ライブラリー

コラム & インタビュー

アーツカウンシル東京のカウンシルボード委員や有識者などによる様々な切り口から芸術文化について考察したコラムや、インタビューを紹介します。

アーツ・オン・ザ・グローブ:コロナ禍と向き合う芸術文化

本シリーズでは、欧米や近隣諸国において芸術文化がいかに新型コロナウイルスと向き合ってきたのかをお伝えします。

2021/09/10

CASE02
オーストラリア:COVID-19に直面するアート界

日豪アーティスト・デュオ「米谷健+ジュリア」
米谷ジュリア

シリーズ「アーツ・オン・ザ・グローブ」

本シリーズ「アーツ・オン・ザ・グローブ」では、欧米や近隣諸国において芸術文化がいかに新型コロナウイルスと向き合ってきたのかをお伝えします。日本、そして東京における芸術文化の現状を理解し、新しいアイデアを得るための一助となれば幸いです。

*企画協力・監修に光岡寿郎氏(東京経済大学コミュニケーション学部教授)を迎え、全6回(予定)の連載でお送りいたします。

「だが、北半球から南半球に直接風が吹き込むことはない。もし、そんなことがあれば、今頃、みんな死んでいる。」

「その方がまし」と彼女は吐き捨てるように言った。「これでは、絞首刑になるのを待っているも同然。」

「そうかもしれない。いや、今はそれを猶予されているのかもしれない。」

ネヴィル・シュート著『渚にて』、1957年

歴史はゆっくり進むと思いきや、突然、誰もが大変革の波に飲み込まれてしまう。

オーストラリア、ブリスペンにあるQUT(クィーンズランド工科大学)美術館の館長、ヴァネッサ・ヴァン・オーエンが「ピクセル化された時空」の中で我々の真向かいに落ち着かない様子で座った。それは2020年3月16日のことで、5月22日に同美術館で開幕予定の我々の個展の準備のために、ヴァネッサとその学芸チームとのあいだで何度も行ったバーチャルミーティングのうちの1回である。2020年初頭より、健と私は、日本の滋賀県立陶芸の森でアーティスト・イン・レジデンスに参加し、QUT他で展示する予定の新作を制作した。輸送の手配も済み、旅行日程も完成し、そのときは日本語と英語の2か国語で新しく作成したカタログの最終校正の最中で、我々の新作は、いつでも梱包できる状態で信楽に留まっていた。

それがすべて台無しになる寸前だった。

壊滅的な森林火災の火がまだくすぶっていたオーストラリアは、3月中旬までは、このパンデミックの襲来を回避できていたようだった。COVID-19は、ダイヤモンド・プリンセス号を介して日本の沿岸へは完全上陸を果たしていたが、オーストラリアの知人たちは、パンデミック前の見果てぬ幻想に生きているようだった。シドニーの家族と話している最中にも、その背後では、未だにクルーズ船がのん気にシドニー港で入出港を繰り返していた。我々の運命的なZoomミーティングのわずか2、3日前に、ヴァネッサがシドニー・ビエンナーレのオープニングに出席するため、プリスベンからシドニーに飛んだのだが、それには、全国そして海外からアート界の関係者が出席し、いたるところで握手が気楽に交わされ、シャンパンもふんだんに饗された。

だが、最近不気味なほど予言的だと思った2012年に掲載されたインタビューの中で、ポール・ヴィリリオが指摘しているように、この現代の「漠然とした恐怖」の時代においては、恐怖が遍在していても、進歩という名の下に管理されているのだが、リアルタイムの情動が急激に世界に広まると、万人が同時にその影響を受ける ※1。オーストラリアは、比較的世界から隔絶されていたが、ウイルスに対して免疫はなかったし、それが引き起こす漠然とした恐怖感の蔓延を免れることもできなかった。この公衆衛生への脅威によって、結果的に、極端な長期的方策が正当化されるようになるのだ。

3月16日の朝に、ヴァネッサから急ぎのEメールを受け取った。「Zoomミーティングをする時間がありますか? 大学の幹部たちとの会議から抜け出してきたところなのですが…」 状況が一転した。大学のキャンパスが閉鎖されてしまったのだ。決断を余儀なくされた。計画どおりに個展を開幕するのは、もう不可能だった。

この頃に形勢が一変した。政治家が依然煮え切らない態度を取っていた日本とは対照的に、オーストラリア政府は積極的に行動を起こした。2020年3月20日にオーストラリアは、非居住者と外国人に対して国境を封鎖した。オーストラリア国民は、できるだけ早く「オーストラリア」に帰国するよう強く勧告された。さらに、オーストラリアは国内にいる自国民と居住者の出国も制限した。このようにして、この方針を批判する人々が「オーストラリア要塞」と揶揄するものが誕生し、国内外への移動が厳しく禁止されるだけでなく、自費での隔離が義務付けられ、帰国者の数も厳しく制限された。それぞれの州と特別地域も互いに境界の封鎖と独自のロックダウン法の施行を開始した。1週間の間に、オーストラリアのアート界は、国際美術展のベルニサージュから一転して、人のバイオセキュリティに関する緊急事態を体験することになった。


“Dysbiotica” installation view, 2020, Mizuma Art Gallery
Photography by MIYAJIMA Kei
©︎Ken+ Julia Yonetani, Courtesy of Mizuma Art Gallery

信楽で制作した新作は、今日に至るまでオーストラリア国内でまだ一切展示されていないが、そのテーマは、皮肉にも微生物と人体であった。この一連の作品を『Dysbiotica』と題したが、この言葉は、腸内細菌叢のバランスが崩れていることを意味するdysbiosis(腸内毒素症)という言葉から編み出したものである。私たちは京都における有機農業の経験とサンゴ白化現象の研究から、地球の生態系と人間の健康の両方にとって、微生物の生態が根本的に重要であると悟り、2019年には、QUTの研究者のおかげで、自身の腸内細菌叢を垣間見るだけでなく、それが心と体に関係していることを発見する機会を得た。遺伝子工学の進歩により、人間は、かつてないほど自然生態系を操作できるようになったが、皮肉にも、その進歩と共に、人間の腸内細菌叢を通して、人間自身が自らの手で破壊している自然生態系の一部であり、自然生態系とは切り離せない関係にあることも科学的に証明された。

COVID-19症例数が少なくとも一時的には大幅に抑え込まれたという意味では、ウイルスに対するオーストラリア政府の「積極的鎮圧」作戦は功を奏したようであった。しかし、症例数が少ないからといって、オーストラリアのアート業界が影響をあまり受けずに済んだと考えてはならない。National Association for Visual Arts(全国視覚芸術協会(NAVA))の調査によると、すでに2020年5月までに9,827件のイベントが中止されたことで5,000万ドルの損失が出て、39,027名のアーティストと475の中小規模団体がその影響を受けた ※2。資金提供機関、特にAustralia Council for the Arts (オーストラリア芸術評議会)が対応に努めたが、自身もすでに、予算が大幅に削減された数年前から続く財政危機に直面していた。

国際的に活躍するオーストラリア人のアーティストたちも、むろん、直接影響を被っていた。例えば、健と共に2009年にヴェネチア・ビエンナーレにも参加した友人のクレア・ヒーリーとショーン・コルデイロは、新潟でのアーティスト・イン・レジデンスに参加することが決まっていたが、来日することができず、奥能登国際芸術祭に作品を設置することもできなかった ※3。シドニーとメルボルンで活動するアーティストのナスィーム・ナスルは、我々同様、ニューヨークへ渡り、第1回アジアソサエティ・トリエンナーレに参加することを計画していたが、それに参加できなかっただけでなく、助成金を獲得したアーティスト・イン・レジデンスに参加することもできなかった。国内での影響の広がり方には、地域によって差があった。ナスィームはこう語る。「メルボルンは2020年に2回長期ロックダウンを経験し、その時は、ほとんどあらゆるものが閉鎖され、住民も自宅に閉じ込められていたほどで、メルボルンの全体的状況は、オーストラリア国内のどこよりも深刻だった・・・ ※4」。健と私がかつて住んでいたブルーマウンテンでは、2020年の壊滅的な森林火災がすでにコミュニティに動揺を与えていた。アーティストで友人のフリーダム・ウィルソンの言葉を借りれば、COVID対策に伴い、芸術的な活動の場がオンライン上に移ってしまった結果、「この惨禍が収束したあとに創造的な人々が互いにつながり、鼓舞し合い、支え合うための場が退廃してしまった ※5」。


“Ken+ Julia Yonetani:That is why I want to be saved” installation view, 2020, Kadokawa Culture Museum
Photography by MIYAJIMA Kei
©︎Ken+ Julia Yonetani, Courtesy of Kadokawa Culture Museum

QUTでの個展はまだ実現していないが(2022年に開催できることを祈る!)、2020年6月に我々の個展のカタログ『Dysbiotica』を発行した。このカタログの前書き部分のエッセイを執筆したのは、日本人作家の田口ランディで、そのタイトル『On the Beach(渚にて)』は、1957年にネヴィル・シュ-トが世界の終末を描いた小説に因んで付けられたものである。この小説は、1959年に同じタイトルで映画化され、いまや映画の古典となっている。1950年代に書かれた原作『On the Beach』は、来るべき核によるホロコーストをじっと待つメルボルン市民の一群が営む生活を詳細に描いたものだ。完全に偶然であり、田口のエッセイに直接関連しているわけではないが、私の頭の中でも、シュートの小説に描かれている、日常の家庭生活の中で耐え難い不吉な予感を覚える状況は、COVID時代の現在のオーストラリアに重なる。人々は、多くの場合、一見影響を受けずに生活を送っているようだが、さらなる突然のロックダウン、「ワクチンをすり抜ける」新たな変異株、ウイルスが蔓延する国から帰国する旅行者たち、「外出禁止令」に「違反する」人々、「域内感染」が発生した場合に避けられない感染者の増加など、不安の種は尽きない。

「普通」と思える暮らしほど、浸食の続く沿岸に打ち寄せる不安の波に飲み込まれている。「安全でいる」という非常に困難な課題に固執することで、いったい何をなくしているのか? ヴィリリオの言葉を借りれば、「安全保障について確かなことの1つは、世界では、至極合理的な地獄が至極正当な理由で生み出されるという点である。公衆衛生と安全保障は、最終的に、あらゆるものを破滅させてしまう ※6」。

※1:ポール・ヴィリリオ著 『恐怖の管理』、 Semiotext(e)/Intervention Series、エイムス・ホッジ訳、MIT Press、マサチューセッツ州ケンブリッジ、イングランドのロンドン、2012年。
出典:http://criticaltheoryindex.org/assets/TheAdministrationofFear—Virilio-Paul.pdf
※2https://visualarts.net.au/advocacy/covid-19/navas-submission-covid-19-senate-inquiry/
※3:Eメール通信文、2021年6月17日、アーティストのウェブサイト:https://www.claireandsean.com
※4:Eメール通信文、2021年6月24日、アーティストのウェブサイト:http://www.nasimnasr.com
※5:Eメール通信文、2021年6月22日、アーティストのウェブサイト:https://laughingbird.com.au
※6:ポール・ヴィリリオ著『恐怖の管理』(The Administration of Fear、未邦訳)、p.91(英訳による)

Editorial Viewpoints

今回は、豪日を拠点に活躍するアーティストの視点から、コロナ禍の影響が克明に記録されている。ご自身の個展『Disbiotica』のコンセプトにも通ずるが、ここでは「アート/アーティストが埋め込まれた社会の網の目」のようなものを改めて考えさせられる。
なぜなら、二人のQUT美術館での個展の延期は、アートを対象にしたというよりは(恐らく政府のガイドラインに基づく)大学の新型コロナウイルス対応の一環だからだ。同様に二人の場合にはすでに信楽に滞在できていたものの、多くのアーティスト・イン・レジデンスが予定の変更を余儀なくされた。それは、アーティストが移動できないからではなく、社会全体に国際的な移動制限が課されたからである。つまり、社会全体の最適化を狙った政策は、芸術文化を含む下位の社会圏域の最適化を必ずしももたらさない。この当たり前の事実を前にしたとき、指定管理者制度に代表されるような芸術文化の領域に携わる人々にとっては芸術文化を対象とした施策として理解されてきた諸制度もまた、むしろその外部へと拡がる社会の最適化の過程で整備されてきたという経緯を改めて見直す必要があることに気づく。(光岡)


関連記事