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コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

アーツ・オン・ザ・グローブ:コロナ禍と向き合う芸術文化

本シリーズでは、欧米や近隣諸国において芸術文化がいかに新型コロナウイルスと向き合ってきたのかをお伝えします。

2021/11/19

CASE04
香港:コロナ禍でのチャンスとは

CHAT(Centre for Heritage, Arts and Textile)エグゼクティブディレクター兼チーフキュレーター
高橋瑞木

シリーズ「アーツ・オン・ザ・グローブ」

本シリーズ「アーツ・オン・ザ・グローブ」では、欧米や近隣諸国において芸術文化がいかに新型コロナウイルスと向き合ってきたのかをお伝えします。日本、そして東京における芸術文化の現状を理解し、新しいアイデアを得るための一助となれば幸いです。

*企画協力・監修に光岡寿郎氏(東京経済大学コミュニケーション学部教授)を迎え、全6回の連載でお送りいたします。

抗議運動からコロナ禍へ

2019年の抗議運動とそれに続くコロナ禍、またその最中に導入された国家安全法と、香港は社会の目まぐるしい変化を経験している。予想もしていなかった事態が次々と起こる中、2019年3月に開館したばかりのCHATをどのようにマネージメントしていくかの対応に追われ、香港の他の美術館や文化施設の個別の対応を観察する余裕はなかったというのが正直なところだ。したがって、本稿はCHATでの筆者の個人的な忘備録としての性格が強い。

「中国で新型ウイルスのインフルエンザが流行り、死者が出ているらしい」という噂が信憑性を帯びてきたのは、筆者が旧正月の休暇で香港から日本の成田空港経由でメキシコへ向かう途中だった。成田空港内は、日本でホリデーを楽しもうとする旅行客で混み合っていた。空港内の薬局では、すでに新型コロナウイルス感染拡大を警戒する旅行客がマスクを求めてレジの前に長い列を作っていたが、筆者は事の深刻さを気に介することもなく、一路メキシコへと向かった。2週間の休暇の最中に中国国内での感染が爆発的に拡大し、マスクやアルコール消毒液が東アジア圏で不足しているというニュースをSNSを介して知り、まだコロナウイルスが到着していないメキシコで慌ててマスクやアルコール消毒液を買い求めた。帰路につく頃は、機内でマスクを装着する乗客も増え、乗り換えで再び到着した成田空港の薬局ではマスクはもう見る影もなかった。しかしながら、2月上旬に香港国際空港に到着しても通常通りスムーズに入国ができ、自宅に戻ることが可能だった。

実際には、私がメキシコで呑気に休暇を満喫している頃、香港のCHATのオフィスでは緊張感が増していた。中国からもたらされた新しいウイルスは、2003年に約300名の死者を出した「重症急性呼吸器症候群(SARS)」の被害を体験した香港の人々の苦い記憶を呼び覚ましたに違いない。旧正月を本格的に祝う香港では、本土にいる家族や親戚と祝うため中国へ帰国する人が多い。また、本土から香港へ訪れる観光客もピークを迎える時期だ。1月24日に武漢からのフライトや高速鉄道の運行は止められたものの、まだ香港と本土間の往来は可能だった。そのため、旧正月明けに、オフィスの人事部からは「過去14日間中国に渡航した人はただちに報告するように」という要請があり、感染拡大予防の水際対策が始まった。つまり、私は香港に到着後、隔離こそなかったものの即座に在宅勤務に突入し、会議はZoomに切り替わっていた。

その頃CHATでは、テキスタイルデザイナーの須藤玲子さん率いるNUNOの展覧会が開催されていたが、スタッフの在宅勤務に伴い、ギャラリーを一時的に閉じることになった。結果的に26日間休館となり、その分展覧会の会期を延長することにした。筆者が休館中に対応を迫られたのは、ギャラリーの受付や監視員といった現場のスタッフの労務管理だった。学芸や事務方は自宅でも引き続き仕事ができるが、ギャラリー閉館中は現場スタッフの業務がなくなってしまう。その頃はちょうど予算承認のための理事会が予定されていたため、人事予算の減額を避けるため、彼らが自宅でできる仕事を作り出す必要があった。ちなみに、業務上オフィスに来る必要があるスタッフには入退室と体温の記録が義務付けられた。また、マスクとアルコール消毒液がスタッフ全員に無償で配られた(この無料配布は2021年10月現在でも続いている)。

パンデミック下のミュージアムマネージメント

香港政府の初動の早さが功を奏したのか、感染者の数が驚異的には増えることなく、CHATのスタッフも冬期の展覧会の撤収、そして3月に始まる現代美術のグループ展の準備を粛々と進めていた。しかしその間にも新型コロナウイルスの感染は世界中に拡大し、展示作業のため中国、アメリカ、タイ、韓国から来香予定だったアーティストたちは皆渡航をキャンセルせざるを得なくなった。当初日本は感染者が少なかったため、香港への入国も可能であり、須藤玲子さんのスタジオのスタッフも撤収のために来香し、また、次に始まるグループ展の参加アーティストの加藤泉さんも隔離なしで香港に来ることが可能だった。各国で在宅勤務が始まっていたため、作品の到着の遅延なども危惧されたが杞憂に終わり、初めてiPadのカメラ越しに渡航ができなかった作家と展示作業を行うことになった。この頃には公共の場でのマスクの着用も義務付けられ、レストラン1卓の着席人数の制限も始まっていた。大勢で集まっての飲食ができなくなり、飲食店の営業時間も短縮させられるようになった。したがって、普段なら賑やかな社交の場と化す展覧会のオープニングだが、これも当然中止になった。
展覧会が無事オープンできたと喜んだのも束の間、香港の感染者が再び増加し、在宅勤務が再開された。同時にCHATも再び閉館となったが、2月にすでに閉館を体験していたため、3月の閉館の時期にかなり素早くデジタルコンテンツの制作へと活動の中心を移行することができた。組織をマネージメントする立場において、断続的に続く閉館や在宅勤務の間にスタッフのモチベーションを下げないことはかなり重要だった。なぜなら文化施設の中で働くスタッフ自身が、非常事態の間に社会から自分たちの仕事が求められてないと思ってしまえば、文化活動の社会的意義への疑念にも繋がりかねないからである。

CHATは非営利の財団が運営しているが、運営予算は民間企業に依存しているため、休館中でもちゃんと組織が活動していることを視覚化することも大事だった。香港政府からは、コロナによってキャンセルせざるを得なかったイベントへの出費や見込み収入などへの補償があり、かなりスピーディーに支払われたことは追記しておきたい。具体的には、2020年9月4日の時点で香港政府は860の芸術団体、プロジェクトと5100人以上の芸術労働者に対して1億2400万香港ドル(約18億1500万円)の補助金を支払っており、その後さらに1億5000万香港ドル(約22億円)が追加された ※1

※1:「Latest progress of Arts and Culture Sector Subsidy Scheme under Anti-epidemic Fund


オープンした直後に閉館しなくてはいけなかった特別展「Unconstrained Textiles; Stitching Methods, Crossing Ideas」のキュレーターガイドツアービデオ

というわけで、CHATは休館中もフル活動だった。オープンしたてのグループ展のヴァーチャルビデオツアーや、アーティストとのオンライントークイベントなどは、若手のスタッフが中心となって制作した。

我が組織ながら感心したのは、若いスタッフが手話を取り入れた聴覚障害者用のヴァーチャルツアーのビデオを作りたいと企画したことで、普段はルーティーンに追われてできない、時間のかかる取り組みが在宅勤務時期にできたことはスタッフの自信にもつながった。かくしてコロナ禍が始まってから昨年11月頭までには72ものデジタルコンテンツが生み出されたのだった ※2

※2:「Centre for Heritage, Arts and Textile MILL6CHAT(YouTube)


コロナ禍の閉館中に制作された手話つきの常設展ヴァーチャルツアービデオ

全世界的に移動制限が敷かれていた期間には、CHATの呼びかけで、従来のテキスタイル美術館からの脱却を図るオランダ、ポーランド、イタリアの美術館、アートセンターとともにテキスタイル・カルチャー・ネットというグループを組織し、定期的にミーティングを行い、インスタグラムを活用したオンライン展覧会を隔月で企画、発表を行っている。


テキスタイル・カルチャー・ネット

香港では自宅勤務、飲食店の短縮営業や店内の人数制限など、限りなくロックダウンに近い処置が断続的に取られているが、香港の適応能力の高さはこうしたときに遺憾なく発揮された。CHATも2020年夏に予定していた中国人作家の個展を延期し、急遽コレクション展へと内容を変更したが、意外なほどスムーズに事は進んだ。しかも開館すれば、海外旅行の代わりに地元の香港で新規開拓をする香港人のオーディエンスが展覧会にひっきりなしに訪れ、入場者数はコロナ前とほぼ変わらない水準を保つことができた(入場者数は2019年の抗議運動のときのほうがはるかに減少した)。


CHAT活動再開後にオープンした「Interweaving Poetic Code」の関連イベントの様子。

ちなみに香港といえば最も権威あるアートフェア、アート・バーゼル香港が開催されることで知られているが、2020年の春は中止になったものの、11月には香港内のギャラリーによるアート・バーゼル香港のミニバージョンが開催された。香港は海外からの渡航客に厳しい隔離制限を敷いており、国際都市香港が鎖国のような状況になってしまっているが、2021年の5月には、アート・バーゼル香港は海外からのギャラリーを招聘し、香港のローカルスタッフにオペレートさせるという方法を取りながら開催された。10月にはNFTアートをプロモートするデジタルアートフェアも開催され、こちらも活況を見せている。社会や経済の状況が即座にビジネスに反映されるコマーシャルアートの世界はコロナ禍にも即座に反応し、オークションハウスやコマーシャルギャラリーで活動するアート業界人が「アートパワー香港」というデジタルプラットフォームを素早く創設し、ネットワーキングイベントや展覧会の告知などを発信していた。こうしたバイタリティはさすがである。非営利文化組織の活動としては、オルタナティブスペース「Para Site」がコロナ禍の中、アーティストのヴァーチャルスタジオビジットを企画し、謝礼を払うことでアーティストのサポートを試みていたことが印象に残っている。しかしながら、コマーシャルギャラリーの組織力に比べ、CHATやPara Site、その他の芸術関連の非営利団体が連携するようなプラットフォームや組織はなく、それぞれの団体がバラバラに活動を行っており、横の繋がりは薄い。この2021年11月には満を持してアジア最大規模の美術館M+が開館する。渡航制限のため、香港は鎖国のような状況ではあるが、「香港内で開催されている展覧会や美術館に行く」というオプションが、香港の人々にとって海外旅行にとって代替でありうる現在は、文化施設がお互い関係を築きながら地元のコミュニティとじっくり向き合い、共にオーディエンスを育てるチャンスとも言えるだろう。


【Editorial Viewpoints】

今回のレポートでは、台湾のケースと同様に新型コロナウイルス禍におけるミュージアムの対応が描かれている。このなかで新たに言及されていたのが、コロナ禍のミュージアムにおける労務管理の問題だ。アメリカ、台湾のケースではミュージアムを含めたアートセクターの雇用状況には触れられていたが、その内実が垣間見えたのは今回が初めてである。
特に、以下の二点に注目したい。まず、ミュージアムの仕事と言えば学芸員がすぐに思い浮かぶわけだが、直接的には展示の企画には関わらない、館の職員の大半を占める「現場スタッフ」の在宅ワークをどう考えるのかという点。また、ただ業務を作り出すのではなく、その在宅ワークが、彼/彼女らにとっていかなる意味で「文化を支えている」という実感を伴いうるものなのかという点である。これまで日本においても芸術文化領域における労働環境については議論がなされてきたが、それと同時にそこで働く人々のマインドを含めた組織心理学的な課題についても目を向けていく必要があるのだろう。(光岡)


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