アーツ・オン・ザ・グローブ:コロナ禍と向き合う芸術文化
本シリーズでは、欧米や近隣諸国において芸術文化がいかに新型コロナウイルスと向き合ってきたのかをお伝えします。
2021/12/21
CASE05
ドイツ:ドイツのコロナ禍文化政策をまなざすことで見えてくる日本の「これから」(前編)
獨協大学准教授
秋野有紀
シリーズ「アーツ・オン・ザ・グローブ」
本シリーズ「アーツ・オン・ザ・グローブ」では、欧米や近隣諸国において芸術文化がいかに新型コロナウイルスと向き合ってきたのかをお伝えします。日本、そして東京における芸術文化の現状を理解し、新しいアイデアを得るための一助となれば幸いです。
パンデミックの衝撃
「ものの豊かさから心の豊かさへ」──戦後日本の文化行政の展開を時代背景とともに語るとき、当然のように繰り返され、使い古されてきたこの定式 ※1。その恐ろしい「呪縛」に気づいたのは、世界を未曾有の危機に陥れたあのパンデミックの渦中だった。2020年2月、日本で新型コロナウイルスが感染拡大を見せはじめると、政治が文化・エンターテイメント活動に「自粛」を要請。広くこの領域が「不要不急」と名指されたと受け止めた文化関係者たちに、大きな衝撃が走った。
けれどもこれは、ひとえに「文化に無理解な」政治家の問題に帰せられる話だったのだろうか? 「経済的に豊かになった日本では、次のステップとして、文化芸術の振興に力が入れられるようになりました」──こうした「ステップ・バイ・ステップ」の語りを国民全体に内面化させ、「文化」を、余裕のある社会のみが享受できる「余剰物」かつ「個人的」な趣味嗜好の問題と捉える土壌を用意してきたのは、他ならぬ我々、文化政策の研究者たちだったのではないか……。
コロナ禍中の文化政策は、緊急支援に眼目がある。平時とは趣旨を異にする。けれどもパンデミックは、そもそも「文化」というものが、平時であるか、非常時であるかを問わず、社会にとっていかなる意義を持っているのかを、問い直させる契機となった。活動の継続と支援を求める業界、批判・応援・傍観へと多極分断化する世論──炙り出される、芸術文化の意義を共有していたつもり、という何気ない前提の脆さ。プレ・コロナ時代に文化政策の土台をなしてきた前提の一端は、音もなく崩れ落ちていった。
グリュッタース旋風、日本上陸
日本の政治家の表現がブーイングをあびた後に、今度は過分なまでに持ち上げられて、ドイツから「グリュッタース旋風」がやってきた。ドイツ政府で文化とメディアを所掌していたモーニカ・グリュッタース(当時)が、突如、日本で喝采を浴びた(以下、彼女の役職はドイツでの略称であるBKMと記す)。「ドイツの文化大臣」 ※2 は、アーティストを「生命維持装置」と言い、フリーランスのアーティストに「無制限」の支援を約束し、文化を「民主主義の根幹」と表現した、と。
「生命維持装置」と翻訳された言葉はもともと「極めて重要な(lebenswichtig=vitally important)」という形容詞の述語的な用法で、治療機材みたいな小難しい語感の非日常語ではなかった。無制限の支援というのは「いかなるコストがかかろうとも」何でもする心の準備がある、という当時のドイツ政府全体の合言葉だった。「無制限」に引っ張られたのか、2020年6月までメディアを始め、国会でも再三再四叫ばれていた「ドイツはフリーランスのアーティスト支援に6兆円」という金額。あれは、正しくは個人事業主・中小零細企業全体へのドイツ版「持続化給付金」の総額だった。
しかし大袈裟に伝えられたこのような情報が、当時の日本で、ドイツの文化政策に注目させる種を蒔き、日本の支援をめぐって幅広い議論が展開する道筋をつけたのも事実だ。こうした背景を踏まえたうえで、前編では、コロナ禍を受けて、ドイツではどのように文化が支援されたのかを概観する。後編では、日本で見られたドイツ文化政策をめぐるこの「喧騒」が意味するものを考えていきたい。
ドイツ政府のコロナ禍文化支援を主導したBKMベルリン(上)とBKMボン(下)[筆者撮影]
ドイツの中央政府機関は、ボンとベルリンの分都型を採っている。さらにベルリン首相府の中にBKMの執務室があり、ドイツ政府の文化政策の拠点は3箇所となる。
ドイツの動向
(1)危機の時代に求められていた理念と実務のバランス感覚
2020年3月11日、WHOはパンデミック宣言を発出。すでに4日にはパンデミックとしての警告を出していたドイツでは同日、メルケル首相(当時)が保健相とともに、前日に閣議決定した1,000人以上のイベント中止について説明をしている ※3。
ドイツでは、平時の国内文化振興は、州の管轄にある。しかし今回は、感染症対策のためにドイツ政府と州政府が合意のうえで全国一律の制限を進めようとしていた。これには文化活動も無縁ではいられない。そのため、ドイツ政府を代表してグリュッタースが、文化創造産業に対して制限措置の必要性を説明、国の支援を約束している(ただしこの時点ではまだ、ドイツ政府の補助金を受けていない小規模の催しの実施は、各自が判断することができた)。
「この状況が、文化創造産業にとって大きな負担を意味し、とくに比較的小さな施設や、フリーランスのアーティストを相当の苦境に陥らせかねないことは、承知しています」
「文化はよい時にのみ享受される贅沢品ではありません」
「それでもなお、イベントのキャンセルを要請するのは、尋常ではない非常事態にあるためなのです。」 ※4
──中止を余儀なくされる業界の無念に寄り添い言葉を尽くすと同時に、制限を要請するからには、文化創造産業に特有の事情を自分が政府で代弁し、今後の支援策に反映させる。彼女の発言は、現状の説明であり、今後の決意表明でもあった。活動制限が決して業界軽視ではないことを説明した彼女のこうした発言が、続く支援額とともに、日本で注目を集めていく。
3月22日には、ドイツ全土で同居家族以外の3人以上の集まりがまずは2週間という時限付きで、禁止された ※5。事実上の都市封鎖(ロックダウン)だった ※6。23日、ドイツ政府は《新型コロナウイルス対応のための緊急包括支援》の大型追加措置を発表。3月初旬から段階的に公表されてきた渾身のこの一連の大規模支援には、「バズーカ砲」という愛称もついた。
※6:発表の数日前の18日にメルケルは、こうした決断は民主社会では容易になしえるものではなく、あくまで時限措置であること、(旧東ドイツ出身者である彼女自身が)渡航や移動の自由というものは勝ち取られた権利であることを重々承知していること、それでもなお、命を救うための苦渋の決断であることを国民に説明している。実はこの間にメルケルも「不要のイベントへの参加」は控えるよう呼びかけている。すなわち、日本の政治家と同じ表現を使っていたのである。けれども、家族親戚の集まりも含む一律の対人間距離確保の要請であることが、文脈上明らかであった。それゆえに「なぜあれは良くてこれはダメなのか」というタイプの批判が殺到する事態に陥ることはなかった。制限はこの後、延長されていく。4月20日以降は、敷地面積を基準に、営業再開が許可されたものもあった。
1,225億ユーロの補正予算のうち、個人事業主と零細企業が利用できる支援が、融資ではなく給付金(500億ユーロ=6兆円。以下、2020年上半期は1ユーロ=120円、2021年の支援は130円で換算)となったことが、まずは歓迎された。なぜならこの間、文化業界の大部分は、たとえ営利企業であっても経営基盤が相対的に脆弱な事業者によって支えられており、返済義務のある「融資は、死の先送りでしかない」という現場の声が、多く寄せられていたからだ。
この即時支援は、3ヶ月分一括での定額給付となった。グリュッタースは様々なメディアで、文化領域の社会的意義を述べつつ、「バズーカ砲」のなかで文化創造産業従事者が利用できる部分を20日から予告した。しかしそのために、日本では23日に成立するこの措置が、文化のみを対象とする支援額だという誤解が生まれてしまった。「ドイツはフリーランスのアーティスト支援に6兆円」との発言が、国会やメディアで、6月まで繰り返されている ※7。
支援に関連して23日に出したプレスリリースの最後を彼女はこう結んでいる。
「クリエイティブな人々の創造的な勇気は、この危機を克服する助けとなることでしょう。我々は、ここから未来にとって良いものを生み出すために、あらゆるチャンスをつかまねばなりません。それゆえにアーティストたちは、まさに今、なくてはならない存在であるだけではなく、実に極めて大切なのです」 ※8。
結びのこの言葉は、「6兆円のフリーランスのアーティスト支援」と「生命維持装置(「極めて大切」の創造的変換)」というセットとなり、日本語のSNSで瞬く間に拡散され、「喝采」を浴びた ※9。今日でも、コロナ禍における諸外国の文化支援というと、繰り返しドイツの政治家たちの発言が引用される。
翻訳された際にニュアンスの不正確さがあったにせよ、メッセージの大枠は、日本でもたしかに受け止められた。ドイツの政治家たちの各種の表現が、「賞賛」とともにある種の「驚き」をもって受け止められたのは、日本社会とドイツ社会とで、社会が「文化」をどのように捉えているかという視点の違いに、決定的に関わるものだったためだ。後編で述べるが、この現象で注目される点は、金額や対応速度という表面的な問題に限られるべきではなく、それ以上に、その背景にある「社会」と「文化」の関係をめぐる、文化政策の存在意義に対する両国の理解の違いにある。ドイツの政治家たちの発言は、一朝一夕に出たものではない。
(2)文化創造産業へのコロナ禍文化支援
政策理念は後編に譲り、前編ではまず、実務家の方々の関心が高いと思われる政策実務に焦点を当て、支援の全体像を確認しておこう。
表1では、2021年7月までに発表されたドイツ政府の主な支援を感染拡大状況とそれに伴う制限措置とともに示した。青字は文化創造産業に特化した支援で、その他のものは、文化創造産業も利用できるドイツ政府の産業支援である。表2は州政府のコロナ禍初期(2020年4月8日時点)の支援である。ちなみに、ドイツの文化創造産業の業種は136種で、定義は日本の国勢調査より広い ※10。
表1:ドイツの新規感染者数とドイツ政府の制限および主要な支援
(画像拡大:PNG版/PDF版)
感染者数は、ロベルト・コッホ研究所のデータに基づくStatistaのExcelデータ「Täglich gemeldete Neuinfektionen und Todesfälle mit dem Coronavirus (COVID-19) in Deutschland seit Januar 2020 (2021年12月10日まで)」による。ロックダウンなどの制限措置については、ドイツ政府のウェブサイト、Wirtschaftswocheの関連記事、文化支援以外の国レベルの緊急支援については、ドイツ政府およびジェトロ(デュッセルドルフ、ベルリン、ミュンヘン事務所)の発表してきた情報を参照し、秋野作成。
連邦非常ブレーキ:直近7日間の10万人あたり新規感染者数(7日間指数)が100を超えると、都市や郡単位で事実上のロックダウンに近い厳しい制限措置が発動する。
※なお、ここに掲載したものは、年収の半分以上がクリエイティブ・ワークによる者が対象。講師業・パートタイムのアーティストには年間およそ36万円まで非課税枠拡大などの措置があった。
表2:コロナ禍初期の各州政府の支援(2020年4月8日時点)
州名 | ドイツ政府の支援と連結させた 州の支援か否か |
収入源・損失を 受給条件とするか |
自由業者 /個人事業主 |
零細企業 (フルタイムの従業員ポスト5まで) |
零細企業 (同10まで) |
中小企業 (同15まで) |
中小企業 (同24まで) |
中小企業 (同25まで) |
中小企業 (同30まで) |
中小企業 (同49まで) |
中小企業 (同50まで) |
中小企業 (同100まで) |
中小企業 (同250まで) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
バーデン =ヴュルテンベルク |
票決中 | 〇 | 9,000€ | 15,000€ | 30,000€ | × | × | ||||||
バイエルン | 消し込み | × | 9,000€ | 15,000€ | 30,000€ | 50,000€ | |||||||
ベルリン | 追加あり | × | 9,000€ | 15,000€ | 25,000€ (7500万€のベルリン独自財源による) |
× | |||||||
ブランデンブルク | 消し込み | × | 9,000€ | 15,000€ | 30,000€ | 60,000€ | × | ||||||
ブレーメン | 追加あり | 〇(2,000€) | 2,000€(※i) | 9,000€ | 15,000€ | 20,000€ | × | × | × | ||||
ハンブルク | 追加あり | 〇 (個人事業主に対して) |
2,500€ | 5,000€ | 5,000€ | 25,000€ | 30,000€ | ||||||
ヘッセン | 特別ルール | × | 10,000€ | 20,000€ | 30,000€ | × | × | ||||||
メクレンブルク =フォアポンメルン |
追加あり | × | 9,000€ | 15,000€ | 25,000€ | 40,000€ | 60,000€ | × | |||||
ニーダーザクセン | × | × | 9,000€ | 15,000€ | 15,000€ | 25,000€ | × | × | × | ||||
ノルトライン =ヴェストファーレン |
消し込み | 〇(2000€) | 2000€(※i) | 9,000€ | 15,000€ | 25,000€ | × | × | |||||
ラインラント =プファルツ |
× | × | 9,000€ | 15,000€ | 30,000€ | × | × | × | × | ||||
ザールラント | × | × | 9,000€ | 15,000€ | × | × | × | × | × | × | × | × | |
ザクセン | × | × | 9,000€ | 15,000€ | × | × | × | × | × | × | × | × | |
ザクセン=アンハルト | 消し込み | 〇(400€) | 400€(※i) | 9,000€ | 15,000€ | 20,000€ | 25,000€ | × | × | ||||
シュレースヴィヒ =ホルシュタイン |
× | × | 9,000€ | 15,000€ | × | × | × | × | × | × | × | × | |
テューリンゲン | × | × | 9,000€ | 15,000€ | 20,000€ | 30,000€ | × | × |
※: はドイツ政府のプログラムを適用。ドイツ政府のバズーカ砲適用対象は、 の部分のみ(零細企業10ポストまで)であった。
※:ここでの「ポスト数」とは、フルタイムを1ポストとする換算である。従業員の勤務時間により、1つのフルタイムポストを何人で占めるかが、左右される。例えば、パートタイム従業員2名でフルタイム・ポスト1を占めるなど、実働人数とポスト数は、必ずしも一致しない。人数の換算方法は、20時間までの勤務=0.5人、30時間までの勤務0.75人、30時間までの勤務の社員及び職業訓練中の人=1.0人、450 Euroベース給与の従業員=0.3人
出典:連邦経済エネルギー省委託事業:文化・創造産業能力開発センター「コロナ禍における州の支援一覧表」2020年4月10日にメール受信、pp.12-13を参照し、ベルリンに関しては4月9日の決議を追記している。ポスト数の換算方法は、ドイツ復興金融公庫(KfW)の定義による。
(2)-1 ドイツ政府の支援
ドイツ政府はまず、個人事業主、零細企業、自由業の者を対象に支援を組み、採択済みの助成については、使途柔軟化を発表。その後、年次予算が確保されている公立文化施設や団体の支援(New Start Culture I)へと軸足を移している。
当初想定した活動停止期間は、3月から5月の3ヶ月間(1度目のロックダウン)。約80,000件の催事が全土で中止となり、文化創造産業の損失は12億5,000万ユーロと試算していた ※11。
公立文化施設が後になったのは、年次予算で運営されているために、施設の数ヶ月の閉鎖で経済的苦境に直結はしないと考えられたためであった。けれどもここで、ドイツのこの時期の支援について、日本であまり言及されてこなかった点に触れておかなければならない。
一点目は、ドイツの文化政策特有の一種の「弱み」である芸術文化業界内の支援格差という積年の問題である。ドイツでは、公立劇場などへの「制度化された支援」の手厚さと、フリーランスが主な担い手である「フリー・シーン」への相対的に見て格段に脆弱な支援とが、表裏一体である(ドイツ国内で舞台芸術を支援するのは主に州と自治体だが、上演1席に対する公的補助額は、1万円強対100円弱という統計もあるほどだ ※12)。ここ数十年、こうした格差を是正できていない文化政策には、批判の矛先が向けられてきた。構造的な創造環境改善へのこうした圧力がある中で、国が未曾有のパンデミックに直面してフリー・シーンのアーティストを支援しない、あるいは、制度化された文化機関よりも軽視するかのようにとられる対応をとることは、連邦総選挙を控えた時期であったことを差し引いても、政治の選択肢として、まず考えられるものではなかった。
二点目は、統計で把握できる業界の「規模」と、個々の多様な「働き方」との把握の両方が緊急支援では求められたが、ドイツは前者については強さを発揮したものの、後者については後手に回った点だ。ドイツ政府の文化創造産業緊急支援の初動は、「バズーカ砲」の成立過程で、文化創造産業の存在感をいかに認めさせるか、そして業界特有の事情をいかに反映させるかという点に関心が向けられた。これはある程度、合理的かつ緻密に進んだ。それを支えたのが、平時の「現状把握」と「経過観察(モニタリング)」である。文化創造産業従事者の人数・産業規模・収入構造などを連邦雇用庁が集計しており、これが「バズーカ砲」成立までの政治的議論の過程で、文化創造産業の「規模」を強調し、国は平時には限られた点においてしか芸術文化には関与しないとはいえ、国の即時支援に芸術文化を含むクリエイティブ・ワーカー支援を広く含めるのに、役立った。
雇用庁の統計は、文化創造産業を産業支援の一つとして管轄する連邦経済エネルギー省が、実数・成長率・産業構造の推移や、その全国的な分布を業界ごとのクラスター地図にして、文化創造産業のモニタリングとして公表している。ドイツの文化創造産業の粗付加価値は、自動車、機械製造業に次ぐ第3位で、GDPの3%を占める。ドイツの大学では文化政策の講義の第一回に、この統計を学ぶ ※13。
スタート地点での正確で緻密な現状把握が、政策立案の成否を分かつ。この基本は、今回も徹底されていた。BKM、ロビー団体、マスコミ、アーティストから我々研究者まで、皆がこの公開されている多角的な統計をもとに、「バズーカ砲」が成立するまでの間も、大枠としての文化創造産業支援のあるべき姿を議論し、検討することができた。
けれども、その後も表1に示したように、制限措置発動のたびに支援プログラムは次々と生まれるのだが、それらがクリエイティブ・ワークに携わる多様な働き方をとるフリーランス全体にとって、使いやすいものであったかについては、手放しに楽観的な評価をすることは、控えざるをえない。
日本では理想的にとりあげられたこの支援は、正確にはギャラリーや書店、小規模な映画館、ミュージック・クラブなど、賃料や光熱費などの固定費がかかる事業者を念頭に置いたものであった。ここで対象とされた「個人事業主」は、確かにフリーランスとも言い換えられる。しかしフリーランスの働き方は、多様である。私はドイツ労働法の専門家ではないので、法的に厳密な区分ではなく、現場での慣習的な語られ方にもとづく理解とはなるが、大きく分けて、(1)俳優や歌手、ダンサーで事務所や練習場、アトリエを持っている者、書店や小規模映画館、クラブを経営しているフリーランス(自営の個人事業主=Solo-Selbstständige)と、(2)様々な現場で複数の作品に自分の能力を提供する働き方をするフリーランス(Freischaffende、freie Künstler:innen)の2種類を思い浮かべることができる。日本では、主に後者のフリーランスを念頭に置いてこの支援のニュースを受け取り、ドイツ政府の当時の対応を好意的にまなざしていた人も少なくなかったように思う。けれどもこの制度が対象としていたのは、主に(1)であった ※14。
そのため、すでに2020年4月には、グリュッタースに厳しい批判の声が寄せられている。固定費のない(2)に該当するフリーランスのクリエイティブ・ワーカーに対し、彼女は4月17日に放送局ARDの番組で「生活費にも使える社会保障パッケージを利用してしのいでほしい」と発言している。文化創造産業を実質的に支えている少なくない部分の人たちは(2)のタイプなのに、彼らにも失業手当を利用するという解決があるではないかと説明したのである ※15。緊急支援の眼目は実際、健全な経営をしてきた事業者の倒産と海外資本による買収の回避とが優先される産業保護にあった。そのためこの時点では、ドイツ政府の対応も課題を残していたし、文化創造産業で活動し、本当に助けを必要としていた個人にまで、もれなく広く手をさしのべる支援形態であったかのようにまで理想化することはできなかった。
しばらくグリュッタースが政府批判の矢面に立っていたが、批判の声は日増しに高まる。4月半ばには、書店やミュージアムは再開の兆しが見えていたのに、劇場、コンサートホールなどは閉鎖されたままだった。4月末には、BKMの予算からキャンセルされたギャラの補填が決まり(ただし国の補助金を受けている施設や事業と契約していたアーティストに限る)、イベント主催者は、キャンセルをしても将来にまた使えるようにバウチャーを発行することで払い戻しの衝撃を緩和(先送り)できるようになった。しかしフリーランスの、とくにパフォーミング・アーツに携わる人々の状況は、それほど変わらなかった。ついに5月9日には、批判の集まっていたグリュッタースではなく、メルケルが出てきた。首相が「芸術支援を最優先事項」と発言したと好意的に拡散されたので ※16、知っている方も多いと思うが、最も重要だったのは、彼女が冒頭で芸術家、とりわけ「フリーランス(die Freischaffenden)」にとりわけ甚大な影響がでていると意識的に言及した点にあった ※17。
※17:ビデオ・ポッドキャスト「コロナと文化」
最後にメルケルは、コロナ禍による中断を克服した後にも、「ドイツの幅の広くバラエティに富んだ文化環境が存続し続けられること」が自分たちの目標であり、この課題をドイツ政府の優先リストの最も上位に置いていると締めくくった。活動もできず、支援も不十分だと怒りを爆発させていたフリーランスのアーティストたちにすれば、まだ成立していないのは自分たちにまで届く支援くらいなのだから、もはや最優先なのは当然だ! くらいに思っていたかもしれないが。
6月初旬には、ようやく文化業界に特化した支援が発表された。New Start Cultureである。これは、民間の文化施設と公的支援が運営費の大半を占めていない施設とに対しては、感染予防対策をしながら活動を再開するためのインフラ整備(オンラインチケット販売、収入設定可のデジタル事業、空調整備等)を補助するものとなった。さらに中小規模の民間事業者に施設支援と事業支援を行い、新たな仕事を通じて、フリーランスや個人事業主に支援を行き渡らせることが目指された。国が補助している文化機関や事業、州・自治体による公立文化機関・事業については、キャンセルによる収入減やコロナ禍で発生した追加費用の補填を試みるものとなった。団体が申請するものであったが、フリーランスのアーティストに支援が行き渡るようにという支援の目的が、当初より繰り返し強調されている。
この後も、個人事業主と零細企業が申請可能なドイツ政府の事業者支援は、継続的に登場する。たしかにドイツ政府は、文化創造産業におけるフリーランスのクリエイティブ・ワーカーの「重要性」を統計的にはしっかりと把握していたし、芸術家社会保険に入っている層や文化評議会傘下などの業界別アソシエーションに入っている人々についても、ある程度、緻密に把握できていた。しかし彼らに緊急援助を行う際に極めて重要となる「この業界特有の働き方」の幅広さの実態把握については、日本同様に苦労し続けたように見える。
2021年12月9日に神戸大学で講演をしたアンネグレート・ベルクマン東京大学特任准教授は、フリーランスの中でも、一つの作品のための一時的な雇用契約を複数掛け持ちするような最も生活基盤の脆弱な歌手、音楽家、俳優、技術者が、全ての支援枠組みから取り残されていたドイツの問題を指摘している。ベルクマン教授によれば、彼らの大半は、色々な公演のための複数の契約期間が半年以上になる時点で、常勤雇用とみなされ、そのためにもはや自営業の補助は申請できず、また事実上、常勤雇用者でもないためにその枠の援助(短時間労働給付金)も受けられず、2021年の追加モジュール(表1)に至るまで、1年あまり、全ての隙間をすり抜けてしまったという。
2021年2月10日に申請が始まる「Bridging Aid III」は当初、個人事業主・非正規雇用者に対し、2021年1月から6月にかけて、最大97.5万円程度の申請を可能にするものだった。しかし申請の直前になって文化セクター向けの追加モジュールが発表され、「パフォーミング・アーツ分野の短期雇用のアーティスト」にも、対象が拡大された ※18。彼らが客演や映画のために短期間しか働かないために、失業手当も短時間労働給付金も申請できなかったためと説明されている。
https://www.bundesfinanzministerium.de/Content/DE/Pressemitteilungen/Finanzpolitik/2021/02/2021-02-05-beschaeftigte-darstellende-kuenste-neustarthilfe.html
Bridging Aid IIIには、固定費支援のメリットをこれまで享受できなかった自営の個人に対するNew Start AIDと呼ばれるものもあり、2019年の売り上げの25%(最大5000ユーロまで)を一回限りの給付として受け取ることができた ※19。2021年7月からのNew Start AID PLUSでも、「パフォーミング・アーツの非正規雇用者、短期雇用者を含む」ことは明記された。現在は金額が引き上げられ、個人は、最大約58万円、複数人企業・協同組合は、最大234万円を申請できる。こうしたつなぎ支援の対象であるかそうでないかは、大きな差となる(ただしBridging Aidはすべて、一定以上の収入割合減の条件がある)。この分野へのドイツ政府の支援は、平時にはもともと(管轄ではないため)僅かである。だから業界理解が追いついていなかったという事情があったとはいえ、コロナ禍での「迅速で非官僚的」を掲げた国の緊急支援は、一部のフリーランスにとっては、この時期まで待つものとなった。
(2)-2 州政府の独自支援──分担と協調による厚みのある支援へ
2020年4月当時、日本で注目を集めていたドイツ政府の支援は、表2では の部分である。ここから見えてくるのは、「バズーカ砲」は文化創造産業にも手を差し伸べはしたが、実際には個人事業主とポスト10までの零細企業しか対象としていなかったという側面だ。
2019年時点で、ドイツの文化創造産業の事業者あたりの従業員は4.66ポスト。個人事業主は、この業界の労働市場の2割 ※20。そのため、ポスト10以下で対象を区切っても、大半はカバーできた。しかしそれより大きな事業者も、存在しないわけではない。
この部分を補ったのが、州政府だった ※21。ドイツは連邦制で、特に文化立法は州に高権がある。少なくない州が独自に予算を組み、ドイツ政府に先駆けて支援に着手していた。全国的には、表2のように連邦政府の給付に州が独自支援を加え、申請を受け付け、執行された。この《分権執行方式》は、ドイツ政府の事務的負担を確実に分散、軽減させた。地域裁量は、各地の事情の反映にも繋がった ※22。
※22:2020年4月にゲーテ・インスティトゥート東京のオンライン・レクチャーに出演したベルリン都市州政府文化欧州相(Senator)クラウス・レーデラー(左派党)も、注意深く聴けば、「ドイツ」の対応の素晴らしさではなく、国(CDU/CSUとSPD)の対応の遅さとベルリン独自の支援の速さを強調していることが分かる。
ドイツ政府は、給付金はあくまで事業を継続させるための支援であり、生活費ではなくアトリエやスタジオの賃貸料に充てるよう要請した。しかしこの条件に合わない活動形態のクリエイティブ・ワーカーは、とりわけパフォーミング・アーツ業界に多数いた。
先に触れた南ドイツ新聞は4月17日に、ハンブルク、ベルリン、ノルトライン=ヴェストファーレン州でのみ「即時支援」は辛うじて成功していると評価している。仕事場を他に持たず、自宅を職場にしていても、税務署に事業所届を出していれば、即時支援を申請できるよう、州が調整したためだ。
他にも例えばバーデン=ヴュルテンベルク州は、独自にベーシック・インカム的な基本収入を制度化(約14万円)した。「即時支援」の申請では、資金繰りが必要な項目(リース、家賃、クレジットなど)を具体的に書かなければならなかった。その際、個人事業主や自由業の者には、月最大1,180ユーロまで、仮の事業主賃金(報酬)として計上できるようにすることで、実質的に、個人の基本収入の保障を可能にしたのである。つまり、こうした調整をした州では、固定費の補填ではなく、制限措置で仕事を失うこととなったクリエイティブ・ワーカーたちが求めていた事実上の生活費への支援に繋がったのである。バーデン=ヴュルテンベルク州は、その後さらに州立ミュージアムにデジタル・ポスト(無期雇用)を新設し、23名を採用。表現者支援のみならず、住民にデジタルで活動を届け続けるための措置をとっていく。
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州は、映画産業のプロデューサー、脚本家、演出家に対し、《3×3》という名称のインセンティヴ助成を創設。長期的に新しい作品制作を促すことを目的とし、3年間で、3本の新作脚本を、という意味をこめ、いつ終息するとも分からないパンデミックの中で、支援の交換条件のように成果を急かす態度はとらなかった。他にもリハーサル支援などの各種奨励金も誕生し、州の多彩な支援には、顔の見える場所でクリエイティブ・ワーカーの働き方を把握し、地元の文化協会と協働してきたからこそのユニークな工夫が多々見られた。
(2)-3 市民社会の活動主体──執行と立案機能を実装するアームズレングス・ボディ
文化分野に特化した国の支援は、2020年6月に具体化された ※23。先に述べたNew Start Culture Iは団体申請、団体配分の形をとった。団体が受け取るとはいえ、フリーランスのアーティストに支援が行き渡るように、という条件付きで、質の維持も念頭にあった。映画館、ミュージアム、劇場、音楽、文学など多彩な分野を支援し、デジタル化の推進やパンデミック対応投資(衛生対策の機器や空調整備など)も含まれていた。
ここで申請を受け付け、審査を行った主体として、業種別の評議会(カウンシル)を少し紹介したい。政府の直接介入への防波堤と位置づけられるアームズレングス・ボディは、文化助成においても、専門性と公平性が維持されている限り、重視される存在である。理念的には、政府の干渉を受けずに、活動の文化的な質と公共的な意義とを自律的に判断する高度専門機関とされる。ドイツのアームズレングス・ボディは、業種型、地域型、準政府型と多層化している。今回の団体への支援過程で存在感を示したのは、業種型だった ※24。現在8つの業種別の評議会があり、それをドイツ文化評議会(German Culture Council)が統括している。
今回は、例えばドイツ政府のNew Start Culture Iで社会文化領域に関する文化団体の申請受付と採択とは、業種型カウンシルである「社会文化評議会」が行った。ドイツ文化評議会は、文化の公共性を広く社会に発信するロビー活動を継続的に展開している。他にも文化協会や文化基金が配分に尽力した。ドイツ政府も、刻々と変わる現状の把握をこうした団体を通じて意識的に行っており、文化評議会の事務総長はドイツ政府のヒアリングにはほぼ毎回招かれている(委員会はオンラインで生配信)。彼らは、要望を出した支援デザイン案と額、進捗状況、根拠となる統計資料を連日、ニューズレターで送信し、公開もしている。カウンシルはそれぞれに、こうした役割分担をしつつ、さまざまなアクターや各政府レベルの主体を繋ぎ、困難な状況の具体例や必要とされている措置のデザインを政府に訴え、その大半を、遅かれ早かれドイツ政府のコロナ禍文化支援モデルに採用させた(文化評議会は、各政府レベルの支援と政治家、アーティスト、中間支援者の理念と実践の記録を編纂した厚さ3cmの冊子『コロナ・クロニクルI』を2021年上半期に刊行。ここには記録アーカイヴを重視する姿勢も感じられる)。
このように、ドイツはパンデミックの渦中にあっても、ドイツ政府レベルのみで支援対応をしたわけではなかった。地域の実情を知悉した州・自治体、文化創造の実情を把握している市民社会の各種アクターが、普段から顔の見える距離で活動してきたノウハウを活かし、喫緊の実務的対応にあたった。民間財団や、影響力のあるアーティストや政治家の呼びかけによるクラウド・ファンディングも、次々と政府支援の足りない部分を補完し、厚みを加えていった。
様々なアクターを組み込んだ、いわゆる公助・共助・自助の緊急支援体制──普段はドイツ政府をも凌駕する力を持つ州政府をはじめとする分権的な文化政策の構造があってこその多層性が本領を発揮した。連邦制下で平時には対立することも少なくないそれらが、対立をいったん棚上げし、緊急支援のために協議を重ね、協調的・相互補完的に合意を積み重ね、事にあたった意義は大きい。こうして、ドイツ全土に網の目状に多層化して存在する各種アクターが、分担・協調し、感染症拡大予防という非常事態下では自身の活動停止も厭わないという形で社会に「連帯」を示してくれた文化創造分野を、一丸となって支えようとした。(後編に続く)
> ドイツのコロナ禍文化政策をまなざすことで見えてくる日本の「これから」(後編)はこちら
関連記事
- シリーズ「アーツ・オン・ザ・グローブ」トップ
- CASE01 アメリカ:コロナ禍が引き起こした変容、コロナ禍でも進行する変容
藤高晃右(NY Art Beat共同設立者) - CASE02 オーストラリア:COVID-19に直面するアート界
米谷ジュリア(日豪アーティスト・デュオ「米谷健+ジュリア」) - CASE03 台湾:コロナ禍のなか、台湾における美術館、博物館の状況
黃姍姍(忠泰美術館ディレクター) -
CASE04 香港:コロナ禍でのチャンスとは
高橋瑞木(CHATエグゼクティブディレクター兼チーフキュレーター) - CASE05 ドイツ:ドイツのコロナ禍文化政策をまなざすことで見えてくる日本の「これから」(後編)
秋野有紀(獨協大学准教授) -
CASE06:リフレクション:コロナ禍の先に文化の「土壌」を耕すために(前編)
吉見俊哉(東京大学教授、東京大学出版会理事長) -
CASE06:リフレクション:コロナ禍の先に文化の「土壌」を耕すために(後編)
吉見俊哉(東京大学教授、東京大学出版会理事長)