論 VOL.01 光陽写真(岩手県釜石市)』(2018年3月11日)冒頭。


『ランドスケープ|ポートレイト――まちの写真屋の写真論 VOL.01 光陽写真(岩手県釜石市)』(企画:AHA![Archive for Human Activities]、取材・編集・執筆:松本篤(AHA!)、発行:アーツカウンシル東京、2018年3月11日)。A1版の一面に菊池賢一さんのインタビューと写真が掲載されている。反対の面には菊池さんご自身が撮影したポートレイトと写真館の写真が掲載されている。PDFデータはこちらで閲覧可(Art Support Tohoku-TokyoのBOOKページより)。

写真館の歴史は、家族の歴史でもあった。ドキュメントに収録された会話の話し手には賢一さんのお母さんの満子さんも登場する。話は「お祖父ちゃん」が始めた「ライト写真館」の設立から始まる。お祖父ちゃんや「お父さん(先代)」の人柄や写真にまつわる技術の趨勢など話は進む。そして後段では東日本大震災で「二代目のお店」が「流された」ことも記されている。テキストの周囲には、偶然にも震災前日にブログに掲載したことで残った画像や、たまたま地震で揺れる瞬間から撮り始めたフィルムの断片も掲載された。

始まりは「震災」だったとしても、このプロジェクトの動機は震災の痕跡を探しあてることではなかった。だが、結果的に、このドキュメントには釜石で営まれる日常に刻み込まれた震災の姿が現れてきた。震災は非日常の出来事として起こるが、それは日常の先に突如差し込まれ、その後の日常と地続きの経験でもある。ある土地の日々の営みのなかに刻まれている「非日常」を静かに掬い上げる。その「呟き」ほどのささやかな振幅に触れる作法こそが、いま震災の経験と向き合うためには必要なのかもしれない。

2018年3月11日を迎え、東日本大震災から8年目が訪れた。「東北」と「3月11日」の結び付きは月日を追うごとに象徴性を増しているように見える。それは社会で共有すべき、ひとつの経験を想起するための楔として機能するのだろう。忘却に抗し、この経験がもたらした負の行為を繰り返さないために。その意味で社会的な記憶装置として文化が果たす役割も大きいだろう。それぞれの場所で生まれつつある小さな実践の数々。いま必要なのは、その生態系のような蠢きを捉えるようなまなざしを共有すること、そして、他者と共有可能な号令では掬い切れず、ふと日々の営みのなかで現れる「呟き」に応答し続けること。そのための試みが求められているように感じている。


シリーズ「7年目の風景」

(1)「被災地支援」を再定義する

(2)術(すべ)としてのアート

(3)生態系を歩く

(4)「平時」を書き換える

(5)どんなときでも始めることができる

(6)かつての未来が、いまを動かす

(7)往還する記憶:「ラジオ下神白」から

(8)目の前の風景に、踏み止まり続ける(上)


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